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「年をとる」ということは?

12 7月
全てが衰えるのか? 
  「年をとると、体力が衰える、記憶力が衰える、体力がなくなる、持久力がなくなる、姿勢が悪くなる、……と、全てが衰えるのでしょうか?」

  ある講演会で、講師の先生が集まった人たちにこう問いかけた。確かに多くのものは30歳前後をピークに衰えるが、経験や知恵はどんどん増えていくのだと。

  しかし、こうした年長者の経験や知恵はそれぞれの地域で活かされているだろうか。長年の生活で培われた様々の経験や知恵は、ほとんど「ゴミ」のように捨て去られてしまうのではなかろうか。

  こうした多くの人たちに経験や知恵は、地域のためどころか家族のためにも活かされていないのではなかろうか?これらを活かす仕組みがほしいとつくづく思う。

   テレビがこんなにきれいに見えるのも、誰か一人の知恵でできたものではない。多くの人たちの長年の知恵や経験の積み重ねの結果可能になったものであろう。

  今や当たり前のように空を飛ぶ飛行機も100年ほど前の1903年の暮れにライト兄弟が世界で初の有人動力飛行に成功したことに端を発し、多くの人たちが改良を加えた結果であろう。

  4回の実験の飛行結果は、12秒、12秒、15秒、59秒であったという。ライト兄弟の失敗を恐れない挑戦が空への扉を開けたのであろうが、その後も、多くの人たちの研究者がこれらの研究を活かして、さらに改良を加えた結果であろう。

じゃがいもを掘り、そのあとに黒瓜を植えるための耕耘作業。今日は本当に暑かった。

   各家庭で、各地区で、各自治体で、各県で、各国で、高齢者の経験や知恵を活かす仕組みを考えたら、世の中はもっと改善されるのではなかろうか。

  何もかも新しくなることだけが進歩ではない。原発で世の中は進歩したと言えるだろうか。国策、企業、自治体、政治家、国民、様々なものが、経験や知恵を軽視して進んだ結果ではなかろうか。

  教育の世界でも、新人が0からスタートし、先人の知恵を活かさないまま、遅々として指導力を向上させられない場面を多く見て来た。子供達は、教員の前に次から次へと現れるが、自ら教師を選ぶことができない。

横浜の孫たちとウェブカム。私は途中でゲートボールの練習に行ったが、家内は1時間半ほど孫たちと話していたとのことだった。

  高齢者の知恵を活かす仕組みを作ることが大切だとつくづく思うこの頃である。もちろん、家庭においても、自分の集落においてもそうである。考えてみたいテーマだ。

(日記:午前中、家庭菜園作業。ジャガイモ掘り。そして、堀とった畑を耕した。自宅には、黒瓜の苗が待っている。それにしても、今日は暑かった。熱中症に気をつけながら水分をたくさん摂っての作業であった。来ているものは、まるで大雨にあったように汗で濡れてしまった。シャワーをして、午後は、編曲作業。親父バンドのジャズの編曲である。昔ドラムをやっていた頃の血が騒ぐ。考えてみれば、最近は演歌や民謡の創作ばかりに時間を取られていたからだ。遅羽公民館のOさんから「民謡練習会」の練習について電話があった。先ずは、7月21日に遅羽公民館で行うことを決めた。また、猪野瀬地区の回覧板で回していただく「民謡練習会」のチラシを

雇われ人足としてゲートボールの練習に参加。区民と親睦を深めるにはよいことだ。

班の数である45枚印刷した。午後7時から横浜の孫達と久々のウェブカム。話の途中で、電話が入り、「ゲートボールの練習に来て」と誘われる。1年に一度だけ、「雇われ人足」として地区の大会に出場。今週は毎日練習することになっているのだ。)

 
 

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