平和を願う-知覧特攻平和会館にて
午前9時宿舎を出て鹿児島湾(錦江湾)の最南端の長崎鼻へ。そこから見える開聞岳は最高に綺麗。
次に知覧特攻平和会館へ。若くして命を落とした隊員たちの無念さを思うと胸が痛む。いつまでも平和を守らねばと心に誓う。
続いて「知覧武家屋敷」を見学。午後は鹿児島市内見学。
人材育成に力を注いだ薩摩藩“維新ふるさとの道”を歩き、「鹿児島市維新ふるさと館」 を見学。薩摩藩が人材育成のためにイギリスに留学生を送った史実を映像で見て感動。薩摩藩の先進性と人材育成にかける意気込みに感動する。イギリス人達から「薩摩ステューデント(※)」と呼ばれた向学心の強い留学生のその後の活躍に感銘を受ける。
その後、近代化産業遺産も残る島津家の別邸などを見学。終日桜島が見え、鹿児島にいることを実感。さらに、時々噴煙が空高く舞い上がり驚き。感動の一日だった。
(※)薩摩スチューデントとは 薩英戦争を戦って、攘夷の不可能を悟った薩摩は、1865年に島津久光の意向で、国禁を犯して19名の日本人をイギリスに派遣した。その薩摩藩派英の留学生(15名)のことを、薩摩スチューデントと呼んだようだ(残り4名は引率役など)。 生徒の中には、森金之丞(後の外務卿・初代文部大臣・森有礼)、松村淳蔵(後の海軍中将)、畠山丈之助(畠山義成・東京開成学校-東京大学の前身-の初代校長)などになった人物などがいる。
この19名が、グラバー紹介のイギリス人に案内され、イギリスへの船旅をする訳である。
生徒らは船の中で勉強しながら旅を続けるのだが、途中の寄港地では、ホームに連れられて観光にも出かけたりする。 その寄港地で生徒たちは、時には植民地支配者的なイギリスの傲慢さを見たり、時にはイギリスがそれらの港や植民地に建造した施設などをみてその瞠目すべき工業力の偉大な力をみたり、また時にはイギリスが国内や植民地に布いた進んだ制度などに尊敬すべき点を見出したりする。
乗船当初には攘夷思想をまだ持っていた者までも、百聞は一見に如かずで、攘夷などできる訳がないと思うようになる。そしてサウサンプトンから機関車で最後の移動を終え、目的地のロンドンについてからは、藩父たる久光の意をくんで、皆は成果をあげようと益々心を引き締める訳である。