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「すること」と「させられること」

07 7月

気持ちの持ちよう
  朝5時起床。多少睡眠不足だが、いざとなったら昼寝をすればよいと思うと、気が楽だ。最初に、『ふるさとの踊り大会』に使う民謡などの三味線の楽譜を書いた。

  これは私が演奏するものではなく、頼まれたものだ。なるべく弾きやすいようにしなければならない。ギターの弦を三味線と同じように張って、弾きやすさを確認しながら楽譜を書いた。

  今日のスケジュールは、ショウガに油かすと化成肥料を施し、その上に切った麦わらを乗せ、さらに土をかぶせるのだ。雨が降らないつもりで作業を始めた。

  麦わらと化成肥料を取りに事務所横の小屋へ出かけた頃から、ぽつりぽつりと雨が降り出した。肥料を撒き、麦わらを切って畝にばらまくまでは、雨が降ってもできない作業ではない。

  雨はどんどん降り続いたが、くわで畝の間の土をすくい、麦わらの上へ順次乗せていった。晴れるつもりでいたが、雨が止まず、田んぼはどろどろで身体は水浸し。

  作業ができる状態ではなかったが、無理矢理作業を続けた。もしもこの作業が誰かにやれと言われたら、できない理由を並べてやらなかっただろう。

  しかし、自分で決めたことなので、作業を続けるのも、止めるのも自分次第だ。そうなると、どうせやるべき仕事なら、雨が降ろうがやってしまった方が二度手間にならない。

降りしきる雨の中、鍬を片手に「はいポーズ」。迎えに来た家内が車の中からパチリ。身体はべたべた、衣服はどろどろ。後ろは法人の里芋畑。この中に、私の里芋の畝もある。

  どろどろの土を鍬ですくい、次々とショウガの畝に乗せていった。どうせ身体が濡れたのだからと、里芋の余分な茎を切ったり、草を取ったりと、雨の中でやりたいことは全てやった。

  子供の勉強でも、習い事でも、やらされているのと、やっているのでは大きな違いが出てくる。どうすれば自らやるようになるかが問題だが。

  家庭にあっては、子供といえども、「分担(割り当て)」と「手伝い」の区別はつけておいた方がよいと思う。手伝いは、他人の仕事を応援しているものであり、「割り当て」は家族の一員として自分がすべきことを受け持つことであろう。

  いずれにしろ、「やらされる」より「やった」方が、気持ちも前向きになり、能率も上がると思う。退職後の人生においては、なるべく自らいろんなことをやっていきたいと思う。

(日記:早朝より、楽譜書き。その後、ショウガに肥料を撒き、その上から麦わらを切って撒き、土をかぶせる作業、私の地区では「土をする」というのだが、それをやった。雨の中、泥だらけになった。午後は、区長がやってきた。「片瀬豊年ばやし」の今後のあり方と衣装について話し合った。その後、勝山城博物館へ出かけ、祭りの会場に下見をした。帰宅後、楽譜を書き続け、カラオケを作り、CDにして、楽譜と共に、Uさん宅へ届けた。雨が激しく降るので、植木鉢のイチジクに傘をかぶせたり、植木鉢の柿の木を軒下に入れたりした。それにしてもよく雨が降る一日だ。)

 
 

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