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Archive for the ‘未分類’ Category

「カルタ」でまちづくり

12 4月

上丹生「思い出カルタ」
  私のメル友、米原市上丹生のTさんから『上丹生・思い出カルタ』が送られてきた。素晴らしいオリジナルカルタだ。Tさん達はまちづくりグループ『Tプロジェクト』のメンバーだ。みんな仕事を持ちながらまちづくりに頑張っている。

  「カルタ」の中身を見て驚いた。昭和20年から30年当時の暮らしや生業、習慣や遊びがいっぱい詰まったカルタだ。私の経験したことが沢山詰まったカルタだ。とても懐かしい。

  おそらく、上丹生の人たちも、このカルタを介して親子や孫達と会話が弾むのではないだろうか。カルタのいいところは、何度も繰り返せることだ。歌も同じだ。しかし、書かれた文章は、そんなに何度も繰り返して読むことはないだろう。

  このカルタの中を見ていると、昔のことが鮮やかに蘇ってくる。そのいくつかをあげてみる。

 ・移動(巡回)映画は大きな楽しみだった。    ・川の近くを沢山のホタルが飛んでいた。
 ・蚕を飼う家があった。               ・竹馬など手作りの遊び道具がいっぱいあった。
 ・人糞は大切な肥料だった。            ・ポン菓子屋がやってきた。
 ・川で泳ぎ、寒くて岩に抱きついたこと。     ・テレビは勝山市全体でも2台しかなかった。プロレスは楽しみだった。
 ・隣の人が飼っていた鶏をさばくのを見た。   ・風呂沸かしは子供の仕事。水汲みは重労働。もらい風呂は当たり前だった。
 ・昔は燕を入れるために鍵をかけなかった。    ・除雪車がないので大人が通学路を開けてくれた。
 

上丹生のTさんから送られてきた上丹生『思い出カルタ』。

  いただいたカルタの内容の8割以上は、私が経験したことであった。ここに書かれていることのほとんどは、今の子どもたちは知らないだろう。昔は成長や季節に合わせていろんなことを工夫しながら、家族が力を合わせて暮らしてきたのだ。

 子どもたちも、しっかりとした家族の一員であり、役割を持っていた。してもしなくてもよいような“手伝い”ではなく、家族の一員としての“役割”を持っていたのだ。年齢に合わせて家族の中での役割が変わり、大人へと成長していったのだ。

 今の子どもたちは、役割を持たず、「家族の一員」と言うよりも、「客人」として扱われていることが多そうだ。決して幸せなことではないだろう。人生の最後には、一つ間違うと「モノ」として扱われかねないのだ。人間、「いいとこ取り」はないと思う。

(日記 午前中は、もっぱら、紙芝居の絵描き。一枚の絵に10人余りの人物が登場すると大変だ。午前中で二人ほどしか描けないので一場面に数日かかることもある。それでも「毎日パワー」でコツコツやっていればいつかは仕上がるものだ。夕方、銭太鼓の練習用のCDと歌詞作り。一回の出演のために1番だけオリジナルの歌詞を作った。午後7時から銭太鼓の練習。少し気合いを入れて練習した。)

創作紙芝居『親鸞聖人物語』の制作中の一場面。未完成。背景は仮置き。

 
 

仕事は大勢で

11 4月

農事組合の初仕事
  午前6時半、農舎前集合。今日は、『農事組合法人かたせ』の苗運びの日だ。10人余りが軽トラックに乗って農舎を出発。JAの倉庫へ向かった。各車に芽出しした苗を積み込み、農舎横のビニールハウスに運んで並べた。

  多少腰が疲れる作業だったが、約1時間半で終わった。疲れる作業は、多くの人数で一気に短時間でやるのがよい。昔から、「仕事は大勢で、美味い者は小勢で」と言われるように、沢山の者が短時間でやれば早く終わる。

  短時間なら、私たちでも何とか作業ができる。1人で作業をしている場合は、終わるまでは、どれだけ時間がかかっても止めるわけにはいかない。集団で取り組むメリットだ。

  私の村には、自分一人なら米作りをできない者が沢山いる。しかし、こうして組合を作ることによって何とか耕作放棄地にならずにすんでいる。また、農機具なども高性能のものを数台買えばよいので経済的だ。

 

JAで購入した苗を農舎横のビニールハウスへ運んで並べた。田植えまでにハウスの中で大きく成長させるのだ。

 年配者は自分のできる作業にだけ参加すればよい。私にとっては、今日は組合の初仕事だ。米作りは、こうして組合で行っているが、野菜などは自分のペースで作っている。

  みんなで作業することのメリットは、仲間同士がコミュニケーションを図れることだ。作業中、あるいは休憩時間にいろんなことを話し合うことができる。現役時代には時間が取れず、区民のみなさんとは挨拶を交わすことしかできなかった。

  区民が協力して米作りを行うことは、昔なら当たり前だった。「結(我が地区では“い”と呼んでいた)」によって、隣近所が助けたり助けられたりしながら農作業を行っていたのだ。今の組合の仕事も昔の「結」と似たところがある。

  いよいよ農作業が本格化する。声をかけられて作業に出ることは、私にとっては生きがいに繋がっている。声をかけられたとき、いつでも応じられるよう元気でいなければと思う。

(日記 午前5時半起床。6時朝食。午前6時半に組合の農舎前に集合して苗運び。午前10時より鹿谷公民館へ出向き、おばさん達に『銭太鼓の指導』。新曲の練習を始めた。午後は、紙芝居制作。一日があっという間に終わってしまった。)

 
 

情報過多

10 4月

興味本位の情報だけを選択していると
  昔と比べると、今は情報過多の時代かもしれない。私達の子ども時代は、情報源と言えば、ラジオか、新聞ぐらいだった。年に一度ぐらい(主に正月)は雑誌を買ってもらえたが定期購読とまではいかなかった。図書館の本も情報源の1つだった。

  おまけに、大阪へ行こうにも、小学校時代には夜行列車で行くほど遠かった。成人になってから修学旅行引率のアルバイトをしたが、その時点でも、東京は夜行の集約列車(多くの学校が夜臨時ダイヤで東京へ向かう)だった。

  都会は遠い存在だった。こうなると、人と人との交流が生活の中では大きな位置を占めていた。楽しみと言えば、祭りなど人が集まって何かをすることだった。そういう中でいろんな情報を手に入れていたように思う。

 しかし、今は、ありとあらゆる情報を入手できる環境にある。興味本位に情報を入手していると、人間的に偏り、人として、知っておくべき情報を手に入れぬまま大人になってしまう恐れがある。新聞やテレビでニュースを見ない大人が増えているだろう。

   文科省が、教育に新聞を取り入れ始めたのも分かるような気がする。「まちづくり」などという地味な活動に若者を取り込むことは簡単ではない。こうした活動に興味を持つには、子ども時代が鍵を握っているように思う。

  以前にも書いたことがあるが、一人の子どもが大人になるためには「一定の単位」が必要であるように思う。学校が、広範囲の教科を基礎として人間を育てているように、ある程度のバランスが必要であるように思う。

  しかし、今のように情報過多の時代には、これらをバランスよく取り入れることは至難の業であろう。食に偏食があり、「食育」が重視されているように、情報にもそうした考えが出来ると思う。

(日記 午前中は、『かたせ瓦版』を仕上げ、コピーしてきた。カラーで作っているが、区民にはモノクロで配布している。経費がかかるのでやむを得ない。午後1時より初めて入会した「老人会」の初仕事。雨の中、墓地の花壇に花を植えた。「老」という言葉は、本来「大老」、「老中」などよいイメージがあったが、今は、何となく悲しいイメージがある。午後7時より「猪野瀬地区区長会。今年の活動方針などを話し合った。いよいよ1年が始まったという感じだ。)

 
 

銭太鼓シーズン開幕

09 4月

久々の練習
  週末に、お寺の春祭りがあり、そこで銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を披露することになった。今日は久々の練習会。私たちは、銭太鼓の前後に歌に合わせて簡単な芸を挿入している。

  これまで、2つの芸のバージョン「餅つき芸」と「米俵による力比べ芸」をレパートリーとしてきた。今回は、これらの芸を1つの曲の中に入れた特別バージョンを披露することに決めた。

 今後、福井の木田神社に出演することも決まっている。まだまだ芸に磨きをかけなければならないが、子ども達のための銭太鼓も考えたいと思う。

銭太鼓『片瀬豊年ばやし』に挿入した「俵米」(10月の三室まつりで)。

  何事も、子ども達に伝えなければ伝統にはならないだろう。これは芸ばかりでなく、種々の行事にしてもそうだ。子ども達が参加して初めて次の世代に伝わっていくのだと思う。

  そういう意味では、今年の区長としての私の目標は、区の行事に子ども達の活躍の場を設けることだ。子ども達が、楽しみ、それが区の行事を盛り上げることに役立つような参加の仕方を考えたい。

(日記 午前中は、明後日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。午前中だけで、9割以上できあがった。午後は、紙芝居制作作業。家内は福井へ孫の子守りに出かけた。午後7時半より、集会場で銭太鼓の練習。いよいよ銭太鼓シーズン開幕だ。)

  

 
 

ジオパークの歌

08 4月

歌の力
  数日前、鹿谷のTさんから、「話があるのであってほしい」と電話があった。今日の午後1時に「勝山ニューホテル」のホテルのロビーへ出かけた。Tさんとは、これまで一緒に歌を作ったことがある。

  今日の用事も歌作りに関するものだった。Tさんは喜寿を迎えた今、「勝山ジオパーク」のガイドを務めている。研修を受けて、観光客などに勝山の恐竜化石発掘現場や火山岩や断層などをガイドしているのだ。 

 そんな中で、勝山の子どもたちに、「勝山ジオパーク」の歌を作ってほしいという願いを持っているということで私に相談に来たのだ。しかし、急に、子ども達に、「ジオパークの詩を作って」と願っても、無理かもしれない。

  普通の詩ならできるかもしれないが、歌詞となると、言葉の数を合わせなければならないから大変だ。そこで、例えば、「ジオパークについて素晴らしいと思うことは何か」とか、「ジオパークについて誰かに伝えたいこと、自慢したいことは何か」などと箇条書きに書いてもらうことから始めたらどうかということを話した。

  それにしても、ジオパークを歌にしたくなるなんてすごいことだ。Tさんは喜寿だというのに。古希ぐらいはまだまだ年寄りの入り口か。私も早く歌を作りたい。今3曲考え中。 

片瀬公園の桜。後ろに越前大仏殿が見える。

(日記 午前7時より近くの交差点で、交通安全街頭指導。8時までの1時間だ。現役時代から、行っていた務めだ。その後、帰宅して、紙芝居の絵描き。午後1時にジオパークのガイドをしているTさんとホテルのロビーで会って話をした。 夜までに、帰宅して紙芝居の絵描き。2枚の絵を描くことができた。家内は、福井の孫のいる病院へ午前6時過ぎに出かけた。勝山は今桜が満開だ。)

親鸞聖人が山伏弁円に襲われようとする場面。

 
 

コミュニケーション

07 4月

家族の会話
  次女の誕生会のために、横浜と勝山の中間点で家族旅行をやろうということになった。そして、下呂と浜名湖のホテルで2泊3日を過ごした。孫達とは久々にふれあうことができたし、家族でいろんな話をすることもできた。

  息子との話の中で仕事や夢について語ることもできた。また、最近買ったiPhoneの使い方やiPhoneを介してノートパソコンでネットができるよう設定してもらったりした。

全ては次女の誕生パーティーから始まった。

  一緒にいれば、話したり、パソコンについて習うことも多かった。これからは、どこでも、パソコンでネットができる環境が整った。そういう意味では、実りの多い旅行だった。そして、自分も夢を実現しなければと密かに思った。

  また、私がやりたいことの一つは「今度小学3年生になる孫の勉強をみてやる」ことだったが、別れて暮らしているために、なかなかかなわない。昨年の夏休みには、『じいちゃん勉強』と称して毎日定期的に勉強を見てやることができた。

  今回の旅行でのいろいろ話したが、『ウェブカム(パソコンのテレビ電話)』を使って『じいちゃん勉強』をやろうということに決めた。昨年の夏と同様に、楽しみ、自信を持たせながら、算数を中心に、国語や音楽もやりたいと思う。

  夏休みと同じように、算数は、一つの流れを作って自分流に教材を作ってやってみたい。音楽も、夏と同様に、歌を中心にやってみたい。昨年の夏休みに練習した曲は、市の夏祭りのオカリナ発表の中で孫に歌ってもらうことができた。

  孫達にしてやりたいと思うことは、今のうちから少しずつ実現したいと思う。後で、やっておけばよかったと後悔しないように、思いついたことから、思いついたときから実現したい。ただし、相手のあることなので、相手のいうことも聞かなければならないが。

最後にロビーで記念写真。この後、横浜と勝山のなみだの別れが待っていた。

 今回の家族旅行では、いろいろ家族で話すことができたし、パソコンの設定もしてもらった。あっという間の三日間だが、有意義だった。この三日間を今後に生かしたい。自分も刺激を受けた三日間でもあった。

(日記 7時起床。風呂に入り朝食。10時ホテルを出発。ホテルの玄関で別れることになったが、二人の孫は泣き出した。会えば別れが待っている。私は、東名から東海環状、そして東海北陸道を通って白鳥で降り、一般道を通って帰宅した。4時間余りかかった。楽しい旅行だった。本当はもっとゆっくりしたかったが、夜、村の会議が待っているから今日中に帰らざるを得なかった。午後7時から婦人会の役員会。会合に先立ち、相談したいことがあって、協議。午後7時半から『かたせ農地保全協議会』の総会。変化に富んだ一日だった。 )

 
 

音楽が好きになること

06 4月

ジイジとして伝えたいこと
 音楽の楽しみは、子どもや孫に伝えたいと思う。しかし、伝えようと思って伝わるものではない。自分が好きでなければうまく伝わらないと思っている。

 私は、子ども時代から音楽が大好きだ。子ども時代のハーモニカ、中学校以降のギター、そして大学以降のドラムとハワイアンギター、社会人になってからの和太鼓、それぞれ、自分が楽しんでいる。

今朝も出発前にカラオケを楽しんだ。

 自分の親も民謡や太鼓など音楽が好きだったからだと思っている。昔から、「子どもは親の願うようには育たないが、親のするとおりにする」と言われるように、多少そのような傾向にあるように思う。

 孫には、先ずは、歌うぃ歌うことが好きになってほしいと思う。そんなわけで、一緒に温泉へ行くときには、長女や長男の子ども(孫)達とはカラオケを楽しむことにしている。

 幸いそれぞれの相棒も歌が好きなのでありがたい。特別意識することなく、人前で歌を歌えということは、その後、いろんな人とのコミュニケーションを容易に出来るのではなかろうかと思う。

 かくいう私は、歌を歌うことは大の苦手だ。しかし、歌を作ることは大好きだ。歌を聴く機会は非常に多いと思っている。作業をするときには、ラジオを聴いているか、iPodで歌を聴いている場合が殆どだからだ。

  昨日も今日も、孫達の歌を聴いていた。本当に楽しかった。今回の旅行では、孫達をカラオケに誘ったことが収穫だったと思っている。今朝は、孫達の方から「カラオケをしよう」と声がかかった。

  ありがたいことに、今のところ、孫達は皆歌を歌うことにそんなに抵抗がなくなりつつあるように思う。いつか、2家族でカラオケホームパーディーでも出来たらと思っている。

ホテルのロビーで記念写真。

  勉強が出来たり、運動が出来たりするのと同じように、音楽が好きになることも、その後の人生を豊かにするためには同様の価値があると思っている。

 (日記 昼食後、昨日に続いてカラオケを楽しんだ。そして、午前11過ぎに下呂温泉を出発。一般道を50km程走って中央自動車道、そして、東海環状道、東名高速道を通り、浜名湖畔のホテルへ。夕食前に、長女の髪を切った。昔、美容院の先生に女児の髪のカットの仕方を少し習ったことがある。上手ではないが、孫とのふれあいには役立っていると思っている。夜になって雨が強くなってきた。予報では爆弾低気圧が来るという。浜名湖は風雨が激しくなってきた。明日はどうなることやら。)

 
 

横浜と福井の真ん中で

05 4月

孫の誕生パーティー
  4歳の孫から手紙が来た。ジイジとバアバに誕生日に横浜へ来てほしいとたどたどしい字で書いてあった。今回は、休みが短いのと父親(息子)の休みの関係で勝山へは帰ってこないとのことだった。

正月以来の孫達との再会。

  しかし、孫から手紙が来たので、放っておけなくなって何とかしなければと考え、息子と相談の結果、途中で会おうということになった。孫の誕生日は17日だが、春休み中に2泊3日の予定で下呂と浜松のホテルで会うことになった。 

  自宅を9時に車で出発し、下呂温泉へ向かった。サクラ満開の飛騨路をドライブし、3時間半ほどかけて昼過ぎに下呂温泉に到着した。息子達は、4時頃、到着した。

  温泉へ入り、孫達とカラオケをし、そして夕食。午後9時過ぎに、少し早いが孫(次女)の誕生パーティー。みんなからプレゼントを貰って孫は大喜び。

   子どもの小さいうちは、一つ一つの行事を大切にしてやりたいと思う。孫達は成長するが、私達夫婦は入れ替わりに老いてゆくばかりだ。今のうちに、自分たちの出来ることを孫達に伝えてやりたいと思う。

孫達とカラオケを楽しむ。

  小さい孫の誕生日だが、私達夫婦にとっては、大きな行事だ。これからも、こうした行事を大切にしながら、毎日を送りたいと思う。今日も孫たちとの再会で、お互いに抱き合ったが、いつまでも元気で孫達の成長を見守りたい。

(日記 午前中、車で下呂温泉へ。午後、4時頃、孫達家族と再会。夜、次女の誕生パーティー。自宅から持参した2台のノートパソコンとiPhoneとiPadミニの種々の設定をして貰った。今日から、旅先で自由にノートパソコンなどを使ってブログを書いたり、ネットを見たり、いろんなことができるようになった。嬉しい限りだ。)

誕生ケーキを前に記念写真。息子の家族達。

 
 

04 4月

桜前線到来
  桜の季節となった。福井市の方は満開。勝山の桜の名所、弁天桜はちらほら状態だ。ところで、植物によって花の咲き方はいろいろだ。普通の植物は、葉っぱが出てから花が咲き、芽が出る場合が多い。

  我が家のあちこちにあるチューリップは、芽が出て葉っぱが出て、つぼみができ始めた。中には、咲き始めたものもある。これが普通の花の咲く順番だろうが、桜や梅は、花が先行するのだ。

親鸞聖人が比叡の山に別れを告げ、吉水の禅房で念仏の教えを説いていた法然上人を尋ねられた場面。

  一節によると、風によって受粉するタイプの花は、効率よく受粉するために葉の出る前に花が咲くらしい。虫によって受粉するタイプは、葉ができてから花が咲くらしい。虫が、葉っぱのおかげで安全に受粉できるからだろうか。

  「うそ」という鳥を、昔、飼ったことがあるが、桜の花芽を好んで食べていた。我が家の桜も、雪が多くて餌が不足したときには、「うそ」がやって来て花芽を食べてしまい、まばらにしか花が咲かなかったときもあった。

 桜は、入学シーズンと重なり、日本人にはなくてはならない花になっている。また、散り始めるとまるで雪が降るように、一斉に花びらが空を舞い、これもまた趣のあるものだ。この潔さは武士にたとえられるときもある。

  海外の多くの国は、9月が入学シーズンだが、日本も9月にしたら、日本人にはしばらくの間は馴染めないであろう。入学が、桜と結びつき、動植物の活発な活動の始まる春のイメージとも結びついて来たように思う。

昔懐かしい「ウソ」。確か、雌雄で首の色が異なっていたと思うのだが。

  また、桜の名所は「一目千本」というように、多くの桜の木があるところが多い。しかし、1本桜でも、存在感のある木もある。今年は、そんな桜も見てみたい気がする。

  また、桜は歌にもなりやすい。桜が、卒業や入学と結びついている面もあるからだろうか。その潔さが人を惹きつけるからだろうか。それとも、学校には桜の木が少なくないため、学校と結びついているからだろうか。

(日記 朝一番に、歯医者へ行った。歯は悪くなってもよくなることはない。今になって、もっと大切にしておけばよかったと悔やんでも後の祭り。帰宅して、車の掃除。明日から、2泊3日で孫達に会うためにドライブをするからだ。天気がよいので、外での活動は気持ちがよい。その後、今日のノルマの紙芝居の絵を一枚描いた。)

 
 

「閑」と「やる気」と「体力」と

03 4月

忙中閑あり
  忙中閑ありは、分からないではない。忙しい中にも、いくらかはひまがあるもので、場合によっては、忙しい方が何でもできる場合がある。自分の現職時代はそうであったように思う。

  退職後はどうだろうか。「閑中閑あり」と言えるだろうか。時間があると、何でもいつでもできると思い、なかなか取りかかれない場合もある。暇だからといって何でもできるわけではない。

 暇な時間を有効に使うには、体力と共に、気力が必要であるように思う。そして、体力と気力は大いに関連しているように思う。疲れていたり、睡眠不足では、いい考えも浮かばない。健康に留意しなければと思う。

  画家の豊田三郎さんは、100歳を超えているが、創作意欲満々の画家だ。特に杉の描写には独特のものがあり、「トヨダグリーン」と呼ばれている。その創作意欲には圧倒される。

 

創作紙芝居『親鸞聖人物語』より「蓮位夢想」の場面。蓮位の夢の中で聖徳太子と親鸞聖人の出会う場面。

以前に、80歳過ぎの画家とお話ししたことがあるが、「描きたいものがいっぱいある」という言葉に、すごいと思ったことを覚えている。それも、あちこちへ出かけて行って角のだから、素晴らしい。

 私の場合、「千里の道も一歩から」ではないが、一日一日のノルマを考え、一歩ずつ歩むことにしている。歩き続けていれば、後ろを振り返ったとき、かなりの道を進んできたことが分かるはずだ。

(日記 家内は早朝、福井の孫の入院先へ子守りのために向かった。今日は雨。雨だとほっとする。安心して創作活動に取り組めるからだ。晴れていると、家庭菜園作業や外での作業ができるのではないかと、落ちつかない。百姓の人間の「性」だと思っている。朝から、紙芝居の絵を描いた。親鸞聖人の物語に聖徳太子が出てきたりする。興は、親鸞と聖徳太子の絵を描いた。タイトルは「蓮位夢想」。親鸞の弟子の蓮位坊が「聖徳太子と親鸞聖人が出会う」夢を見る場面だ。それだけ描いて、今日のノルマは終わり。1ヶ月後にはかなりの絵が貯まっているだろう。)