変わる各集落の祭礼
『ふるさとの踊り大会』の会計処理などのために、実行委員長のKさんの事務所へ出向いた。そこには村岡ソバ会の方々もおられた。先ず、ソバ券の処理をした。
福島県の方々のために発行した「おろしソバ無料券」は全部で23枚だった。福島県の方々が23来られたということになる。それから、出演者のための「100円割引券」は15枚発行されていた。
会見処理の後、雑談ながら、今回のイベントについて意見交換を行った。天候の問題、ソバ券の発行のあり方等の後、秋祭りのあり方についての話しが出た。
秋の祭りはどの集落も年年寂れているようだ。昔は、相撲があり、踊りがあり、露天もいくつか出て、どの地区の祭りも盛り上がっていたようだ。しかし、先ず、ほとんどの集落から踊りが消え、相撲も消え、子ども達の楽しみの露天も激減した。
「秋祭り」に親類を招くこともほとんどしなくなったという。そうなると、祭りならではの料理もしなくなってしまった。秋祭りの食事と言えば、「赤飯」、自宅で作る「笹寿司」、「昆布巻き」があり、料理屋の刺身や煮付けなどが付いていたものだ。
雑談で出た話しだが、「このままでは祭り料理は消えてしまうだろう。もしそうだとするならば、集会所でこれらの料理を作ってはどうだろうか」という意見も出た。それを神社で食べてはどうかというものだった。
一方では、秋の祭りに替わって地区のレクレーション大会である「夏祭り(夕涼み会)」は、盛んになっているようだ。ただしこれは、地区住民参加の限定的なものだが。
こうした地区の「夏祭り」が盛んになるにつれて、神社の「秋祭り」は廃れてしまったというのだ。ほとんど人の集まらない神社にレコードだけがなっているという集落が増えているとのことだった。
そこで、地区のお楽しみ会である「夏祭り」と神社の「秋祭り」について棲み分けるべきであるとの意見も出た。夏のお楽しみ会は、「育成会・青年会(~45歳)」と「壮年会(45~60歳)」が、秋の神社の祭りは「実年会(60歳~75歳)」と「老人会(75歳~」が中心になって担当するというものだった。
地区の組織そのものもずいぶん弱体化しているという意見も出た。女性組織に至っては、組織そのものが存在していない所もあるなど様々である。このような状況下で災害にあったら、ずいぶん動きにくいだろうなあと感ずる。
「盆踊り」はこうした希薄な地区の人間関係を少しでも改善するために、役立つのではないかと私は信じている。老若男女が一つの場に集い、一つの輪(和)を作ることってそうそうあるものではないと私は信じている。楽しい雑談だった。
(日記:朝飯前に、家庭菜園の作物に化成肥料を与える。午前中、博物館や音響などの費用を支払いに行った。また、芸能発表や盆踊りの中心となって下さった親和会のリーダーのOさん宅へわずかな謝礼を持ってお礼に出向いた。昼食後、私たち夫婦と二人の孫とで「市営プール」へ泳ぎに行く。約3時間プールで遊びの相手をした。帰宅して、庭木の剪定。夕食直前に、『ふるさとの踊り大会』で写真を撮っていたYさん宅へお礼に出かけ、写真のデータをCDに焼いていただく。私は、写真どころではなかった。)