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Archive for the ‘未分類’ Category

童話講座始まる

18 5月

市民大学講座
 平成22年度の市民大学講座で、童話教室が始まった。午後7時に教育会館で、今年も藤井則行先生を迎えて第一回目の講座が始まった。

 メンバーは、いつものメンバーである。主婦、教員、事務員などさまざまである。読書が好きで、読み聞かせなどに参加している人もいる。

 今日は、小学校1年生の国語の教材にある童話『くじらぐも(作:なかがわりえこ)』と『おじさんのかさ(作:佐野洋子)』を題材に、なぜこのような童話を書くことになったのか、どこがすばらしいのかなどを学ぶことができた。

 私は、創作できることに無上の喜びを感じている。何であれ、創作することは、私の生きがいでもある。何をテーマに、誰を主人公に、どんな展開で話を作るか、簡単ではないだけに、やりがいもある。

 今年はこの講座も最後になるらしいので、その後は、童話サークルでもできないかと考えている。孫たちが喜ぶ話を作りたいというのが今の私の願いである。

藤井則行先生の童話講座

終日、肉体労働
 午前8時より、田植えの助手を務めた。『農事法人・かたせ』にわずかではあるが、田んぼを預けて米作りをしていただいている。田植えの時期に、2回だけ割り当てが回ってきて、田植え作業に出なければならない。

 途中で休憩らしい休憩もなしに、5時過ぎまで働くのは、事務的な仕事しかしてこなかった私にはかなりハードな一日であった。

 しかし、いつもとは異なる満足感を得ることもできた。改めて、田んぼを守っていくことは困難なことであることを実感した一日でもあった。

 
 

多忙な一日、ジオパーク講演会 

17 5月

和太鼓教室
 今日は授業の変更で1限目に、北部中学校の『選択音楽・和太鼓』が」行われた。今日は練習を始めて2回目の授業だが、6人ずつ3班に分けて、1班ずつ本物の和太鼓をたたくことにした。3班は4人の女生徒と音楽教師と外国人英語指導助手のカミルさんの6人だ。

 生徒達も、結構うまく太鼓を叩けるようだ。文化祭出場を目指しているが、先が見えてきたように思う。二人の先生も、かなり上手だ。

日曜大工二日目
 帰宅するとすぐ着替えて、畑の側にある小屋の作業に取りかかった。時間がもったいないので、家内に弁当を持ってきてもらった。昨日は、冷やし中華、今日はカレーライスに野菜サラダ。

 しばらく休んで、1時前に作業を再開した。かなり疲れた。間だ、一日はたっぷりかかりそうだ。夜の講演会のために5時過ぎに作業をストップした。

 小さな作業小屋に5段の棚を作っています。平面では整理できなかった種々雑多なモノをなんとか整理したい。

ジオパーク講演会
 午後7時から、ジオパーク講演会に参加した。演題は「地球の営みを知り楽しむジオパーク」で、講師は、日本ジオパーク委員会委員で、ジオパーク活動・ジオツーリズムにも精通している加藤碵一先生であった。

 勝山市は、『恐竜渓谷ふくい・勝山ジオパーク』として、日本ジオパークに認定されている。

 ジオパークとは何か、世界のジオパーク、国内のジオパークの様子などを聞かせていただくことができた。

 忙しい一日だった。

 
 

サンデー・カーペンター

16 5月

菜園用具小屋の戸棚作り
 今日は、終日、家庭菜園の用具を入れるミニ小屋(3畳弱)の戸棚作りを行った。これまでは、ミニ耕耘機、鍬、スコップ、鎌、肥料、水中ポンプなどを乱雑に入れておいた。そのために何かを取り出そうとするととても大変だった。

 いつかは戸棚を作って中にあるものを整理したいと思っていたが、なかなか時間が取れなかった。今回ようやく時間を取ることができた。材料は、昨日のうちに運んでおいた。

 新しい材料を買おうとしたら、家内が「買わなくても家にある古い材料を使って!」というので、やむなく、車庫の二階を探したら、いつかは使えるだろうと思って保存しておいたベニヤなどがたくさん出てきた。

 私は、かなり貧乏性である。いつかは何かに使えるだろうと思って、捨てられない性格だ。これは日曜大工の材料ばかりではない。

 まちづくりや、人作り、ビジネスなど様々な分野の資料も、いつかは何かに使えるだろうとしまい込んでおくタイプだ。しかし、整理がまずいのでほしいときには、大変である。家中探さなければならないので、いつもかなりの時間を要するのだ。

もしかしたら買った方が安上がりかも
 日曜太鼓の道具も、使わないものまで含めるとかなりのものになる。電動のこ切りや電動ドリル、電動ドライバー、電動かんなだけではなく、電動彫刻刀、木工旋盤等もあるが、一番よく使うのはカセットのこぎりかも知れない。

 長年和太鼓をやって来たので、太鼓の台なら、大太鼓、長胴太鼓、締太鼓等たくさん作ってきた。自転車小屋、車庫(今はないが)、物置、テレビ台等様々なものも作ってきた。

 しかし考えてみれば、買ったり、他人に頼んだ方が安上がりであったかも知れない。それでも、私は、日曜大工が好きだ。

 モノを作っている時には、金では買えない充実感があるからだ。

 棚作りは明日も、明後日も続くだろう。作業道具が整然としている日を目指して。どうなることやら……。

 「使ったものを必ず所定の場所に戻す。」

 これが、今の我が家の合い言葉である。

 日曜大工で、書類ケースの下に置く台を製作中。この上に、資料ケースを乗せれば、机の側へ移動させることができる。

 
 

童話を書きたい

15 5月
 市民大学『楽しい童話教室』
 今から4年前でしょうか、勝山市でも市民大学講座で童話教室が始まりました。講師は、福井新聞の「お話トントン」の選者で児童文学者の藤井則行先生です。

 藤井先生とは、今から約40年に勝山高校で一緒に仕事をさせていただくことができました。そして、何年か経ってから先生の詩集に挿絵を描かせていただくことができました。 

    先生の「童話講座」を受けて、本当によかった思っています。先生は、有名な童話作品、コンクール入賞作品などを教材に、童話の書き方を教えた下さいました。 

 毎回「目から鱗が落ちる」ような気持ちで感心しています。「なるほど、そうして童話を書くのか」と感心することばかりでした。 

 特に、1人称で童話を書くと、意外にスムースに言葉が出てくるものだと実感しました。最初の2年間は、前期、後期それぞれ5回を一区切りにして、開講されました。 

 そして、その都度、原則として、受講者は一つの童話を書くことになっていました。昨年と今年は、1年間で一つの講座になっています。 

 私は、毎回受講しているので、かなりの作品ができました。いずれも藤井先生の指導を仰いだものばかりです。 

藤井先生の詩集『みみとっと』に描かせていただいた挿絵

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

藤井先生の詩集『みみとっと』に描かせていただいたさし絵(白黒でしたが、色付けをしてみました)。

  

  

  

  

  

  

  

  童話集を作ないか
 退職を機会に、これまでの作品をまとめて、童話集を作ることができないかと考えています。実は、これも私の退職プロジェクトに一つです。

 文章は完成していますので、なんとか「挿絵を描いてみたい」と思って、最近資料集めに、図書館に通っています。野良猫が主人公の場合には、野良猫の習性を勉強しなければ挿絵もうまく描けないだろうと思っているからです。 

 今年も、いよいよ来週の火曜日から講座が始まります。今度はどんな作品を書こうかと今からわくわくしています。 

(日記:午前中、童話の挿絵研究。昼、越前大仏で開催されている“春のうまいもん祭り」に行き、ソバを食べ、踊りを見ました。午後、畑の小屋の整理と棚づりなどの日曜大工。夜、挿絵研究。) 

 

 
 

一本の苗から一万個のトマト

14 5月

筑波万博の「一万個のトマト」
 筑波万博では、一本のトマトの苗から一万個のトマトを実らせたことが話題になりました。こののトマトは、特別なトマトかというとそうではありません。バイオ技術も一切使われていなかったのです。

 普通の栽培と違うのは、水耕栽培だったということです。太陽の光と、栄養分を含んだ水だけで育てたということです。
 
 普通ならば、せいぜい数十個しか実らない一本のトマトの苗から今や一万数千個までは実らせているのです。二万個ももうすぐ実現するのではないかと思っています。

 「植物は、土の中で根を伸ばすために、潜在的な成長力を十分発揮することができないというのです。そこで、水の中なら思う存分に根を伸ばすことができるということなのです。

 それぞれの生命体は、計り知れない潜在能力を持っているのですが、その生命体の置かれた環境によってその能力を十分に発揮できずにいることが多いのです。

 しかし、長年の間には、それらの環境を克服して、極寒の地で生きるもの、酷暑の中で生きるもの、深海で生きるもの、高山で生きるものなど、様々な状況に順応して生き抜いているのです。

 ホームセンターで一番大きい直径約55cm(容積60L)のプランターを買いました。ここへ畑とは別に、一本のトマトの苗(接ぎ木の桃太郎)を植えました。プランターでうまくトマトが育つのかを試してみたいと思います。

 信じたい人間の可能性
 これは人間も同じで、周囲の環境が成長に大きく影響しているのです。一つ気がかりなことは、それぞれの人間が持つ潜在能力を、進歩した今の社会の環境が阻害しているのではないかということです。

 文明の利器が、子ども達から創造性や思考力を奪い取ることのないように私達大人は気を配らなければならないと思っています。

 トマトを例に取れば、必要以上に栄養分を与えたり、偏った栄養分を与えていては、トマト自身の持つ潜在能力を十分に発揮させることができません。一万個どころか自分の身体を維持することもできないかも知れません。

 成功者は、「トマトに聞け」ということになるのです。「トマトが何を要求しているのか」を考え、甘やかすことなく、突き放すことなく、トマトの持つ力を信じることが大切なんだそうです。

 モノが十分になかった時代に育った子ども達の方が生命力があるように思われます。トマトから学ぶことは多いモノです。

 子育てにおいても、よかれと思って買い与えたモノが子ども達の成長を阻害している場合が多いということ心しなければなりません。

 トマトに無限の可能性があるように、人間にも無限の可能性があるということを信じて、何をどうすればよいかを考えたいものです。次代を担う子ども達、孫達のために……。

 ※ インターネットで「一万個のトマト」と入力して検索してみてください。画像でも検索していただくとよいと思います。

(日記:午前中は、パソコンで画像スキャナー。午後は、庭の草取りなど。)

 
 

島津亜矢コンサート

13 5月

いろんな音楽が流行った
 私の育ったここ60年の間には、いろんな歌が流行りました。小学校時代には、歌謡曲や浪曲なども流行っていたように思います。

 中学校、高校時代になると、日本の歌と外国のポップスが同時に流行っていました。外国の歌手では、ポールアンカやプレスリー、そしてビートルズ等が有名になり、彼等の歌をよく耳にしました。

 一方日本では、歌謡曲が流行っていましたが、ロカビリー全盛時代となり、グループサウンズ、フォーク等が流行しました。今は、いろんな歌手がいろんな歌を作り出し、みんなで一緒に歌う歌がないほど、多様化しました。

演歌の女王
 私も大学時代には、バンドを組み外国の曲を中心に演奏していました。しかしながら、一番たくさん耳にしたのは演歌ではなかったでしょうか。したがって、歌を作るとなると、演歌や民謡系が中心になってしまいます。

  そして、私が一番好きな演歌歌手といいますと、先ず女性では、“島津亜矢さん”です。彼女の歌の歌のうまさは群を抜いているように思っています。

    残念ながら、彼女の全国的なヒット曲は少なく、彼女の歌を知らない人も結構多いのではないでしょうか。紅白歌合戦は、『感謝状~母へのメッセージ~』を歌って一度出場しただけですが、なぜ紅白歌合戦に毎回出場できないのか、不思議でなりません。私は彼女の歌をたくさん知っています。

今日福井でコンサート
 その「島津亜矢コンサート」が、福井のフェニックスプラザであり、家内と二人で聴きに行きました。歌のうまさ、声量には圧倒されました。感激しました。今日はいろんな歌手の歌もたくさん歌いましたが、本人以上のうまさであったと思っています。

 途中で彼女が通路を回りながら、歌を歌う場面があり、島津さんが我々の席の近くへもやってきました。家内は、我を忘れて立ち上がり彼女と握手しました。

  実は私も、曲作りの参考になるようにと、彼女のCDを買ったので、コンサートが終わった後で握手をする機会があり、感激しました。

  私は、趣味で、演歌を作っていますが、どの歌も、“もしも島津亜矢さんが歌ってくれたらなあ”という願望を持っています(まったくかなわぬ夢ですが・・・)。

コンサートで買った島津亜矢さんのCD

  私のiPODには、彼女の歌がたくさん入っています(ジャズやロック、民謡等もたくさん入っていますが)。出張の行き帰りの電車の中では彼女の歌をたくさん聴きました。また、彼女の得意なセリフ入りの演歌を、私も真似て作ってみました。

 彼女の歌は、私の歌作りに大きな影響を与えているように思っています。私は、彼女の歌のファンであるというよりも、彼女は“私の歌作りの先生”であるというように勝手に考えています。

 刺激を受けた一日でした。また、いろんな歌を作ってみたいと考えながら帰宅しました。最新バージョンのソフトも手に入れたところだし・・・。

 
 

ALTと和太鼓

12 5月

あなたの趣味はなんですか?
 昨年暮れのことです。ALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー:英語指導助手)のみなさんと日本における生活について「困っていることはないか」などと話し合う機会がありました。

 話し合いの終わりになって私は「みなさんの趣味はなんですか」と尋ねました。ところが驚くことに、勝山の中学校で働く3人のALTのうち、女性の二人から「和太鼓です」と言う答えが返ってきました。

 彼女達は、福井のカルチャーセンターで「和太鼓」を習っているという。しかもそのうちの一人は、大学時代にも和太鼓を習っていたという。和太鼓に興味を持っているだけではなく、今も和太鼓を習っているという。

 さっそく、「近々左義長祭りがあるけどやってみない?」と尋ねたところ「やりたい」ということで、彼女たちに左義長太鼓を教えることになりました。

 本番の左義長では、一人は当日インフルエンザでダウンしましたが、もう一人のKさんは、3カ所の櫓で見事な左義長太鼓を披露してくれました。

「もっと和太鼓をやりたい!」
 そして、今日再び和太鼓の練習を始めました。4つの基本のリズムと和太鼓を基礎を教えてあげました。練習の合間に「これは英語でなんというの?」と、私は英語を教えてもらっています。正にギブ・アンド・テイクです。日本でよい思い出を作ってアメリカへ帰ってほしいものです。

(日記:新しいパソコンの使い方を勉強する。バージョンアップしたために、四苦八苦。途中で本屋へマニュアルを買いに行く。午後、少し動かせるようになって『平泉寺物語』の追加分の絵を描く。)

 
 

庭のボタン

11 5月

昔は悠長
 今から30数年前だろうか?学校勤務時代には、いろんな行商の方々が学校を訪れて職員室でいろんなものを販売していました。

 背広、ネクタイ、健康器具、健康食品、花の苗。書籍、……。今なら、勤務時間中にこうした人達が校内へはいることは禁止されていますが、当時はおおらかでいろんな職種の方々が学校へやって来たおかげで、いろんなものを買うことができました。

 「このネクタイ、似合いますよ!今の背広にぴったりですよ!」などとネクタイ売りのおじさんにおだてられて、ついつい2、3本買ったときもありました。

 ある時、県外から来たおばさんがボタンの苗を持って売りに来ました。「2本以上買ってくださったらお安くしますよ」と言われて、3色のボタンの苗を買いました。

今も咲き誇るボタンの花に……
 その後数年してから、毎年大きな花を咲かせてくれます。そのたびに昔はのどかでよかったなあと昔を懐かしく思い出します。

30数年前に行商のおばさんから買い求めたボタンの苗が大きくなって、毎年大輪の花を咲かせてくれます。

少し遅れて咲いた庭の牡丹

 何もかも便利になりはしたが、職場から余裕がなくなってしまったように思う。そう言えば、放課後になると、職員室からギターの音と共に若い女性教員の歌が聞こえてくるというようなこともありました。

 今ならとても信じられないような状況でした。また、部活動で遅くなると先輩達が「時間があるならつきあってくれる?」と食事や酒に誘ってくれました。

 職場にはこうしたのどかな空気が流れていましたが、多くの教員は「やるときはやる」という気構えを持っており、仕事には真剣に取り組んでいたように思われます。

 時代が進むということは、必ずしも進歩を表すのではなく、かえって世の中を味気ないものにしていくようです。余裕を失った社会からは、活力が生まれないような気がしています。

(日記:午前中コンサートの切符を買いに福井へ。例によって本屋へ立ち寄る。午後は、車庫の整理。廃棄物を処理場へ運ぶ。)

 
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久々に生徒の前に立つ

10 5月

「和太鼓教えてくれませんか?」
 退職旅行で霧島神宮辺りを歩いていた時に、私の携帯電話が鳴った。「選択音楽の授業で生徒に和太鼓を教えてくれませんか?」と北部中のS校長から連絡が入ったのだ。

 「校長先生の希望ですか?それとも音楽の先生の希望ですか?」と尋ねた。教科担任が望みもしないのに押しかけていくのは本意ではないからだ。

 「音楽のS先生の希望です」との返事だったので、二つ返事で引き受けることにした。最近の9年間は、教職員や市民のみなさんの前で話すことはあっても、児童生徒の前で話すことはほとんどなかったからだ。

初めての授業
 体操服で出かけようとしたら、家内が「初めての授業だから背広で行ったら……」という。久々の背広はどこかぎこちない。それもそうかなと思い、バッグに体操服を入れて北部中学校へ出かけた。

素手で椅子をたたいてリズム練習をする北部中学校の生徒たち

 『選択音楽』の受講生は、中学3年生の女子16人。挨拶の後、自己紹介をして早速授業開始。今日は、生徒達のリズム感を確かめるのを主眼に置いて、基本練習中心に椅子をたたいてもらった。

 ビフォー、アフターでどれだけ子ども達が和太鼓を好きになってくれるだろうか?なんとか文化祭までには和太鼓の楽しさを教えたいものである。あっという間の50分であった。

 全国高校総合文化祭で和太鼓を演奏する教え子達(於:福井市)

(日記:午前中パソコンのファイル整理。午後北部中で音楽始動。帰り際に校長宅へよりご主人に庭の花を見せていただく。綺麗な花で囲まれた庭に感心して帰宅。)

 
 

あなたならどうする?

09 5月

自分の立場は?
 自分の立場をはっきりさせず、相手を批判することは簡単である。どんな理屈でもどこかに弱点はあるもので、これを批判することは簡単である。

 それをせず、単に批判しているだけでは片手落ちではないのか?そういう意味からすると、テレビに出てくるコメンテーターは、いいことを言っているが、「あなたならどうするの?」と問われたらどう答えるだろうか?

 連日、普天間問題がテレビやラジオで取り上げられている。「俺んところへは絶対に来るな?」と叫んでいるところまでは、理解できる。しかし、日本の防衛を考えた場合に、どうするのがよいかを語ってはいない。

 日本の防衛の問題を取り上げないで、基地をどうしたらよいかばかりを問題にしている。これでは、反対論しか出てこないのは当然である。

 見つめたくない問題から目を背けて一部分だけを問題にしていても、解決は困難であろう。与党も野党も真剣に議論して、ベストでなくてもベターな方法を見いだしてほしいものだ。しかし、現実には、相手の批判ばかりしているように見える。

いいとこ取りはないのでは?
 世の中、いいとこ取りはないのではないだろうか?我慢をせずに、いいところばかりを求めてもそうはうまくいくものではない。

 私たちの若い頃に比べると、成人一人が車一台を所有する時代になってしまった。便利さを追うあまりに、誰もが車を手に入れることになったからだ。結果的に、地方のバスや電車は廃線の憂き目に遭うようになった。高齢者になったとき、きっと自分にしわ寄せが来るだろう。

 原発は反対、電化製品は使いたい、冷暖房は欠かせないでは、どこか矛盾している。省エネだけだ解決するのだろうか?

 子供が生まれたら、直ちに保育所や幼稚園に入れる。自分でみるという発想よりも、他人にみてもらうという発想の方が優先される。子育ての楽しさを味わうことも必要ではないのか?働き方を根本的に考える必要があるのではなかろうか?

 一方自分の親も、同様である。身体が不自由になったら、直ちに施設へ預ける。そして、一生懸命働くのだ。車や電化製品などを買い求めるためには、働くしかないのだ。

 しかし、自分が年老いたら、そのようなサイクルに入ることになるのだ。

 「モノ」だけを追い求めても、幸せになれるのだろうか?「幸福度」を問題にしている国や自治体があるという。モノが少なくても、人と人とが心温まるつきあいをして生活する道があるのではないだろうか?

GDPよりGNHにという考えに賛成
 先日テレビで、新しい言葉を耳にして感心しました。GDP(国内総生産)という言葉はよく聞きますが、最近、注目を集めているブータンの「GNH」という言葉です。GNHとは、Gross National Happinesuu(国民総幸福度)という意味です。

 国の力や進歩を、「国民総生産」ではなく「国民総幸福度」で測ろうというこの「GNH」の考え方は、1976年の第5回非同盟諸国会議の折、。「GNHはGNPよりもより大切である」とブータンのワンチュク国王(当時21歳)が述べられたことに端を発しているそうです。

 物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも同時に進歩させていくことが大事、との考えです。国王は、先進国を研究した結果、「経済発展は、対立や貧困問題、環境破壊、文化の喪失につながり、必ずしも幸せに放っていない。」という結論に達したそうです。

 そこで、人々の幸せの増大を求めるGNHという考えを打ち出し、「開発はあくまで、国民を中心としておこなわれるべきである」として政治を行っているそうです。GNHは、ブータンの開発哲学であり、開発の最終目標になっているそうです。(インターネットも参照しました。)