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Archive for the ‘未分類’ Category

先人の後を引き継ぐ

05 8月

変化する地域
  今日は、山道づくりの日だ。片瀬の全61戸を7班編制にし、各班ごとにローテーションで場所を決めて『山道づくり』をするのだ。昔は、区民が山道を使うことが多かった。しかし、今では生活のために山道を使うことはほとんどない。若者は何のための『山道づくり』かわからないだろう。

  しかしながら、昔から、ずっと『山道づくり』を行ってきた。山道の真ん中や両側に生えている草や灌木を草刈り機で刈り払い、横から出ている木の枝を伐採し、道路へ水が流れないようにセイバやスコップを使って「水抜き」を作るのだ。倒木はチェンソーで伐らなければならない。

  この作業で最も苦しいのは、草刈り機を担いで作業現場へ行くまでの道中だ。一番遠くの「三頭山コース」は軽トラックで大師山の頂上近くの「大谷(峠)」まで行き、そこから、約一時間登ったり下ったりしながら作業現場まで歩くのだ。夏場の暑さの中では苦労する。

 涼しいうちに作業をするために、通常は午前6時、早く作業を始める班は午前5時過ぎに現場へ出発する。暑くなると、体力を消耗するからだ。私はこの作業に中学3年生の頃から参加している。父親が早く亡くなったからだ。

  昔は、家族も多かったので、高齢者の代わりに若者が作業に出ることができた。しかし今は、少子高齢化が進み、高齢者しかいない家庭や高齢者で一人暮らしの区民がいて作業そのものに参加できない家庭が増えてきた。

  ここ数年このことが気になっていた。今のままでは、『山道づくり』の作業も危うくなる。そこで、『山道づくり』の歴史を区有文書などでいろいろ調べてみた。すると、いろんなことがわかってきた。

車で20分、山道を草刈り機を担いで歩いて1時間でようやく現場へ到着。しばらく休んで作業開始。高齢者には過酷な作業だ。

   現在私達は区の個人や区の共有林の沿道である山道の作業を行っていると考えていたが、昭和36年に当時の区長以下区民が、最も遠方にある大師山の奥の永代使用権を放棄していることが区有文書でわかった。現在所有権は勝山市に移っているのだ。

  少子高齢化が進み、作業が困難になった今こそ、区に関係する山の道づくりは継続しなければならないが、市の山まで作業をする余裕がない。しかも、市の山は集落から最も遠く、高齢者には作業現場へ行くだけでも困難なところだ。

  そこで、4月以来このことを市の関係者にお願いしてきた。今日は市の関係者が二人現場を視察するためにやって来た。草刈り機を担いで最も遠くに位置する市の山の沿道を見てもらった。私も、同行した。何とか、市の山の沿道部分は市の方でお願いしたい。

  先人が守ってきたものは後の私達も、守っていかなければならない。しかし、少子高齢化が進んでいる現状では、区以外の山の道まで作業をする余裕がない。守るべきものは守るがそうでないものは返上しなければ「山道づくり」そのものが継続されなくなる可能性があるからだ。

  ここ5年、10年で我が集落も、日本の変わるだろう。「持続可能」という言葉がよく使われるが、集落や農業の持続可能性を真剣に考える時期が来ている。夕方、農事組合法人のホームページづくりに関係している関係者と会った。後継者不足の農業にも、「戦略」が必要になってきている。

 先人が守ってきたいろんなものを取捨選択して、守るべきものはしっかりと守らなければならない。 また、時代に合わせて取り組み方も考え直さなければならない。今こそ知恵の働かせどころだ。

(日記 午前6時に村の神社前へ集合して、2班の区民と視察に来た市役所の2人といっしょに大師山の山道づくりに出かけた。現場へ着くまでにかなり疲れた。その後、自宅で休養。楽器練習。家庭菜園見回り。午後6時半から『農事組合法人かたせ』のホームページ作りを行っている関係者と意見交換。ホームページづくりに関する私見を述べた。組合にも「戦略」が必要だと考えている。)

 
 

夏祭りシーズン

04 8月

施設の夏祭りに参加して
   7月末からお盆前は夏祭りシーズンである。今日は、介護施設である『九頭竜ワークショップ』と片瀬の村はずれにある『さつき苑』の夏祭りだ。特に、『九頭竜ワークショップ』の夏祭りでは『片瀬豊年ばやし』を披露することになっている。

先ずは銭太鼓のバチを振る。

  5時過ぎに4台の車で分乗して九頭竜ワークショップ』へ向かった。会場にはたくさんの模擬店が並び、多くの人達で賑わっていた。太陽は西に傾いてはいたが、とても暑かった。

  6時過ぎに、ステージで『片瀬豊年ばやし』を演じた。初めて見た人から「面白かったよ」と言葉をかけてもらった。片瀬オリジナルの銭太鼓『片瀬豊年ばやし』にしてからあちこちからお呼びがかかるようになった。

  以前の県外民謡『安来節』を100年近くも演じていたが、自己満足の域を出なかった。せいぜいが地域の文化祭に出るのが関の山であった。まだまだ改善の余地があるが、今後も楽しい郷土芸能として育てていきたい。

米俵を運んでの俵芸の始まり。

 演技の後、謝辞を述べた。その中で、「この『片瀬豊年ばやし』は後継者不足の地域農業を支える『農事組合法人かたせ』のテーマソングでもあります。今後、片瀬の特産である里芋とショウガと旨い米を作り続けていきます。片瀬をブランド化するために頑張ります。」というようなことを話した。

(日記 午前中は、ギターの練習。ハワイアンギターは暗譜しなければ上手く弾けないがその能力はかなり落ちている。ざるで水を汲むようなものだ。どんどん漏れてしまう。それでも、練習の回数を増やすことによって乗り越えたい。若い頃はこうではなかった。午後4時より『親子の和太鼓』の練習。その後、衣装を着けて『九頭竜ワークショップ』の夏祭りへ会場へ向かった。『片瀬豊年ばやし』を演じてすぐ会場を後にした。次は、村はずれにある『さつき苑』の夏祭りに向かった。ここでは、会場を見て回るだけでよかった。家内達は、私と行動を別にして、ここで民謡を披露したのだ。全てが終わったが、暑さなどでとても疲れた一日だった。)

俵芸。そろそろこの演し物は新しくしなければならない。

「♪ 息を合わせてバチを振れー♪ 」

演技を終えて謝辞を述べた。
 
 

オリンピック前半を終えて

03 8月

勝つためとはいえ
  バドミントン競技で、四チームが無気力試合で失格になった。勝つために、目前の試合を負けるという作戦に出たのだ。見ている人にとって,双方が負けようとして、意図的にサーブをミスしたり、ショットを大きく外したようだ。

  準々決勝で強いチームを避けるための作戦だと言うが、スポーツ精神とはかけ離れた行為ではなかっただろうか。サッカー女子の日本チームもあまり誉められた行為ではない。勝たないようにする試合をしたからだ。見ていた人は々思っただろうか。

  国際サッカー連盟(FIFA)が、「引き分けを指示した日本チームを規律委員会にかけない」と答えているそうだが、そもそも、このようなことがマスコミの話題になること事態が問題だ。移動がいやだから、引き分けを狙ったというのだが、「勝たない試合」を誰が見たいだろうか。

  そういえば、勝つためにはなりふり構わず何でもやるという風潮は、それぞれの競技が持つ面白さや勝負の醍醐味が失わせつつある。柔道の試合を見ていると、レスリングの試合を連想してしまう。

  組み手争いばかりしていて、「指導」を受けないように動き回ったり、掛け逃げのような技を連発したりして、細かい点数を取ることに一生懸命になっているようだ。そして、危ないときには、亀のように床にへばりついて逃げ切ることばかり考えているように見える。

  今後柔道はどういう方向に進むのだろうか。一本を取るというのではなく、見かけ上は責めまくり相手に「指導」を与えるという勝つための柔道が主導になるのだろうか。そして攻められたら、素早く逃げまくるという柔道になるのだろうか。柔道は日本のお家芸である。これが柔道だというような勝ち方で再建してほしいと思う。

  審判のあり方にもいろいろ問題がありそうだ。判定で青3本だったのに、その後、逆に白が3本になって、勝敗が逆になったりと、選手にも、見ている者にも納得のいかない試合があった。

  そんな中で、たとえ金メダルではなくても、さわやかな勝利があったりしてほっとするところもある。いよいよオリンピックも後半戦に入ろうとしている。フェアプレイ精神に反することなく、全力を出し切ってほしい。勝たないサッカーを目指した日本女子チームはどうなるのだろうか。今夜は試合を見るつもりでいる。(追記 午前2時過ぎまでサッカー女子前半戦だけ見た。この時点では1:0だった。朝起きてテレビを見ると幸いにも2:0で勝っていた。)

集会所で『片瀬豊年ばやし』の練習。オリジナルにしたお陰であちこちからお呼びがかかる。嬉しいことだ。

(日記 午前中は、夏祭りのハワイアンバンドの練習用CDづくり。一つは、私のハワイアンギターのパートを抜いたマイナスワンCDを作った。もう一つは、ハワイアンソング(歌)のカラオケだ。午後はこのカラオケを使って楽器の練習。今は、昔と違って覚えてもすぐ忘れてしまう。そのために、努力は倍以上必要になる。毎日少しずつ頑張るしかない。その後、孫の一輪車の練習。と言っても、孫は全くの初心者だ。横浜へ帰るまでの2週間でどのくらい上達するだろうか。乗れるようになろうとなるまいと、夏休みの思い出として、楽しみながら一緒に練習したい。午後7時半より、明日の「九頭竜ワークショップの夏祭り」に出演するために、『片瀬豊年ばやし』の練習を行った。中学3年生から69歳の私まで幅広い年齢層での出演だ。明日は楽しく演技したい。)

 
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子や孫のお陰で

02 8月

子や孫と一緒に思い出づくり
  「帰省中の孫達を海水浴に連れて行きたい」と考えてきたが、今日、実行に移すことができた。私達夫婦と息子の嫁とその子ども(孫)3人の合計6人で鷹巣海水浴場へ出かけた。孫達は海が大好きだった。

  休む時間がないほど海に入っていた。私も、孫達の安全を守るために、海に入って孫達の相棒をした。今日は平日とあって、そんなにたくさんの人は来ていなかった。それでも、家族連れや、若者達があちこちで見られ、夏真っ盛りであることを実感した。

  朝9時に家を出て、帰宅したのは午後5時半頃だった。孫達のお陰でかなりの時間海の中で過ごすことができた。大人だけならおそらく海水浴には行かなかっただろう。子どもや孫のお陰で、これまでかなりあちこちへ出かけることができた。

二人の孫と家内と私。この年になっても海水浴楽しめるのは孫達のお陰だ。

 子どもや孫達には、それぞれの年齢に合わせていろんなことを経験させてやりたいと思ってきた。そのお陰で、親あるは祖父である私はいろんな事を経験することができた。動物園や水族館へは何度も行き機会があったし、家族旅行であちこちへ行くことができた。

  家族で車を使って出かけた10日あまりの北海道一周旅行も、今では貴重な思い出となって残っている。大人だけなら、出かけないであろういろんな場所へ子や孫のお陰で出かけることができ、私自身の楽しい思い出にもなっている。

  孫達は、後2週間ぐらいは我が家で過ごす。その間に、いろんな経験をさせてやりたいと思う。そして、孫達と一緒に自分も楽しみたいと思う。「牛に引かれて善光寺参り」ではないが、子や孫のお陰で自分も見聞を広めることができ、いろんな体験ができる。

  今は、孫達の存在が私にいろんな創造性をかきたててくれるのだ。孫達が喜ぶような童話や絵本づくりにも頑張ってみたい誌、紙芝居も作ってみたい。今や、彼らは私に生きる勇気を与えてくれる大きな存在になっている。

息子の嫁と二人の孫。楽しそうでよかった。

(日記 午前中、横浜に住む長男の嫁とその子ども(孫)3人と家内の6人で鷹巣海水浴場へ出かけた。晴れていてまさに海水浴日和であった。帰宅したのは、午後6時前だった。午後7時半過ぎに、『さわらび会(食生活改善推進員)』の余興練習のために、猪野瀬公民館へ出かけてアドバイスをした。施設の夏祭りに出かけて踊りを披露するためだ。充実していたが、かなり疲れた一日だった。)

施設の夏祭りで披露する余興の練習をする食生活改善員(さわらび会)の皆さん。

 
 

各地区の特色ある地域づくり事業

01 8月

どのように「まちづくり」を進めるか
  午後7時より猪野瀬地区の区長会が開かれた。最初に市の職員が来て説明を行った。その中の一つが、『各地区の特色ある地域づくり事業』についてであった。総額9,050万円を市内10地区に配分して、「まちづくり」を行うというものであった。

  その配分方法は、人口割りで各地区に500万円を配分し、人口に合わせて残りを配分するというもので、我が猪野瀬地区は、総額791万円が配分されることになった。これから2年ほどかけて計画し、平成32年までに実施することになるのだ。

  我が猪野瀬地区には9つの集落があるのだ。農業者のほとんどいない地区から、米作りや野菜作りを行っている地区など、いろいろである。しかし、どの集落も専業農家は非常に少ない。各集落が一つの目標に向かってまちづくりを行うのは簡単ではない。

  これらを進めるには、まちづくり関係の団体が、中心になり、区長会と一緒に知恵をしぼらなければならない。多少の金があるから、「まちづくり」を考えるというのでは、対応できないだろう。

  私としては、.急に、金を使うことを考えるよりも、地域の現状をしっかり分析してから始めなければならないと思う。こうした分析を行わないまま「まちづくり」を行おうとすると、思いつきであったり、一過性のイベントなどに金を使うことになりかねない。

  時間は十分あるが、なんにもしないで時間の過ぎるのを待つのではなく、地域の実情に目を向け、それらをよく分析してから何を為すべきかを考えなければならないと思う。

  野菜作りの盛んな地域の区長が、「ここ数年で後継者不足のために大きく変わる(衰退する)だろう」という意味のことを発言していた。どのような分野でも、今、盛んだから、これからも続くだろうとは簡単に判断できない。問題は後継者がいるかどうかだ。10年も経てば、高齢者は支えてきたものは衰退してしまうだろう。

  若い人に魅力のある産業でなければ、「持続可能」にはならない。魅力を作るのは、年長者の責務だろう。これは、何も農業だけの問題ではない。地域そのものも、魅力がなければ衰退するのだ。

  我が集落も、高齢化している。後継者が集落にいない人が少なくない。高齢者の一人暮らし、二人暮らしがかなりいるのだ。地元に子どものいない家庭が少なくない。一番の問題は地元に働く場がないからだと思っている。

  それでも、福井まで1時間ほどかけて通勤している人もいるが、冬の通勤は容易ではない。次の世代も、福井まで通勤してくれるか。それとも、住居を福井や県外に移すかどうかだ。

  持続可能な社会を目指しているが、集落そのものが持続可能かどうかが危ぶまれる。私達は、先ずは、自分自身がこの地で心豊かに暮らせることを示していかなければならない。高齢者が、不満を持つような地域では、次の世代がこの地区に住みたくなることはなかろう。

  かつては、改めて「まちづくり」など考えなくても、ライフスタイルそのものが「まちづくり」につながっていたように思う。暮らしそのものが、住民の「絆」を深めるようにできていたように思う。冠婚葬祭を始め、仕事においても「結」に見られるように、助け合って生きてきたのである。

  車も、テレビ、洗濯機、炊飯器もない中で、仕事に精を出し、地区の行事には積極的に参加して盛り上げていたのである。文明が発達し、「モノ」に恵まれるにつれて、人と人との結びつきは弱くなり、人生の終盤は孤独な人生が待っていなくもない。

 地域の現状を分析し、金に飛びつく前に、何をなすべきかを真剣に考えなければならない。そうでないと、予算を消化するための「まちづくり」になりかねない。私達は、今一度、地域に対して「何をなすべきか」、「何ができるるのか」を考えることから始めなければならないと今日の会議に参加して思った。

(日記 午前中は、パソコンで創作作業。その後、孫に対して『じいちゃん勉強』タイム。私は一つの仮説を持っている。それは、『算数は足し算だ』ということだ。全体と部分の関係をつかんでいないと、子どもは数字を見たら「足したり、引いたり」したくなる。「なぜ足すのか」、「なぜ引くのか」を小学生のうちから、理解してほしい。約3週間でどこまで孫に伝わるか、私としても算数を教える楽しみがある。午後は、楽器の練習や雑用。午後7時から『猪野瀬地区区長会』に参加。大きなテーマを与えられた気がする。終了後、『片瀬豊年ばやし』の練習に参加。)

 
 

夏真っ盛り

31 7月

“夏休みの過ごし方”今昔
   暑い日が続いている。子ども達は夏休みの真っ最中。今日で7月も終わりだ。今の子ども(小学生)達の一般的な一日の過ごし方は、ラジオ体操、朝の学習、テレビなどを見て、午後は学校のプール。そして、家庭でテレビやゲームで過ごす。だいたいこんなところだろうか。

  私達の子どもの頃は、神社でラジオ体操の後、ソフトボールなどをして遊んだものだ。また、神社で石炭箱などを机にして学習をしたこともあった。泳ぎは、村の防火水槽や近くの川であった。大きくなると九頭竜川へ泳ぎに行った。

  また、泳ぎから帰った後、大師山の裏側へ出かけ、薪を担いで帰ってくるのが日課であった。この他、割り当て仕事があった。時には、木陰で将棋なども楽しんだ。また、道場(仏教)ヘ集まって遊ぶこともあった。道場は宗教の場でもあったが、集会所でもあり、巡回映画などを行う文化会館でもあった。

  私は、ここでギターなる楽器を知ったのだ。ギターは、年長者が弾いていた。その音色に魅力を感じて、中学校になったときに、母親に頼んで買ってもらったことを覚えている。こうした経験が、今でも音楽を続けている原点でもある。

  いずれにしても、夏休みは自宅で過ごすことはほとんどなかった。家には遊ぶものがなかったからである。先ず、水遊びは不可欠だった。友達と過ごすことも多かったし、仕事も多かった。

  考えてみると、完成されたゲームやテレビなどがなかったために、子ども達は、自らの創意と工夫で遊ぶしかなかった。みんなで集まって遊ぶことが多かったが、ここでいろんなことを学んだ。

  必要以上に、「モノ」があるということは、その分子ども達が創造性を発揮する機会を奪っていることになるのだ。今でもそうだが、発展途上国の子ども達は、モノがない分、いろいろ創意工夫を凝らしながら生き生き遊んでいるようだ。

  今は、もうけのために、子ども達をターゲットにしたビジネスが盛んである。 大人の手で作られたヒーローがテレビや漫画に登場し、そこで使われる様々な武器がおもちゃとして売りに出されるのである。

昭和初期の水遊び。九頭竜川は子どもから大人までの遊び場であり、漁場であった。(写真提供:朝日印刷)

  そのおもちゃもいろいろなバリエーションがあって、子どもがほしくなるように次から次へと種類を増やしているのだ。この手のヒーローは女児の場合も同じである。女児の場合、ヒロインの衣装まで売りに出されているのだ。

 結局の所、子ども達は大人の手の中で踊ることになる。大人達は、あの手この手で、子ども達を自然から遠ざけ、感受性の強い時期の子ども達を消費者として育ててしまうのだ。

   モノがなければ楽しめない人生とは悲しい。もっともっと創意工夫を凝らし、自然の中でのびのびと子ども達には育ってもらいたい。知恵は無限になるということを知ってほしい。おもちゃで遊ばなくても、いろんな遊びがあるということを知ってほしい。特に夏休みは。

(日記 午前中、孫の同級生といっしょに市営プールへ行く。私は、見守り役。午後は、ギターの練習。孫達は家の前で再び水遊び。私は、ポンプで家庭菜園へ川から水を入れた。ホースで水を撒いていたのでは追いつかない。今は一年で最も暑い季節だ。地面にひび割れができている。家庭菜園の隣に川があるのでありがたい。)

 
 

相手も進歩している

30 7月

オリンピック序盤戦
  マスコミの予想に反し、オリンピックの序盤戦で日本は苦戦しているように思う。オリンピックを盛り上げるためには、マスコミの過剰な報道もうなずけないことはないが、あまりにもメダルの数にこだわりすぎていなかったか。

  いつも思うことだが、たまたまある選手がその年度の最高記録を出したからと言って、本番のオリンピックで金メダルを取るとは限らない。それ以外の人が最高記録を出さないということはありえないからだ。誰もが、オリンピックの頂点を目指して死にものぐるいで練習をしてきいたのだから、誰が優勝するかはわからない。

  過剰な期待を一身に受けて予想通りの成果を得られなかった選手は全く気の毒である。同じ銀でも晴れ晴れした銀もあれば、惨敗者のような悲痛な銀もある。いずれにしても、メダルを取ること自体が名誉なことなのに。そんな中で重量挙げの三宅選手の銀は、本人の喜びもさることながら、テレビを見ていた私もとても嬉しかった。

  オリンピック直前には日本人選手の科学的な分析を行っていた。非常に興味ある番組ではあった。ある意味では選手の技術を丸裸にしているようなものだった。そこまでしてもよいのかということと、結果的には本人に対してもかなりのプレッシャーを与えているのではないかと思う。

  相手の選手も、日々猛烈に練習しているので本番では、簡単にメダルの数を云々することができないはずだが、実際にはそうではない。従って、メダルを取っても、金でない場合には悪びれた態度を取らざるを得ないのだ。全く、気の毒だ。

  どの競技もメダル圏内にいる選手は10人前後はいるのではないだろうか。その中には、伸び盛りの想定外選手も混ざっている。中学生の岩崎選手が金メダルを取ったように。世界選手権だ勝ったから優勝というわけにもいかないだろう。

  そうした中で、予想通りの活躍ができるのはほんの一握りであって、あとはやってみなければわからないのではなかろうか。日本人選手の活躍を願うが、もっと冷静な目で応援したいと思う。世界は広い。相手も、日本人選手が伸びている以上に伸びている可能性は大である。

  銀や銅でがっかりしている選手もいるが、それらのメダルに届かない選手の方が遙かに数が多いのだ。メダルを取ったリ入賞した選手に対しては、諸手を挙げて賞賛したい。これからは、さらにいろんな競技が始まってオリンピックは盛り上がることだろう。

  選手の長年の努力を考えるとき、私も、小さな目標を掲げて日々精進してみたい気もする。目標に一歩でも近づけば、私にとっては、入賞ものだ。これからは、戦いの相手は他人ではなく、自分自身なのだ。勝っても負けても、一喜一憂する必要はない。健康な身体づくりや創作活動などにおいて、オリンピック出場選手のがんばりの1%でも見習いたいものだ。

『じいちゃん学習』の時間だ。「よく遊び、少しは学習」で夏休みを過ごしてほしい。

(日記 孫を連れてラジオ体操に行く。孫の同級生に紹介する。帰宅してから、勉強タイムを設ける。4歳の孫も机で時の練習をしている。姉のすることは何でもしたいのだ。最初に算数をやり、その後、「音楽」ということで『となりのトトロ』と『さんぽ』の練習。午後、孫達はプール遊び。そこへ朝会ったばかりの孫の同級生がばあちゃんと一緒に妹を連れて遊びに来る。明日はみんなでプールへ行くことを約束。私は、3月にハワイで買った楽譜を使ってギターの練習。久々にかなりの時間をギターの練習に費やした。10月の演奏会までには完全に弾けるようにしたい。夕方は、生姜の世話をするために畑へ行く。今年はなんとしても、『ウルトラしょう(NHK試してガッテンのネーミング。乾燥生姜のことで、低体温の改善には最高の食材)』を作ってみたい。いろいろ変化に富んだ一日だった。)

朝始めた会った孫の友達が遊びに来た。明日は一緒にプールへ行くのだ。仲良くしてほしい。

 

暑さ、病気、虫などに負けずに順調に育ってほしい。片瀬特産のしょうが達よ。

 
 

日々の変化は微々たるものだが……

29 7月

常に今は時代の最先端
   『変化は一日にしてならず』と思える。自分が生きてきた過程で、一日一日の変化は全く感ずることができなかったが、10年、20年、……、50年、60年というスパンで考えてみると、驚くほどの変化だ。

  公民館に置かれている猪野瀬地区のアルバムを見ていると、村の人達も、ずいぶん若かったんだなあと思ってしまう。自分自身もそうだ。鏡を見ると、やけに老けたおじさんがいるなあと思うが、それは自分の姿だ。

  写真の写りも同様だ。なんと老けて写るのだろうと思うが、それはカメラのせいではない。自分の精神年齢と自分の精神年齢に隔たりがあるだけだ。子供の頃から60年あまりの時間をかけて徐々に変化してきたのだ。

  これは、何も人間の変化だけではない。生活様式もずいぶん変わった。信じられないほどの変化だ。私のこども時代には、今なら当たり前の『洗濯機』も『冷蔵庫』も『テレビも』なかった。まちの電気屋で見たプロレスや大相撲は感動ものだった。

  テレビは白黒の映りの悪いものだったが、すごい電気製品が出てきたものだと、感動したものだ。それがカラーになり、白黒の番組は何となく興ざめしたものだ。そのうちに、全番組がカラー化し、さらにハイビジョンが出てきた。そうした移り変わりと共に私達は生きてきたのだ。

  自動車、電話の変化もめざましいものがある。どれをとっても、日々の変化はわずかで見えない。しかし、世の中は確実に変化しているのだ。そしていつの時代も、変化の最先端にいるのだが、しばらくすると過去になってしまう。

  逆の見方をすれば、日々の変化は目に見えないほどわずかでも、前へ進めば確実に進んでいくということだ。前へ進もうという気持がなくても、年月は絶え間なく進み、年齢という変化が確実に自分を襲ってくることになる。

  毎日の微々たる変化を信じ、目標を定めて行動すれば、誰でも自分の変化を実感できるはずだ。この力を私は“毎日パワー”と呼んでいる。やりたくても、できないと諦めている部分が自分にはある。今一度毎日パワーを信じて、自分の進みたい方向を定め、楽しく一日一日を過ごしたい。

孫達は家の前で水遊び。そのうちに、孫達と海水浴へ行きたい。長男は明日から仕事のために一人で横浜へ。

(日記 午前中は、じいちゃんバンドの編曲作業。楽譜を書き、練習用のCDを作成した。子ども達は、家の前で水遊び。小2の孫がスイスイとパパ(長男)のスケートボードを乗りこなしているのには驚いた。子どもの潜在は素晴らしい。周囲の人間、時には本人自身が潜在能力を引き出すことができるかどうかだ。わずか3週間ほどの帰省の間に、わずかなことでも、それまでできなかったことをできるようにしてやりたい。午後1時過ぎからじいちゃんバンドの練習会。三国、春江、大野からメンバーが集まってきた。みんな昨年の中頃からバンドを始めたメンバーだ。それでも、熱心なメンバーは音の出なかったトランペットの音が出るまでになってきた。10月の軽音楽部のOB演奏会までにはもう少し上達しておきたい。)

 
 

実物!?(孫達の帰省)

28 7月

「やっぱりそう言うと思った」
   息子の家族が5人 横浜から車で帰ってきた。これまでは、時々、WEBカムで顔を見ながら、孫達と話したり、歌を聴かせてもらったり、本を読んで聞かせてもらったりしてきたが、実際に会って話すのとはずいぶん違う。

  いつも、会った瞬間には「わー!実物」と言って抱きしめることにしていた。そのうちに、孫はこう返してきた。「やっぱりそう言うと思った」と。息子は明日新幹線で横浜へ帰り、東京の会社勤務となる。そして、お盆過ぎに迎えにくることになっている。

   この間、我が家は、2人暮らしから6人家族となる。孫達に勝山で何かをつかんで帰ってほしい戸願う。横浜ではできないことを経験して帰ってほしい。
夏祭りに歌か踊りで共演したいと思っているし、絵本を作って『手製のお土産』にしたいと思うし、プールや海へも行きたいと思う。 

二人の孫が、楽しそうに水やりを手伝ってくれた。

  孫のお陰で、こちらも、元気が出る。『貴重なモノのお土産』、『経験というお土産』、『体験というお土産』を持たせて横浜へ返したいと思う。久々に、20数年前に戻った気持で今日から過ごしたいと思う。ラジオ体操にも行けると思うと、ワクワクする。  

  こちらは『孫と過ごせる』という大切なお土産をもらった。感謝感激。いつも、朝晩竹プランターの花に水をやっている。

   学校のある日は、たまに子ども達が応援してくれるが、今は夏休みで一人で水やりをしていた。しかし、今日は、二人の孫が小さなジョウロを使って水まきを手伝ってくれた。ありがたい。  

(日記 午前中は、家庭菜園にポンプで川の水を上げた。畑の畝がひび割れするぐらい乾燥していた。その後、法人で借りている畝の生姜にも水を与えた。午後3時頃、息子の家族5人が車で帰省した。今日から、孫の一人とは毎日一緒に寝ることになる。家内と三人で川の字になって寝るのだ。“実物”と一緒に過ごせるなんてありがたいことだ。) 

「お帰り!」息子家族が帰省。いよいよ我が家も本格的な夏休みだ。

「お疲れさん」今日から二人は遊び友達。

 
 

居場所

27 7月

人は誰でも居場所があるだろうか
  
私の定義では、「居場所」とは、「自分が必要とされているところ(自分が役割を持っているところ)」か、「自分の存在が認められているところ」か、それとも、「自分が生(活)かされているところ」か、「自分が心地よく感じることができるところ」だと思っている。

  少なくとも、「ただ居るだけのところ」ではなさそうだ。この「居場所」を持たない者は少なくないと思っている。家庭で、職場で、地域で何となく存在しているだけではさみしい。居場所は周囲の配慮でできることもあるし、自分の言動によって作ることもできると思っている。

 子どもにとっては、居場所は不可欠であると思っている。そしてその第一番目の居場所は家庭であろう。そして、次が学校であろうか。そして地域や自分の所属する団体へと続くのだろうか。

  家庭での居場所を作るには保護者の配慮が必要である。客人として扱っているうちは本当の居場所はつくれないであろう。そういう意味では、私は「手伝い」と「役割分担」を区別して考えている。

  子どもといえども、家庭ではそのレベルに合わせた「役割」を担わせるよう配慮してはどうかと思っている。自分のことを少しずつできるようにすることは、当然のことであって、ここで言う役割とは、家族のために役に立っていることである。

 今なら、「花に水をやる」でも、「玄関の掃除をする」でも、「読み終わった新聞や広告を整理する」でも、「食後の食器を片付ける、または洗う」でも、何でもいいのではないか。どんな小さなことでもよい。

  「手伝い」との違いは大きい。手伝いには、本来は誰かがやるべきことを“応援(支援)する”というイメージがある。やらなくても、自分の役割ではないので責任は軽い。逆に言えば、家族の一員としての役割を担っていないとも言える。

  子どもと家庭の関係で考えるよりも、個人と会社の関係で考えてみるとわかりやすいのではなかろうか。ある若者が会社では、「上司の人の手伝いだけをやっている」のと、「自分に任された役割がある」のとの違いは大きい。

  前者は、会社にいるだけというイメージが強く、後者は会社の一員であるというイメージがある。当然、「居場所がある」のは、後者の方だろう。前者は、たとえ辞めても会社に対するダメージは少ない。その分「軽い存在だった」ということであろう。

  地域では、居場所をどのように考えればいいだろうか。特に、高齢者の場合、ある時期まで地域を支えてきた存在だった。それが、年齢と共に存在が軽くなっていくのは好ましいことではない。敬われる存在であろう。若者にはない豊富な経験や知恵があるからだ。

 それらを次代を担う若者達に伝えてほしいのだ。 しかし、このことは簡単ではない。区民の理解がないと、単なる弱者に扱われて仕舞いかねない。私達は、「高齢者は豊富な知恵や経験を持つ“地域の宝”であり」、「子ども達は次代を担う地域の宝である」との認識を持つ必要がありそうだ。

  そして、これらの宝を生かしたときこそ、地域が活性化されるのかもしれない。「居場所」は本人の努力で作ることができるものであり、周囲の配慮によってもできるものであると思っている。

  これらを引き出す鍵は、言葉であり、コミュケーションであるかもしれない。そして、誰もが気軽に話せることができれば、区民の間に「絆」が生まれるのではなかろうか。たまたま、同時に同じ場所に居合わせた者同士が、自然に心を通わせることができる地域になってほしい。

  最近の「いじめ問題」も、「居場所」と無縁ではないと思っている。いじめられる側にも、いじめる側にも本当の「居場所」がほしい。居場所がない人間は、想定外の行動を起こす可能性あるからだ。

銭太鼓の練習をする鹿谷町のおばさん達。

(日記 午前中、部屋の整理。午前10時より、鹿谷町のおばさん達の銭太鼓指導のために鹿谷公民館へ出かけた。少し、振りを変えてリズミカルにすれば、とてもよくなるはずだと思ってこれまで練習につきあってきた。70歳前後の人達が一生懸命練習する姿に頭が下がる。午後は、資料や紙芝居などの整理。この頃、やや『断捨離』疲れ。思っているほどモノを捨てられない。「もったいない」が身体に沁みついているからだ。夜メールを見ていたら、高校時代に教えた生徒の子どもが高校生になったと書いてあった。「昔の数学ノートがあったらほしい」とのことだった。山オリジナルノートだ。何かの役に立てたらと思う。)