芸の難しさ
昨日も考えていたが、今日も銭太鼓『片瀬豊年ばやし』に加える芸の部分を考えていた。パソコンでYOUTUBEの様々な芸を見ていると、わずかな動きで見る人を惹きつけていることがよく分かる。
雨が降ったせいもあって一日中「芸」のことを考えていた。そして、ようやく夕方になってシナリオが決まった。しかし、この通りに仲間が動いてくれるかどうかは別問題である。
これまで我が村に伝わっていた銭太鼓や安来節、ドジョウすくいは私もやったことがある。ドジョウすくいの場合、上手な人は歩くだけでも面白い。その仕草はまさに「芸」そのものである。
「豊年ばやし」の名の通り、農作業に関わる芸を加えたいと思っている。田植えや稲刈り等の動作も銭太鼓や女踊りの中に多少組み込んであるが、もっと、面白く入れ込みたいと思っている。今回は、豊かな実りの象徴である米俵を使った芸を入れるつもりでシナリオを書いた。
今後、餅つきなども芸の中に加え、施設慰問などのときには、実際に餅をついて入所者の皆さんに振る舞いたいと思っている。いくつか出番があるので、そのうちには少しでも見られるものにしたいと思っている。
「産みの苦しみ」は、完成したとき、あるいは見ている人に少しでも感動を与えられたり、喜んでいただけた場合には、たちまちに「何物にも代え難い喜び」に変わるのである。
それで、飽きずに次から次へと、何かを生み出そうとしている自分がいる。あまりの忙しさに「何もしなければどんなに楽だろう」と思うことがあるが、もしそうなれば「きっとむなしくなる」だろうと思う。
週末の祭りには、区民の皆さんに喜んでいただけるかどうかが問題だが、私一人でやることではないので、どうなるかはわからない。しかし最善だけは尽くしたいと思っている。
(日記 終日、郷土芸能づくり。どんな芸能でも、はじめがあったと思っている。どんな芸能でも、最初は伝統芸能ではなく、第一歩を踏み出しているのである。この「片瀬豊年ばやし」がいつまでこの村に残るか分からないが、少しでも、次の世代がやってみたいと思うものにしたい。午後7時半より、「春駒太鼓」の練習。今、メンバーと新しい演目を考えている。)