政治は数
「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが、「政治と金とつながる」と思ってしまう。特に国政に於いてはそうでなかろうか。常に金にまつわる問題が起こる。
「風が吹けば桶屋が儲かる」では、風が吹けば土ぼこりが立つ→土ぼこり目に入って盲人が増える→盲人が増えれば三味線を買う人が増える→三味線に必要なネコの皮が必要になり、猫が殺される。→猫が減ればネズミが増える。→ネズミが増えれば桶をかじる。→桶の需要が増え桶屋が儲かる。」ということらしい。
政治は数で決まる。→政治で力を持つには派閥の数を増やさなければならない。→派閥の数を増やすには金が欲しい→金を集めるには金を出す人間を増やさなければならない。→金を出して貰うと、金を出してくれた人の言うことを聞かなければならない。→金で政治が動き正しい政治ができなくなる。
このようにならなければよいがよいがと思ってしまう。原発でも不明瞭な金が動いていたのではと思ってしまう。いち早く原発再稼働を表明した某町長の実弟が原発関係の工事で多額の利益を得ていたとの報道があったが、やっぱりと思ってしまう。
原発では、相当不明瞭な金が動いているように思われる。やらせの問題も後を絶たない。国策を進めるために行う様々な市民の集会ではこれまで何度も「やらせ」が問題になった。
まだまだ、日本は政治的には未熟ではないかと思ってしまう。政治不信が今ほど高まっているときはない。しかし、これらの責任は必ずしも政治家だけの問題ではない。そうした人達を政治の場に送り出した私たちの責任でもあるのだ。
今日、管総理が退陣表明を行った。民主党の代表を巡っての派閥(グループ)の動きが活発である。脱小沢か親小沢かで代表選挙が行われそうである。結局は数の論理で結果は決まるであろう。数の多いグループが結果を左右しそうである。
しかし、沢山の数で押された当選した者は、その数に見合うポストを用意しなければならないであろう。手足を縛られて政治を行わなければならないであろう。どちらを向いて政治を行うのであろうか。やるせない気持ちでいるしかない。
またまた、新総理を巡って足の引っ張り合いが始まるであろう。政治不信が増幅されそうである。まだまだ、日本は近代国家にはなっていないように思われる。政治不信のまま、増税では国民もたまったものではない。
(日記 午前中、ショウガの消毒。初めての消毒だ。某しょうが産地では30数回消毒をするそうだ。その後、畝の間にある土をショウガの根本にかけた。午前中いっぱいかかった。午後は、楽譜の整理。夜、ふくいのKさんと大野のMさんが「親父バンド」の打ち合わせにやってきた。午後7時半から、教育会館で行われる旧勝山町の婦人会の民謡教室に参加。途中で退席しなければならなかったが村岡の「おどり隊ひらり」の皆さんが来てくれたので、後のことをお願いして教育会館を後にした。慌ただしい一日だった。)