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Archive for the ‘未分類’ Category

生活のスイッチ

06 7月

昔は「たばこ」がスイッチだった
  「今日一日何をするか」は、前日、または当日の朝に家内と二人で決めることにしている。朝食の終わりは、コーヒーで決めている。そして、顔を洗い、仏壇へお参りしてから、一日の活動を始めることにしている。

   ここで、完全に私としては、「オフ」から「オン」に切り替えるのだ。昔は、何をするにも、たばこがスイッチになっていた。休憩の一服、休憩を終えるときの一服、授業を終えての一服、食事を終えての一服、……。たばこは生活を切り替えるスイッチであった。

 その後、禁煙を試みたが、なかなかできなかった。100回ほど禁煙しては失敗した。そして、ようやく、禁煙できた。禁煙後、しばらくの間は、禁煙に失敗した夢を見たものだ。禁煙して、10年ほど経ってようやく禁煙が本物になった。

 たばこという切り替えのスイッチを無くしてしばらくの間は落ち着かなかった。しかし、今では、一日の始まりは仏壇へのお参りを境に、動き出すことにしている。そして、途中は、家内と二人でお茶をすることであろうか。

 以前は、夕食の始まりのスイッチは缶ビールであった。しかし、健康上の理由で止めることにした。最初は寂しかったが、それも慣れてきた。「○○をしたら(○○が終わったら)◇◇を始める」と決めておくと、自分としては、行動しやすい。

  一日の終わりは、風呂へは行って、家内と二人で「梅ちゃん先生」を見て、ブログを書くことにしている。ブログを書くと一日が終わったという気がする。

パソコンに向かってタブレットで紙芝居の絵を描く作業を一日続けた。指と腰が悲鳴を上げている。

(日記 朝から夜10時頃までもっぱら紙芝居の絵描き。昨日、急に娘から紙芝居の絵を描いてくれと頼まれたからだ。休憩時間は昼食と一杯のコーヒーだけであった。腰は痛むし、目も疲れた。自分の紙芝居づくりは延期。)

 
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考え泥棒

05 7月

思い出す「ある授業」
  現役時代、新採用教員の授業を参観する機会があった。教材研究はよくしてあった。事前の研究は申し分がなかったのだ。そして、授業が始まった。準備された教材を示しながら、興味ある質問が新人教諭の口から発せられた。

  授業を受けている高校生はもちろんのこと、参観している私達教職員も一斉に考え始めた。ところが次の瞬間、その教員は解説を始めたのである。解説は丁寧でわかりやすかった。

  同じように、次の質問がなされ、みんなが考えようとすると、すかさず、答えを言い、解説を始めたのである。三度ぐらい、同じようなことが続いた後、私は授業を参観する気力が失せてしまった。教員は進度を気にしているのだろう。

  ただ、一方的に解説を聞いているだけだ。授業時間の半分も経たないうちに、私は、早く授業が終わって欲しいと思った。おそらく生徒達も同じような状況ではなかっただろうか。新人教員は、完全に生徒の考えるチャンスを奪っているのだ。

  私流に言えば、「考え泥棒」だ。そして、こんな教員は少なくないのだ。このような状況が続くと生徒は「考えるチャンスを奪われてしまう」のだ。これでは、興味を持って授業を受けることはできない。  

 これでも、教師の解説をしっかり聞いていれば、テストの点数はとれるかもしれない。しかし、しかし、学ぶことは、テストの点数を取ることではない。今の子どもが、考えることが苦手なのは、こうしたことが積み重なってのことではなかろうか。

  本当は、考えることこそ楽しいことなのだ。しかし、このような授業が続くと、考えることすらできなくなる。考えることが面倒になる。誰かの指示に従っている方が楽なのだ。

  「指示待ち族」はこうして生まれるのだろう。指示待ち族は、至る所にいる。パソコンが発達し、高度情報化社会になると、考えることなしにレポートなどは書けるようになる。

  ネットで検索し、必要な部分をコピーし、それを「ペースト(貼り付け)」すればよいのだ。これでそれらしいレポートができあがる。「コピペ族」だ。この場合には、ネットが学生の「考え泥棒」になっている。

  既存のゲームのほとんどは、大人が考え、それを子ども達にやらせるのだ。昔は、何をして遊ぶかを子ども達が考えたものだ。今は、大人が考えてくれるので、考えたものを使うだけでよい。

  大人社会にも、社長や首長が考え、職員があまり深く考えないで、それを実行している場合が少なくない。今望まれているのは、誰もが、「考え泥棒」を止め、他人の考える機会や楽しさを奪ってはならないということだ。

田んぼの畦の草は、年に最低3回は刈らなければならない。

(日記 午前中は、草刈り機で田んぼの畦の草を刈った。田んぼは組合に貸し、会社組織で米作りをしてるが、草取りと水管理は、原則、田んぼの持ち主がやることになっている。もちろん手間代は出る。それらができない場合は、組合でやることになっている。私も、退職してからは、草刈りだけは自分でやることにしている。午後は、創作保育紙芝居の絵を描いた。半日で一枚がやっとだった。来週、幼児と保護者の前で演ずるためだ。保護者の役立つものになるかが問題だ。)

 
 

「愛する」の反対は?

04 7月

マザーテレサの言葉
 「“愛する”の反対は何?」と問われたら、なんと答えるだろうか。「憎む?」それとも……。一瞬迷う。あのマザーテレサの言葉は「無関心」だそうだ。

 そう聞いて「なるほど」と思ったものだ。しかし、最近、その通りだと実感するようになった。地区で何かしようとするとき、「地区を愛する」気持ちが弱いと何事にも無関心になるのだ。

 「愛郷心」という言葉があるが、「故郷に対して無関心である」はまさに対極にある言葉かもしれない。ということは、故郷を愛してもらおうと思ったら、故郷に関心を持ってもらわなければならない。

  言うのは簡単だが、ふるさとに関心を持ってもらうことは簡単ではない。自民の住む地域に対しては、まるで空気のような存在で、関心があるかないかを考えもしないのではなかろうか。

  さまざまな行事などを通して、地域に関心を持ってもらいたい。それには、今住んでいる地域がどんなところだったのか、過去の興味ある歴史を紹介していきたい。そんなわけで瓦版を作っている。

  「見える化」も大切かもしれない。そんなわけで、「四季折々の花の咲くまち」づくりも進めているつもりだ。きれいな花を見て、その運動に参加してみたいと思うか、それとも、そんなことには全く無関心でいられるのか、どうだろう。

  花に無関心であってもかまわないが、皆さん、毎日何に関心を持って生活しておられるのかは知りたい。それぞれの関心事が、まちづくりや地域の活性化につながればいいのだ。

  「愛する」の反対を「無関心」と語ったマザーテレサの気持が、私には今になってよくわかる気がする。大切で重い言葉だ。何事にも関心を持つ、そんな次世代を育てなければと思う。

太鼓の練習の後、蛍を見に出かけた浄土寺川で「パチリ!」。

(日記 午前中、創作育児紙芝居の絵を描いた。たった一枚の絵に半日かかった。午後は、ネギを植える場所を耕した。その後、藁を細かく切ってしょうがにかけた。そして、田の畦の草刈り。午後7時半より、和太鼓の練習。午後9時過ぎに、太鼓のメンバーと家内といっしょに蛍を見に、浄土寺川へ出かけた。昔なら、どこででも見られた蛍が今では特定の場所でしか見られなくなった。かなりの数の蛍が川岸や川の上を飛び交っていた。しばし、眺めながら昔を思い出していた。)

 
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できない理由

03 7月

探したい「できる方法」
  何か物事をやろうとすると、人は大きく二通りに分けられる。「できない理由を探す人」と「どうしたらできるかを考える人」の二通りだ。

  現役時代も、いつも仲間に話したのは、「できない理由は問題を提示されなくても、述べることができる。」次の三つを言えばよい。「金がない」、「時間がない」、「人がいない」と言えば、だいたいできない理由になるだろう。

  民主党のY大臣が講演で述べた「個別の案件については、お答えは控えさせていただきます。」と「法と証拠に基づいて適切にやっております」さえ述べれば法務大臣は務まると言ったようなものだ。

  どうせやるなければならないことなら、心を込めてやった方が、一生懸命やった方が、悔いは残らないだろう。また、その方がよい結果が出るだろうし、よい結果が出れば「またやろう」ということになるだろう。

  最近の子ども達は、自分で物事をやった経験が非常に少ないのではなかろうか。何もかも、大人達が先回りして用意してあるように思われる。おまけに、全てのことに大人達が関わっているのだ。

  これでは自主性が育つわけがない。私達大人は、いかに子ども達の持っている能力を発揮する環境を設定できるかにかかっている。大人達は、見かけの良さや形式にこだわって子ども達を無理矢理一つの方向に導びこうとしているように思われる。

  子ども達にも、自由にやらせてみるだけの余裕がほしい。そうでないと、大人になったとき、自ら考え、自ら行動できる人間になれないのではなかろうか。

  そうは言っても、物事を進めるのは簡単ではない。個人的なことならいざ知らず、集団を動かそうとすると、自ら動くことはもちろんのこと、やはり同志が必要ではなかろうか。何事にも地道な努力が求められる。

(日記 午前中、済生会でエコーと内視鏡検査。最近体調がよくないので検査をしてもらった。結果はまあまあだった。身体は自分持ちだ。取り替えがきかないので大切にしなければならないと思った。いつまでも若くないんだから。午後は、幼児と保護者向けの紙芝居を作るために、図書館へ本を借りに行った。帰宅後、資料づくり。来週大野公民館で子育てマイスターとしての出番があるからだ。幼児(未就園児)とその保護者が相手なので、なかなか難しい。)

 
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教えることは学ぶこと

02 7月

たかがオカリナされどオカリナ
  極論を言えば、子どもが好きで大学(これは必要条件ではない)さえ出ていれば、誰でも教員になれるのではないかと思う。大学で学んだかどうかはそんなに問題ではない。

  「明日から、教壇に立て」と言われたら、誰だって必死になるだろう。子どもの前では恥をかきたくいないから、それなりに教材研究をするだろう。こうした状況に2~3年置かれれば、だれでも立派な教員になれるのではないか。

  それは、教えざるを得ない状況に置かれれば学ばざるを得ないからである。学ぶことに必然性があるからである。ただ、受け身的に学んでいたのでは、何年経っても知識は身につかないであろう。

 そういう意味では、「教えることは学ぶことである」と言える。私も、このような状況に置かれていろんなことを学んで来たように思う。

  「英会話を勉強したい」と思う人は少なくないと思う。しかし、長続きする人は少ないだろう。特に、勉強する目的が曖昧だと勉強に集中できず、そのうちに諦めてしまう。

  もしも、明日から生徒の前で英会話を教えなければならない状況に置かれたら、事態は一変するだろう。学ぶ動機がはっきりしているので、勉強せざるを得ない。

  また、海外で働かなければならない状況に置かれた場合も同様であろう。私も、ある時期、一生懸命英会話を勉強した時期がある。しかし、海外長期研修(一ヶ月)を終えたとたんに英会話熱は冷めてしまった。

オカリナの練習風景。月に2回の練習でも続けることによってみんな上達するものだ(今日の写真ではない)。

  そんな中で、オカリナを吹けたら と思って購入し、練習した時期がある。しかし、長続きはしなかった。ところが、今から2年あまり前に、「オカリナを教えて下さい」と知り合いから頼まれた。

  私は、人に何かを頼まれた場合、ほとんど断ることをしない。オカリナも同様だった。別にこの楽器の経験者でもないので、気は楽だ。こうして、みんなと一緒にオカリナを練習することになった。家内も練習に参加した。

  みんなのお陰で今もオカリナの練習を続けている。いろんな楽譜を探し、編曲し、練習用のCDを作ったりしている。最近ようやくオカリナの楽しさがわかってきた。時々人前でやるので練習にも気合いが入る。

 何かを学びたいと思ったら、学ぶ目的をはっきりさせるか、学ばざるを得ない状況に身を置くかのどちらかだ。私は意思の弱いところがあるので、後者の方が自分に適しているように思う。

(日記 午前中、オカリナの編曲。その後、親父バンドの編曲。午後は、しょうがの土寄せ。その後、田んぼの畦の草刈り。春に一度草を刈ったのにかなり伸びている。年に三度は刈らなければならない。午後7時半からオカリナ教室。8月の「ゆめおーれフェスティバル」に出演するための練習だ。今日はみんなも乗っていて楽しく練習ができた。出番があると、気合いが入るものだ。)

 
 

林道の草刈りに思うこと

01 7月

三本の道
  村の後ろに控えている大師山への登山道は3本ある。今日はそのうちの一本である林道の草刈りだ。今日草刈りした林道は頂上まで車で行くことができる。残りの二本は、歩いてしか行くことができない。

 私の子ども時代なら、道つくりは、生活に直結していたが、今は必ずしもそうではない。沿道に自分の山がある人以外は、山菜採りに利用するぐらいだ。私も山菜採りに出かけるときにこの林道を利用する。

大師山林道の草刈りと沿道に植えられた桜の木の支柱の立て直し。

  今日は、作業前に全員が集会所前に集まった。そこで、作業の内容や自分の班の作業が終わった人に手伝ってもらう場所などを連絡した。林道の草からが終わったら、7班のうち6班は、神社へ集まって境内の草や雑木を切ってもらい、散乱している杉葉をかき集めて所定の場所に捨ててもらうようお願いした。

  一つの班には、集会所前の庭の剪定尾作業をお願いした。区民の皆さんのおかげで、林道はもちろんのこと、神社や集会所前は見違えるようにきれいになった。子ども達は、集会所前がきれいになったことに気がつくだろうか。

  このような作業に出ることができない家庭が増えている。同じようなやり方では、この作業は持続できないだろう。こうした作業だけでなく、祭礼なども少しずつ省略化の方向に動いている。

 たとえば秋の祭りなら、私達の子供の頃は、若い衆祭り、弓矢、本祭り、後祭りとあったが、今は、本祭りだけになってしまった。さみしいことだ。そのうちに、本祭りも低調になってしまうのではなかろうか。

  そうなると、多田でさえ希薄になった地域の結びつきがさらに弱くなる。村という意識も少なくなるのではなかろうか。その一方で少子高齢化は進む。長い人生の終盤は、人との交わりが極端に少なくなり、わびしいものになりはしないか。

雨の中で集会所前の生け垣の剪定作業。

  世の中、“いいとこ取り”はないのである。どこかで、一歩前へでるような、生活をすべきでではいか。どこかで、他人のために行動することが、結局は自分のためになるのだと言うことを理解してほしい。

  私の最大の課題は、ケネディー大統領の言った次の演説をいかに区の皆さんに理解していただくかだ。

 アメリカの国があなたに何をしてくれるかではなく、
 あなた方自身が、アメリカに何ができるかを考えてください。

Ask not what yuor country can do for you,
ask what you can do or your coutry.

 区があなたに何をしてくれるかではなく、
 あなた自身が区に何ができるかを考えて下さい。

 持続可能な区を目指して、一人一人が自分のこととして地区の将来を考えていただきたいと思っている。今日の林道作業でも、班員が高齢のために人はいても作業できる人数が減っている。10年後にはもっともっとその状況は深刻になるだろう。

  人と人との絆が深まる地域作りのために何ができるか、私に課せられた課題である。逃げずに一つずつ考えてみたい。みんなの知恵を寄せ集めれば、少しは改善されるのではないかと思っている。恒例の行事の見直しから考えていきたい。

来たと思ったらすぐ帰る時間になってしまう。「気をつけて帰れよ」そして「また来いよ」。

(日記 午前中、区の林道の草刈り。昨日までは夏のように暑く晴れ渡っていたのに、今日はあいにくの雨。でも作業は予定通りに終えることができた。区民の皆さんに感謝したい。昨日から遊びに来ていた福井の孫達が帰って行った。最近会話ができるようになったので楽しい。)

 
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言葉の力

30 6月

『すこやかフェスタ』に参加して
  「福祉健康センターすこやか」で『第33回のすこやかフェスタ』が開催された。私は、区長として式典に参加した。その後、表彰式があり式典は終了した。

 続いて、心理カウンセラーSさんの『思いの力・ことばの力』と題した講演が行われた。とてもわかりやすい講演だった。そして、納得できる部分が多かった。以下、自分の心に残った部分を列挙すると、次のようなものがあげられる。

・お互いにを認め合うために、思いをのせて言葉を届けよう。
 コミュニケーションとは、双方向に想いを伝え合うことだと私は考えている。一方向の場合、それは連絡や指示、命令であってコミュニケーションとは言えない。

・私達はお互いを映し合う鏡
  自分がどう映っているのか、鏡を持たない人が増えている。自分がどう他者から見られているかがわからない。そのため、偏った方向へ進む人が少なくない。政治家、官僚、時には企業の代表者や教員、学者……。そのため、ムラを作って他者を煙に巻く。

・思いの力・ことばの力~力を奪う or 力を与える~
  言葉によって,相手を傷つけることもあれば、相手に勇気を与えることもできる。同じ言葉でも、相手の状況によってはどちらにもなる。できることなら、相手を勇気づけ、励ますような言葉を発したいものだ。

・「ほめよう」ではなく、「みとめよう」と意識する。
  人をほめようとすると無理が出る。認めようとするには事実だけを述べればよい。「よい子だ」などを言われると「よい子を演じなければならない」ことになり、負担になる。それぞれの行為の瞬間によさを認めれば負担にならない。

・さざ波効果~こちらのあり方が周りに与える力~
  相手に期待したり、直接、相手を説得するよりも、自分のあり方によって相手を動かす方が効果は大きいだろう。かつて別の講演会で、「情熱は伝染する」と講師が話したのを今も鮮明に覚えている。相手に影響を及ぼすのは、言葉よりもさざ波効の方が大きいかもしれない。

 旨く説明できないが「言葉の持つ力」を再認識した。私達は、安易に、無神経に言葉を使うことがあるが、使い方によっては相手の力を奪うこともあるだろうし、相手に勇気を与え、励ますことにもなる。私にとっては、興味があり楽しい講演会であった。

(日記 午前中、「福祉健康センターすこやか」で行われた「すこやかフェスタ」の式典に参加し、その後講演を聴いた。センターの内外では、様々なイベントを行っていた。多くの知り合いにも出会った。午後は、疲れて昼寝。午後4時から「親子太鼓教室」。楽しい時間だった。その後、明日のむらの「林道草刈り」のための準備。参加者全員のお茶を購入し、集会所の冷蔵庫に保管。残念ながら明日は雨らしい。夕方からポツリ、ポツリと雨。)

 
 

一段落

29 6月

一息入れて
  今日の午後、やりたいことが一区切りついた。最後は、童話コンテストに応募することだった。今日が締め切りだったからだ。今日まで、気分的には押されているようで重荷だった。

 童話を書くにはいくつかの手順がある。ぼんやりとストーリーを考える段階は、何か仕事をやっていてもできる。次は、実際に原稿を書いてみる段階。これは病院の待合室でできた。

  そして、昨日は、家で最後まで話を書き終えた。今日は先日の検査結果を聞くために再び病院へ行った。病院の待合室で自作童話を校正。

 帰宅して、書き直して印刷、完成。封筒に入れて郵便局で郵送した。果たしてこの童話は、子ども達に受け入れられるだろうか。宝くじが買わなきゃ当たらないように、童話もコンテストに出さなければ入賞しない。

  こうして一つずつ種を播いておけば、楽しみは増える。これからもいろんな種を播いておきたい。新たな楽しみを生み出すために。来週からは、少しずつ、創作紙芝居の絵を描き貯めていきたい。

人通りの少なくなった本町の交差点付近でYくんをパチリ。アメリカと日本の学校の仲立ちをしてほしいと頼んだ。

(日記 済生会病院で先日の検査の結果を聞く。帰宅して童話を仕上げた。夕方、明後日の大師山林道の草刈りのための下見に行く。午後7時から焼き鳥屋で、来週アメリカへ戻るY君(アメリカで起業)と飲みながら話す。午後11過ぎまでたっぷり4時間話した。その中で英語についても話すことができた。ここでもまた新たな楽しみが見つかりそうだ。楽しみは仕掛けなければやってこない。これからもドンドンいろんなことを仕掛けていきたい。)

山道づくりの下見で登った大師山山頂。

 
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インターネットは百科事典

28 6月

情報は発信し、受信するもの
  この頃は「情報化時代」と言われるように様々な情報が身の回りに溢れている。情報化というよりも、「情報過多の時代」であるように思われる。一つ間違えば情報に振り回されそうである。

  私は、情報はどちらかと言えば“受信するよりも発信すべき”だと思っている。パソコンにしがみついて、あちこちの情報を探っているだけでは情けない。きっと、時間はあっという間に過ぎてしまうであろう。貴重な時間がもったいない。

  ブログによって情報を発信していると、あちこちに住む自分の子ども達に近況を知らせることが日々できる。また、知り合ったいろんな人にも見ていただいているうちに、メル友になることもある。そんな場合、私の方が勉強になっている。

  このように、情報を発信することによって、新たな情報を入手できると思っている。また、情報の入手が必要になると思っている。そんなときは、ネットに頼ることがある。家内は、梅酒だ、にんにく酒だ、ジャムだ、と言って結構ネットを使っている。

 紙芝居を創作するにあたっても情報入手が必要になることがある。例えば、ヤギが登場する場合、私は、ヤギの生態については必ずしも知っているわけではないので、ネットや図書館での情報収集が必要になる。昔、隣の家がヤギを飼っていたが。

  また、ヤギの種類によって姿形がどう違うのかを知ろうとすると、図鑑に頼るか、ネットの画像検索に頼ることになる。そんなわけでネットは辞書代わり、図書館代わりになっている。

  しかし、情報は発信することによって受信することが必要になると思っている。どんなものにも功罪はある。使うか使われるかによって受ける影響は大きく異なる。少なくとも、私にとってはネットは、情報発信の最大のツ-ルである。

数学のホームページの表紙。しばらくご無沙汰だ。再開したい。

 このブブログを書いていて急に思い出したことがある。自分の本職であった数学のホームページづくりを一年間休止している。公開しながらの制作なので、再開したい。制作しているときが自分の楽しい時間になっているのだから。

(日記 午前中、『かたせ瓦版』の仕上げ。昼食後、プリントアウト。午後は、近所の人のために五連の竹のプランターを二個作った。その後、童話創作。明日までに完成させたい。夕食後、童話創作作業を継続。何とか、形にはしたので、明日は推敲だ。)

 
 

たくさんの区有文書

27 6月

資料をどのように活かすか
   村にはたくさんの古い資料(区有文書)がある。それらを見ていると、当時の人達が何を考えていたのかがよく分かる。会議録などを見ると、事細かに申し合わせ事項を決め、それらを守っていたことがよく分かる。

  村は運命共同体という感が強かったように思う。今は、家族が、個人が、それぞれが勝手に生きているように思える。面倒くさいことは極力避け、自分の興味のあることだけを追いかけているように見える。

  しかし、それでは、人生のある時期からうまくいかないのではなかろうか。欲望だけを追いかけていても、本当の充実感は得られないのではないだろうか。村の中を歩いていると、高齢者のみの家族、あるいは一人暮らしの人がいるが、大丈夫だろうかと思ってしまう。

達筆で書かれ区有文書。先人が生きた証やいろんな知恵が残されている。

  昔の文書を見ると、かつて、村では、いろんな事を協力してやっていたように思う。農作業についても、「結」という形で協力してきた。また、少しでも豊作になるように、田畑の害になるものに対しても「申し合わせ事項」を定めてみんなで守ってきたのだ。

  例えば、稲作に害となる「ヒエ」の取り扱いについても、みんなでどこへ捨てるか(ヒエ捨て場)を定めている。今は、除草剤をやればそれで済むと思っているのか、田んぼ周辺に放置してある場合が多い。だから田んぼにはとてもヒエが多い。

  また、かつては稲や作物を食い荒らす「蝗(いなご)」を少しでも減らすために、蝗の卵を一定量とるよう定めている。そして、それらに対して報奨金を出していたようである。毎年の初寄り合いに申し合わせていたことが記録から読み取れる。

 また、モグラも1匹10銭で区長が買い上げることなども記録には残っている。田畑の害になるものを、区全体で駆除しようとしていたようである。区民の協力で区を守っていたことがよく分かる。

  大正14年の「初寄り合い」では、「投書箱を設けること」が決められている。
  「投書箱の設置」
    ・設置場所……消防ポンプ小屋前
    ・鍵の管理……区長
      ・箱を開けるのは、区長、区長代理、委員一名立ち会いの上、毎月一回とする。

 区民から、様々な意見や提案を聞くためであろうか。その趣旨は大いに賛成できる。私も、現役(教員)時代には投書箱を設置した経験があるからだ。 

 その他、夜警を青年会が担当していたこと、道路の修繕、樹木の伐採、学校の糞尿の(肥料としての)入札、……等、様々なことが記録されている。少しでも、暮らしを良くしようとした先人の苦労が忍ばれる。

(日記 午前中、済生会で定期検診+アルファ。最近、体重が減ってきたことが気になる。帰宅してからは、もっぱら『かたせ瓦版』作り。今回もあと一日が足りない。)