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Archive for 3月, 2015

一区切り

31 3月

日記2年・ブログ5年
私は、中学時代には毎日『勝中日記』を書いていた。高校以降は、書いたり書かなかったりで、あまり長続きしなかった。

上から、座っての音楽遊び、紙芝居、立って全身を使っての音楽遊び。一番下は、家庭菜園作業(ジャガイモ植え付け前の耕耘作業)。

上から、座っての音楽遊び、紙芝居、立って全身を使っての音楽遊び。一番下は、家庭菜園作業(ジャガイモ植え付け前の耕耘作業)。

しかし、66歳の時に、そろそろ退職だと思い、「この1年間、日記を書こう」と決め、一年間一日も欠かさずに書き続けた。しかし、退職が予定より一年延びたために、さらに1年、一日も欠かさずに日記を書いてきた。

そして、退職を機に、ブログを書こうと決め、今日でちょうど5年になった。毎日書くということは、時には自分にとって負担になったこともあった。しかし、後から見ると面白い記録になった。まさに「残日録」であった。

書き始めた動機は、長女は福井へ嫁ぎ、長男家族は仕事の関係で横浜へ移り、次女は大阪で勤務(その後東京へ転勤)しているために、私達夫婦の様子や勝山の行事などを子ども達に知らせたいということであった。

しかし、次女が今年、東京で結婚したため、3人の子どもが全て家庭を持つことになった。私達夫婦の肩の荷も下りた。その時点でこのブログを止めようと思ったが、3月一杯で一区切り着けようと思い直した。明日からは、どうするかはまだ決めてはいないが、少なくともこのままの形は止めて出直したいと思う。

もしも、家族以外で見て下さっている方がおられたら感謝したい。
ご愛読、どうもありがとうございました。

(日記 朝一に、紙芝居と音楽遊び練習。正午に自宅を出発し、松岡児童館へ。たくさんの子どもが集まっていた。午後1時過ぎに開始。先ず、音楽遊び3曲。そして、紙芝居(人数が多いのでパワーポイントで)。最後に、音楽遊びを1曲。全部終わった後、子ども達へメッセージ。この児童館へ来るのは2回目。お世辞かも知れないが、「また来て下さい」とのことだった。帰宅後、3時過ぎから家庭菜園作業。畑を耕し、ジャガイモを植えた。充実した一日だった。)

 
 

思い出す竹田の「しだれ桜」

30 3月

桜を紙芝居に取り入れたい
明日、松岡児童館へ招かれている。音楽遊びや紙芝居をしてほしいということだった。紙芝居は、創作紙芝居「タン吉・コン子旅日記~大雨に負けないぞ~」を演ずると決めた。

上は去年の4月20日に家内と出かけて見た竹田のしだれ桜。下は、紙芝居の一場面。

上は去年の4月20日に家内と出かけて見た竹田のしだれ桜。下は、紙芝居の一場面。

魔法学校を卒業したタヌキのタン吉とキツネのコン子の物語である。タン吉は恐竜に化けるのが得意、コン子は花や草に化けるのが得意。あちこちで何度か演じているが、子ども達には好評だ。

今は春なので、桜を紙芝居に取り入れたい。そんなことから7枚の絵を追加して脚本を手直しし、制作に取りかかった。

どうせ、桜を取り入れるなら去年見て美しいと思った丸岡町竹田の「しだれ桜」を紙芝居に取り入れると決めて作業を続け、私としては珍しく,前日である今日の午後10時半過ぎに完成した。

今年も桜のシーズンがやって来る。今までは,勝山市の弁天桜、大野市の亀山城の桜、そして、福井の足羽山公園の桜を見ると決めていたが、去年、竹田のしだれ桜を見て感動したので今年も是非見に出かけたいと思う。

(日記 朝からもっぱら紙芝居の絵描き。夜10時半過ぎにようやく完成した。明日はたくさんの子どもの前で演ずることになるのでパワーポイントを使うことにした。音楽遊びの新曲も2曲楽譜に練習した。)

 
 

涅槃団子まき

29 3月

伝える伝統行事
村内には曹洞宗の寺「仏母寺」がある。寺宝である「延命地蔵菩薩」は33年に一度しか御開帳しない(拝むことができない)。平泉寺と同時にこの33年に一度の御開帳を行っている。

前回は、約23年前、その前は56年前であった。私にとっては最初は高校時代、そして2回目は49歳であった。それだけに、寺の賑わいはすごいものであった。

高校時代のことは、かすかにしか覚えていない。2回目の時には、切り絵を奉納したこと、私が地元の子ども達と一緒に創設した春駒太鼓を境内で演奏したことを覚えている。

今日、この寺で涅槃団子まきが行われた。この行事も子供時代からあったものだが長年中断していた。それが数年前に復活したのだ。

今日は、子ども達もかなりたくさんお参りしていた。住職の読経の後、団子まきが行われた。私もたくさん拾うことができた。このような行事がこの寺で末永く続いていくことを願いたい。

(日記 午前中は、仏母寺での涅槃団子まきに家内と二人で参加。子ども達がたくさん来ていた。午後は、紙芝居の絵描き。まだまだ時間がかかりそうだ。)

 
 

「マッサン」終わる

28 3月

「チャレンジ」と「アドヴェンチャー」
毎日録画して見ていたNHKの「マッサン」が終わった。ドラマではあるが、実話をもとにしているのではやり現実感がある。

現役時代の私は、いろんな場面で原稿を書いたり、話す機会をいただくことができた。そんな中で、世の中にはいろんなものが「ある」のではなく、「誰かが作ったもの」だと何度か書いたことがある。

学校が“ある”。会社が“ある”のではなく、誰かが苦労をして学校を“創立した”のであり、会社を“創業した”のだ。それを忘れて単に“ある”で片付けるのは情けない。

今回のドラマもそれをよく表している。「サントリーウイスキー」や「ニッカウイスキー」も、あったのではなく、日本で作ったということだ。それも日本人とスコットランド人の夫婦が作ったと言っても過言ではない。主人公の女性が常に口にしていた言葉が、「チャレンジ  & アドヴェンチャー」だった。恥ずかしながら私のモットーは「ドリーム & アクション」だが。

世界一になったウイスキー(ネットより)。

世界一になったウイスキー(ネットより)。

このドラマの主人公となった竹鶴さんの名前を冠した『ニッカ竹鶴17年ピュアーモルト』が、「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA) 2014」の「ブレンデッド・モルトウイスキー(ピュアモルト)部門」でただ一品に与えられるえ世界最高賞が認定されたとのことだ。凄いことだと思う。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。午後は、最後の車のスノータイヤ入れ替え。そして、庭木の雪囲い外し。天気がよくて、気持ちのよい一日だった。)

 

 
 

地に足を着けて生きる

27 3月

次々起こる不可解な事件
現代は、ある面では「成熟した社会」と言えるかも知れない。しかし、それは物質的な面の豊かさだけであって、精神的には必ずしもそうは思えない。

と言うのも、あまりにも不可解な事件が頻発するからだ。それは、いつどこで起こるか分からない。起こった地面は、どこか精神的に満たされない人たちが起こした事件であるように思えてならない。

今の世の中、経済面、効率面等、安易に得られる快楽的な面が強調され過ぎてはいないか。そして、これらに乗れない者は満たされないのではなかろうか。精神的な面が置き去りにされているように思えてならない。

別の言い方をすれば「地に足の着いた生き方」をしていないのではなかろうか。朝から国会討論を聞いていたが、歯がゆさをを感じた。

今日も家内と二人で約1時間ウオーキング。後ろに見える山は日本100名山の一つ「荒島岳」。

今日も家内と二人で約1時間ウオーキング。後ろに見える山は日本100名山の一つ「荒島岳」。

四季折々の自然の変化を楽しみ、自然の営みに合わせて生活し、季節季節の行事に本気で取り組んだ昭和時代が遠ざかり、軽くなった生き方の延長に充実した生活は来るのだろうか。今のままでは、望まなくても不可解な事件はまだまだ続きそうである。

(日記 午前中は、紙芝居の絵を描いた。午後も作業を継続。午後4時から1時間、今日も市街地と郊外をウオーキング。空には雲一つない晴天。ウオーキング日和だった。夜は少し楽器練習。)

 

 
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歩いてみると

26 3月

街中ウオーキング
今日からウオーキングを再開。まちの様子を知るために、なるべく街中や郊外を歩くことにしている。車では絶対通らない裏道や住宅街を歩くと、これまで見られなかったいろんなものが見えてくる。

以前なら、家が並んでいた通りには家がなくなり、駐車場になっているところが少なくない。郊外に大型店ができて商店街の賑わいはほとんどなくなってしまったように思う。

一方、所々に無人の家がある。このままでは荒れる一方だ。また、その中には赤い文字などで『売家』と書かれた家が混じっている。両方とも同じ運命だろう。

また、立派な庭付きの家もあるが、これらを維持するのは大変だろうなと思ってしまう。車では絶対に見えないモノがあり、車では出会っても挨拶一つできないが、歩いていれば一言声をかけることができる。

追加する紙芝居の一場面。(未完成)

追加する紙芝居の一場面。(未完成)

全国的に、人口減少が問題になり、小・中学校や高校の統廃合が問題になっている。歩いているとまちに活気がないように思えてしまう。何ができるか、自問する日々ではある。

(日記 午前中は、紙芝居の絵を描いた。来週の松岡児童館での出番に備えてのものだ。より面白くするためにストーリーを追加し、絵も加えるのだ。午後は、久々にウオ―キング再会。夜は、「爺ちゃん勉強」。また、平常の生活に戻りつつある。多少、身体に不安はあるが。)

 

検査結果

25 3月

健康の有り難み
今日は昨日の検査の結果を医師から聞く日。何もなければよいがと思いながら待合室にいた。昨日、MRI検査をしたおかげで、後頭部を打って心配していた目的の脳ばかりでなく、鼻や脊髄(一部)まで画像に写っている。

他の部分も「薬を飲んだ方がよい」、「再検査をした方がよい」と言われた。もう一度、MRI検査をした方がよいということになった。4月中旬の予約となった。この際、悪いところはしっかり診てもらおうと腹をくくった。

身体は年齢と共に痛んでくる。その中で、日常生活に支障を来たさなければよいがと思う。若い頃は健康に気をつけることはほとんどなかったが、今考えると身体に悪いことをけっこうしてきたなあと反省する。

病院へ行くと、昔の仲間とよく会う。文字通り「同病相憐れむ」ではないが、自分ばかりではないと少し慰めになる。自分の身体に悪いことは止め、健康作りに気を配らねばと思いながら帰宅。

ここ数日、検査ばかり。ようやく開放された。明日から少しずつ普段のペースに戻りたい。健康第一の生活に戻したい。そうでなければやりたいこともできない。

(日記 午前7時過ぎに自宅を出発して済生会へ。昨日のMRIの結果を聞き、他の科でも診てもらった方がよいということで待機。終わったのは昼過ぎだった。帰宅してから市役所のSさんに頼まれた『振り込め詐欺防止の数え歌(作詞・作曲)』のカラオケ作り。午後5時過ぎにSさんが我が家へやって来た。CD作りのためのレコーディングを行った。)

 

 

 
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休養日

24 3月

頭のMRI
世の中、変わったなあと思う。身体の見えないところを見ることができるようになったからだ。この前は、CT、今日はMRIだ。二つの区別がよく分からない。今日は、頭のMRI を撮るというので済生会へ行った。

CT(コンピューター断層撮影)検査は、寝台に寝ている患者にX線を照射しながら身体の周りで機械を回転させ、人体を透過したX線の量をコンピューターで解析して、人体の輪切り像(横断面)を作る装置だという。この装置の進歩は近年著しく、装置の高速化と検出器の飛躍的な進歩によって、より短時間に、より広い範囲を、しかもより細かく撮影できるようになたっという。

一方、MRI(磁気共鳴画像診断)検査は、磁石と電磁波を使って人体のあらゆる断面を撮影する検査だという。CTと比べてX線被曝を受けることなく、あらゆる断面を撮像でき、病変の検出率が高いという。しかし、撮像時間(検査時間)が長いこと、またペースメーカーや体内金属のある患者には検査できないこと、検査時中の音がうるさいという欠点があるという。

昔は、それこそ土管のような細い所に台車で入って検査したものだ。そのため、閉所恐怖症の者は困る。私も、昔の機械では恐怖心を感じた。昔に比べれば今の機械はかなり開放的である。しかし、気持ちのよいものではないし、 音もかなりうるさい。

検査は午後2時半で医師の説明は翌日ということで帰宅した。頭がふらふらしてなにもする気がしなかった。こたつに入って、テレビを見たり本を読んだりしていた。ここ数日は「休養日」と決めてのんびりすることにした。健康の有り難みが分かるここ数日だった。

(日記 午前中は、頭がふらつくのでこたつに入って休養。家内に運転してもらって福井の済生会病院へ行き、午後2時半頃、頭のMRIを撮った。帰宅しても休養。何もしないと決めた。)

 

 
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異動の季節

23 3月

期待と不安の季節
三月は異動シーズンであり、期待と不安の入り混じった季節だ。若いころは、先ず分の異動が気になった。「今度は異動があるのだろうか、ないのだろうか?あるならどこか?」

転勤後の期間が短い場合には、自分の異動はないが、「誰が転出し、だれが転入するのか」が気になったものだ。特に、管理職の異動がありそうだと、また、気になったものだ。

同期に入った者や一緒に働いた仲間の異動にも関心があった。そのうちに、少しずつ立場は、異動に関わる立場になり、本人の希望する地に異動させてあげたいと思っても、すべての願いを実現することができずに苦労した時期もあった。

今は、全く傍観者の立場で、かつても後輩たちの異動を見守っている立場だ。かつての仲間も、次々と退職するようになる。その後、何をしているのだろうかと気になるところもある。

年齢で区切られているために、まだまだ現役以上の働きをすると思われる仲間も後輩に道を譲って退職者としての次の人生を歩んでいるようだ。一部は、私学の講師をしているようだが。

4月は、こうした異動以外にも、進学や就職で、がらりと生活環境が変わる場合がある。また、自分が新しい職場へ移動した場合には、マンネリから抜け出せるチャンスであり、新しい仲間と出会える可能性もあり、不安より期待が大きい場合もあった。とにかく、4月は、期待と不安を持った「旅立ちの季節」」であることは間違いない。

(日記 起床直後、頭を動かすたびに目まいがする。このままでは何もできない。その上、少し頭痛。家内に運転してもらって済生会へ。「目まい」専門の医師に診察を受ける。明日、頭のMRIを撮ってもらうと決めて帰宅。全く何もせず、こたつで過ごす。)

 
 

神社の清掃奉仕に思う

22 3月

いよいよ春本番か
今日は先ず社会奉仕。私の班は林道の整備作業だったが、まだ雪が残っているので、神社の清掃作業。杉葉や欅の葉が神社の境内いっぱいに落ちている。

竹製の熊手で寄せ集めて燃やした。熊手も二種類ある。金属製と竹製の二種類あるが、金属製は今日のような清掃には不向きだ。葉っぱが熊手の針金に引っかかって作業がし難い。昔ながらの、竹製のものが比較にならないぐらい使いやすい。

この神社だが、子どもの頃はラジオ体操の場であり、体操の後は、ソフトボールをして遊んだものだ。また、秋祭りになればりになれば、子どもの頃は、相撲を取ったり太鼓を叩いたりしたものだし、若い頃には、盆踊りやフォークダンス(秋祭りにはどこの祭りにもあった)をしたものだ。

盆取りには、夜空が白む朝まで夜通し踊った経験がある。今でも、「郡上おどり」の郡上八幡や「おわら踊り」の八尾では朝まで盆踊りをしているようだ。また、祭りの期間も3日か4日はあった。

こうしたことも今ではみんな廃れてしまった。神社の境内は昔のままだが、神社への関わりは大きく変わってしまった。その分、故郷への思いも、薄れていくことだろう。時代が進むということは、何もかも捨てて進むことだろうか。人の心は進むことなく、時代は温かさを失っていくように思えてならない。神社の清掃をしながら、時代の変化を感じずにはいられなかった。

(日記 午前8時より区の社会奉仕作業。午前10時半より区の定期総会。その後、懇親会。午後2時過ぎから、事務所でのバンド練習を見に行く。短時間しか練習をみることができなかった。みんがが帰ってから、しばらく楽器(ウインドシンセ)練習。忙しい一日だった。)