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Archive for the ‘未分類’ Category

ひとり暮らし

05 9月

意外と多い家事
 家内が入院したためにひとり暮らしとなった。1から10まで自分でしなければならない。昨日は、三國湊『帯のまち流し』を見に行き、帰宅してからブログを書いたために、12時近くになった。風呂へはいると12時を越えていた。

 今朝、起きると食べるご飯がない。いざというときの冷凍ご飯はあるが、米をかしいでご飯を炊いた。といっても、炊飯器が圧力をかけるために1時間はかかるのだ。その間にみそ汁を作りつけものを切り、ようやく朝ご飯ができた。ご飯が炊けるまで、津軽三味線の練習をした。

 昼食も自分で作って食べた。夜は、先ず買い物に出かけた。簡単にチンすれば食べられるものも買ってきた。私は、漬け物がないとご飯が食べられないタイプだ。ぬか漬けを欠かしたことがない。三食とも漬け物を食べるので補充しなければならない。家庭菜園からキュウリとナスを取ってきたので、糠と共に補充した。

 夕食を終えた後、少し余ったご飯はおにぎりにして冷凍しておいた。そして、明日のために米をかしいでタイマーをセットした。明日は6時半にはご飯はできているはずだ。この後、洗剤で使った食器を洗った。

  買い物から、後片付けまで、2時間以上かかった。これが1ヶ月続くかと思うと大丈夫かなと思ってしまう。家内のありがたみがわかる。今後、これに洗濯や掃除が加わり、家庭菜園の草取り、大根の植え付け、秋キュウリの塩漬け、生姜の加工などが加わると、大変なことになりそうだ。

 家事だけで、一日数時間はかかってしまいそうだ。それでも、退職した身にはまだまだ自由時間はある。今日も、午前中と午後の数時間は、数学のホームページづくりと「津軽じょんから節」の練習をした。上手く弾けないが、脳には刺激になっているだろう。

家の玄関先で採れた2種類の瓜

  家庭菜園は、この猛暑続きで大変だ。ポンプで30分以上川の水を汲み上げて流した。水の便が悪い畑は、大変だろうなあと思う。本当に今年は異常気象だ。何かよからぬことが起きなければよいがと思ってしまう。

  子ども達が進学などで家を離れて、親のありがたみがわかるように、私もこの年になって、家内のありがたみを感じている今日一日だった。早く帰ってきてほしい。一日も早く、もとの暮らしに戻りたい。

  『津軽じょんから節』の練習をしていて思う。絶対に弾けないだろうと思っていたところが少しずつではあるが弾けるようになっている。この年になっても、練習すれば少しは進歩するということを実感できてよかった。正に、“継続は力なり”である。生徒達には、“毎日パワー”と言ってきたのだが。

 
 

三國湊『帯のまち流し』を見学して

04 9月

各種団体の参加に感激
  3時半過ぎに勝山を出て三国へ向かった。三国港駅で車を止めて、電車で三国駅まで戻った。車掌に聞いても駅員に聞いても、今日の行事は全く知らなかったようだ。駅前の花屋さんに聞いてようやく概要がわかった。

  再び電車に乗って三国港駅へ行き、車を三国駅の駐車場へ止めた。そして、全踊り隊の出発地点となる『みくに文化未来館』へ向かった。沢山の踊り隊や伴奏隊、歌い手、各チームの先導隊などが集まり熱気が溢れていた。

   この会場で、私が『津軽じょんから節』を教えていただいている明萌会の河間氏と同会の歌い手石橋さんが参加していた。また、河間氏から民謡歌手を紹介された。いつかは自作の歌を歌っていただきたいなあと思った。このブログから、いろんな人達と知り合いになっていくと感じた。

 6時半に前半を受け持つ踊り隊が出発した。港町の狭い通りを、三味線と笛、太鼓に合わせて、沢山の踊り子達が、三国節を踊りながら進んでいく。各種団体や企業チームも参加していた。また、三国以外のチームも参加していた。人数の最も多かったのは、坂井市の職員チームということだった。

  まちの至る所に審査員がいて、真剣に審査をしていた。また、わが勝山市からも、『踊り隊ひらり』のみなさんが参加していた。踊りが本当に好きなんだなあと思った。

  途中で、後半を受け持つチームが踊り続け、交代しながら、三国神社へ向かうとのことだった。総踊りは壮観だろうなと思った。途中、すし屋で夕食をとった。三国神社のほうへ向かったが、車を置けそうな場所がわからないのであきらめて帰宅した。

会場で出会った民謡歌手(左)と河間氏(中央)と石橋氏(右)

おわら風の盆に向かって
  さて、帯のまち流しだが、このようなイベントができる三国の人達の心意気がすばらしいと感じた。いろんな人達の協力が感じられ、うらやましいと思った。しかしながら、どうしても『おわら風の盆』と比較してしまう。

  まだ2年目ということで、改善の余地はあると思った。どちらかといえば、参加型のイベントであると感じた。『おわら風の盆』は見せる(魅せる)踊りだ。いずれはこの方向に進んで行くのではないだろうか。

  九頭竜川の上流と下流の我が町と三国が交流できればと思った。また、えちぜん鉄道で考えても、終点の駅のあるまち同志だ。海の町と山の町がいろんな面で協力できれば、両方の町にとっても大きなメリットがあろうし、えちぜん鉄道にとっても有益なことではなかろうか。

港町の狭い路地を踊り歩く踊り隊の皆さん

   現役だった今春、えちぜん鉄道の営業部長(だったと思う)と、意気投合して話し合ったことが急に思い出された。もう一度話し合いたいものだ。それにしても、三国駅のえち鉄の職員が今日のイベントを全く知らなかったのはさみしい限りだった。

(日記:午前中、数学ホームページ作り。午後は少し休んで、三國湊『帯のまち流し』を見学。最後の三国神社での総踊りも見たかったが、駐車場の関係で断念して帰宅した。)

踊り子の皆さんと三味線を弾きながら街中を進む河間氏ら伴奏隊の皆さん

 

「みくに文化未来館」から出発地点へ移動する『おどり隊ひらり(勝山)』のみなさん

 

歌いながら街中を行く三弦明萌会の河間氏(三味線)と石橋氏(歌)

 
 

新振り付けで銭太鼓練習

03 9月
新振り付けで初練習
 午前中、銭太鼓の振り付け表をパソコンで刷り出した。区長に拡大コピーと自習用のコピーを依頼した。夕方7時半より新しい振り付けで初練習をした。集まったメンバーは50歳代のものばかりだった。

  自習用の振り付け表を見て、個人練習できるように練習した。9月25日の本番の祭りまでには何とかなりそうだ。問題は、村の人達を感動させることができるかだ。

   「一体全体、何をやっているの?」
と思われたらおしまいだ。そうならないためには、きちんと練習するしかない。意外とみんな真剣に練習してくれるので、ありがたい。 

  曲はできているので、今後は詞を作り、レコーディングしてCDにすることだ。それと、女踊りも加えられたらと思っている。まだ踊りの振り付けも決まっていないし、メンバーを決まっていない。できるかどうか不安だ。まだまだすることがいっぱいある。

黒板に貼った振り付け表を見ながら練習する壮年会のメンバー(片瀬集会所)

 

家内が入院
 家内が福井大学病院へ入院した。関節の手術をするためだ。1ヶ月近く入院することになる。この間、単身で頑張らなければならない。

  そこで、洗濯機の使い方、炊飯器の使い方、IHの使い方、その他、食中毒に対する注意など、いろんなことを習った。

 元気になって退院することを祈るばかりである。9月は長い1ヶ月になりそうだ。

 片瀬の祭りにいられないのは残念だ。特に、神社に奉納する新しい芸能を見せることができないのはさみしい。

 
 

和太鼓と数学

02 9月

久々の中学生指導
  2学期が始まった。久々に中学校の選択音楽で和太鼓を指導した。女子ばかりの16人の中にはいろんな性格の生徒がいる。だいたいの生徒は、それなりに熱心に取り組んでくれる。ところが4人ほどの生徒は、能力はありながら真剣に取り組めないでいる。
 
  一生懸命物事に取り組んだことがないのか、他人に認められたことがないのか、それともほめられたことがないのか。個別に指導しないと、なかなか真剣に取り組んでくれない。今日は30分ほどしか練習時間がない。無視するわけにもいかない。

  「和太鼓を上手になるためにやっているんじゃないよ。別に太鼓など叩けなくてもかまわない。みんなで力を合わせて物事に取り組む練習をしているんだ。目の前の物事に一生懸命取り組むことが大切なんだ。今のままではやっている値打ちがないよ。」

  この程度では、彼女たちは簡単には動かない。全体の練習が終わった後で、4人だけ特別指導した。全体でやっているときよりはかなり上手だ。できないのではなく、しないのだ。真剣にしないのが当たり前になっているのだ。

  かなりやりがいの和太鼓指導だ。自分の指導力を問われているとも言える。来週土曜日の文化祭までには、それなりにできるようにしなければならない。舞台でやったとき、見ている生徒から、ある程度認められないと、次の意欲につながらない。何とかしたいものだ。

数学の参考書を見るとわくわくする。どのように解説しているかに興味があり、作者の意図に関心がある。

数学を数楽に
  数学の苦手な子ども達を、少しでも好きになるようにするにはどうしたらよいか。それはやはり数学がわかるようにしなければならない。わからなくても好きな者はいようが、やはりわかるに越したことはない。

  中学校の和太鼓指導の帰りに本屋へ寄った。今日は2冊の本を買った。子ども達の理解しにくい問題にどうして挑ませることができるのか。「わからない」ですませないようにするには、どうしたらよいか。これが私のテーマである。

  山登りにたとえるならば、「とても登れそうにない」と諦めきっている生徒に、「ちゃんと練習すれば登り口は見つかるよ」と、具体的に示せるかが私の課題だ。そのためには、現役の高校生が苦労しそうな問題を研究する方がよいだろうと思って2冊の本を買ったのだ。

  私個人の目標は、問題を解くことではなく問題を通して指導法を考えることだ。高校生達には、問題に対する姿勢や考え方、取り組み方を理解してもらえばいいのだ。最悪の場合、答えが出なくても、諦めずに考える姿勢だけは持ちつづけてほしいのだ。

  “考えることは生きること”だと思っている。このプロジェクトに私自身が関わり、一生懸命考えている。完成できなくても、私自身の目標は達成しているようなものだ。何よりも、取り組んでいる時が楽しい。朝5時過ぎに目覚めたときには、このプロジェクトのことを考えていることが多い。

(日記:午前中、数学のHPづくり。午後は、村の銭太鼓の振り付けを考える。3時過ぎに和太鼓指導のために、北部中学校へ行く。夜も、銭太鼓の振り付けを考える。)

 
 

今役立つ数々の参考書

01 9月

「あっ!太鼓の先生だ!」
 ある時、忘年会で温泉へ行ったことがあった。風呂に入ろうとして廊下を歩いていたら、他校の若い先生とすれ違った。その瞬間、彼の口から出た言葉は次のようなものであった。

「あっ!太鼓の先生だ!」

  確かに、高等学校文化連盟では、長年和太鼓に関わってきた。従って、彼がそう思うのも無理はない。「私が一体何の教科の教員だったのか」、知っている人と全く知らない人に二極化している。子ども達もそうだし、地域の人達やまちの人達も音楽関係の教科を担当していたのだろうと思っているようだ。

 しかし、私自身は、先ずは数学の教員だと思っている。役所の若い職員がある時、中学生の娘の質問を持って私の部屋へやって来た。私は、彼が帰宅して娘にしっかり説明できるように丁寧に教えた。

今年の夏祭り、一番右が私。これでは太鼓好きのおじさんと思われてもしかたがない。

「数学の話になると生き生きしますねえ」
と彼は言ってくれた。数学となると、口数が多くなってしまい、ついつい力が入ってしまう。私は思う。本職があって、趣味や特技があるのだと。

 しかし、数学について、まちの人や近所の人達と話し合う機会は皆無である。そう言えば、現役の数学教員だったある時、こういうことがあった。息子を病院へ連れて行ったときに、耳鼻科の医者が高校数学について質問してきたのである。一次変換の問題であった。

  次の患者が待っているのに、一生懸命数学について説明していたのである。先生は喜んだようだ。しかし、こういうことは滅多にないことである。そこで多くの人達から太鼓の先生といわれたり、音楽の先生かと言われたりするのも無理はない。それはそれでいいのである。

今生きる数々の数学参考書
  私は、本屋へ寄るのが大好きである。家族と買い物に出かけたときには、本屋で待ち合わせることにしている。そして、高校の数学教員時代から最近まで、本屋へ寄れば必ず数学の参考書売り場へも出かけて、どんなものがあるのかを調べて、買い求めたものである。退職しても同じである。

  なるほど上手く書けた参考書だなあと思うものもあれば、“この程度の内容でも出版できるのか”と驚いたりもする。何か自分のためになると思えば、必ず買い求めたものである。そんな参考書ががかなりたまってきた。

   今、自分が最もやりたいと思っている、ネット上での『数学講座』開設に当たって、これらの参考書を読み返しているが、参考になることも多い。これらの材料を自分流に解釈して、少しでも数学の苦手な高校生諸君の役に立てれば幸いである。今は、買っておいてよかったと思っている。

 今日は、午前中、数学講座開設のための作業をした。ホームページ制作の腕は未熟ではあるが、何とか、自分の思うことを表現できたらと思っている。私の願いは、解法を覚えて答えを出すことではなく、与えられた文章なり数式などから自分の力で解法に必要な情報を読み取り、それらを利用して解くための方針を自ら見つけ出すことにある。

 解法を説明し、覚えさせて、答えを出すというやり方は、点数をとることは出来ても、将来の生き方としては、いささかさみしい気がする。常に上司の指示に従って、言われたことだけやる生き方では、時代は切り開けないのではないだろうか。生き甲斐も持てないだろう。

太鼓チームの反省会。若い人達の話が聞けてこちらも楽しくなる。これまでは、ほぼ全曲私が創作してきただけに「新曲を作ってみたい」という彼女たちの申し出を嬉しく思う。

(日記:午前中、数学ホームページづくり。午後、テレビやパソコンのディスプレイを数台持って無料で受け取ってくれるという臨時の店へ出かけた。しかし、条件が合わないということで、全て有料だった。予想通りであった。その後、小屋の整理。廃物を軽トラに積んでゴミ処理センターへ。午後7時より和太鼓チームの反省会。若い娘達と楽しいひとときを過ごすことができた。 )

 
 

銭太鼓振り付けと影絵展

31 8月

銭太鼓の振り付けは難しい
 今日は銭太鼓の練習日だ。午後7時半までには仮称『片瀬豊年囃子』の振り付けを考えなければならない。午前中、パソコンを使い、実際に銭太鼓のバチを振りながら振り付けを考えた。考え得ることは難しい。

 カセットで自作の音楽を流しながら、実際にバチを使って振り付けを考えた。といっても、銭太鼓の振り付けはある程度はパターンが決まっている。それらを組み合わせて、いかに楽しい振り付けを考えられるかだ。創作的なことについては、アイディアが枯渇してきているのではなかろうかと心配になる。

 この頃は、創作的なことでは苦労する。いつもの倍は時間がかかる。それでも、考えることは基本的には楽しいことだ。何とか楽しい振り付けにしたものだと思う。殆ど午前中いっぱいを使ってしまった。頭が疲れた。

藤城清治氏の『光と影の世界展』が開かれた福井市美術館(ポスターは同展のもの)

藤城清治展を見る
   午後は、産業支援センターへ寄ってDVDと本を返却し、新たにDVDと本を借りた。これからも、ここへ通うことになるだろうと思った。もっと早くこの産業支援センターの存在を知っていたらよかったのにと思った。

 その後、福井市美術館で開催されている藤城清治志の『光と影の世界展』を家内と2人で見に出かけた。数年前に、家内と2人で、山梨県の昇仙峡にある藤城氏の美術館へ行ったことがあった。これで2回目である。

  私も、切り絵をやるので、少し親近感を持って氏の作品を見ることができる。それと同時に、手の込んだ作業には感心する。また、85歳を過ぎても盛んな創作意欲には感心する。私も影絵にチャレンジしてみたいと思うが、できそうでできない世界である。

  できることなら、平泉寺物語りを影絵でできたらどんなにすばらしいことかと思う。しかし、時間的には無理であろう。擬似的に、CGで実験的にチャレンジしてみたいと思う。

F氏の詩集の挿絵に使った切り絵。本当は白黒だったがパソコンで着色した。

  私の欠点は、何でもかんでも興味を持ち、自分にできないかと考えてしまうところだ。能力的にも、時間的にも、できないことはいっぱいあるのに、もしかしたらやれるのではと思ってしまうところがこれまでは多すぎた。

  妻のアドバイスではないが、そろそろ的を絞ったらと自分でも思う。好奇心がありすぎるのも考えものだ。そんなことを考えながら、美術館を後にした。

 
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炎天下で稲刈り

30 8月

連日の猛暑
 今日は、「(法)かたせ」の稲刈り作業の動員の日だ。といっても、私の役目は、軽トラックを持って稲刈りの補助をするのだ。午前8時に法人の農舎前に集合し、二台のコンバインにそれぞれ2人ずつがつき、籾を運ぶのだ。

コンバインの籾がいっぱいになると、コンバインから直接軽トラックへ籾を移しかえるのである。普段は太鼓を運んだりする私の軽トラックも今日は農作業に活躍した。

 先ずは、コンバインが稲を刈り取り、同時に脱穀して籾をタンクに入れるのだ。そして、稲藁は細かく刻んで田圃にばらまくのだ。籾がコンバインのタンクにいっぱいになると、ブザーが鳴り、田圃の近くに待機している軽トラックの備えた専用の袋に籾を送り込むのだ。

 私はこの籾をカントリーへ運ぶのが仕事だ。籾を軽トラックの袋にいっぱい積んで、カントリーへ向かうと、入り口で籾のチェックを受けるのだ。あまりにもひどい籾はこの時点で持ち帰りとなるそうだ。他地区の籾も混ざってしまうので、不良品を持ち込ませないようにするということだろう。

上左:カントリー全景 上右:車ごと重量を量る受付 下左:リフトで籾袋をつり上げるカントリーの職員 下右:袋の底から籾を籾投入口へ流し込む。

 次に、トラックごと重量を量る。そして、籾袋をリフトでつり上げて専用の取り入れ口へ落とし込むのだ。この時、正式な検査を受けるための籾を提出することになっている。これが正式の検査だ。

 最後に再びトラックの重さを量るのだ。軽くなった分が籾の重さということになる。これを何度も繰り返すのだが、今日はとても暑かった。それに助手の仕事は、運搬だけではない。コンバインが刈り残した稲を買ったり、ヒエや雑草を刈り取ったりと、炎天下の作業はかなりきつい。

 今日は正に肉体労働だ。しかし、私はいっぱい汗をかいたが、考えようによってはかなりハードな運動にっているのだ。作業終了時には心地よい疲れを感じた。しかし、夕食のビールがうまかったのはいうまでもない。

上:炎天下で作業の始まるのを待つサギたち。下:作業開始と同時にサギたちは一斉にコンバインの後で餌取りを始めた。

炎天下で辛抱して待つサギ
 話は変わるが、午後私は20分ほど早く現場へ行き、車の中でクーラーをつけて待っていた。ところが、コンバインの近くの道に、すでに小型のサギが待っているのである。炎天下でサギたちは、コンバインが動き出すまで動かずにじっと待っているのである。

 そして、コンバインが動き、稲をかり出すと一斉にコンバインの後で餌取りを始めるのである。落ち穂を拾っているのではないようだ。落ち穂なら、至る所に落ちているからコンバインの後ろへ行く必要はない。ところがサギたちはコンバインが稲を刈り取った直後の田圃へ群がるのである。たぶん、虫などの小動物がびっくりして飛び出すのではなかろうか。

 
 

帰って行った孫達

29 8月

 最後の思い出づくり
 先月の26日に、息子の嫁と共に2人の孫達が横浜(息子の勤務先は東京)から帰ってきた。そして、今日の午後9時半過ぎに車で横浜へ帰っていった。息子は、お盆休みもなく仕事で、先週の木曜日に帰省して3泊4日で帰って行った。

 この間、息子は友達と会ったり、嫁の実家へ行ったりして、4日間はあっという間に過ぎてしまった。この間、私も、試験的に作ったホームページ『いなかもんの演歌の広場』をアップしてもらったり、動作しないソフトを直してもらったり、いろいろIT関係の問題解決に力を貸してもらった。 

 昔は、息子や娘達を、旅行やキャンプや海や川へ連れて行ってやったものだ。息子にしたいくつかのことは、孫達にも関越的に影響を及ぼしている。私が息子達にしてやったことを、息子達は孫達にしているのである。 

  息子の希望で田舎暮らしの最後の思い出づくりは、勝原へ泳ぎに行くことになった。息子は、ゴムボートや浮き輪を持ち込み、午後1時頃に勝原へ出発した。たくさんの人達が泳ぎに来ていた。知り合いもいた。息子達は、2人の娘をゴムボートに乗せたり、水遊びの相手をしていた。 

勝原の河原。かなりの人達が、キャンプやバーベキューや水泳を楽しんでいた。

 

 私も、孫達のおかげで泳いだり、孫達とボートに乗ったりできた。大人だけなら、川へ泳ぎに行くことはなかっただろう。子供や孫達のおかげで海へ行ったり、川へ行ったり、いろんな所へ行くことができる。 

 泳いだ後、外食して帰宅した。最後にメールソフトが上手く作動しないので、息子に直してもらった。孫達が家にいる間は、上の孫娘といっしょに寝ていた。孫は寝ている間に、動き回り、時には逆さになっていることもあったし、足で私達を蹴飛ばすこともあった。それでもみんないい思い出になった。 

 「横浜ではパパやママとはいっしょに寝られるので、勝山ではばあちゃん達と寝たい。」
というのが孫に口癖であった。今晩から、また静かな生活に戻ることになる。 

午前中は新たなホームページづくり
 午前中は、事務所で、新しいソフトづくりの案を練った。今度は、ホームページを作るというよりも、『数学講座』をいかに展開するかが問題である。息子ともいろいろ相談した。『演歌のホームページ』を作って
いる時は、殆ど無関心だった息子が、今度の数学のホームページには多少なりとも関心を持っているようであった。

久々に会ったパパとボートを楽しむ孫達。

 

 そのために、私の考えに対してアドバイスもしてくれた。なるほどという面もあった。数学について考えているときは非情に楽しい。いろんなアイディアも浮かんでくる。果たして高校生達の役に立つのかどうかはわからないが、作っている私はとても楽しい。 

 ぜひとも、高校生諸君に見てもらいたいし、意見や提案を寄せてほしいと思う。今後、半日はこのホームページづくりに時間を費やしたい。今年いっぱいで、成果が上がったかどうかがわかるだろうと思う。結果はどうであれ、自分の生き甲斐として数学に関わりたい。 

(日記:午前中、数学のームページづくり。午後、息子の家族と勝原水泳場へ。外食して帰宅。午後、午後9時半、息子達は車で横浜へ帰る。) 

 
 
 
  

孫とボートを楽しむ私。久々に童心にかえることができた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

午後9時半、別れを惜しみながら孫達は横浜へ帰って行った。

 
 

一つの区切り

28 8月

『いなかもんの演歌の広場』ようやくアップ
 今回のホームページについてはだいたい自分でできることはやった。後は、アップだけだ。金曜日に息子が東京から帰って来たので、これ幸いとアップ作業をしてもらった。サーバーをどこにするのか、画像や音声データがあるので、かなり大きなホームページだ。

 事務所の回線は貧弱だ。しかし、全てのデータを事務所のパソコンに置いてあるので遅くてもやむを得ない。演歌のファイルも音質をある程度犠牲にしても仕方がないと容量を小さくした。それでも、アップ作業に時間がかかった。私は見ているだけだったが、いろいろ勉強もできたと思っている。技術もまだまだだ。

   とにかく、ホームページづくりは慣れるしかないと思った。もっと、若いときにやっておけばよかったと悔やまれるが仕方がない。歌を作りながら、全国の仲間と交流できたらと思っている。一緒に歌作りができたらと思っている。

http://song.inakamon.net

ネット上にアップした『演歌の広場』の表紙絵

 上記のアドレスを見ていただければ幸いです。  

念願の数学講座の制作開始 
 一番やりたかった数学講座をやるために、息子に ネット上に場所を作ってもらった。

 完全に作り上げてアップするのではなく、最低でも一週間に一、二度新しい講座を増やしていけばよいのだ。対象は高校生だ。果たしてこのページを訪れてくれるかどうかだが、それは全て私の力量にかかっている。誰も訪れてこなければ、それが私の実力だ。

 何とか、魅力ある講座にしたいと思っている。この講座のために、わざわざホームページ制作の講座まで受けてきたのだ。そして、『演歌の広場』で練習もしてみた。まだまだ、十分ではないが、最低限のことができる技術は身についたかなあと思っている。

  これからが、本命だ。勉強もしなければならないだろう。苦労は多いが、やりがいはあると思っている。

制作を開始した『いなかもんの数学講座~数学は読解だ~』の表紙絵

(日記:午前中は、息子にアップ作業を見ながらいろいろ教えてもらった。しかし残念ながら彼は明日東京へ帰ってしまう。
 午後、数学講座のホームページづくりの準備をする。
 午後7時半より、片瀬地区に伝わる銭太鼓を活かした新しい郷土芸能づくりの練習をする。)

片瀬地区の青年会・中年会・壮年会の有志による新しい郷土芸能づくりとその練習

 
 

「最近はまっていることは何ですか?」

27 8月

楽しい飲み会にするために
 午後7時から大野市のとある料理屋で『奥越春秋会』が開催された。この会は、奥越の出身者で、県内の高校の校長を務めて退職した者の親睦会で年一度開催されている。60歳過ぎから80歳過ぎまでの者が集まった。

 乾杯の後は、幹事が中心になって酒を注いで回り、その後、お互いが相手のお膳の前に座り、酒を注ぎながら雑談するのである。そして、時間を費やすのである。これだけではもったいないといつも思う。今日もこのままで終わってはさみしいと思った。

 そこで、例によって、私は次のように幹事に提案した。少しでも楽しい会にしてお互いが刺激し合うためにだ。

『奥越春秋会』で乾杯の発声をするH元大野校校長。今日の参加者の大部分は、私も含めて大野高校での勤務経験があり、かつてこのH校長の下で教員をしていたのだ。

「最近はまっているものは何ですか?」
  こんな質問をみんなにしたらどうかと提案したのだ。早速質問がきた。「はまっているとはどういうことか」と。「興味を持って取り組んでいること」、「夢中になって取り組んでいること」、「止められないくらい楽しいこと」と答えておいた。

  幹事が指名して、順番にみんなが自分の“はまっていること”を述べた。途中で質問が入ったりもした。一周するのにかなりの時間がかかった。しかし、退職者がそれぞれ何に興味を持ち、どんな生活をしているのかがよくわかった。

    実は、私は「ある程度自分の意見を述べることができる飲み会」などでは、このような提案を何度もしている。その結果、飲み会はいつも盛り上がるのだ。今日ももっと早くこのような提案をすべきだった。このような話の後、おたがいが酒を酌み交わせばもっと盛り上がるのだ。

 ある時の、公民館会長会の飲み会では、「こんな楽しい飲み会は生まれて初めてだ。」といわれたことがある。10数人の会で、一周するのに、2時間ほどかかったのだ。それは、発言に対して、仲間から次々と質問が出たからだ。今も思い出に残る飲み会であった。
 
 今日は帰りがけに、提案したので、その後、あまり時間がなかった。しかし、先輩や後輩達から、いろんな話を聞くことができた。それぞれに自分を生かすものを見つけて生活を楽しんでいるのだ。自分から言いたくても言えないことが、指名されることによって気楽に発言できるメリットもあるのだ。

 私は、ネット上で「高校数学講座」を開きたくて、ホームページの作り方を勉強している。そのために、産業支援センターへ通っていると話した。また、一日一回は思いっきり汗をかきたいと現役時代は思っていたが、今はそれができる。おかげで、毎日たっぷり汗をかくことができて、退職時よりも4kg痩せることができたとも話した。

(日記:午前中、試作のホームページの最終チェック。午後は、地元の新しい郷土芸能の振り付け研究。夕方6時より、大野市での『奥越春秋会』に参加。)