ふるさとの始まり
身内以外の子どもと親しくなることは楽しいことだが、多少の時間が必要だ。村の子どもなら親しくなる条件の第一は挨拶ができることだ。挨拶ができれば、会話は次の段階へ進むことができる。
挨拶のできない子とは、親しくなるには時間がかかる。ところが、定期的に関わる子どもとなると、冗談まで飛び出す。今、太鼓を教えている子ども(小学2・3年生)がいるので、この子達とは気軽に話すことができる。
おそらく、中学生になっても、高校生になっても挨拶ぐらいができるだろう。子どもの側から考えると、家族以外の人と関わりを持つことはとても大切だ。
勝山を離れて、何かの機会に戻ったとき、家族以外に挨拶を交わす知り合いがいるということはとても気分のよいことではないだろうか。
私のふるさとの定義は、「家族以外に関わった人がいること、自宅以外に関わった場所があること」の二つだ。自分を温かく見守ってくれる大人や先輩や友人、そして、遊んだ山や川や公園などがふるさとを構成しているのだ。
今の子どもたちは、「我が家あってふるさとなし」の状況ではなかろうか。大手電機メーカーが新型のゲーム機を売り出すという。また、ドコモもiPhoneを売り出すという。
私が一番心配することは、多感な時期に子どもたちが、これらの機器に膨大な時間を費やすということだ。企業は儲かりさえすればそれでよかろうが、多くの国民は、金と時間を出してこれらの機器を買っているようなものだ。
出番が近いので夜、子どもたちに太鼓を教えたが、子どもたちの屈託のない笑顔を見ていると思わずこのようなことを考えてしまった。子ども達の前途に幸多かれと祈らずにはいられない。
(日記 午前中は、レコードから、カラオケ作り。何度も聞きながら、楽譜を取り、パソコンに入力してカラオケを作った。午後は、ショウガ畑の草取りと土寄せ。その後、家庭菜園に使う藁を集めた。午後7時から『親子太鼓教室』。出番が近いので、子どもたちも真剣だ。楽しそうに太鼓を叩いているのがよい。)