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Archive for the ‘未分類’ Category

動画投稿サイト

06 8月

情報の受信から発信へ
 インターネット上のサーバに、不特定多数の利用者が投稿した動画を、不特定多数の利用者で共有し、視聴出来る動画共有サービスサービスがある。今から7年ほど前に登場したサービスで、日本でも急速に発展した。日本では数千万人、世界では数億人の利用者がいると言われている。 

 中でも、『YouTube』が人気あるようである。一般人が撮影して投稿したもの、自治体が作って投稿したもの、企業が作って投稿したものから、違法コンテンツまで様々なコンテンツが雑多に入り混じっている。 

 著作権上の問題が発生して新聞やテレビで問題になる場合もある。 

 私も、これらのこれらのコンテンツを利用することがある。これらの動画から学ぶことも多い。 

 しかし、こうした動画をただ見ているだけでは私は満足できない。情報の受け手になるだけではどうしようもない。時には、積極的に情報の発信者になってみたいと思っている。 

 以前にも書いたが、動画の情報発信者になるには、様々な機器やソフトが必要であり、技術も必要になる。時には、アニメーション制作能力も必要になってくる。 

統一されていないファイルの規格
 私は、今春の退職と同時に、デスクトップとノートのパソコンを購入した。そして、ソフトも最新のものを購入した。単体ではなく、セットで購入した。アドビ社のマスターコレクションシリーズCS4を買ったのだが、購入直後にバージョンアップしCS5が出た。

 少しがかりしたが、以前のものはCS2だったので、「以前よりレベルアップしているので我慢するか」と自分を納得させた。ソフトは新しくなったが使いこなせないものが多い。 

 実は、昨日まで3日間受講したときに用いたホームページ制作ソフトの『Dreamweaver CS4』や画像編集ソフトの『Firewroks CS4』もセットの中に入っていたのだ。 

 画像編集をしようとすると一番先に困るのはファイル形式である。ちょうど昔ビデオの規格が異なっていたために、機器からテープ、録画機まで全部異なっていて互換性がなかったのだ。動画ファイルも同じようにいろいろあるのだ。これらの動画を編集しようとすると、ファイル形式が異なるために、画像編集ソフトでは読めなかったりして編集どころではない。 

 DVDを読み込むにしても、ファイル形式が異なると読み込めないので編集できない。そこで、今日の午前中、かつての同僚のSさんにお願いしてファイル変換について教えてもらった。また、コンピュータ会社へ行っているY君(息子の同級生)に早速「画像変換ソフト」を注文した(フリーソフトもあるのだが)。 

 ちょうどお腹が空いたときに、ご飯を炊くのならまだいいが、田植えをするように、いろいろ事前に勉強しておかなければならないことが多い。これからも、産業支援センターの『産業情報資料室』で書籍やDVDをお借りして、最低の基礎は理解しておきたいと思っている。 

施設の夏祭りのために、私の作った『勝ち山ほがらか音頭』の練習をする猪野瀬さわらび会(食生活改善員)の皆さん

(日記:午前中、まず歯医者へ出かけ、事務所でSさんに動画ファイル変換について教えてもらう。午後は、日時を間違えて池田町まで行ってしまった。本当は日曜日であった。今後は日程をしっかり確認してから出かけなければならないと思った。夜、明日の施設の夏祭りの余興練習をする猪野瀬さわらび会の皆さんの練習を指導する。)

 
 

3日間の講座を終えて

05 8月
生徒の気持ち
 今日は、産業支援センターの『ホームページ制作講座』の最終日。3日間、午前9時から午後5時までいっしょに講座を受けていると、若者達とも何となく同志のような気持ちになる。お互いに、自らは話しかけることは少ないが、何かのきっかけで話し始めると急に話がはずむ。 

 パソコンの長所であり短所であることは、言われた指示通りのことを即座にやることができる。しかし、指示が少しでも間違うと、全く動いてくれない。察してくれるということはないのだ。 

 そのために、予期せぬミスが出ることがある。そんなときには、多少恥ずかしくても、手を挙げることにした。ここに集まっている人達は、ほとんどが会社から派遣されているのである。従って、基本的な技術を持っている人が多い。 

 ところが、パソコンにおいては、私のように基本は他人間任せで、応用ばかりをやって来た人間には新しいことを始めることは本当に難しい。あまり分からないのに、授業を聞いている生徒の心境だ。今日は予期せぬミスが出て20分近く全く進まない時間があった。 

 それでも授業は進んでいく。学校ならこんなことは多いのだろうなと思った。私の場合には、休み時間に遅れた部分を講師の先生に教えていただいた。

福井産業支援センターでの『ホームページ制作講座』風景。企業から派遣された若者達が多かった。

パソコンを何に使うか?
 現在はどのような職場にも、パソコンはある。しかしながら、パソコンの威力を理解して活用しているところはどれくらいあるだろうか。単なるワープロや計算機、あるいは業者の作ったソフトを活用して事務効率を上げているだけという場合が多いのではなかろうか。 

 本気で考えると、積極的な活用法はいろいろあるように思う。そして、積極的に活用するには、この産業支援センターを有効に利用した方がよいように思う。私の知っている勝山でも、このセンターの支援を受けて、業績を伸ばしている会社がある。 

 また、教育関係の場面でも、まだまだ活用できる分野はあると思う。人間のできることを機械にやらせるというだけではなく、機械を補助的に使い、児童生徒の持っている創造力や思考力や意欲を伸ばす方向で利活用できないかを考えてほしい思う。 

 また、退職する教員の持っている知恵や研究成果、指導法などは、ほとんどが顧みられることもなく、利用されることもなく、捨てられ、忘れ去られていくのである。研究物として残しても、次の世代が古い冊子を探し出して日々の指導に活用することはほとんどなかろう。 

 単に、資料としてどこかに保存され、そのうちに、廃品として捨て去られるだけであろう。しかし、これらをパソコンで管理して、次の世代がいつでも検索して活用できるようにすれば、話は変わる。知恵の宝庫となる。 

 そうすれば、次の世代は、それらをさらに発展させ、改善して、その次の世代に伝えていくことができるからである。現状は、次の世代が、またゼロから始めていくだけで、いっこうに積み重ねができないのである。 

 これらの財産を、どこにいる誰でもが利用できるようにするために、ホームぺージの形で公開できないのだろうか。これは、私が願うホームページの活用法である。 

 今回、このような講座を受けた理由の一つは、長年蓄えた自分達の経験や指導法を、ホームページを使って次の世代に伝えていけないのかどうかを試すためでもある。長年蓄えたものをゴミにしないためと言い換えてもよいかも知れない。 

 とにかく、3日間の講座は終わった。この経験を活かすも活かさないも全て自分にかかっている。若者達は、会社から期待されていようが、私は、私自身に期待している。 

(日記:午前9時から、午後5時まで、パソコン講座(3日目)受講。夕食後、家庭菜園の水やり。ポンプで川の水を畑に汲み上げた。)

 
 

何のためのホームページ制作講座

04 8月

自らのことばで情報発信
 「何のためにこの年になってわざわざ産業支援センターまで出かけてホームページ制作講座を受けるのか」と自問自答してみる。自分の思いを情報発信したいからということになる。それならば、「なぜ、これまでに技術を習得しなかったのか?」ということになる。

 結論は簡単である。すべて技術的なことは息子に頼むことができたからである。わざわざホームページの作り方を学ぶ時間があったら、音楽ソフトで曲を作ったり、描画ソフトで絵を描いたり、簡易アニメの原画を描いたり、映像編集ソフトを使いこなすほうに時間を使ったほうがよいと考えてきたからである。そして、それをホームページにアップしていればよかったのである。

 しかし、息子がIT修行のために東京へ出てからは、もう頼ることができなくなったのである。彼も、開発やら何やらで寝る時間も惜しんでパソコンに向かっているような状況にあり、自分に合ったホームページを作ってくれる余裕もなくなったのである。

 それでもあきらめきれないので、やむなく、この『ホームページ制作講座』を受けて、少しでも自分にあったホームページを作ろうと考え、講座を受ける気になったというわけである。

 今日は、講座の二日目である。見やすいホームページを作るための様々な技術を学んだ。しかし、自分一人になったときに、果たして思い通りのホームページを作れるかどうかとなると自信は全く持てない。

 私がホームページで一番やってみたいのは、二つのことである。一つは、楽しくて、ためになる高校の数学講座をネット上で展開してみたいこと。もう一つは、自作の歌(主に演歌やポップス)の発表の場を作ることである。

左:産業支援センター全景  右:センター内の「産業情報資料室」。 私は早速ユーザー登録してDVDを借していただきました。

 

 前者は、是非とも進めたいと思っている。長年の教員生活で、材料は十分あると思っている。ただ、数学となると、積分記号やΣや数列や対数など数学特有の記号をネット上でうまく使えるかということが心配になる。うまく記述できなければ、画像にして貼り付けなければならないかもしれない。

 後者は、ネット上で知り合った人たちと一緒にいろんな歌を作りたいと思っている。ホームページがあれば曲を先に作って作詞を募集することもできる。この逆では、私も、何人かのネット上で知り合ったアマチュアの作詞家の人たちの詩に曲を付けたりしてきた。現にいくつかの歌は、今もネット上に存在している。

 今回の講座には、会社から派遣された人たちもかなり参加している。私のように、個人で参加している者は非常に少ない。みんな若い。皆さんに伝えることがあるとすれば、習ったこをを早めに復習して若いうちに技術を身に付けておいた方がいいですよと。他人に頼っているといつまでも技術は身につきませんよと。

 私も、今度こそ、なるべく自力でホームページを作り上げて情報発信したい。ホームページに詰め込む内容は有り余るほどあるのだから。

若い力に期待  
 今日も、和太鼓の練習だ。8月15日の夏祭り本番に向けて、最後の追い込みだ。和太鼓の曲はすべて私が作っているが、今では、若い娘たちと一緒に曲作りをするのも楽しいと思っている。私の作った曲で、もっとこうした方がよいと思うアイディアがあったら、遠慮せずに改めてほしいと言っている。

 今日も私の事務所で、彼女たちは真剣にあれこれ考えながら、曲の一部を新しくしてくれた。動きに合わせて、楽しくなるように変えてくれたのだ。後は練習を積んで、身体で表現することだ。若い娘たちと和太鼓を打つという一つの目標に向かってがんばることは楽しいことだ。昼はパソコン講座、夜は和太鼓練習では、退職の身には結構こたえるが、私の活力になっているのは間違いない。

 あと一日、『ホームページ制作講座』をがんばりたい。

私の事務所で新曲の振り付けなどを考える春駒太鼓のメンバー

 

(日記:午前、午後、『ホームページ制作講座』。夜、10時まで私の事務所で和太鼓練習。)

 
 

超忙しい……

03 8月

産業支援センターで終日講座
 情報発信には、HPが一番だ。以前は1から10まで息子に頼り切りだった。自分は更新しさえすればよかったのだ。その息子が、東京へ行ってしまった。彼も超多忙らしい。

 こうなったら、自分でホームぺージを作るしかない。そこで、産業支援センターでまず基礎の基礎の講座を受けた。そして、今日から、3日間、朝から晩までアマチュアからプロまでが使うという“dreamweaver”&Firewroks”を使った3日間のホームぺージ講座を受講することに決めた。

 受講生の内訳は、19人の受講生に対して、男性は6人、女性は13人であった。ほとんどの者が20代、30代であり、60歳以上の者は私一人だった。ほとんどの者が、会社から派遣されているようだ。

 講義が進むにつれて少しずつ、難しくなった。パソコンのイヤなところは、少しでもミスすると思うように動かないということだ。その都度、手を挙げてサブティーチャーを呼んで個人指導を受けた。

 休憩があるとはいえ、午前中3時間、午後4時間の講座はかなりきつい。でも、何とか自分に適したホームぺージを立ち上げて情報発信をしたいと思っている。

福井産業支援センターでのホームページ制作講座

 

『津軽じょんから節』の特訓
 途中で、家内からメールが来た。「津軽三味線のK先生が来ました」という。「えっ?今日だったのか?」と驚いてしまった。K先生は勝山へは月に二度指導に来られるという。先週お会いしたので、今週は勝山へ来られないだろうと信じ切っていたのだ。

 ところが、今日も勝山で三味線教室があり、その前に、私に『津軽じょんから節』を教えてくださるというのだ。4時からだというのに、パソコン講座は5時までだ。松岡から勝山までは30分以上はかかる。おまけに、午後7時からは盆踊りの練習会だ。

 コンビニによってパンを買い、車の中で食べて夕食とし、5時40分に事務所に着いた。それから約50分間『津軽じょんから節』の特訓を受けた。クーラーが効いているのに汗をかいた。手が思うように動かない。

 自分からお願いした三味線の個人授業を忘れているなんて、我ながら情けない。ほんとうにK先生には申し訳なかった。練習を終えて、すぐ盆踊りのために、教育会館へ走った。

歌・尺八・三味線などの伴奏隊も加えての盆踊り総合練習会

 

伴奏隊と踊りの総合練習開始
 今日はじめて、伴奏隊の尺八4人と三味線4人、歌2人を交えて総合練習をした。まだまだではあるが、第1回目の踊りと歌を合わせた総合練習としてはまあまあか。

 1週間後にもう一回、総合練習をして8月15日の本番を迎えることになる。果たして本番ではどれだけの人が集まってくれるだろうか。数十年前には、動員方式で、何百人という踊り手が会場を埋めたこともあったが、あっという間に盆踊りは廃れてしまった。

 動員方式ではなく、参加したいという一人ひとりが集まって盆踊りを復活させて盛り上げたいと思っている。前途は洋々たるものだ。それでも、諦めずに今年も盆踊り復活に向けて頑張っている。自分にあきれる。

(日記:午前、午後と福井産業支援センターでホームページ制作講座。夕方、津軽三味線の練習。夜、盆踊りの練習会。伴奏隊も加えて総合練習を行った。)

 
 

祭りシーズン到来だが

02 8月

郷土芸能づくり
 私の地区では、9月の第3土曜日に秋祭りが開催される。しかしながら、年々祭りは寂れていく。今では、昼に子供御輿が各家々を巡り歩くことと、子供会や青年団などの模擬店が並ぶぐらいである。あまり人が集まらないので、人集めのために抽選会をやっている。

 これでは、次世代に伝えていくものはほとんどない。踊りもなければ太鼓も叩かない。昔合った子供相撲や大人の相撲などもない。個人の楽しみが変わってしまったのか、面倒くさいことは一切やらないでおこうという考えなのか、とにかく祭りは廃れていく。

 おまけに親類などを招く家も年々少なくなっていると聞く。こんな祭りを少しでも変えることができないのかということ今私の地区では考えている。現在の計画では、私が地元の民謡をつくり、伝統の銭太鼓の振り付けを考え、踊りも加えようという計画である。それと神前で「浦安の舞」を踊ることができないのかということも考えている。

 これまでは、『安来節』に合わせて銭太鼓やどじょうすくいをやっていたが、単なる物まねということで、100年近くの伝統があっても、郷土芸能にはなり得なかったのである。

 そこで、拙いものでも、自前で歌や踊りを振り付け、郷土芸能にしようという計画である。「ソーラン節」はいくら上手に歌っても踊っても、私の村の郷土芸能にはならないのである。

 ただし、真似ることは郷土芸能の世界では当たり前である。北前船で「ハイヤ節」が全国に伝わったり、各地に似たようなものがあったり、伊勢参りの影響で「伊勢音頭」が変形して各地の民謡を生んでいるのはよく知られたことである。

 「郡上踊り」なども「伊勢音頭」の影響を受けていると言われている。

産みの苦しみ
 そんなわけで、銭太鼓によく合い、踊りにもよく合い、地元の伝統を生かせる歌を作ることになったのだが、実際には簡単ではない。今日の午前中は、まず最初に、孫娘のために、和太鼓練習用のCDを作った。全くの入門編だ。

 その後、午後は、新民謡づくりに熱中した。メロディーを作るのは苦しい作業だ。いいいメロディーができたと思うと、以前に自分が作ったメロディーに似ていたり、誰かの歌に似ていたりと、苦労は多い。

 歌は、極論すれば、ドレミファソラシの7つの音の組合わせである。もちろん半音もあるが、これだけの音で、世界中の音楽ができているのだ。プロの作品でも、似ていて盗作問題に発展することが少なくない。

 今日いいと思ったメロディーも、次の日聞いてみるとがっかりということは当たり前である。何とかお盆までには作りたいのだが、あれこれ忙しくて、産みの苦しみを味わっている。

 また、私は、一方では、すっかり寂れてしまった「盆踊り」の復活を目指している。これは非常に苦労が多い。しかし、理解者も、わずかではあるが増えている。

生まれて3年目の新民謡『勝山よいとこ』だが、皆さんに支えられて今も踊ってくださる人がいるのは有り難いことだ(練習しているのは猪野瀬さわらび会=食生活改善員の皆さん)。

 

(日記:午前中、孫娘の和太鼓CDづくり。午後、郷土民謡作り。夕方、家庭菜園。夜、和太鼓練習。)

 
 

荒れる山々

01 8月

山道づくり
 各集落には沮蝦夷レの地区独特の行事や作業があるだろう。我が集落、片瀬地区にも様々な行事や作業がある。今日はそのうちの「山道づくり」だ。

 集落には7つの班があり、班ごとにローテーションで「山道づくり(山道の草刈りや排水溝づくり)」を行っている。片瀬集落から、大師山を経て三頭山までと大師山登山道の途中の前坂峠を越えて通称「かくま谷(浄土寺川ダムの下方)」までの2ルートを7つに区分して行っているのだ。

 私達の班は、7人で前坂峠ルートの一番奥の道を整備するのだ。午前6時に集会所前に集合して、軽トラックで山の入り口まで行き、後は歩いて現場まで行くのだ。草刈り機の他に、水筒や燃料を持っての山登りなので、現場へ行くまでが大仕事だ。

 我が藩はここ数年メンバーが固定している。年々高齢化しているのである。ぽぼ全員が60歳以上である。当分の間、交代要員がいない者が多い。集落全体では、70歳を越えても、後継者がいないので、参加せざるを得ない者が多い。

 高齢化は至る所に影を落としているようである。

荒れている山
 山道を歩いていると、山の荒れが目立つ。

 (1)松の木の枯れているのが目立つ。

 (2)杉の木の折れているのが目立つ。雪で折れたのだろう。材木としては全く役に立たないであろう。

 (3)間伐が十分行われていないので、材木として役立たない木が目立つ。

 最後に、多少立派な木でも、運び出す手段がないのはと思われるものが多い。1万円の収入に1万5千円かかるのではと思われる場所が多い。

 これでは、経済的には全く合わないだろう。従って山の世話ができない。山が荒れる。という悪循環に陥っているのではと思われる。補助金で、間伐などを行っているらしいが、税金を投入しなければ、山を守れないというのどこか変だ。

 これでは林業も衰退するのは目に見えている。安い外国産材が幅をきかせているのも理解できる。今後も山はどんどん荒れるだろうと思いながら、作業を進め、作業を終えた。

草刈り風景

(日記:午前6時より山道づくり。午後、日展を見るために福井へ。その後、ウインドウショッピング。夜、孫娘のために和太鼓練習CD作成。)

息子の嫁の叔母のFさんの作品の前で

 
 

小規模校は不利か

31 7月

平泉寺小中学校の思い出
 私の最初の赴任校は大野市の上庄中学校であった。当時の上庄中学校は、各学年4クラスの中規模の学校であった。ソフトボール、バスケットボール、スキー、ブラスバンド、水泳などが盛んな学校であった。

 その後、希望はしなかったが、突然勝山市の平泉寺小中学校へ転勤することになった。この学校は、幼稚園があり、小学校から中学校までが同じ敷地で生活を送っていた。

 中学校は、途中で2クラスになったが、それにしても規模の小さい学校であった。私は、専門の数学の他、音楽は中学校全クラス、美術は自分のクラスを持つというように免許以外の教科も指導することになった。

 当時は、中学校の学校再編が行われていて、中部中学校ができたところであった。ただし、その時点では、勝山中学校も存在していた。中学校は、勝山、中部、北部、平泉寺の4校であった。

小規模校の教員としてテレビ出演
 統廃合により、中部中学校は大きくなったのだ。まだその時点では、平泉寺は小中学校併設校であった。学校が大きくなるとこう変わるということで中部中学校でのテレビ局の取材が行われ、続いて、小規模校は大変だということを映像で紹介するために平泉寺へテレビ局が取材に来た。

 私が小規模校の教員の代表として、取材を受けることになった。数学の授業をしていたかと思うと、次は音楽の授業をしているということで、音楽室へ入る所や、子ども達が歌を歌っている場面が撮影された。そして、テレビで放映された。

 その後、平泉寺小中学校は、同じ敷地にいながら、平泉寺小学校と、勝山中学校平泉寺仮教場(平泉寺中学校)とに分かれた。その後しばらくして、勝山中学校平泉寺仮教場は、新しく開校した南部中学校に統合されてなくなってしまった。

 私の教員としての原点は、この平泉寺小中学校にあると思っている。教員としての基礎をこの学校で学んだと思っている。特に校長のN先生の考え方に大きく影響を受けた。私の第一の恩師である。

 特に、N校長が学校目標に掲げた「人間信頼の感情を育てる」は、今も古くはなってはいないと思っている。

「平泉寺に学べ!」
 私が中学校の担任であったときのことだが、校長にお願いして「子ども達を勝山中学校へ一日留学させてほしい」とお願いしたことがある。森の中にある1学年1クラスしかない小さな学校では、井の中の蛙になり視野も狭くなるだろうということで考えたことであった。

 そこで、1学年7~8クラスある勝山中学校へ一日留学して、町の中学生がどのような生活をしているのかを学んできてほしいという願いで、懇意にしていたT先生のクラスで4人の生徒達は、授業を受けることになった。

 実際にはどうであったかというと、T先生は平泉寺の子ども達のことを「4人の侍(だったと思う)」というタイトルで原稿を書いて下さり、その活動ぶりを紹介してくれたのだ。刺激を受けたのは、山の学校ではなく、町の学校の方だったのだ。

 T先生のクラスの成績は学年でもよくなかったそうだが、私のクラスの子ども達の影響を受けて、一気に成績が上昇したというのだ。そのために、今度は、「平泉寺に学べ!」とばかりに、勝山中学校の他のクラスの生徒までが、私のクラスへやって来て授業を受けるということになったのだ。

 運動面でも、数の少なさを補ってなお余りある活躍をしてくれた。学校長以下教職員と児童生徒が一丸となって、前向きに日々の学校生活を送れば、それなりの成果が上がり、学校の規模を乗り越えられるということを私は確信した。

 小規模校の不便さを表す代表としてテレビには出たが、小規模校イコール不都合であるとは今も思ってはいない(ただし規模にも限度はあるが)。今また、学校の統廃合が問題になっている。当時を思い出して書いてみた。

どこかなつかしい線香花火の光と音

 

(日記:午前中、仲間と話し合い。午前11時より、「ゆめおーれ」で夏祭りについて打ち合わせ。午後は、家内と共に和太鼓の消音のためのパッドづくり。和太鼓の練習で一番困るのは大きな音がすることだ。夜、孫達と花火。)

 
 

人づくりと野菜作り

30 7月

野菜と人の類似点
 私は、野菜作りにおいては、せいぜい家庭菜園での経験しかなく、確たる理論もない。しかし、一つ言えることは、両者とも手をかけただけ、それにこたえてくれるということである。

 また、丈夫な根っこを育てることが大切であることもよく似ている。人間も、基礎がしっかりできていなければ大きく成長できることはない。人間における基礎とは、前向きの精神、創造的な力、そして基礎的な知識であろう。

 知識だけでは、大きく育たないことは誰もが知っていることである。野菜も同様で、しっかりした根っこが育っていなければ、大きく育つことはなく、実りの時期を迎えても、十分な収穫は期待できないであろう。

我が家の野菜達。上左:米ナス 上中:長ナス 上右:巾着ナス 下左:桃太郎 下中:フルーツトマト 下右:ゴーヤ

我が家の野菜達 左:実り始めたオクラ  上右:玄関先で実る玉子瓜 下右:とうもろこし

 
我慢する力
 我慢のできない人間は、いざというときに力を発揮することは困難であろう。

 聞いた話ではあるが、花を育てる場合、水がほしい時期に、我慢させることが大切だということを聞いたことがある。植物は、水が十分得られないとなると、水を求めて根っこを伸ばすそうだ。

 ところが、いつも簡単に水を与えてしまうと、植物は、自ら根っこを伸ばさないそうだ。ひ弱な根しか持たないことになるらしい。いつも、保護者からモノやお金を与え続けられた子供は、水から求めようとしない。

 学ぶ意味も、働く意味も理解できないらしい。今の状況をもっとよくしようとする気持ちも起こらないらしい。こうした状況とは逆に、心身共に飢えた状況にある者は、よりよい生活を求めて、より充実した人生を送るために、自ら、行動を始めるのだ。

 “ハングリー精神”という奴だ。かつての日本人は誰もが持ち合わせていたのだ。誰もが“我慢する力”を持ち、向上しようとする気持ちを持っていたのだ。

 私達も、人間である前に、動物である。動物遠くの共通点を持っているだろう。動物から学ぶことを多く持っているはずである。

 私達は、動物である前に、生物である。植物と共通の部分があるのはおかしいことではない。

 大きく育つには、見えない根っこうの部分が大切だということだ。家庭菜園で野菜を育てながら、時々そう思うことがある。

(日記:午前中、定期検診のために済生会病院へ行く。午後、。家庭菜園の草取りなどの作業。)

 
 

映像編集は難しい

29 7月

入り口でつまづく
 私はパソコンをよく使う。パソコンのおかげで最結構人生を楽しく生きている。パソコンがあるからできることが多い。

 まず、歌作りだが、自分の好きな楽器を好きなように使い、歌を作るのだ。尺八も箏もある。三味線もあれば、種々のギターもある。ドラムもあれば、ベースも管楽器も弦楽器もある。これらをどのように使いこなすかは、非常に難しいが、楽しみでもある。

 次が、絵を描くことだと思っている。絵の具を使ったりすることなく、自分の好きなように絵を描き、失敗すればいつでもやり直すことができる。私が絵を描くのは、絵本であったり、絵物語で会ったり、ポスターを描く場合が多いので、これで十分だ。

 そして、今、最もマスターしたいと思っているのが、映像編集だ。

 今日の午後、Sさんが私の事務所へ来てくれた。映像編集について教えを請うた。私は、映像編集ソフトとして、「プレミアプロCS4」を使おうとしている。これまでは同じソフトのCS2だったが、退職を機にバージョンを上げたのだ。

 今までは、編集の部分だけは、自分でもできたが、最初から最後まで自分一人でやることはできなかった。常に誰かに頼っていたからだ。特に、DVDを編集しようとするのは、簡単ではない。プレミアで読み込めるファイルに返還しなければならないからだ。

デジカメでハイビジョン映像
 私の愛用のデジカメが壊れてしまった。修繕しようとすると、新しい品物を買う費用の半分以上になってしまう。結局、新しいデジカメを買うことにした。今のデジカメは、ハイビジョン撮影もできるのだ。

 とっさの場合には、デジカメでハイビジョン撮影ができるとなると、旅行などには都合がよい。でっかいビデオカメラを持って行く必要がない。

 しかし、映像編集となると、いろんな壁が立ちはだかる。何とか自立したいと思っているのだが、これらの壁は低くはない。

 第1の壁は、まず、手持ちの映像をプレミアプロが読み込めるファイル形式にしなければならないということだ。そうでなければ編集どころではない。ここを乗り切らなければならない。

 第2の壁は、編集だ。つなぎ目を工夫したり、どうこでどう映像をつなぎ合わせるかなど、いろんな技術が必要になってくる。技術がなければ編集が単純になるだけだ。

 第3の壁は、これをふたたびDVDなどに書き出すことだ。これでようやく、映像編集が終わるということだ。今日はこの第1の壁についていろいろ教えてもらった。しかし、マスターしたとはとても言えない。

編集は自分でしたが、最初と最後の部分(第1と第3の壁)は他人の助けを借りて作った成人式DVD(映像カラオケ)

 

孫といっしょに和太鼓を
 今日は時々、孫に簡単な和太鼓のリズムを教えた。左右交互に打つことは幼稚園児でも比較的簡単だ。しかし、例えば、左手を2回続けて打つとなると簡単ではない。

 今日は、和太鼓の第1の壁である「たとんと(右・左・左)」というリズムを教えた。このリズムがたたけるとかなり和太鼓らしくなる。夕方にはマスターしてくれた。一日に何度も「教えてやる」という態度をとると孫は太鼓がいやになってしまう。そこで、直接孫に教えるのではなく、家内に教えてみた。

 すると、今度は、孫の方から積極的に打とうとしてきた。作戦成功である。孫が家内に教えようとするのだ。調子に乗って私は孫のために練習用のCDまで作ってしまった。孫と二人で太鼓が打てたら楽しいだろうなと思った。

(日記:午前8時より『農事法人かたせ』の農舎の棟上げ式に出た。鉄骨一部2階建ての建物だ。午後は、事務所でSさんに映像編集を教わった。時々孫に和太鼓指導。5歳の孫のために和太鼓練習用CD作成。2歳の孫と風呂に入った。)

 
 

牛に引かれて……

28 7月

孫達のおかげで海水浴に
 子ども達は水が大好きだ。我が家の孫達も例外ではない。夏休みにはぜひとも孫達を海へ連れて行きたいと思っていたが、今日はみんなの都合がよくて鷹巣海水浴場へ行くことになった。

 先ずは、我が家の孫二人とその母親(息子の嫁)、家内の5人で福井へ向かった。途中で長女とその子ども(孫)を乗せて鷹巣へ向かった。平日に海水浴ができるなんて嬉しい限りだ。

 海へ着くなり、我が家の孫が海へ入ろうと言い出す。少し休みたいのだが、早く、早くと急かせる。午前中に2回、午後1回の計3回も海に入ることになった。

 我々夫婦だけだったら、おそらく海水浴には来ていないだろう。仮に来たとしても、1回海に入ったら、後は浜茶屋で海風に吹かれて昼寝でもしていたことだろう。

 ところが、孫達は一度海に入るとなかなか上がろうとしない。しかし、孫達のおかげで海へ来られたし、何度も海へはいることができた。“牛に引かれて善光寺参り”ならぬ、“孫に引かれて海水浴”であった。

 疲れたが、充実した一日だった。

3人の孫と娘や息子の嫁と鷹巣海水浴場で泳ぎを楽しむ

 
和太鼓……新曲にチャレンジ
 午後7時からは和太鼓の練習だ。日曜日の越前大仏の和太鼓演奏について反省し、今日は新たな曲を練習した。8月15日の『ふるさとの踊り大会』を少しでも盛り上がるために踊りが始まる前に和太鼓演奏を行うのだ。

 みんな仕事を持っているので集まるのは簡単ではない。しかも、福井へ行っている者も多く、練習開始時間にも制約が多い。それでも、和太鼓をやろうとするその心意気は大いに買いたいものである。

 先ずは、手で机をたたいて曲の流れをつかみ、曲を覚えるのだ。太鼓は、大きな音がするので、練習をするにはいろいろと苦労が多い。近所に迷惑をかけているのでは、話にならない。

 そんなわけで、今日は曲の流れをつかむ練習をした。

(日記:内孫、外孫の3人を連れて鷹巣海水浴場へ泳ぎに行く。午後6時過ぎ帰宅。午後7時半より午後9時半まで和太鼓の練習。)