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Archive for the ‘未分類’ Category

久々に感動!ギターの響き

04 3月

10年前に買った機器
  今から10数年前、私たちは娘達とよく金沢まで遊びに出かけたものだ。その頃は、携帯も持っていなかったが、香林坊のとあるビルを待ち合わせ場所にしてそれぞれが自由にまちの中を歩き回ったものだ。

  私の落ち着く場所は決まっていた。本屋か楽器店だ。楽器店では買う買わないは別にしてあれこれ見て歩き、時には楽器にふれてみるだけで満足したものだ。

  そして、そんなに高価ではない機器などを買って帰ったものだ。そんな機器の一つにハワイアンギターの音色や響き、エコーをコントロールする機器がある。

  ハワイアンギターを使うときには、この機器がなければとてもじゃないが弾く気にもなれないというほど気に入ったものがあった。今でも、事務所では常時ハワイアンギターに接続してある。

  この機器が気に入ったので、別の機会にギター用のマイクとギター用に同種の機器を買っておいた。しかし、.こちらの方はこれまで一度も使ったことがなかった。

  今日の午後、例によって事務所の整理をしていたところ、この機器が出てきた。これまでは買ったままで一度も使ったことがなかったが、今日初めて使ってみた。

  私は、エレキギターも、マイクの付いたアコースティックギターも持っている。しかし、今日は、普通のフォークギターのサウンドホールにこのマイクをつけてアンプにつないで弾いてみた。

  エレキギターとは異なるきれいな音が出た。アコースティックギターの響きがアンプから心地よく流れ出た。感動した。

  ギターってこんなにいい音がしたのかなと驚くほどよく響いてくれた。思わず、時間を忘れて昔の曲を弾いてみた。これからは、これらの機器がなければギターは弾けないだろう。

  ギターは安価なものだが、響きは自分にとっては最高だ。これならいろんな曲ができそうだ。事務所へ行ったら、毎回ギターにふれてより良いメロディーを作りたいものだ。

機器の準備
  夕方、息子の友人のY君が家へ来てくれた。音楽関係のソフトをインストールしてくれた。自分でもやろうとしたが、あれこれ設定が多く、断念していたものだ。

  これで、ハードを動かすソフトのインストールも終わった。後は、自分の能力だけだ。こればかりはマニュアルにもない。頭からわき出るメロディーを書き留めるだけだ。

  安易にメロデーをつくると、かつて聴いたことのあるメロディーが所々顔を出してしまう。以前に書いたように、7音+半音5音の12種類の音を使っているので確率的にもよく似たメロディーが出てしまう。

  無理にでも、自分オリジナルのものに変えなければならない。そのために、メロディーにぎこちなさが出る場合もある。ある点では、ジグソーパズルをやっているようなものだ。

  ようやく準備万端整った。後は、こちらがソフトを使いこなす勉強をするだけだ。これは単純ではないが、楽しみでもある。

(日記:午前中、『数学のホームページ』作り。午後は、事務所の清掃。アコースティックギターのマイクと音色を調整する機器が出てきた。早速アンプにつなぐと素晴らしい音が響いた。しばし、ギターを楽しんだ。毎日、自宅でギターに触れているが、こんなにギターがきれいに響いたのは久々だ。夕方、息子の友人のY君が音楽関係のソフトのインストールに来てくれた。自分でも試みたがうまくインストールできなかったものだ。今日も、Y君に感謝、感謝。)

 
 

いつかどこかで役立つのでは……

03 3月

断捨離は苦行
  テレビなどで、 「モノ」のないがらんとした部屋を見ると、思わず「いいなあ」と思ってしまう。今日は、モノの整理をすると決めて、家内と二人で居間から掃除と片付けを始めた。

  毎回、整理をしたり掃除をする度に少しは捨てるモノが出てほっとするが、それでも、全量を減らすほどにはならない。モノを捨てることによってすかっとしたいのだが、簡単ではない。

今から46年前、大学の寮で描いた似顔絵。これよりも早い時期に描いた絵を本人に送ったら返事が来た。整理をしていると、こんなモノまで出てくる。

  モノを見ると「いつかどこかで役立つのでは……」と思ってしまう。そうすると、簡単には捨てられない。自分の将来のことを考えると、そうそうあれこれできる時間はない。

  だから、関係のなさそうなモノは捨てればいいのだが、これが簡単ではない。今のままでは、そんなに捨てられないだろう。根本的に考え直さなければならない。

  資料的なモノは、デジタル化して元になっているモノを捨てる、本は図書館にありそうなモノは捨てる……、今はそう考えている。しかし、ほかのモノは簡単ではない。

 特に、音楽関係のモノは簡単には捨てられない。中でも、楽譜はいつかどこかで何かの役に立つのではと思ってしまう。図書館でも簡単に閲覧できないからだ。

  こんなことを考えていたら、「断捨離」は夢のまた夢になってしまう。目には、見えないがパソコンの中にも膨大なデータがある。これも整理して、順次捨てていかなければならない。

 整理をしていると思わぬモノが出てくる。それらに目をやっていると、ついつい整理のペースが落ちてくる。心を鬼にしてこれからも捨てることにチャレンジしたい。

(日記:午前中、そして午後も4時過ぎまで部屋の整理整頓。その後、6時まで「メロディー作り」を行った。今日は最初から演歌に的を絞って作業を行った。曲先での作業だ。詞は後から考えればよいと思っている夜は、NHK大河ドラマ『江』の3回目を見る。)

 
 

情報化社会の功罪

02 3月

自宅で切符を予約
  九州(熊本)で家内の甥が結婚することになり、我々夫婦に招待状が送られて来た。今回は、飛行機で行くことにした。小松-福岡を往復し、熊本で2泊するつもりでいる。

  そこで、インターネットを使ってANA(全日空)の「飛行機+宿泊」プランを予約することにした。日程や人数を入力すると、熊本のホテルが色々画面に示された。

  これらを選択し、カードで支払うことにした。わずかな時間で予約ができた。4月下旬の結婚式のために今朝申し込んだので、「特別割引」で予約できた。

  昨年の春の大阪南港から鹿児島までのフェリー「サンフラワー」の乗船切符も、旅館の割引も、みんなインターネットでできた。しかも、インターネットの方が割引率が大きいのだ。

  この辺りでは手に入れられない音楽関係の機器も全てインターネットで申し込んで入手できた。このように、昔なら考えられないようなことがネットで簡単にできる時代になったのだ。

  私の動向は、このブログによって県外にいる子ども達も手に取るようにわかるようだ。また、知らない言葉が出てきたとき、辞書などはなくても、簡単に調べることができる。

  NHK朝ドラ『てっぱん』に出てくる「尾道焼き」も美味しそうだと思って、ネットで調べてみると、写真入りで作り方を知ることができた。

  そして、最近、数回実際に作って食している。昔と比べて便利さは格段に向上した。しかし、手放しで喜んでばかりもいられない。簡単に情報が入手できるために、誰もが、自ら苦労して情報を得たり、考えることをしなくなっているのではないか。

  大学生など、インターネットの情報を「コピー」し、それらを「ペースト」すれば、苦労せずにレポートなど書けてしまうのだ。「コピペ」は大学の悩みだという。その場をやり過ごすには便利かもしれないが、自ら考える力は身につかないだろう。

  今回の、入試問題漏洩事件も、こうしたネット社会を逆手に取った犯罪なのだ。インターネットにはあら売る情報が氾濫しているが、それらの中には反社会的な情報も溢れている。

  情報選択能力のない者に対しては。その負(-)の部分が悪影響を及ぼすであろう。今、深刻な問題になっている「無縁社会」を増幅させる危険性もはらんでいる。

  人間には、デジタルとアナログのバランスが必要である。高度な情報化によって、これから先、世の中はどのような方向へ進んでいくのだろうか。手放しでは喜んでいられないように思う。

(日記:午前中、『数学のホームページ』作り。午後は、久々に市営プールへ行く。最近運動不足であったので、プールで少し泳いで、たくさん歩いた。また、サウナでも汗をかいた。その後、メロディー作り。最近、メロデーの作り方を変えている。パソコンのベース、ギター、ドラムでロックのリズムを流しながら、それに乗ってギターでメロディー作りを行っている。パソコンは「疲れた」などと文句を言わないのでありがたい。)

 
 

(7+5)音で夢を紡ぐ

01 3月

どうしても抜けられない日本調
  先日、平尾正晃さんの番組をテレビで見てから、私も、下手ながら毎日メロディーを作ることにしている。しかし、日本調から抜け出せないでいる。

  考えてみれば、音楽はドレミファソラシんお7音と、ドとレ、レとミ、ファとソ、ソとラ、ラとシの間にある5音でできている。この12音が繰り返されているだけだ。

  これで、日本調の演歌や民謡、ロック、ジャス、シャンソン、タンゴ……、といろんな音楽が生まれるのだ。毎日、脱演歌的なメロディー作りを目指しているが、なかなかうまくいかない。

  「うまくいかない」のも無理のないことだ。小学校・中学校時代からかなり長い間、日本野音楽を聴き続けたからだ。若かったある時期、プレスリーやポールアンカ、ビートルズ、と海外の歌手の歌を聴いた時代があった。

  また、ハワイアン、ロック、ラテン、ウェスターンなどに興味を持ち、バンド活動を行った時期もある。しかし、いざメロデーを作るとなると、どうしても日本調になってしまう。

  それでも、何とか新しいメロディーができないかと苦労している。でもこの苦労は楽しみでもあるのだ。おそらく脳は一生懸命に活動していることだろう。

  いつの場合でも、「産みの苦しみ」はあるもの。それを乗り越えて自分なりに気に入ったメロディーができればもうけものだ。昼と夜、二つのメロディーを考えた。

(日記:朝は遅く始動。事務所で『数学のホームページ』作り。2時近くまで作業を続けた。昼食後、メロディー作り。コンピュータミュージックの勉強。新しいハードとソフトについていくのは本当に大変だ。ここであきらめてはなんにもならない。夜、『てっぱん』を見る。)

 
 

オカリナ教室に新しい仲間

28 2月

身近にオカリナファンが
 昨年の11月から、頼まれて『オカリナ教室』に関わっている。そして、今日、そのオカリナ教室に新しい仲間が加わった。同じ村(片瀬)の女性だ。まさか、同じ村の人がオカリナに興味を持っているとは想像もできなかった。

  彼女は、都会暮らしをしていたが、夫が村(片瀬)へ帰ってきたのを機会に5年前に勝山へ帰ってきたのだ。今日初めて知ったことだが、名古屋では5年間オカリナ教室に通っていたとのことだった。

  勝山へ来てからの5年間はブランクだったとのことだ。そして、我々のオカリナ教室を知って今日初めて私たちの仲間に加わったのだ。まさか、私の村にオカリナ好きがいたなんてこの5年間全く知らなかった。

  今日は、3月15日に子育て支援センターの幼児達の前で演奏する子ども向けの曲を練習した。二部に別れての練習だが、ハモると一人では味わえない満足感が生まれる。

  オカリナは単純な楽器だ。「たかがオカリナ、されどオカリナ」だ。宗次郎のオカリナを聴くと澄み切った音がしてさわやかの気分になれる。いろんな高さのオカリナで演奏すればもっと楽しくなるだろう。

  このオカリナは、私にとってはボケ防止になっているのではないかと思われる。ちょうど音読が脳にいいように、オカリナも脳の健康にはよいように思われる。

  楽譜を見る、定められた音を指で押さえ、リズムに乗って息を吹き込む、……強弱も考える、こうした一連の操作は脳をフル回転させなければならないだろう。脳にはきっと好影響を及ぼすだろう。

  同じ村に、楽器演奏に興味を持つ人がいるなんて本当にうれしい。1年後にこのグループがどうなっているだろうか。もし続いていたとしたら、かなり技術的にも向上しているだろうと思う。

  施設への慰問活動もできるようになるだろう。昔懐かしい童謡や唱歌、そして懐メロなどを演奏してみたいと思うし、映像とのコラボレ-ションもやってみたい。生の音楽に合わせて映像を流すのだ。

  そのためには、オカリナのオリジナル曲もつくってみたいと思う。自分が演奏してみると、曲を作るのにも参考になるような気がする。どうせやるなら仲間と楽しく活動したい。

(日記:午前、午後とも『数学のホームページ』作り。午後7時より『オカリナ教室』。新しい仲間が加わって楽しく演奏することができた。)

 
 

春を呼ぶ左義長

27 2月

大雪の思い出も遠くなる
  さすがに左義長の練習が始まると、冬のつらさを思い出すよりも、春が来る浮き浮き感の方が強い。どこまで雪が降るのかと心配していた一月前が懐かしい。

  一年に一度、思いっきり発散することができるイベントは大切かもしれない。阿波踊り、郡上おどり、やつお踊り、ねぶた、よさこい(高知)、だんじり、……日本各地には伝統の祭りがいろいろあるが、これらは祭りのために働いているのではないかと思われるくらいに「超発散型」の祭りだ。

2段の櫓で演技をする芳野地区の子供達。

  左義長も、それらに負けないくらいの祭りだろう。今年は、芳野区のOさんのおかげで左義長ばやしの練習から3回見学させていただいた。幼児や小学生低学年・小学生高学年、そして中高生や若者、おじさんやおばさん達、各階各層の人たちが、一つの目的に向かってがんばる姿は尊い。

現代人に必要な心のゆとり
  ともすれば、利益、効率等を追い求めすぎる現代社会においてこそ、こうした「精神的なゆとり」は大切だろう。とにかく、現代人は、先へ先へと先を急ぎすぎる嫌いがある。

 中学校へ入ると少しでもよい高校へ、そして高校へ入ると少しでもよい大学へ、そして大学に入れば3年生のうちからよりよい会社を求めて就職活動、就職できれば厳しい競争の中で昇進を目指す、……先へ先へと目標を設定し、ひたすら前進する。

左義長のフィナーレを飾るどんど焼き(勝山橋上より撮影)

  こうした生活には、「心のゆとり」は必要だ。一見非日常的な活動や、読書、様々な文化的活動、スポーツ活動などは、人の生き甲斐づくりやストレス解消に大いに役立つ。左義長の練習から見ていてそんなことを感じた。

  今日、11時50分から芳野地区の子供ばやしコンクールを見に出かけた。練習中からずっと見ていたので、一人一人の顔もよくい覚えていて何となく親しみを感じた。

    周りにいるサポーターである保護者や地区の人たちも演技の間声をかけて盛り上げていた。まさに、地区民が一体となって子供達の演技を応援していた。特に、保護者は必死であったように思う。

  のぼり旗を下ろすところで始まったのぼり旗が上がったところで審査時間が終了した。15人の審査員達は終了時間とともに、櫓から去っていった。その後も、子供達の演技は続いていた。

(日記:昼頃、子供ばやしコンクールを見に行く。昨日から来ていた長女が福井へ帰る。午後、メロデー作り。オカリナ楽譜作り。夜、どんど焼きを見に弁天河原へ。どんど焼きの炎にに向かって家族の幸せを祈る。左義長関係者の皆さんご苦労さんでした。)

 
 

櫓で左義長体験

26 2月

やはり慣れが必要か
  芳野地区のOさんのお誘いで芳野区の練習を3度見学させていただいた。そして、今日は、芳野地区の櫓に登らせていただき、太鼓を叩くことができた。

 櫓の上で太鼓を叩くのは昨年に続き、これで二度目だ。でもまだぎこちない。音楽に自然に身体が乗るまでには時間がかかるかもしれない。いや、そんなことよりも私の歳で太鼓を叩く人など、ほとんどいないのではないかと思われる。

上長渕の櫓で左義長太鼓を叩く私の末娘。

  何とか、左義長太鼓を練習して、櫓のない地区の子ども達に伝えたいという願いを私は持っている。そのためには自分が体験しなければうまく教えられないだろうと思う。

  私の地区は、いなかで左義長太鼓を叩いた経験がない。左義長太鼓は旧町内の一部の地区に伝わる祭りだ。そのために、左義長太鼓は見るだけのものだった。

  しかし、高校で和太鼓野チームを創設したのを機会に、保存会の方に高校生に左義長太鼓を教えていただくようお願いをした。

  そんな経験から、私の娘は左義長太鼓に魅せられている。大学受験の時期を除いて高校時代から、社会人になった今日まで、左義長保存会のKさんのお誘いを受けて上長渕の櫓に登らせていただいている。今日も昼から夜まで太鼓を叩いていたのだ。

道路に賑わいを添える芳野地区の雪だるまの左義長。

  私の方は、芳野の櫓では高校生に混じって太鼓を叩かせていただいたが、高校生の側から私を見たら、「他地区のおじさんが年甲斐もなくようやるわ」というところかもしれない。幸い、芳野地区には知っている人がたくさんおられるので、心強くはあるが、迷惑であるかもしれない。

  とにかく、本格的な櫓の上で太鼓を叩かせていただいて満足できた一日だった。しかし、太鼓をもっと練習しなければならないとも思った。娘と親父が異なる地区の櫓の上で左義長太鼓を楽しむなんてそんなに経験できることではない。

  芳野地区の皆さんに感謝。もっとうまくなって恩返しをしたいものだ。未経験の子ども達に左義長太鼓の楽しさを伝えたいと思う。未熟ながら、北部中学校の生徒とアメリカのALTの皆さんには、今年も左義長太鼓を教えさせていただいた。

(日記:午前中、パソコンのファイル整理。午後、北部中学校で和太鼓の指導。今日は保護者の授業参観日でもあった。北部中学校の音楽室で左義長太鼓の授業を行った。午後は、左義長を見に出かけた。夜は、芳野地区の櫓で左義長太鼓を叩かせていただいた。感激。そして、芳野地区の皆さんに感謝。)

 
 

笑顔が一番

25 2月

暗い気持ちが晴れる
  娘の転勤に伴う引っ越しのために大阪へ行くことにした。のんびりドライブを兼ねているために、京都で一泊した。さて、いよいよ出発だと思って車のエンジンをかけようとしたらかからない。

  エンジンの不調か、それともバッテリーが上がったのか?楽しい気分が一変した。JAFに入っているとはいえ、カードを持ってこなかった。このままでは、大阪へ行けない。

  電話帳で調べて最寄りのJAFに電話をかけた。名前を言うと、会員登録がしてあることがわかったようで「50分から1時間の間にそちらへ到着します」という返答。

  それならばと、時間待ちの間にオカリナの練習をしていると、JAFの車が到着。若いお兄さんが車から降りてきた。「まだ新しい車ですね。」と笑顔で話しかけてきた。そして、手際よく、機器を取り出し、あれこれ調べてくれた。

  調べた結果、バッテリーが上がったとわかり、充電器につないで、エンジンがかかった。「バッテリーの消耗具合も調べましょう」とチェックしてくれた。「バッテリーはしっかりしています。」との返事。エンジンがかかり、ほっとした。

  本人確認のために、「免許証をお貸し下さい。」と言うので、免許証を差し出すと、「勝山から来られたんですか。私はよく勝山へスキーに行くんですよ。先日もジャムに行ってきました。雁ケ原へ行ったこともあります。」とのこと。

  作業の間中、笑顔を絶やさず応対して下さった。そして、最後に、「お気をつけてお出かけ下さい。」とまた、笑顔で送ってくれた。一瞬暗くなりかかった気持ちが吹き飛んでしまった。

  私も家内も、その笑顔に引き込まれてしまった。てきぱきした作業。相手の気持ちに立った応対。そして、笑顔。そのさわやかな笑顔に送られて大阪へ向かいことができた。

  「笑顔が一番。」私たちは、果たして、笑顔を持って人に接しているだろうか。この笑顔によって気分のよい一日を送ることができた。「ありがとう!JAFのお兄さん」今日ほどJAFのユニフォームがとても頼もしく見えたことはなかった。

芳野区の低学年の左義長練習。後継者が次々と育っているようだ。

(日記:午前中、京都を出て娘の住むアパートへ。引っ越しの荷物を東京へ送る手伝いをし、いくつかは車に乗せて勝山へ運ぶ。午後1時半に娘を乗せて大阪を出て5時過ぎに勝山へ着いた。午後8時頃、芳野の左義長練習を見に出かけた。最終日ということでみんな気合いが入っていた。幼児から、壮年まで各階各層の男女が左義長によってつながっている。その活気を見てうらやましく思った。)

 
 

片瀬のショウガ

24 2月

里芋とショウガは村の特産物
  先日の「農事法人かたせ」の総会で、理事長は「今、片瀬の特産物は聞かれたら、これというものがない。かつては村の特産物だった里芋とショウガを村の特産物にしたい。」と挨拶した。

  例えばショウガだが、かつてはかなり有名な特産物だったと思っている。私の祖母も秋になると、背中にショウガを入れた籠を担いで、市内はもちろんのこと、大野方面(大野市内や上庄、美山)、福井方面は上志比、松岡辺りまで売りに歩いたものだ。

  昔は、NHKのど自慢の冒頭に地域の特産物を持って出て紹介しながら地域を紹介したものだ。勝山で行われたのど自慢では、「かたせの里芋とショウガ」を持って出て全国に紹介したのだ。

  それくらいのショウガが、種ショウガの高騰などで、採算が合わなくなってしまったのだ。どうしても、自前で種ショウガを保存することができないのだ。全国の産地では、それらをうまく保存して使っているのだ。

  このような状態なので、初めから勝負にならないのだ。それでも、私は期待している。村あげて取り組めば、農業試験場などが支援してくれるかもしれない。いや、支援を要請すべきかもしれない。

  ショウガは体温を上げることができる作物なので、低体温の多い現代人には非常に薬効のある作物だ。今日私は、ショウガ種を注文した。自分の家庭菜園ではなく、「農事法人かたせ」の畑を一畝借りて栽培実験しようと思っている。

  かつての特産物だったショウガを再び片瀬の特産物にするにはどうしたらよいのか、私は素人ながら、実験したいのだ。ただし、経営優先ではなく、生き甲斐農業としてだ。私は、春が来るのを楽しみにしている。

  農村の高齢者が生き甲斐のために畑に出るように、私も、自分の空いた時間を有効に使い、楽しみながらショウガを作ってみたいと思っている。強敵は、病原菌と害虫だ。天候も生育には影響するだろう。何とか、秋には収穫物を手に入れたい。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後葉、家内と二人で車で久々の遠出。向かうは末の娘が働く大阪だ。PAなどで持参したオカリナを吹きながらのドライブだ。今、京都でこのブログを書いている。)

 
 

一寸先は闇

23 2月

災害は忘れた頃に
  最近の災害は天災や異常気象によるものが多い。ニュージーランドの地震は人ごとではない。まさか自分に災害が及ぶことはないだろうと思って暮らしているが、やはり安全には普段から備えておかなければならない。

  もしも地震が起きたらどうなるだろう。走行中の車は、高いビルの下を歩いている人は、本箱やタンスなどに囲まれて生活している人は、ひとたまりもないだろう。寝静まった時間帯に地震が起きても困る。

  せめて、普段から、どう対処すればよいかを考えておかなければならない。地震による火災や停電にどう動けばよいのだろうか。我が家では火災報知器を5個つけた。非常灯も所々に置いてある。しかし、地震に対しては無力だろう。

  まだまだ考えなければならないことはあるだろう。テレビによれば、携帯電話もいざとなると役立つツールだ。しかし、私は必ずしも電話を携帯していない。持っているいないが、時には生死の境目になるかもしれない。

  ニュージーランドのような地震が自分の地域で起きたらどうすればよいのか、何も起きないときに考えておかなければならない。防災グッズを今のうちから再チェックして準備しておかなければならない。

  それにしても、がれきの下で助けを待っている人たちは地獄だろう。助かる人と助からない人の差は偶然によるところが大きい。一日も早く、救助してあげてほしい。

  それにしても、日本の緊急救助隊ももっと早くニュージーランドに向けて出発できないのかとやきもきしてしまう。映像で見るクライストチャーチは目を覆うばかりだ。水も電気も止まっている。道路もずたずただ。
 
  まだ、所在の明らかになっていない人たちが300人あまりもいるのだ。「もしも地震がこの地で起こったら」との想定のもとに、私たちも、もう一度「天災は忘れた頃にやってくる」を肝に銘じてできる限りの備えをしておきたい。

今日の昼食はお好み焼き。NHK朝ドラ『てっぱん』で覚えた「尾道焼き」。焼きそば・豚肉・シーフードが入って結構美味しい。

  海外旅行に行きたいと思っているが、このような天災が起こると引いてしまう。普段から、見知らぬ場所へ出かけた場合には最低でも非常口などは確認しておかなければならない。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。夕食は「尾道焼き」。午後も継続。夜8時頃から芳野地区の左義長練習会場へ出かけた。皆さんと一緒に打たせていただいた。高校生も来ていたがとても楽しそうに太鼓を打っていた。地域の人たちはノリノリだった。本番ではわずかな時間でも櫓に登らせていただきたいなあと思う。練習しなくっちゃ。)