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全国レベルの平泉寺の存在

09 6月

常に中央の動きを察知
   来週の水曜日に実演する紙芝居『白山平泉寺物語』の制作の追い込みに入っている。紙芝居の制作に当たって、平泉寺に関係する人たちや関係する出来事、記述されている書物を調べてみると、どれもこれも全国級のものばかりである。

  たとえば、書物を見れば、かの有名な『平家物語』、『太平記』、『義経記』、『朝倉始末記』などんい平泉寺が登場する。どれを見ても、超一流の発行物である。全国誌に掲載されたということである。

 関係する人物などをあげると、比叡山延暦寺、平家・源氏、源義経、奥州藤原氏、後醍醐天皇、足利尊氏、斯波氏、新田義貞、豊臣秀吉、織田信長、朝倉氏、柴田氏、徳川家、加賀前田家、……これらの人たちと何らかの関係があったようである。

  また、日本の三名山の一つに数えられる白山との関係も特筆ものである。白山を開いたと言われる泰澄大師が平泉寺をつくりあげたからである。

紙芝居『白山平泉寺物語』に登場させる織田信長のイラスト。パソコンでタブレットを使って描いた。

 こうしたことを考えると、平泉寺は日本有数の宗教集団であったことが伺える。常に中央の情報をキャッチすることができる独自の情報網を持っていたのではなかろうか。また、中央の有力者も、平泉寺を無視することはできなかったのではなかろうか。

 また、平泉寺の焼き討ち以降、白山を巡って加賀藩と越前藩が常に争い、幕府の裁定を仰がなければ決着しなかったようである。特に、白山麓の領有権を巡っては決着がつかず、これらの地区を幕府直轄領としなければならなかったのである。

 いずれにしても、平泉寺を調べることは、常に、日本の歴史を調べることと同じであると、今回の紙芝居作りを通して痛感した次第である。

(日記:午前中、平泉寺ついて調べる。調

庭に咲いた一輪のバラの花。辺りが華やかになる。

べれば調べるほど疑問も出てきた。月曜日に、質問を一括して市の学芸員に教えていただくようお願いした。午後、法人から借りてる畝のショウガにマルチをまくってヌカをかぶせた。まだ、ほんの少ししか芽が出ていなかった。里芋はほとんど芽が出ていた。その後、自宅で育てている甘瓜と黒瓜の苗の植え替えを行い、さらに自分の家庭菜園で草取りや、耕耘作業を行った。帰宅してから、『白山平泉寺物語』に使う織田信長のイラストを描いた。この絵に背景をつけて、紙芝居に使うつもりである。)

 
 

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