太鼓で教える
私はこれまで、あちこちで和太鼓を教えてきた。しかし、いつも心にとめてきたことは、和太鼓よりももっと大切なものがあるということだ。それをいつでも思い出せるように、その頭の文字を連ねて「あかおやま」としてきた。
「あかおやま」とは、次の5つの項目だ。
あ……挨拶
か……感謝
お……思いやり
や……約束
ま……マナー
最初は、高校で和太鼓を教える場合には、先ずこのことを強調してきた。心から「挨拶する」ことを身につけた生徒はそんなに多くない。いかなる場合であろうと挨拶は欠かすべきではないと思う。挨拶はコミュニケーションの入り口だ。
また、他人に対して感謝する気持ちも非常に少ない。何事に対しても「してもらえることが当たり前である」かのごとく振る舞う生徒のなんと多いことか。また、他人の立場に立って考えることのできない「自己中(心的な人間)」がどんどん増えている。
さらに、約束を守れない者も少なくない。よりよいマナーも身についていない。こんなことでは和太鼓どころではないと、常に高校生達に「あかおやま」を言い続けてきたのだ。
中学生にも週一回和太鼓を教えているが、一部の男子だが、ふざけることによって仲間と一体感を持とうとしているかのようにふざけることが多い。何かとこちらの指示に対して文句を言う。一人だと、大人しいのに仲間になると突然ふざけてしまう。
このままでは、文化祭どころではない。ここは一つ、気合いを入れなければならないと思って、大きな声でしかりつけた。このクラスにも何度も「あかおやま」について話しているが、「あかおやま」が何を意味しているのかが理解できない者もいる。
そういえば、現役時代に進路指導部に所属し、企業の方々と話す機会があった。そこで出た話だが、「新しく入社して者に対して戸惑うことがあるが、それは「こちらの指示を一度では理解してもらえない」というものだった。
高校生や中学生の中には、集中して他人の意見を聞き、自分の言葉で語れる者はそんなに多くない。「あかおやま」の大切さを理解して和太鼓を通して少しでも人間力をつけられたらと思う。
そういえば、テレビで「新総理は自分の言葉で挨拶していた」とのコメントがあった。自分の言葉で語ることが大切だ。大臣も、官僚の原稿を棒読みするのではなく、自分の言葉で国民に語ってほしいものだ。
強く叱ったので後は少し授業が引き締まったようだ。自分のハンドルを自分で取るように仕向けるには、「何故そのことをするのか」を十分理解させなければならない。これはどんなことにも当てはまることだ。趣旨を理解しないで物事に取り組んでも効果は期待できない。
(日記 今日も楽譜作り。よく晴れたら田畑へ出かけたいと思いながら、パソコンに向かう。午後7時よりオカリナ教室。家内は、長女の家へ孫の世話に出かけた。近くに住む夫の家族が留守になるからだ。一人暮らしはあまりいいものではない。)