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情報過多

10 4月

興味本位の情報だけを選択していると
  昔と比べると、今は情報過多の時代かもしれない。私達の子ども時代は、情報源と言えば、ラジオか、新聞ぐらいだった。年に一度ぐらい(主に正月)は雑誌を買ってもらえたが定期購読とまではいかなかった。図書館の本も情報源の1つだった。

  おまけに、大阪へ行こうにも、小学校時代には夜行列車で行くほど遠かった。成人になってから修学旅行引率のアルバイトをしたが、その時点でも、東京は夜行の集約列車(多くの学校が夜臨時ダイヤで東京へ向かう)だった。

  都会は遠い存在だった。こうなると、人と人との交流が生活の中では大きな位置を占めていた。楽しみと言えば、祭りなど人が集まって何かをすることだった。そういう中でいろんな情報を手に入れていたように思う。

 しかし、今は、ありとあらゆる情報を入手できる環境にある。興味本位に情報を入手していると、人間的に偏り、人として、知っておくべき情報を手に入れぬまま大人になってしまう恐れがある。新聞やテレビでニュースを見ない大人が増えているだろう。

   文科省が、教育に新聞を取り入れ始めたのも分かるような気がする。「まちづくり」などという地味な活動に若者を取り込むことは簡単ではない。こうした活動に興味を持つには、子ども時代が鍵を握っているように思う。

  以前にも書いたことがあるが、一人の子どもが大人になるためには「一定の単位」が必要であるように思う。学校が、広範囲の教科を基礎として人間を育てているように、ある程度のバランスが必要であるように思う。

  しかし、今のように情報過多の時代には、これらをバランスよく取り入れることは至難の業であろう。食に偏食があり、「食育」が重視されているように、情報にもそうした考えが出来ると思う。

(日記 午前中は、『かたせ瓦版』を仕上げ、コピーしてきた。カラーで作っているが、区民にはモノクロで配布している。経費がかかるのでやむを得ない。午後1時より初めて入会した「老人会」の初仕事。雨の中、墓地の花壇に花を植えた。「老」という言葉は、本来「大老」、「老中」などよいイメージがあったが、今は、何となく悲しいイメージがある。午後7時より「猪野瀬地区区長会。今年の活動方針などを話し合った。いよいよ1年が始まったという感じだ。)

 
 

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