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捨てることの難しさ

13 7月

モノに限らず
 我が家には、「いつかは何かの役に立つだろう」と思って持ち続けている物がたくさんある。そのため、整理に関する本を何冊も買ったが、なかなか捨てきれない。かといって、使うのでもない。

  これは「モノ」の話だが、具体的なモノ以外にも捨てられないモノがたくさんある。例えば、下手の横好きで「童話」などを書くことがある。そのようなときには、言いたいことが沢山あるので文章が長くなる。

  そこで、文章を短くするために書いた文章を捨てなければならない。これは簡単なことではない。全て、書きたいと思って書いたモノだからだ。しかし、文字数に制限がある場合には涙を飲んで捨てなければならない。

  人前で話す機会が時々あるが、時間制限があるので、言いたいことを捨てなければならない。これもなかなか苦痛だ。しかし、制約があるから、無駄がなくなって相手に伝えやすいのだが。

 今日は朝から和太鼓の曲作り。選手権では時間制限がある。6分以内だ。オーバーしたら減点。各メンバーに見せ場を作りたいと思う。それに、気に入ったリズムを入れたい。変化に富んだリズムを入れたい。

  そんなことを考えながら、曲作りをすると、軽く6分はオーバーしてしまう。短くしなければならない。せっかく作ったフレーズを捨てなければならない。この作業配が一番苦しい。

 しかし、他人から見ればどうでもよいような部分がたくさんあるのだと思う。童話サークルで童話を書き、児童文学者のF先生の添削を受けるときがあるが、ある部分をばっさり切られてしまうときがある。自分では大切な部分だと思っても、他人から見れば不要部分なのだろう。

 そんなわけで、午後は、和太鼓の曲を短くするために捨てることに集中した。他のことにたとえれば、客をもてなすために料理を作っているようなものかもしれない。

  あれも食べさせてあげたい、これも食べさせてあげたいと、いろんなものをテーブルいっぱいに並べたら、もてなされる方は、おそらく見ただけで食欲をなくしてしまうかも知れない。何でも適量というものがあるだろう。

  捨てることは本当に難しい。しかし、捨てられなければ、何をやっても、焦点が定まらず、相手に訴える力は弱いだろう。分かっているが、なんであれ「捨てる」ことは本当に難しい。

勉強の後のサヨナラ。でもまた、明後日会える。

(日記 午前7時より老人会の奉仕作業。墓地周辺の草刈りだ。道路沿いは草刈り機で刈り取った。急な雨に打たれてずぶ濡れになった。帰宅してシャワー。午後も作業を継続。午後2時半に神社の電柱を立てる現場に立ち会う。帰宅して再び捨てる作業。夕方、福井の長女が子ども二人を連れて遊びに来た。午後7時より横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。終わり際に歌。今日は「翼をください」を歌ってくれた。)

 
 

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