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春を呼ぶ左義長

27 2月

大雪の思い出も遠くなる
  さすがに左義長の練習が始まると、冬のつらさを思い出すよりも、春が来る浮き浮き感の方が強い。どこまで雪が降るのかと心配していた一月前が懐かしい。

  一年に一度、思いっきり発散することができるイベントは大切かもしれない。阿波踊り、郡上おどり、やつお踊り、ねぶた、よさこい(高知)、だんじり、……日本各地には伝統の祭りがいろいろあるが、これらは祭りのために働いているのではないかと思われるくらいに「超発散型」の祭りだ。

2段の櫓で演技をする芳野地区の子供達。

  左義長も、それらに負けないくらいの祭りだろう。今年は、芳野区のOさんのおかげで左義長ばやしの練習から3回見学させていただいた。幼児や小学生低学年・小学生高学年、そして中高生や若者、おじさんやおばさん達、各階各層の人たちが、一つの目的に向かってがんばる姿は尊い。

現代人に必要な心のゆとり
  ともすれば、利益、効率等を追い求めすぎる現代社会においてこそ、こうした「精神的なゆとり」は大切だろう。とにかく、現代人は、先へ先へと先を急ぎすぎる嫌いがある。

 中学校へ入ると少しでもよい高校へ、そして高校へ入ると少しでもよい大学へ、そして大学に入れば3年生のうちからよりよい会社を求めて就職活動、就職できれば厳しい競争の中で昇進を目指す、……先へ先へと目標を設定し、ひたすら前進する。

左義長のフィナーレを飾るどんど焼き(勝山橋上より撮影)

  こうした生活には、「心のゆとり」は必要だ。一見非日常的な活動や、読書、様々な文化的活動、スポーツ活動などは、人の生き甲斐づくりやストレス解消に大いに役立つ。左義長の練習から見ていてそんなことを感じた。

  今日、11時50分から芳野地区の子供ばやしコンクールを見に出かけた。練習中からずっと見ていたので、一人一人の顔もよくい覚えていて何となく親しみを感じた。

    周りにいるサポーターである保護者や地区の人たちも演技の間声をかけて盛り上げていた。まさに、地区民が一体となって子供達の演技を応援していた。特に、保護者は必死であったように思う。

  のぼり旗を下ろすところで始まったのぼり旗が上がったところで審査時間が終了した。15人の審査員達は終了時間とともに、櫓から去っていった。その後も、子供達の演技は続いていた。

(日記:昼頃、子供ばやしコンクールを見に行く。昨日から来ていた長女が福井へ帰る。午後、メロデー作り。オカリナ楽譜作り。夜、どんど焼きを見に弁天河原へ。どんど焼きの炎にに向かって家族の幸せを祈る。左義長関係者の皆さんご苦労さんでした。)

 
 

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