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学力テスト

24 4月

全国一斉に小六、中三で実施
  雨のためデスクワーク。テレビを聴きながら明日発刊の『かたせ瓦版』の編集作業。朝から、文科省が実施する全国学力テストについて報道していた。県内のテレビも同様だ。

 ところで、この学力だが、近年、教育委員会や文科省がやたらに学校現場に対して「学力をつける」よう指示している。私個人としては、いちいち上から言われなくても、教員としては当然そんなことは考えていると思いたい。

 少なくとも、自分はそうだった。そればかりでなく、狭義の学力を付けるだけでは、不十分だと思う。学力とは、ペーパーテストで測れる部分と、ペーパーテストでは測れない部分があると思っている。

 学校のテストの特徴は、正解が一つあることだ。従って、その一つの答えを導き出せばそれでよいのだ。しかし、社会へ出てみると、正解が一つである場合などほとんどないのである。

  昨今、非常に騒がしい「尖閣」や「竹島」などの領土問題を解決する方法は簡単には答えを見い出せない。少子化対策にしてもそうだろうし、福井の駅前の活性化にしてもそうだろう。答えは一つではないのだ。

  利害が対立する場合には、「ウイン、ウイン」の状況を導くのは簡単ではない。TPPしても、答えは簡単ではないだろう。しかし、その中でもっともよい解決法を知恵を寄せ合って導き出さねばならない。

  知識を生かす知恵が求められる。また、創造的な分野、芸術的な分野では狭義の学力だけではどうにもならない。数字に表れる学力以外にも大切なものはあることを認識しなければならないと思う。

  行政が数字を追いかけ過ぎると、現場は脇目も振らずにそうせざるを得ない。ペーパーテストで測ることの出来る狭義の学力は必要条件であって十分条件ではない。大切ではあるが、それ以外にも大切なものはあるということだ。

 私の物差しで言えば、塾へ盛んに教師を派遣する本県のやり方は私の性分には合わない。各教員が切磋琢磨しながら、子ども達のために指導法を研究してほしいと思う。

『爺ちゃん勉強』の仕上げは国語の教科書の本読み。聞いているだけでも楽しい。

(日記 朝から『かたせ瓦版』の編集作業。昼頃、事務処理のため役所へ。午後も編集作業を継続。夕方になってようやく、完成した。前日に完成するなんて珍しい。午後7時半から横浜の孫とウェブカムによる『爺ちゃん勉強』。だいぶ軌道に乗ってきた。)

 
 

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