RSS
 

勝山にみんなで歌える民謡を

10 10月

昭和40年頃の話
今から50年ほど前の話。昭和43年に福井国体がやってくると決まった。勝山市では、バドミントンやソフトボール、クレー射撃、山岳競技などが行われることになった。
そして、我が家は山岳競技の民宿にもなることが決まった。そんな頃、私が考えたことは、勝山には市民が気軽に歌える全市共通の民謡がないなあと気付いた。

そこで、勝山市民が気軽に歌える民謡を作ろうと考えた。そして、当時の市会副議長が元校長で校歌などの作詞も手がけておられたので、新しい民謡の作詞をお願いした。

曲は自分で作り、旅芸人のMさんらに吹き込んでもらい、ソノシート(簡易レコード盤)にした。そして、できあがったのが『勝山小唄』だ。市内のレコード店で500枚が短期間で売れた。

この歌は、市内の民謡グループに引き継がれてここ50年ほど歌い継がれ、踊り継がれてきた。とてもありがたいとことだと思っている。

私の事務所で楽しく『勝山小唄』を踊る芳野区の皆さん。明日は他のメンバーに伝達するらしい。

私の事務所で楽しく『勝山小唄』を踊る芳野区の皆さん。明日は他のメンバーに伝達するらしい。

ところが、市内でも活気のある芳野区の左義長グループが、左義長の挿入歌として昨年からこの『勝山小唄』を取り入れて下さっているのだ。

そして、今年はこの曲に合わせて踊りも加えたいということで、今日区民の代表10人ほどがビデオカメラ持参で私の事務所へやって来た。

私も、新しく振り付けを考えてあったので、その踊り方を自分なりに教えてあげた。この歌を歌い継いで下さることは、歌を作ったものとしてとてもありがたいと思う。その上踊りまでとなれば最高だ。

みんなはノリノリで汗をかきながら踊りを楽しんでおられた。この芳野区は月に4回ほど出番があるらしい。楽しい時間を過ごすことができた。

(日記 午前中、紙芝居の絵描き。午後は、米糠を法人の農舎から自宅へ運んだ。米糠を受かって燻炭を作るためだ。炭は、植物に好影響を与える微生物にはよいらしい。夕方、生姜を収穫する。酢漬けを作るためだ。午後7時から芳野区の皆さんが『勝山小唄』の踊りをマスターするために我が事務所へやって来る。午後8時から銭太鼓の練習。結構ハードな一日だった。)

 

Leave a Reply