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Archive for the ‘未分類’ Category

コミュニケーション

24 11月

ボランティアとは
  様々なイベントやいろんな時期に、ボランティアと称して施設を訪れる人は少なくない。それはそれでとても素晴らしいことだと思うが、入所者の気持ちを考えたことはあるだろうか。

 例えば、何が芸事ができるグループがあったとする。舞台なり、広間で芸を披露して帰ってくるのは、相手のためと言うよりも自分のためであり、自己満足の世界ではなかろうか。

  私も長い間、某施設に関わったことがある。入所者の皆さんが望んでいることの一つにコミュニケーションがあったと思っている。ボランティアをする者が、一方的に清掃をしたり、歌を歌ったり、芸事を披露したりすることは大切なことだが、それと同時にコミュニケーションを図ることを忘れてはいけないと思う。

  ゆっくり相手の話を聞かせていただくことが、とても大切であるということを実感した。そうした中で人間関係ができあがると、向こうからこちらに向かって要望なども出てくる。数学を教えてほしいという入所者の要求に応えて、ベッドサイドで高校数学の講義をしたこともある。

  一方的に何かを披露したり、与えたりするという立場ではなく、相手からも想いや話を聞かせていただくなりして、双方向の活動がなされなければ、一方は惨めになるだけではないのかと思ってしまう。

  コミュニケーションとは、一方的に話すことではなく、双方が想いを相手に伝え合うこと、言い換えれば双方向の活動でなければならないと思う。

  私も、施設慰問のボランティア活動をしたいと思うが、自分よがりにならないように気をつけなければならないと思っている。一緒に歌を歌ったり、話を聞かせていただくなどして対等の立場で活動ができないかと思っている。

  もしも、自分が将来施設などに入ったときのことを思うと、何を望むだろうか。私は、きっと話し相手がほしいと思うだろう。双方向の話ができる相手がいたらと思うだろう。私も肝に銘じて慰問活動ができたらと思う。

個人レッスンの前に事務所で『津軽じょんから節』の個人練習。(妻が写す。)

(日記:午前中は、米の低温収蔵庫に米を入れた。一年中美味しい米を食べたいことと、虫がわいたりしないように、ネズミにかじられないようにと思って購入したものだ。その後、事務所でホームページ作り。昼近くに歯医者へ行った。午後も、数学のホームページ作り。午後4時頃から、『津軽じょんから節』の個人レッスンを受けた。わずかに進歩しているとは思うが、なかなか難しい。希望は、家内と一緒に民謡をやってみたいと思っている。)

 
 

野菜高騰とは無縁

23 11月

種さえ蒔いておけば
  秋口に、先ず大根の種を蒔き、続いてカブ、野沢菜、春菊、そして2回目の大根、3回目の大根の種を蒔いておいた。大根とカブはマルチの穴に5粒ずつ種を蒔いておいた。

  しばらくすると芽が出始めた。5本の大根のが成長するにつれて、すぐり菜にしておひたしや味噌煮にして食べてきた。チョウがやってきて卵を産んだのか、大根には青虫がつき始めた。しかし、農薬はやらなかった。

  最初の大根の葉はかなり青虫にやられて穴だらけになったが、時々虫を手で取るだけにしてきた。そのうちに、大根がどんどん大きくなり、虫の被害は気にならなくなってきた。

  そして、野沢菜が大きくなり、カブも大きくなり始めた。畑は今も緑でいっぱいだ。大根の葉はかなり大きくなっても食べることにしている。テレビ見ていたら、どこかの地区の「菜めし」が紹介されていた。

遅く植えたが芽を出してくれたニンニク。来年の収穫が楽しみだ。

  家内に話して、今では週に何回かは「菜めし」を作ってもらっている。材料とする大根の菜だ。菜めしと言っても、我が家の場合「菜の葉入りのチャーハン」と言った方が正確かもしれない。

  畑のグリーンは二人では食べきれないほどだ。野菜の高騰もあまり気にならない。今日も畑を見ていたらニンニクの芽がかなり出ていた。これから先どう育てたら来春に立派なニンニクがとれるのだろうか。

  家庭菜園といえども、こちらからアクションを起こしておけば、それぞれがそれなりに応えてくれるものだ。これは家庭菜園だけではなく、日常生活に於いても、同じだ。

 何もアクションを起こさなければ、何も起こらない。何も期待できない。やはり楽しみを得るために、分相応のアクションを起こしたいと考えている。これからも “DREAM & ACTION”で頑張りたい。

とりあえず事務所(山児童館)に設置したイルミネーション。クリスマスの頃にはもう少し増やしたい。

(日記:午前9時、新穀感謝祭に納める玄米1升を持って神社へ行き、参拝。その後、事務所で数学のホームページ作り。午後も4時頃まで事務所で作業を継続。午後4時頃、事務所の窓にイルミネーションを設置。タイマーを使って午後6時から午後10時まで点灯するように設置した。午後7時過ぎから次の日曜日に開かれる収穫祭のために『片瀬豊年ばやし』の練習に参加。)

 
 

月曜日は“音楽デー”

22 11月

午後は女子中学生に“和太鼓授業”
  毎週、午後の5限目は北部中学校で選択音楽で『和太鼓の授業』を行っている。月曜の午後からの指導なので午前中はのんびりとできる。16名の女子中学生は、いずれも私にとっては孫のように可愛い存在だ。でも、少しおしゃべりだ。

  いつも授業の初めに短い話をする。あるときは、『あかおやま』について話した。「和太鼓以上に大切なことは、“あかおやま”です。」と言って説明した。

  あ:あいさつ
  か:感謝
  お:思いやり
  や:約束(を守る)
  ま:マナー

  今日は、事に当たっては集中してほしいということを伝えたかった。

 「自分がやろうと思わなければ何事もできない。だらだらとしていては何も身につかない。和太鼓を通して集中することを学んでほしい。和太鼓は将来何の役にも立たないかもしれないが、和太鼓を通して学んだ、“集中する力”はどんな場面でも役に立つ。」    

  後期は10月から始まりようやく一曲できるようになった。と言っても和太鼓はリズムを正しくたたければよいというものではない。和太鼓をたたく姿勢が大切だ。正しいフォームを身につけなければ見ている者に感動を与えることはできない。

今の太鼓ができるようになったら『左義長太鼓』にも取り組んでみたい。

  少しずつではあるが、彼女達は上達しているようである。これからも、楽しい和太鼓教室を続けていきたい。そして集中力を身につけて中学校を卒業してほしい。

  それにしても、この学校の中学生達はみんなよく挨拶をする。廊下であった生徒達は男子も女子もよく挨拶してくれる。私の方も学校へ通う元気が出てくる。

夜はおばさん達と“オカリナ教室”
  毎週、月曜日の夜はオカリナ教室だ。C 管はラシ ドレミファソラシ ドレミファの音が出る。また半音高い音や低い音があるので運指法は簡単なようで難しい。特に、低音や高音はきれいな音を出すことが難しい。

  それと、楽しくなるかどうかは編曲次第だ。市販の楽譜も使うが、編曲のよいものは少ない。みんなで同じ音を吹いていてもあまり楽しくない。単純な和音を吹いているだけでも楽しくない。かといって、難しい編曲の譜面は運指が難しく、きれいな音が出ないので、必ずしも適当ではない。

  結局のところ、市販の譜面をメンバーの技量に合わせて編曲し直すしかない。これは簡単そうで難しい。時間もかかる。また、同じ曲でも編曲次第では、吹いている者が楽しくなる。

  あまり難しくなく、吹き甲斐のある楽譜を探すことは困難だ。市販の楽譜と自分の編曲で乗り越えるしかない。せっかく始まったオカリナ教室だから、今は楽しくて吹き甲斐のある曲を準備することに気をつけている。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行き、歯を抜く。悲しくなる。午後は北部中学校の選択音楽で『和太鼓指導』。その後も、数学のホームページ作り。そして、オカリナの楽譜を準備する、午後7時より『オカリナ教室』。自由時間の多い生活の中でこの二つの教室はアクセントになっている。)

 
 

ニンニク物語

21 11月

時期遅れかもしれないが
  私はかねてからニンニクに興味を持っている。しかし、家庭菜園でも、タマネギは作ったことがあるが、ニンニクだけは作ったことがない。いかにも健康によさそうな作物だ。

  退職したのを機会にニンニクにチャレンジしてみようと思ったが、種を買う機会を逃してしまった。そこで、失敗覚悟でスーパーに売っているニンニクを植えてみることにした。

  念のためにインターネットで栽培法などを見てみると、多くは10月までに植え終わっているようだ。ところで、スーパーで売っている食用のニンニクは種として使えるかどうかだが、いろんな意見が載っていた。

  発芽抑制処理をしてあるという記事が多かった。しかし、スーパーで買ったニンニクをよく見ると小さな芽が出ているものがある。芽が出ているものがあるのだから、畑に植えても芽が出るだろう。

  そう信じて植えてみることにした。青森屋北海道で10月中には植え終わるなら,勝山では121月中でも何とかなるだろう。そう思って時期遅れを覚悟して一畝植えてみることにした。

  それと同時に、自宅でニンニクをばらして、一粒、少し水を入れた皿の中に置いて発芽実験をしてみた。するとどうだ。一週間ほどでたくさんの根が出てきた。そして,さらにしばらくすると青々とした芽が出てきた。

  これなら根が出るはずだと,今日、一畝ニンニクを植えた。先日植えたニンニクは小さな芽を出し始めている。来年の春にはニンニクを収穫することができるだろうか。楽しみである。

同じテレビ番組を見ていたのに
  昭和61年のこと(1986年)のある日曜日(だったと思う)。私は、ぼんやりテレビを見ていた。兼高かおるさんの『世界の旅』であった。カリフォルニア州ギルロイ市のニンニク祭り(『ガーリックフェスティバル』)のようすを放映していた。

  ところが、青森県田子町の人たちもこの番組を見ていたのだ。そして、なんとテレビ番組を見ていた町有志3人がカリフォルニア州ギルロイ市を訪問し、友好の約束を得て帰国。

  翌年、ギルロイ市長とガーリッククィーンを招待。そして、田子町の渡部町長(当時)が渡米し、“姉妹都市”関係を締結。ギルロイ市から、田子町が求めていたものをそこで発見し、同市との交流を強く希望したのである。

  田子町は、その後日本一のニンニクの産地として、現在に至っている。なお、カリフォルニア州のギルロイ市は全米ナンバーワンのニンニク都市である。

  ニンニクの可能性は、人間が健康食として利用するだけではなく、牛のえさに混ぜたり、入浴剤にするなど、その可能性は無限であるように思われる。

  この日から、私の中には、ニンニクは生き続けている。このほか、ショウガ、朝鮮人参にも興味を持っている。私は、農業者ではないが、いつの日にか、この町でこれらを作る人が増えることを期待したい。

(日記:朝から昼食をはさんで午後2時まで雪囲い作業。午後、2時過ぎから午後6時まで数学のホームページ作り。作業の途中で、ニンニクを植える。うまく育つことを願う。)

 
 

終日雪囲い作業

20 11月

ラジオを聞きながら終日作業
  勤めていた時代には雪囲い作業が本当にいやだった。貴重な土曜日、日曜日を使わなければならないからだ。しかも、土曜日、日曜日が晴れになるとも限らない。小雨の中で、カッパを着ての作業は惨めなものだ。

  しかし、今は違う。晴れに日を待ってすればいいのだ。雨の日は雨の日ですることがある。晴れを待って作業をすればいいのだ。小春日和の中でラジオを聞きながら作業をすればいいのだ。うっすらと汗ばむくらいで気持ちがよい。

  特に、私のように、ほとんど毎日、パソコンのディスプレイを眺めながら作業をしている者には、自然の中での作業は最高だ。目を休めるのには、外での作業が最も適しておいる。

  ところで、この雪だが、奥越前に住む者に避けられないもののひとつだ。この雪の負の面ばかりを見て暮らしているのも情けない。確かに、度を超して雪が降ると,いろんな面で私たちの生活を脅かすことになる。

  しかし、適度に降った雪は、私たちの生活を潤してくれる。特に、農家にとっては、雪解け水が農作業には不可欠だ。ちょうど、白山の雪解け水が、九頭竜川、手取川、長良川、庄川などによって福井、石川、岐阜、富山の各県の米作りや住民の生活に役立っているように。

北谷町谷のお面さん祭りの日。お面をつけ、ござ帽子(わらづくり)をかぶった雪だるまが並んでいた谷の神社。

  「沖縄に雪を降らせようとしても無理だ。私たちは、雪のデメリットばかり考えないで、雪のメリットをもっと考えるべきだと思う。」と、いろんな機会で述べてきたものだ。具体的に動いた地区もある。雪を生かしたまち作りをもっと真剣に考えるべきだろう。

  そして、何よりも、春の有り難みを感じることができるのは,雪国の人間ではなかろうか。雪の下から、新しい生命が顔を出すのを持ていると、今年もやるぞという元気がわいてくるものだ。

(日記:終日、朝から、午後5時半頃まで雪囲い作業。夜は、久々に『龍馬伝』のビデオを見た。今日は7月11日と18日の2週分を見た。龍馬が龍馬らしくなる11日放映分、イギリスやフランスなど異国が虎視眈々と日本を狙う中で国内は幕府、薩摩、長州など各藩が争っている18日放映分。まだまだ『龍馬伝』を楽しめる。何となく、今の世相とよく似ているような気がする。与党だ、野党だと言っている場合ではないように思う。龍馬の台詞「日本を洗濯する」も出てきて楽しかった。ビデオの後、『津軽じょんから節』の三味線練習。)

 
 

大雪の思いで

19 11月

38豪雪の思い出
  毎年のことながら、雪囲いのシーズンが始まった。今日は朝からとてもよい天気だ。3時頃までは、作業をすると決めた。我が家の後ろ側は,道路より低いために、雪下ろしの雪が溜まってしまう。

  2回の雪下ろしmでならどうにかこうにか、屋根から下ろすことができるが、3度目となると、捨てた雪の方が一階の屋根より高くなって、作業は非常に困難になる。雪の中から、屋根を掘り出さなければならないからだ。

  『38(昭和38年)の豪雪』は、大学2年生の時だった。寮生活をしていたが、連日、寮に電話がかかり、雪下ろしのアルバイトがあった。雪が続くにつれて,アルバイト料は跳ね上がり、大いに稼がせてもらったものだ。

  寮への行き帰りの道路は、屋根より高く、道路から屋根の上へ滑り落ちるというような状況であった。電線や街灯なども、道路より下にあった。こうした状況の中で、いろんな所へ雪下ろしのアルバイトに出かけた。

  国鉄の線路からの引き込み線除雪は、下から上へ雪を放り上げなければならず、重労働であった。本線の方は、自衛隊の皆さんが、引き込み線は、私たちアルバイトが受け持ったが、向こうの雪がこちらへ飛んでくることもあった。

  雪を見たこともあまりない沖縄出身の連中なども、屋根に上がって雪下ろしをした。当時は今と違って、スノッパーなどはなくー、「ばんば(木で作った除雪のためのしゃもじ状の道具)」一本で雪を下ろすのだ。

  屋根に積もった雪を豆腐状に切り取り、滑り落ちる勢いを利用しながら下へ放り投げるのだ。特に、屋根の中心部になると、よほどうまくばんばを扱えないと、雪が屋根の途中に引っかかってしまうのだ。

 雪下ろしの経験のある私は、楽々雪を下ろすことができたが、南国出身の者は、ばんばの扱いに手を焼いていた。それでもアルバイト先はいくらでもあった。おかげで、当時は珍しい高価なテープレコーダーを買うことができた。

冬に備えて雪囲い作業。豪雪になるとこの屋根よりも雪の方が高くなる。暖冬であることを願いながらの雪囲い作業。

  その後、56豪雪にも見舞われたが、被害は38豪雪よりも少なかったように思う。それでも、家の大屋根、小屋根(一階の屋根)、小屋の屋根、事務所の屋根の順に連日、雪下ろしをした。

  しかし、一周した頃には、また同じ順番に雪下ろしをしなければならず、本当に疲れた。車はストップしたために、家内がリュックで買い出しに行き、私は屋根の雪下ろしという日が長い間続いた。そして平成になってからも、大雪があった。

  今年はどうなるのだろうか。暖冬になってほしいと思う。最も望ましいのは、山に雪があって、平地には雪が少ないことだ。スキーなどウインタースポーツができて、雪下ろし作業が少ないことを願う。

(日記:朝から、午後3時過ぎまで雪囲い作業。晴れているのでとても気持ちがよかった。着替えて、3時半から事務所で数学のホームページ作り。高校の数学の問題を解きながらの作業である。頭の体操にはぴったりだと思っている。午後7時半より集会所で行われている『片瀬豊年ばやし』の練習に参加。)

 
 

悲しい国会論戦

18 11月

レベルを上げた論戦を期待したい
  私は、ここ2ヶ月ほど、事務所で数学ホームページ作りを行っている。ほとんどの場合、ラジオかテレビ(ラジオで音声のみ)を聞きながらの作業である。ラジオの場合は、ほとんどがNHKである、

  そのために、国会論戦を聞くことが多い。しかし、今の世の中のことを考えた場合には、もう少し、内容のある論戦を期待したいと思うが、ほとんどは揚げ足取りに終始しているように思われる。

 それにしても、柳田法務大臣の地元での大臣就任祝賀会での発言は情けない、怒りを通り越してしまって悲しくなる。それは「二つの言葉を覚えれば法相はつとまる」と発言したからである。

 「個別の事案についてはお答えを控えさせていただきます。」
 「法と証拠に基づいて適切にやっております。」

 の二つだ。どのような場所であれ、この大臣がこのような発言を行うのは許されない。そういえば、ラジオやテレビでもこれまでこの言葉をかなり耳にしていた。

  今日はこの問題がかなり時間をとっていた。責める野党。総理や官房長官は防戦一方である。質問と答弁がかみ合わず、罵声が飛び交い、たびたび論戦は中断した。

  官僚主導から、政治主導と言うが、ろくに質問に答えられないにわか大臣ではいかにも心許ない。もっともっと、私たち自身が政治に関心を持ち、世の中がどうなっているのかを知る努力をしなければならないと思った。

  TPPも問題にも、国民として関心を持つ必要があると思う。近視眼的ではなく、国家的な視点で、物事を見なければならないし、しわ寄せがくる産業には、何らかの手を打たなければならないであろう。それこそ政治の出番であるのだ。

遅羽の婦人会の皆さんのために作った『三室ほがらか音頭』のCD

(日記:午前中は,数学のホームページ作り。昼近くに、歯医者へ行った。歯医者へいく時間がもったいないが仕方がない。歯は健康に直結する大切なものだ。午後、4時近くまでホームページづくり。帰宅して、遅羽の婦人会の皆さんのために盆踊りのCDを作る。「三室ほがらか音頭」他7曲入りのCDを作った。遅羽地区の皆さんは,盆踊りというとさっと来てくださる。とても感謝している。)

 
 

冬近し

17 11月

雪囲い作業開始
  今日から本格的に雪囲いを始めることにした。学校や役所へ勤めていた時代には、作業は土日の行事のないときしかできなかった。天候が悪くても作業をしないわけにはいかなかった。雨の中や雪の中で作業をしたときもあった。

昔ながらの竹組の雪囲い作業。そのうちに少しずつ、ボルト締めの雪囲いに替えていきたい。

  退職してからは、暇ではないが、自分で時間を作ることができる。晴れた日に作業をすればいいのだ。今日初めて本格的に作業を始めた。朝、「今日は午前中だけ作業をする」ことに決めた。玄関回りの雪囲いの骨組みから始めた。

  親父のいた時代には枝振りのいい樹木があったが、そのほとんどは枯れたりして今はそれらしい木は一本しかない。後は、雑木ばかりだ。それでも簡単な雪囲いはすることにしている。

午後は数学のホームページ作り
  雪囲い作業の間は、ホームページ作りは午後にすることに決めた。しかし、今のペースでは作業はいつ終わるかわからないぐらいだ。

  そこで、とにかく年末までに一部を完成させて公開したいと思っている。それにしても、数学は記号入力が困難である。

 そこで、すべてを画像処理しているが、とても時間がかかる。果たして、高校生に支持されるかどうかが問題だ。12月に入ったら、モニターの高校生を募り、意見を述べてもらいたいと思っている。

  この歳になっても、数学に関わっていられることはとてもうれしい。長年、携わってきた数学にこれからも関わっていたいと思っている。作業中、ずっと画面を見ているととても目が疲れる。

事務所への行き帰り、銀杏の黄色が目に染みる。

  それで、時々、外へ出て家庭菜園で野沢菜を選ったり、大根や蕪をとったりしている。事務所の前は、落ち葉がいっぱいだ。落ち葉を拾って腐葉土とし、家庭菜園で使いたいと思っている。

  事務所の行き帰り、まるで黄色い雪が降ったように銀杏の葉が落ちている。空の青、白い雲、そして銀杏の黄色、遠くの山々の紅葉……、冬の前の自然の彩りに心が洗われる。

 
 

越前大仏門前町の活性化

16 11月

越前大仏もんぜん市活性化委員会に参加
 午後4時より越前大仏の門前市活性化委員会に参加した。以前には私も門前町の活性化委員会に参加して様々な活動をしてきた。しかし、最近は活動を他の部分にシフトして門前町の活動に対しては以前ほど積極的ではなかった。

  それは、私のスタンスは、市による活性化というよりは、食や工芸品などの市と、郷土芸能の発表や子供達を喜ばせるイベントのバランスをとって、門前町に人が集まりたくなる仕掛けを作ることであったからだ。

今年の夏祭りで和太鼓を演奏する春駒太鼓のメンバー(白法被は私)

  例えば、今年の夏祭りでは、門前町の賑わいのために、再編成した春駒太鼓の演奏を行った。他の太鼓グループの参加して門前町の賑わいに少しは貢献したと思っている。

 また、これまで数年間、門前町を舞台に盆踊りの復活を目指したものである。もちろん野菜市の創設にも頑張った時期がある。また子供達のために、駄菓子屋やゲームコーナーを開設したこともある。

  こうした活動は市を開催する人たちとは異なり、最低限の経費が必要となる。参加者には、せめて薄謝程度は

2006年の夏祭り。盆踊りもかなりの賑わいを見せていた。

差しあげたいものである。こうした両者のバランスが必要であると今も考えている。

  最終的には、行政などの援助を受けなくても、こうした活動が両立できる仕組みを作らない限り、せいぜい年に数回のイベントの時しか賑わいを創出できない門前町、すなわち越前大仏になっていくのではなかろうか。

家の台所の出窓に取り付けた自作の雪囲い枠。これで屋根から下ろした雪を防ぐつもりだ。

(日記:午前中は数学のホームページ作り。午後、自作の雪囲い枠の設置。午後4時より越前大仏門前市活性化委員会に出席。その後、地場産業振興センターへ寄る。横浜から勝山に移り住み、まちづくりに頑張るSさんに会う。午後7時より、集会所で新作民謡『片瀬豊年ばやし』の練習に参加。)

 
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あっという間に一日終わる

15 11月

時間の経つのははやい
  昨日、息子が福井での仕事のために横浜から帰ってきた。しかし、朝、アオッサのイベント(産業支援センターがらみの仕事)で出て行ってしまった。ゆっくり話す間もなかった。そして、出張の後、そのまま帰ってしまった。

  午前中、窓の雪囲いのための枠の仕上げをした。作業中に、電気屋さんがやってきた。風呂場につける暖房器具の配線のためだ。今日から、風呂場の中で寒くなることはないと思うと、うれしい。ゆったりと風呂に入ると、疲れがとれる。

試運転してみた「電気式バス換気乾燥機(風呂場は結構暖かかった。)」

  その後、北部中学校へ出かけた。いつもは午後の選択音楽が、今日は校時変更で4限目に変更になったからだ。後期になって、新しいメンバーで再開した和太鼓だが、生徒達はリズムはかなり打てるようになった。後は、フォームだが、まだ羞恥心が捨てきれないでいるようだ。

  新年度が始まった頃は何となく気分が重かったが、今は楽しく指導ができる。ただ、3年生なので、子供達は進路のことが気になっているようだ。何とか、励ましたいものだ。受験までは、まだ4ヶ月もあるんだから、最後まで計画的に学習してほしい。

  午後は、夜のオカリナ教室の練習用CD作りを行った。ああでもない、こうでもないと編曲しているうちに、午後の時間が過ぎてしまった。午後7時頃、事務所(児童館)へ出かけた。

  今日の練習会では、全部で7曲練習した。一人でやっているよりも、複数の者で練習すると、とても楽しい。今後は、編曲をいろいろ変えて、より楽しい『オカリナ教室』にしたいものだ。数学のホームページ作りは全くできなかった。明日こそ、朝からホームページ作りを頑張りたい。時間の経つのは本当にはやい。