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Archive for the ‘未分類’ Category

孫のような子ども達の前で

26 6月

南保育園訪問
  南保育園から頼まれて、今日は夫婦で紙芝居や手遊び歌を披露する日だ。午前10時少し前に自宅を出発。南保育園へ到着。今日は、園児の祖父母が集まり『お楽しみ会』だ。

手遊び歌を披露する二人。

 孫と同年齢の子ども達が、遊戯をした後、保母さんの一人が祖父母との遊びを指導。その後、もう一人の保母のWさんが和太鼓を叩くという。そして、私に地打ち(伴奏)を頼んできた。Wさんは私の太鼓のメンバーだ。

  二人で私の作った曲を演奏。園児達は、太鼓の大きな音にびっくりしたようだ。でも、興味深そうに先生の打つ太鼓を聞いていた。私達は、太鼓の法被を羽織って叩いた。

 そして、いよいよ私達夫婦の登場。最初に、家内が手遊び歌を披露。私はギターで伴奏。そして、いよいよ創作紙芝居『タン吉・タン子旅日記-大雨に負けないぞ』を二人で演じた。紙芝居の8割方は家内が演じ、残り2割と音楽は私が担当した。

 私達は、夫婦紙芝居一座を自認している。3、4、5歳児とその祖父母が会場にいたが、紙芝居が始まると、会場はシーンとしていた。集中して聞いてくれているのだ。

家内と二人で創作紙芝居『タン吉・コン子旅日記』を演じた。

 とても、気持ちよく演じることができた。その後、嬉しいことに、花束とお土産をいただいた。先日、福井の『子ども歴史文化館』で偶然、紙芝居の練習を見学することができたが、それが大いに役に立った。

  そのときの指導者のTさんの言った一言、「馬鹿にならなぁ」という言葉が一番参考になった。羞恥心を捨てて紙芝居に集中せよという意味だと思っている。今日はそのつもりで演じた。

 子どものつぶらな瞳を見ていると、勇気をもらえる。大勢の園児の中に、村の子がいた。手を振ると手を振り返してくれた。結構幼児と知り合いになったようだ。今度は、高齢者の人との交流を考えている。こうした活動で私が元気をもらっている感じだ。

  これからも、二人でいろいろ工夫をしながら創作紙芝居を続けていきたい。祖父母と言っても、私より年下の人がたくさん会場に来ていた。今日は結構充実した保育園訪問だった。

保母のWさんの和太鼓の地打ち(伴奏)を行った。

(日記 午前中、南保育園訪問。楽しい訪問となった。午後は『かたせ瓦版』作り。先日インタビューしたテープから記事を作り始めた。夕方、畑を見回った。作物が順調に生育しているのが嬉しい。)

園児から私達二人に花束とプレゼントが贈られた。感謝感激。

 
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『霞ヶ関文学』について思う」

25 6月

一般人が読み解けない文章
  作業を聞いていながら、国会答弁を聞いていた。そして、『霞ヶ関文学』という言葉を思い出した。民主党が政権を取った当時、「政治主導」という言葉をよく聞いた。しかし、結果的には全くできていないと思う。

  元々、政治家が官僚を主導できるほど政策に精通していないだろうし、官僚の力を借りなければ国会で答弁もできない。大臣答弁では、脇に官僚が控えていてさっとメモを出している姿は珍しくない。

  「どうぞご自由にお答え下さい」となったらお手上げだろう。従って、官僚の力を借りなければ政治家は何もできないように思われる。そんな中で、改革を進めようとすると、いろんな面で官僚の策略にはまってしまう。

  それは、『霞ヶ関文学』なるものがあって、官僚が政治や立法過程でコントロールするために駆使する霞ヶ関独特の表現法があるからだ。法案や公文書作成において、官僚が文章表現を微妙に書き換えることで別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするからである。

  こうして、政治家の統治を『霞ヶ関文学』を駆使して、逆にコントロールしているのだ。『霞ヶ関文学』では、たとえば特殊な用語の挿入や、「てにをは」一つ、句読点の打ち方一つで法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能になるとのことだ。

  用語や表現については、世間一般の常識とは全く異なる解釈がなされていても、霞ヶ関ではそれが「常識」であったりするとのことだ。若手官僚は入省後このノウハウを叩き込まれるのだという。

  こうして作られた法案や規則は一般人はもちろんのこと政治家や学者でも見抜けないものも少なくないとのことだ。官僚は省益を損なうことを何よりも嫌うので、法律や大臣の国会答弁の文章を書く場合には、この『霞ヶ関文学』を駆使することによって国益よりも省益を優先するために行動することも少なくないのだという。

  総理が、「政治生命をかける」と言っているのは、結果的には「消費税の増税」のみになってしまうのではないかと心配している。他は、全て先送りになりそうだ。「福祉と税の一体改革」とはいいながら、増税だけでは悲しい。

  増税になれば困るのは国民だけで、官僚はパイが大きくなって権限も大きくなり、天下り先も確保でき喜ばしいことだろう。政治家も与野党とも、選挙で争点にする必要がないので安易に手を組むことができる。増税を公約にあげると選挙で大敗することは歴史が示している。

  他にも、全く同じ文章でも、句読点を打つ場所を変えたり、言葉の後に「等」をつけることで、事実上拡大解釈ができるよう細工するのは朝飯前だという。文章の言い回しでも世間を煙にまくことは簡単なのだ。

骨抜きになる「ノーリターン」
  原子力規制庁は、経済産業省や文部科学省などから職員が集められて組織される。原子力規制庁に異動させられた職員が、もとの出身官庁に戻れるとなれば、推進する組織と規制する組織の人間が交流することになって安全を守れない。

  そこで、元の出身官庁へは戻れないようにしようというのが「ノーリターンルール」だ。しかし、官僚が安易に妥協することはない。新たにできた「原子力規制委員会設置法」附則第6条の2では、元の官庁への異動を認めないとしている。

  しかし、但し書きで、「ただし、この法律の施行後5年を経過するまでの間において、当該職員の意欲、適正等を勘案して特にやむを得ない事由があると認められる場合には、この限りではない。」と例外を認めている。

 これはどういうことだろうか。これまで政権与党は、無闇に官僚と対立すると、行政の停滞を招くことになるとのことから、口では「政治主導」と言いながら、結局は,官僚は省益、つまり自分の保身のために、政治家を自分の選挙のために行動しているように思われる。

  日本の政治は、まさに「マリオネット政治」だ。政治家には多くの紐が付いている。官僚、推薦団体、所属の党、そして、選挙民(もしかしたらこの紐は一番弱いかもしれない)……。これで、動けと言われても全く動けず「何も決められない」の当たり前かもしれない。

集会所の入り口付近に家内と一緒に竹プランターを設置した。

(日記 午前中、家内と二人で明日の紙芝居のリハーサル。そして、竹プランター作り。午後は、村の希望者に、花をあげたり、竹プランターを作ってあげたりした。また、新たに作った竹プランターに花を植えて、集会所の入り口付近に設置した。午後6時半より、92歳のNさんから昔片瀬にあった『師山小学校』についての話を聞いた。Nさんはこの学校へ実際に通っていたのだ。 次に、山の話や戦争体験を話してもらった。最後に、Nさんが話してくれた長寿のこつ二つ。一つは“胃袋を休めること”、もう一つは“友達を作ること”であった。両方とも納得できた。Nさんは学校の話でも戦争の話でも年月日までしっかりと覚えていた。記憶力には驚く。茶菓子を用意したが、話していた3時間の間、全く手をつけることがなかった。お茶は熱中症にならないようにと少し口にしたが。学ぶこと多し。)

村の入り口のお地蔵さんにも竹プランターを設置させていただいた。「♪お下げと花と地蔵さんと~♪」って分かる人は年配者か。

 
 

『敬老会』に思う

24 6月

いかに現役を貫くか
   今日は猪瀬瀬地区の敬老会。区長会はその準備に当たるために午前9時に猪野瀬公民館に集合。先ず、玄関に紅白の幕を張ることから準備開始。そして会場準備終了。

私達にも役だった健康講座。口の中を清潔にしておくことがどんなに大切かがよく分かった。

  バスが次々とやって来て招待されている地区の77歳以上の高齢者の皆さんが会場に集まり始めた。およそ100人ほどだった。そして、午前10時半より講演開始。『口の健康が全身の健康づくり』と題して歯科衛生士のYさんの講演があった。

 私も、講演を聴いていたが、目から鱗の部分もあった。Y先生の講演によれば、高齢者の死亡原因の第3位は「肺炎」だというのだ。そして、その肺炎の多くは、「誤嚥性肺炎」ということだった。

  誤嚥とは、食べ物や異物を気管内に飲み込んでしまうことだ。寝ている間に、口腔内分泌物や胃液が少量ずつ肺内へ吸引される誤嚥が多いとのことだった。そして、この誤嚥にあわせて細菌が吸引され、肺炎が引き起こすということで、高齢者や脳卒中患者に多くみられるとのことだった。

  口の中を清潔にしておかないと、億単位の細菌が寝ている間に肺の中へ侵入し、それが肺炎を引き起こすのだという。そして、それが、最近死因の第3位に浮上しているということだった。寝る前に口の中を清潔しておきなさいということだ。役に立つ話だ。

『さわらび会』による歌謡劇『達者でナ』。ユーモラスな演技に拍手多数。ちなみに我妻は馬の前足。

 その後、市長や県議、市議を来賓として迎えて式典。その後、女性陣と一緒に、弁当や飲み物を並べた。そして昼食。しばらくして、演し物が始まった。一番手は南幼稚園の園児による踊りや歌。子どもは可愛い。孫の年に当たる子ども達だった。

 その後、おばさん達によるハーモニカバンド。懐メロを演奏していた。最後に、家内達『さわらび会(食生活改善推進員)』による歌謡劇『達者でナ』と踊り『勝ち山ほがらか音頭』だった。さわらび会の皆さんの演し物は、今や猪野瀬公民館行事の定番になりつつある。

  高齢者の皆さんを見ていると、今でも現役で野菜作りや花作りに取り組んでいる人が少なくない。働くことで、家族の役に立つことは、生き甲斐や健康作りにつながる大切なことだと思う。

  自分の地区の敬老会への参加者を集計したが、該当者の何人かは、施設等に入っていて参加できない状態であったし、自宅にいても長時間の講演や昼食、余興などに耐えられないということで欠席する人も少なくなかった。

  高齢者になるほど、その年齢に合わせた体操など身体を動かすことが必要だと思った。高齢者には、レクレイションなどで身体や頭を使うことは、遊びではなく、仕事と同様に価値あることだと思った。周囲も理解する必要がある。

歌謡劇の衣装でさわらび会十八番の『勝ち山ほがらか音頭』の踊り。

(日記 午前9時から午後2時まで『猪野瀬地区敬老会』の裏方を務めた。演し物に出演した「さわらび会」の皆さんも楽しそうだったのがよかった。午後3時頃から『親父バンド』の練習。福井・大野・春江などからメンバーが集まって、私の事務所のミニスタジオでバンド練習。その後、『敬老会』欠席者の家へ出向きプレゼントを配って歩いた。いつまでも元気でいてほしいと願うばかりだった。)

 
 

あと一日あったらなぁ

23 6月

同じことの繰り返し
  いつもいつも同じことの繰り返し。何をやってもあと一日足りないのだ。「後一日あればもう少しよくなるのに」と思う。そして、最後の一日は寝る時間も惜しんでやらなければ間に合わない。文章を書くこと、紙芝居を作ること、歌を作ること、……。

  間に合わなくても我慢のできるものはよいが、締め切りなどがあってどうしようもないこともある。それならばと思うが、前々日までに完成させることはなかなかできない。何度同じことを繰り返しただろうか。

  今度こそ、今度こそ、と思うが、なかなかできない。それに、最後にパソコンやプリンターなどに頼る場合には、故障が時々起こる。そうすると前日ではにっちもさっちもいかなくなる。こんなぎりぎりの状態でこれまで何とか乗り越えてきたのだ。

  そして、今日も、このままでは明日まで間に合わなくなることがある。それに、来週もかなり忙しい。一週間かかりそうなことを2、3日でやらなければならない。その上、ショウガの土寄せもまだやっていない。

  だからといって、時間が無いのではない。時間の使い方が下手なのだ。最後の追い込みに必要な体力が若い頃に比べてかなり劣っているのだから、やりたいことを整理し、時間を上手に使わなければならない。

  今日もまた、同じ結論になった。やることを整理することと、計画的に時間を使うこと、今度こそ、「あと一日あったらなぁ」と言わないですむようにしたい。

(日記 午前中、区長をしている関係で『第43回福井県神社庁大野勝山支部 神社総代会総会』に出席。その後、明日の『敬老会』に出演する「さわらび会(食生活改善推進員)」の余興の練習につきあう。午後は明日の「親父バンド」の練習のために編曲作業。午後4時より親子太鼓の練習。帰宅しても、ずっと編曲作業を継続。終わりそうにない。もっと早くしておけば良かった。それに他にもしたいことがあるのに、取りかかれない。全部すんだら、温泉にでも行きたい。少し運動もしなければならない。二日ほどばてていたが、ようやく元に戻りつつある。)

 
 

子ども達との接点

22 6月

自然な接し方
  教員時代は、授業や部活動で子ども達と接することができた。できたというよりもそれが仕事だった。完全に退職してしまうと、そうした機会は激減する。しかし、幸いなことに『子育てマイスター』になってからは、幼児と接することができるようになった。

  和太鼓では、小学1、2年生と接することができる。ありがたいことだ。子ども達はとても人なつっこくと孫といるような感覚だ。子ども達からエネルギーをもらうことができ感謝している。

  今度は、村の子ども達との関係だ。小学生の中には、放課後、習い事などで非常に忙しい子どもから、多少余裕のある子までいろいろだ。この子ども達に私が寄っていくのではなく、子どもの方から興味を持ってきてくれるのが理想だと思っている。

   それには私の方が何にでも興味を持ち、前向きに生きていればいいのだろう。というよりも、私自身が楽しく生きていればそれでいいのでではなかろうか。

小学生と一緒に集会所前へ飾る花植。男の子も参加してくれた。

  最近、集団登校の所へ顔を出すようになった。少しずつ子ども達と顔なじみになった。挨拶から始まり、少しずつ、話すようになった。この前の区民運動会では、家庭へ持ち帰りように竹のプランターを作ってもらった。

  今日は、集団登校の集合地点である集会所前に、竹プランターを設置したい旨を子ども達の相談した。そして、学校帰りに手の空いている者が応援してくれることになった。4時頃集会所で材料を用意して待っていると、子ども達がやって来た。

  それぞれが、竹筒に土を入れ、自分の好きな花を植えてくれた。これからは、水やりも頼むつもりだ。「誰かやってくれる者はいないかな」といった調子で頼んでみたい。

  夏休みには、子ども達と一緒に獅子舞をできないかと思っている。問題は、子ども達が興味を持ってくれるかどうかだ。我が子が小学生だった頃、一度経験している。子ども達は非常に興味を持ってくれた。

きれいな花を見て「きれいだ」と思える子ども達に育ってほしい。

 「あのおんちゃんは何をやり出すか分からない」と子ども達に興味を持ってもらえたら幸いだ。いろいろできることはある。そして、その多くは、村の先輩や大人達から教わったものだ。今度は私が子ども達に伝える番だ。

(日記 この頃欲望に任せていろんなものを食べていたら腹を壊してしまった。久々の体調不良だった。昼寝をしたり、のんびりと過ごした。午後4時頃、集会所で待っていると子ども達が学校から帰って来た。一緒に竹プランターや普通のプランターに花を植えた。)

 
 

前を向いて歩くこと

21 6月

21日は「ウオーキングの日」
  毎月21日は勝山市の「ウオーキングの日」だ。家内に勧められて「ウオーキング」に参加した。午前9時、平泉寺白山神社前へ二人で出かけた。知っている人もかなり参加していた。

ウオーキングの開始式。準備体操なども行った。

  少し説明があって、平泉寺白山神社境内へ向かって歩き出した。境内の苔がとてもきれいだった。その後、南谷の発掘現場を通り、村の中へ下り、菩提林の杉並木を通って出発点へ戻った。

  休まず一定のペースで進んだので汗が出てきた。身体にはかなり負荷がかかっただろう。家内と二人でいい汗をかいたと思う。これまでも、ウオーキングに参加したことはあるが、今後も参加したいと思った。

  参加している人達は、退職者が多かったように思う。年齢を感じさせるのは、見た目には「姿勢」はないかと思った。仕事の多くは、前屈みになりやすいので、どうしても姿勢が悪くなる。そうすると、年齢以上に老けて見えるのだ。

  いろんな所で指摘されるが、年をとっても、一定の運動は必要だと再認識した。今朝私はラジオ体操の第一をやり、膝上げ100回とスクワット100回をやってはきたが、準備体操で指導してもらった「肩胛骨体操」も取り入れてみたい。

平泉寺白山神社に向けて出発。緑がとてもきれいだった。

  これまでは特別に何かをしなくても、身体はかなり思うように動いたと思う。しかし、65歳を越えるとそうはいかない。「五十肩」は数年で卒業したが、腰が時々おかしくなる。一昨年の雪下ろし作業からだ。

  姿勢を正してある程度の速さであるくことは、身体にとてもよいと思う。一人だと退屈だが、誰かと一緒に話しながら歩けばそんなに退屈することはない。歩くことの大切さを認識してウオーキングマシーンまで買って居間に置いてあるのに、最近ご無沙汰だ。

  若さを保つには、見かけは姿勢だと書いたが、見えない部分でも「姿勢」が大切だ。それは、「生きる姿勢」だ。「前向きに生きる」ということだ。これは実感している。

  いろんな所でいろんな人と会うが、前向きに生きている人とはどこでも会話が成り立つ。どれだけ話していても退屈することはない。退屈するのは、過去を生きてる人だ。

  すぐに、現役時代の自慢話が出てきて「あれをやった」、「これをやった」と自慢話を繰り返すことだ。聞いてる方は何度も同じ話を聞き、飽き飽きしているのに。これでは時間の無駄だ。そうあってはならないと思う。

知り合いも含めて記念写真。

  そんな人よりも、野菜を作っている村のおばさん(おばあさん)の方がよほど話していて楽しい。こちらから聞かせてもらうことが多いからだ。それに自慢話のオンパレードになることもない。

  村のおじさん(おじいさん)の中にもいろんな人がいて、村で昔の起こったいろんなこと等を聞かせてもらうことができる。残念ながら一部の人は昔を生きているようだ。

 前を向いて生きていれば、子どもから高齢者までいろんな人と友達または話し相手になれると思っている。身体的にも、精神的にも姿勢は大切だと思う。自分によく言い聞かせておきたい。

(日記 午前9時より平泉寺での「ウオーキング」に家内と二人で参加。午前11時から里芋の「追肥」と「土寄せ」をする。これは、自分にとっては少しハードな作業だった。午後1時頃まで作業を続けた。秋には美味しい里芋が食べられるだろう。午後は区長としての事務処理で市役所へ行く。その後、「はたや記念館ゆめオーレ」で昔の仕事仲間と話す。)

 
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たかが紙芝居、されど紙芝居

20 6月

演じ手の力量
  福井の病院の帰りに、子ども歴史文化館へ寄った。館内を見て回ると知り合いのKさんが特別展示の後始末をしているところだった。そこで、今、一階で紙芝居の練習をしているということを教えてもらった。 

Tさんの紙芝居の模範演技を見て指導を受ける男性(於:福井子ども歴史文化館)

  退職後、紙芝居の演じ手として活躍しているSさんが、二人に紙芝居の演じ方について指導しているところだった。一人は男性、一人は女性だった。それぞれが先ず手持ちの紙芝居を演じ、その後、紙芝居の中の重要な場面を、Sさんが演じ、その後それぞれが改めて演ずるという方法で指導しておられた。

  同じ紙芝居を演じても、演じ手の力量によって面白さは大きく異なることを目の当たりにした。それぞれが、2作品ずつ計4作品を演じるのを家内と二人で見学させていただいた。 

  紙(絵)の引き方、声の大きさ、セリフのスピード、登場人物の演じ分け、間の取り方、……などによって、紙芝居の面白さはずいぶん変わるものだということを改めて知らされた。 

  私達も紙芝居について、いろいろ勉強してきたが今日もたくさん勉強させていただくことができた。紙芝居は一つの絵でたくさんの地の部分を読み、セリフを語るのだ。 

  その間、見ている者は、同じ絵を見ながら語りを聞いていろいろ想像することになる。ということは、演じての力量によって紙芝居の魅力は決まるのだ。 

創作紙芝居『タン吉・コン子の旅日記』。

 

 私達の場合、紙芝居を自分で作り、二人で演じるのだ。このような特長を活かした紙芝居を演ずることができないか、今後勉強したいと思う。また、ストーリー性のある紙芝居だけではなく、社会的な問題等も紙芝居にしてみたいと考えている。 

  学習紙芝居も考えられるし、ハウツウ物も紙芝居にできるかもしれない。言葉だけで語るよりも絵を加えることによって理解しやすく、セルフを入れることによって楽しさも倍加するのではないかと思う。  

 「たかが紙芝居、されど紙芝居」である。今日、偶然立ち寄った福井の「子ども歴史文化館」での紙芝居の練習会を見学させていただいて、改めて紙芝居の魅力を知ったという次第である。 

(日記 午前中、福井の病院へ行く。その後、福井で外食。買い物の途中で立ち寄った『子ども歴史文化館』で紙芝居の練習会を見学させていただいた。指導者Sさんが男女二人に指導して 

創作歴史紙芝居『白山平泉寺物語』。

 

いるところだった。紙芝居の魅力を改めて知ることができた。帰路、ホームセンターで花の苗や栽培用の土を買った。竹プランターによる「花の咲くまちづくり」作戦第2彈のためだ。午後7時半より和太鼓の練習。今日も新曲のフラダンスを練習した。和太鼓に共通する部分があった。) 

創作紙芝居『ナマズのテツ』。

  

手具を使ってフラダンス『カイマナヒラ』の練習。

 
 

子育てと野菜作り

19 6月

多い共通部分
  昨日は、晴れていた。今日から雨になると分かっていたので、先日全部のニンニクを収穫した。今年は、自分としてはたくさんのニンニクを栽培した。種は、3種類。昨年秋に、種専門店の苗、ホームセンターの苗、昨年収穫した苗の3種類を植えた。

  収穫してみると、甲乙付けがたかった。全ての作物がそうだが、どうすると最も多くの収穫が望めるのかが分かっていない。いろんな人に聞くといろいろ考え方があるのだ。

  肥料にしてもそうだ。化成肥料、鶏糞や牛糞堆肥、燻炭、籾殻、米糠、木灰……などいろいろある。また、同じ堆肥を作物に与えるにしても、そのタイミングというものがあるようだ。

  また、野菜作りで困る病気や害虫対策も、いろいろあるようだ。農薬に頼るのは簡単だが、健康のことを考えると、農薬はなるべく少ない方がよい。しかし、農薬を減らしたために作物が病気や害虫にやられてしまっても困る。

トマトとニラの混植。互いに助け合うという。

  今年は、ネギやニラの力によって作物の病気などを防ごうとしていろいろ試している。ナス科のトマト、ナス、ジャガイモなどはニラと一緒に植えると病気になりにくいということで、いっしょに植えた。

  また、瓜科にはネギがよいということでキュウリはネギと一緒に植えたりした。1年を終えてみなければ成果は分からないが、とにかく、実験を開始した。

  仲間の力によって、お互いがよりよく成長していくのだ。人間にとっても、同じようなことが言えるのではなかろうか。安易に農薬に頼るんではなく、それぞれの持つ個性によってお互いを補完するのだ。人も同じではなかろうか。

  また、キュウリのうどんこ病には、スギナの煮汁を水でのばしてまくとよいというので、家内はスプレーで散布している。いつもなら、今頃はうどんこ病でキュウリの葉の一部が真っ白になるところだが、今年はまだ発病していない。効果があるのだろうか。

  作物は水を必要としているが、その与え方にも木を配らなければならない。人間に我慢が必要なように、時には作物も我慢させることが必要だそうだ。水を我慢させることによって、根の発達を促すこともあるそうだ。

  いろんなことを考えると、作物を育てることと、人を育てることに多くの共通点があるようだ。特に、作物で立派な根を育てる必要があるように人間も人としての基本的な部分をしっかり育てておかなければならないように思う。

  しかし、現実には、作物を温室で育てるように温室育ち的な人間が多くなっているようだ。私達は、今一度、雑草の強さに学ばなければならない。自ら生きる強さを学ぶ必要だある。

  「育てる」という行為の中で最も大切なことは、人であれ、植物であ、それぞれが本来持っている潜在能力を発揮できる環境を作ることではなかろうか。

昨日穫したニンニク。食べきれないだろう。希望者に差し上げるつもりだ。素人にしては上出来だった。

(日記 午前中、今度の日曜日に行われる「敬老会」の余興を指導した。食生活会全員が行うのだ。午後は、ニンニクを束にして車庫の天井に吊した。自分としては立派なニンニクが収穫できたと思っている。夜は、秋の祭りに小中学校の女子が行う「浦安の舞」について関係者と話し合った。)

 
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今を豊かに生きる

18 6月
合点のいく人生 
   昨日の夕方、「農事組合法人かたせ」の理事のMさんから急に頼まれた。「明日麦刈りに来てほしい」と。本当は昨日の麦刈りをする予定だったが、雨のため今日に延期されたのだ。

  そうなると、麦刈りの助手を務める者が急にいなくなったらしい。今日からまた勤めに出るからだ。そうなると、「サンデー毎日」の私達退職者に依頼が来るのだ。

  私は、サンデー毎日ではあるが、全く暇ではない。やりたいことがb山ほどあるのだ。しかし、それらはどれも一日ぐらい遅れてもかまわないのだ。

  用事が重なっていない限り、私は出ることにしている。そこで、同じくサンデー毎日のKさんと麦刈りの補助員を務めながらいろいろ話した。

今日は麦刈り補助員。オペレーターが刈り取った麦を軽トラックでカントリーへ運ぶのが私の仕事だった。機械の刈り残したところは稲刈り鎌を使って大麦を刈り取った。

  そこでいろんな情報を入手することができた。そんな雑談の中で聞いた話し他人事ではなかった。「あの人も施設へ入っている」、「この人も施設へ入っている」ということだった。

  かつては第一線で華々しく活躍していた先輩達が高齢になり、いろんな病気で施設へ入っているということだった。何となく、さみしい気がした。

  そうなると、私達は「今を豊かに生きなければ」と思った。無理をせず、いろんなことにチャレンジしたり、仲間づくりをしたり、創作活動をするなど、自分の納得のいく人生を歩みたいなあと思った。

  麦刈りをしながら、頭の中では童話のテーマを考えていた。そして、だいたいのストーリーが決まった。身体は、肉体作業だったが、頭の中にはゆとりがあり、いろんなことを考えることができた。

  明日以降に一つの童話を書き上げたい。そういう意味では今日は充実した作業日だった。まさに知恵無限、創作のネタも無限だ。

(日記 午前8時から午後6時半頃まで麦刈り。午後7時半からオカリナ教室。8月にミニコンサートをやろうということになった。12月にもクリスマスコンサートをする予定だ。メンバー一同張り切っている。楽しい仲間でありがたい。気持が若返る。)

私の作った竹のプランターの中で成長を続ける集会所前の花々。

 
 

任意団体と既存団体の併存

17 6月

地域の活性化を目指して
  既存の青年会、中年会、壮年会、老人会、婦人会などの団体には地域でそれぞれ為すべき活動や行事がある。従って、これら既存の団体に過大な期待をしても無理だ。その上、役員は、短期間に次々と変わるので活動の継続性にも問題がある。

 おまけに老人会を除くとほとんどの団体の構成員は仕事を持っているので、通勤時間や忙しさもまちまちで様々な活動をしようにも、時間的に制約がある。

 そこで、地域の活性化を願うとしたら、こうした団体と任意団体との協力が不可欠ではなかろうか。既存団体の代表を集めて何か特別な委員会を作っても、代表は短期間に交代するので、継続的な活動には向かない。

  このように考えると、共通の目的を持った者が集まってつくる任意団体は地域の活性化に大きな力を発揮するのではなかろうか。先般、滋賀県米原市の上丹生の『チューリップ祭り』を見に出かけたが、ここでの「Kプロジェクト」は参考になる団体だと思った。

  私も、長い間、『勝山郷土研究会』の名で広域的に活動しているが、今度は60数戸の私の地区で「まちの活性化」に向けた取り組みを新たに始めたいと思う。すでにやっている活動としては、“片瀬銭太鼓保存会”があるが、これはまだまだ十分な活動ではない。

  私はこの団体は、農業の後継者不足のために作った「農事組合法人かたせ」と密接な関係にあると思っている。私達は、村自体を持続可能にするために、この組合を存続させなければならないと思っている。

   この組合の主力となる生産物は「米」である。この米に付加価値を付けて販売しなければならないと思っている。乾燥施設も自前で持っているのだから。

 これからは、安い米がどんどん外国から入ってくる可能性があるからである。これらと勝負するには差別化を図らなければならない。

 生産から、少しでも化成肥料を減らし、農薬も少なくしなければならないと考えている。完全な有機米とはいかないまでも、味と健康面での差別化を図らなければならないと思っている。

  こうした米を販売するにあたり、「かたせ」という地区名をブランド化しなければならないと思っている。ブランド化するには「かたせ」の名を冠したものに信用がなければならないと思う。

  そして、何よりも、私達区民が生き生きとしていなければならないと思う。そんなことを考えると、私達は自ら生き生き活動できる任意団体を作ってみたい気がする。

  大般若会のあと前区長のTさんと立ち話をしながらそんなことを考えていた。というのも、現在、既存団体の多くは役所、公民館、地域などからの下働きや動員が多く、「活動をする」と言うよりも、「活動をさせられる」ことが多くなっているのだ。

  地域が町で連合体を作り、町が市で連合体をつくり、さらに県……と、どんどん組織が大きくなり、下部の団体は自主活動どころではなくなっている。そのため、市の団体が崩れ、町の団体が崩れ、場合によっては地区の団体までなくなっている。

  勝山市ではこうして、市の連合婦人会はなくなり、町でもなくなりつつあり、地区でさえも婦人会がないところが少なくない。壮年会や青年団も市の連合体にはごく少数の地域しか加盟せず、連合体の体をなさなくなってきている。

  こんな状態では団体活動は、停滞するばかりである。今こそ、「自ら活動できる団体」を作らなければならないのではなかろうか。自分たちのやりたいこと、楽しいことをやりながら、その延長上にまちづくりがあるような団体が望まれる。

  「下請け会社になっている団体」、「活動をさせられる団体」では、地域の活性化は望めそうもない。私自身は、「いくつかの団体」を作っているが、今度は自分の村で「団体作り」にチャレンジしてみたい。

早朝行われた『自衛消防隊』の消防訓練。

(日記 午前4時50分起床。早めの朝食を食べて午前5時半に『猪野瀬地区自衛消防隊合同訓練』が我が片瀬区で行われるので訓練本部となる村の公園近くの道路へ行く。地元区長として、「……訓練を開始します。」と区長会長に報告して訓練が始まった。我が区からは、自衛消防隊、消火栓班、婦人消防隊の三隊が参加した。約1時間ほどで訓練は終わり、地元区長として謝辞を述べた。その後、村の役員だけでプランター用の竹を切った。3分の1は大工さんに門松のように切っていただいて、工作のできないお年寄りなどに花苗と共に配布する予定だ。その後、しばらく休憩して村にある曹洞宗の仏母寺の大般若会に出席。午後は紙芝居印刷用の厚紙を切った。しばらくして、村のTさんに朝切ってきたプランター用の竹

私達の村にある仏母寺(曹洞宗)の『大般若会』。区民のほとんどは浄土真宗だが檀家のないこの寺を守っている。

を取りに来てもらい、我が家の玄関先でプランターにしてもらった。私は手伝いに徹した。本人に作ってもらうのが一番いいと思ったからだ。早朝から、かなり忙しい一日だった。今日は「父の日」。3人の子どもからそれぞれ今の季節にぴったりのシャツが送られてきた。ありがたい。午後8時過ぎから横浜に住む長男家族とウェブカム。1月に生まれた長男の娘(3番目の孫)もかなり大きくなってきた。その分こちらは年をとるということか。)

Tさんといっしょに竹のプランター作り。どんな花を植えてくれるか楽しみだ。

 

横浜の孫とウェブカム。歌を歌って聴かせてくれた。

 
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