トマトの力
家の基礎とコンクリートの土間の隙間に1本のトマトが植えもしないのに生えてきた。日常生活の邪魔にもならないので、支柱をしてそのままにしておくことにした。
畑で育てた、トマトが収穫を終えた今も、このトマトは枯れもせず、青々としていてたくさんの実を付けている。家内と二人で、その真っ赤なトマトを食べてみると、とても甘かった。
畑のトマトは全て枯れてしまって跡形もないこの時期に、わずか1cmの隙間で成長を続け、11月の半ばを過ぎても全く枯れる気配がない。
畑を耕し、肥料をやり、水やりをして丁寧に育てたトマトと、過酷な条件で育ったこのトマトとは何が違うのだろうか。トマトにも、本来成長する力を持っているのだろう。
しかし、私たちは、育てるつもりで不必要な手を加えているのではないか。今になっても枯れる気配のないこのトマトは他のトマトとはどう違うのだろうか。
これはトマトに限ったことではなかろう。人間でも同じことが言えるのではないか。大人の作った環境が、一見快適そうに見えても、子どもたちにとっては必ずしもそうではないのではなかろうか。
今は、モノの与え過ぎで、子どもたちの活動の範囲を狭めているように思えてならない。「何もない」ことのすばらしさ、他から何も手を加えないことのよさを再認識すべきではなかろうか。
それぞれのものが持つ潜在能力を信じなければならない。私たちは、人に対しては、望まぬ方向に引き伸ばそうとしているのではなかろうか。今一度、潜在能力とはなにか、それを引き出すにはどうしたらよいかを考えるべきではなかろうか。
(日記 朝から、パソコンに向かって音楽活動。途中で、エンドウを植えるために、畑を耕そうとして耕耘機を動かそうとしたが、クラッチが作動せず、耕すことができなかった。そこで、家内と二人で人力で耕すことにした。時間がかかりながら十分な作業ができなかった。機械の有り難みを感じた一日だった。)