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Archive for the ‘創作活動’ Category

映像編集マニュアルと格闘

02 10月

マニュアルは難しい
 映像変数は簡単ではない。分からないことの連続だ。そのたびに、マニュアルを見なければならない。近くに知っている者がいたらそれを頼ってしまうだろう。

 誰もいないので、やむなくマニュアルを見なければならない。正に背に腹はかえられないという感じだ。敷かし、本意で呼んでみると、意外に簡単な場合もある。

 映像にテロップが流したりするのも、簡単にはできないと思っていたが、落ち着いてマニュアルを読んでみると、意外と簡単だ。そして、映像を流してみると感動ものだ。

 今日は、家内の弟のMさんに、セリフを吹き込んでもらった。練習しながら、次々といろんな登場人物のセリフを吹き込んでもらった。百姓、僧侶、殿様……、いろんなセリフを次々とデジタル録音した。

 戦乱場面では「すすめー!」、「オーリャー」、「うーむ」……などと。だんだん調子に乗ってきて、盛り上がってきた。楽しい作業でもあった。これに音楽を加え、戦闘場面の音を加えればそれらしくなるだろう。それにしても、アニメ作りは大変な作業だ。

(日記 朝一番に、里芋畑を耕す。夕方、セリフの吹き込み。 )

 
 

終日、アニメ作り

21 9月

果たして完成するのか
 10月11日のエコミュージアムの退会までに、『平泉寺物語』の簡易アニメーションを作ろうとして頑張っている。

楽しい親父バンドの練習。発表は来年の五月だ。

楽しい親父バンドの練習。発表は来年の五月だ。

 何とか、「平泉寺の全体像を理解してもらおう」と思っての行動だが、予想をはるかに超えて時間がかかる。ほとんどの絵は、過去何年にもわたって描いているので完成しているが、少しでもこれを動かそうとなると、大変な作業だ。

 パソコンの画面を見ながら、絵を少しずつ動かそうとするので、時間がかかるのだ。それでも、何とか完成させたいと思っている。引き返すことのできない泥沼にはまってしまったような感じだ。しかし、時間が解決してくれるだろう。

。(日記 朝一番に、米を取りに行き、親戚や子どもたちに米を発送する。その後、アニメ作り。午後3時過ぎに、親父バンドの練習に立ち合う。)

 
 

簡易アニメにチャレンジ

14 9月

『平泉寺物語』を楽しくするために
 知人に頼まれて、今、『平泉寺物語』を簡易アニメ化できないかを研究している。と言っても、1秒間に30枚ほど動かす様な複雑なものではない。

これらの絵を一定時間をおいて順番に示すのだ。果たして動いて見えるかどうかだ。

これらの絵を一定時間をおいて順番に示すのだ。果たして動いて見えるかどうかだ。

 登場人物に語らえようとすると、口を閉じた図、口を半分ほど開けている図、口を大きく開けている図、そして、それらの顔が少し傾けたり、目を開閉させようとすると、かなり複雑になる。

 セリフに合わせて合わせて、口をパクパクさせようとすると、さらに作業は複雑になる。できたら、今月中に完成させたい。もしも、うまくいかなかったら、静止画だけで映像を示さなければならない。

 1場面を作るのに、1日かけても完成しないこともある。先のことを考えるとやる気を失うので、1日1場面を目標に頑張っている。

 本当は、紙芝居を頼まれたのだが、どうせやるなら絵を動かせないかと考えた。しかし、予想以上に時間がかかりそうだ。でも、やり終えたときの満足感は、両者では大きく異なるだろう。そう思いながら、今日も、一日作業に取り組んだ。

(日記 私は、終日、『平泉寺物語』の映像編集。家内は、福井に住む長女の息子達(孫)の子守り。夜、長女夫婦が迎えに来て帰って行った。)

 
 

映像編集

10 9月

思い出しながら
 映像を編集する必要に迫られている。絵を描いてそれを動かそうとするのだから大変だ。果たしてできるかどうか分からない。

 平泉寺の歴史と言えば、「泰澄大師が白山を開き、その登拝口として平泉寺が大いに栄えたこと。その後、栄華を誇った平泉寺が一向一揆勢に攻撃されて焼失し、その後、規模は比較にならないほど小さくなったが再建されたと」いうところまでだと思っていた。

はたしてこの絵を動かすことができるだろうか。

はたしてこの絵を動かすことができるだろうか。

 ところがその後の平泉寺の歴史も、また、非常に興味あることが分かった。そこで、「再建後から明治の廃仏毀釈、そして、平泉寺が白山神社になった」ところまでを何とか、静止画中心に少しだけ絵を動かしてみたいと思う。

 しかし、映像編集の技術はまだまだ未熟だ。福井の病院へ行くに辺り、映像編集ソフト「プレミアプロ」のマニュアルを持って出かけた。

 たまにしか使わないソフトなので、なかなか操作を身に付けられない。今回も映像編集には苦労しそうだ。場合によっては、作品が完成しないかも知れない。しかし、諦めずに頑張ってみたいと思う。もっと若い時期にこんなソフトがあったらと思うが、それは愚痴というものだろう。

(日記 福井へ行くついでに、済生会の眼科で眼を診てもらった。用事を済ませて午前中のうちに帰宅。午後は、もっぱら映像編集の準備。なかなか大変だ。午後九時近くまでかかってようやく準備ができた。明日から、ボチボチ脚本を作って、映像編集を始めたいと思う。)

 
 

元気な小1の児童と共に

09 9月

楽しい社会人授業
 成器南小学校の1年生の先生からの依頼で、子どもたちの前で授業を行う機会をいただいた。生活科の授業だ。とても楽しみだった。

南小学校での楽しい生活科の授業。とても楽しかった。

南小学校での楽しい生活科の授業。とても楽しかった。

 体育館で、二クラス全員の児童に対して授業を行うということで、今日は紙芝居をいつもの紙に描いた絵からパワーポイントを使って行うことにした。導入として、先ず手遊び歌など3曲を子どもたちと一緒に歌ったりした。

 子どもたちは、積極的に参加してくれた。特に、『大きくなったら何になる』の手遊び歌の後で、子どもたちに「大きくなったら何になりたいですか?」と尋ねたところ、たくさんの手が挙がった。とても盛り上がった。

 時間の関係で、全員に答えてもらうことができなかった。その後、創作紙芝居『ナマズのテツ』を演じた。一転して、水を打ったように集中して聞いてくれた。この切り替えには感動した。

 演技の後、「大きくなったら何になりたいか?」の質問を続けた。ほとんどの児童が手を挙げてくれた。その後、「私たちに対して何か質問はありませんか」と尋ねたところたくさんの手が挙がった。こうした質問にも、元気よく、たくさんの子どもが手を挙げてくれたことに、感動した。とても、楽しい一日だった。

(日記 朝起きる也、今日の紙芝居の画像の再調整。午前9時前に南小学区へ向かった。9時25分頃から、1年生二クラスに対して紙芝居など演じた。楽しかった。午後1時半からは、鹿谷公民館でおばさん達に銭太鼓の指導。その後、歯医者へ。夕方、南校へ今日の授業の写真データをもらいに行った。ついでに授業についての生徒達の感想文もいただいた。内容を読んで感激した。結構忙しい一日だったが、充実した一日でもあった。)

 
 

終日、パソコンで編集作業

07 9月

家と同じパソコン環境
 家内が昨日パソコンで絵を描くためのタブレットとタッチペンを持ってきてくれたので、絵を描くための環境が家と同じになった。

 火曜日に南校で演ずる創作紙芝居『ナマズのテツ』のパワーポイント用画像を描いた。同じように、紙芝居をすると言っても、紙に描いた絵で演ずるのと、パワーポイントでは全く異なる。

紙芝居の一場面。このカメも足や首を動かして水中を泳ぐようにした。

紙芝居の一場面。このカメも足や首を動かして水中を泳ぐようにした。

 パワーポイントの画像の場合、瞬時に絵を切り替えることができるので、少しずつ異なる絵を順次切り替えればアニメーションのように絵が動いて見えるのだ。

 紙芝居なら1枚で済む絵をパワーポイントでは数枚描くと動いて見えるので面白い。しかし、複数の絵を描くとなると手間はかかる。

 手間はかかっても、小学1年生の子どもたちが喜べばと思って、気合いを入れて絵を描いた。おかげで、カメが水中で泳いだり、石を持ち上げたりする絵を描いた。九日、南校の子どもたちは喜んでくれるだろうか。

(日記 今日は、朝から晩まで、食事時間以外は紙芝居の絵を描き続けた。夜、9時過ぎまでかかった。そして、脚本も少し手直しした。家にいるのかと錯覚を起こすくらいであった。)

 
 

ラップとは何か?

06 9月

ラップの教科書を読む
 以前に買って放ってあった『ラップの教科書』を読んでみた。これまでは、メロディーのない早口言葉ぐらいに考えていた。しかし、もっと奥の深いものであることが分かった。

 言葉をどのようにリズムに乗せるか。リズムのどこに言葉を乗せるかは大きな問題だ。それと韻を踏むことが大切だという。しかし、だじゃれのように、子音も母音も一致させるのではなく、母音だけを一致させる穂が面白いという。

長女と一緒に見舞いに来てくれた孫達。家内と一緒にパチリ。

長女と一緒に見舞いに来てくれた孫達。家内と一緒にパチリ。

 こんなことを考えると、歌詞を考えるのは難しくないのだろうか。「期待」と「機体」と「気体」などは同音異義語でシャレなどに使われる。

 しかし、「期待」と「錨」となると、子音は異なって母音“i・a・i”は一緒である。このように韻を踏みながら詩を作るというのは簡単ではないが、チャレンジしてみたい気がする。

 そして、自分の言いたいことを詩にするのだ。韻など無視してとにかく、リズムに乗って楽しく歌える曲を書いてみたい気がする。看護婦さんが、私の持っている『ラップの教科書』なる本を見て驚くのも無理がない。 

(日記 病院での生活はいつも同じで短調だ。特に、今日は土曜日でリハビリや検診もない。時折、体温や血圧や血糖値を測るために看護師さんが来るだけだ。空いた時間には、紙芝居の絵を描いたりした。しかし、マウスでは、思うように絵を掛けないので、家内に頼んでおいたら、持ってきてくれた。夕方、長女が二人の子ども(私の孫)を連れてやって来た。しばらく談話室で話をして別れた。そして、家内も帰っていった。)

 
 

深夜まで創作紙芝居の仕上げ

08 8月

もしも明日時間があたら
 そう思って,未完成の紙芝居『野菜ロボット・ベジタ』の仕上げにかかった。ほほ9割以上仕上げてあったのだが、データがどこかへ行ってしまって、6割ほどの完成率だった。これを何とか明日までに仕上げようと取りかかった。

 

創作紙芝居『野菜ロボット・ベジタ』の一場面。

創作紙芝居『野菜ロボット・ベジタ』の一場面。

パソコンのデータ整理は本当に難しい。私の場合、完成した画像と共に、一度使った絵を部品として保存してあるのだ。この人物の画像が、もしかしたら数百枚あるかも知れない。背景などもたくさんある。まるで、劇場の楽屋のようだ。

 というのは、同じ一人の人物でも、喜怒哀楽、種々のポーズを考えると十数枚になる。僧侶もいれば侍も貴族も庶民も、今風のジイジもバアバも子どももたくさん保存してある。

 表情を変えたり、衣装を買えたり、場合によっては着物の柄を変えたり、それば新たな人物になる。しかし、新たに登場するキャラクターやロボットなどはゼロから描かなければならない。しかし、次回からのストックにはなる。

 手や足の向きや動き、ポーズで描きにくいモノは、家内にポーズを取ってもらってそれを見て描いている。それにしてもあちこち直しているうちに、午前1時半過ぎになってしまった。それから風呂へ入り残りは明日にすることにした。

(日記 午前、午後共に創作紙芝居の絵描き。ほとんど机にかじりついてパソコンを見ていたので目が疲れ、腰も痛くなった。でも、完成の見込みがついた。)

 
 

絵入りで数学参考書

07 8月

作る価値があるのか
 今、数学の参考書を作ろうとしている。かける時間は膨大だ。しかし、田舎者の私(“いなかもん”は私の創作時のペンネーム)の私が作ったモノを誰が読むのだろうか。

 「作る価値があるのか」と自問自答することがある。私の手元には百冊以上の参考書がある。そして、今でも買い続けている。どれも似たり寄ったりで新鮮みはそんなにない。

私の数学参考書に登場するキャラクターの高校生達。この6人の喜怒哀楽の顔が揃えてある。

私の数学参考書に登場するキャラクターの高校生達。この6人の喜怒哀楽の顔が揃えてある。

 そうしたモノの仲間入りをしても何の価値もない。ただ、それらと似たものを私が作る意味もない。高校生の役に立って、今までにないものを作るとなると簡単ではない。

 私の作っている参考書は基本中の基本となる“重要例題”で作られている。それぞれ例題の直後に、高校生と私の会話を挿入している。文字だけでは、読みづらいだろうと思って高校生6人の顔を入れている。

 6人のキャラクターが語る重要例題についてのコメントが一つの売りのつもりでいる。それと、最後のまとめとなる“セオリー”(それをごく短くまとめた5・7・5の単文)が売りのつもりでいる。ヒントなども付けているが、これはどの参考書にもある定番のものだ。膨大な時間がかかっているが、高校生達に少しでも役立てばと思って取り組んでいる。

(日記 終日、参考書作り。横浜の孫達は息子の嫁の実家へ。昨日の午後やって来た福井の孫達は、家の中を元気に駆け回っている。夏休みの我が家は賑やかである。)

 
 

久々の図書館

02 8月

図書館は夢のある場所
孫達が、図書館にいるというので迎えに出かけた。小学4年、幼稚園年長の6歳、そして2歳の3人の孫達は、本を読んだり、ビデオを見たりしていた。

私にとって、図書館は夢のある場所だ。自分の夢につながる書籍がある。興味ある雑誌や書籍がある。しかし、最近、忙しくて図書館に出向くことがなかった。1年ほど前までは、常に、図書館の本を10冊は持っていた。

図書館はいろんな情報を得る受け身的な部分と、いつかはここに自分の書いたモノを並べられたらという夢を抱くことのできる積極的な場でもあると私は考えている。

今は、時々童話サークルで童話を書いているが、いつかは小説を書いてみたいと思っている。童話の長めのモノと小説の区別もつかない私に小説など書けるのだろうか。

でも、そんな夢を抱くことができるのが図書館である。買い物に出かけても必ず本屋を集合場所に決めているくらい、私にとっては“本”は夢につながる大切なモノだ。時間を見つけて時々は図書館へ出かけようとの気持ちを新たにした。

(日記 午前中は数学。孫達は母親(息子の嫁)の実家にいて不在。午後も作業を継続。夕方、孫達を迎えに図書館へ。夏休みがどんどん過ぎていく。今の私には直接関係がないが、夏が終わることは何となくさみしいものである。)