RSS
 

Archive for 8月 20th, 2011

紙芝居『白山平泉寺物語』を上演

20 8月

平泉寺の子ども達の前で紙芝居
   今日は、公民館の依頼で平泉寺の子ども達の前で紙芝居『白山平泉寺物語』を夫婦で上演する日だ。最初は大人の前で演ずるものと思っていたが、よくよく聞いてみると対象は子ども達だという。

家内は読み手、私はギターで音楽を入れると同時に一部男性の台詞を担当。

   私の作った『白山平泉寺物語』は、大人向けの作品だ。慌てて数日前から脚本を書き直した。平泉寺の起こりから、「神仏分離令」の出る明治の初めまでの約1300年の歴史を紙芝居にしようとすると全体が大変長くなってしまう。

  少しでも、平泉寺のことを理解してもらおうとするとたくさんの絵が必要になり、全体が長くなってしまう。全体像を分かってもらわねばという気持ちと、少しでも全体を短くしなければという相反する気持ちがあり、脚本作りにはとても苦労した。

   朝5時過ぎに起きて、家内と二人で紙芝居の最終練習。効果音をギターを使って入れたいのだが、指の動きが年々悪くなるように思う。馬の蹄の音はギターの胴を叩いて出すつもりだ。全体的にやや練習不足のまま、平泉寺の集会所へ行く。

   準備をしているうちに、子ども達がやってくる。児童館の職員も一緒のようだ。午前10時になったので紙芝居を始めた。小学校低学年には難しい内容だろうと思う。

   今後「大人バージョン」と「子どもバージョン」を使い分けなければならないだろう。この紙芝居を作ってみて思ったことだが、「平泉寺時代とはいつからいつまでだろうか」と考えてしまう。

  私は、「泰澄大師が平泉寺を開いたとされる日」から、「平泉寺が焼き討ちにあった日」、または、「顕海僧正が平泉寺を再興した日」のいずれでもなく、「平泉寺が白山神社」になった日(明治の初め)」までではないかと思う。

真剣なまなざしで紙芝居を見る平泉寺小学校の子ども達。

  江戸時代も平泉寺はそれなりに存在感があったと思っている。焼き討ち以後の平泉寺の歴史にも興味深いところがたくさんあると私は思っている。そこの所を紙芝居の中に入れ込んだが、小学生には難しかったのではなかろうか。

  それでも、何かはつかんでくれたのではとの期待がある。紙芝居の後は、子ども達が市の学芸員のMさんに平泉寺旧境内を案内してもらうことになっているので、その部分で補ってもらいたい。

     紙芝居としては、第1部「平泉寺が焼き討ちにあうまで」、第2部「その後の平泉寺として、神仏分離令によって白山神社に変わるまで」の二つに分けて、それぞれを短くして詳くしたいと思う。

(日記 早朝から紙芝居『白山平泉寺物語』のリハーサルを家内と行う。午前10時より、平泉寺集会所で紙芝居上演。昼食後、法人に預けてある自分の田んぼの「草ネム」や「ヒエ」などの雑草取り。特に「草ネム」は始末が悪い。脱穀したときに籾に混ざるからだ。午後4時より親子太鼓の練習。)