壮大な平泉寺800年のドラマ
平泉寺について、市民の皆さんはどれぐらいご存じだろうか。実を言うと私も、市教委に9年間勤務したが、そんなにわかっていなかった。
時々、往時の遺物が発掘されるが、平泉寺の歴史の全容をわかっていない者には、さほど興味のあることではなかった。そこで、自分でいろんな書物を読んでみた。
そして、「平泉寺」単体では、全国的な文化遺産にはなり得ないと痛感した。白山は日本3名山の1つである。山の高さだけなら、日本でも80数番目だそうだ。
しかしながら、白山をご神体と崇める白山神社の数は日本全国に三千数百社に登るといわれている。富士山や立山の比ではない。それは、白山の持つ神性によるのではなかろうか。
特に、晩秋から早春に変えての純白の山肌は、非常に神々しい。まさに、神の宿る山にふさわしい。伝説によれば、そんな霊峰白山を開いたのは泰澄大師であり、その登り口である馬場として賑わいを見せたのが平泉寺である。
平泉寺は、白山と共に発展していったのである。平泉寺を語るには、「白山」を抜きにすることはできないのである。平泉寺を語るには、常に白山を意識していなければならないと思う。
平泉寺がメジャーになるかどうかは「白山」にかかっていると言っても、過言ではない。世界遺産を目指すテーマは「白山と山麓の文化的景観」である。
このテーマにあるように、先ずは「白山」そのものが世界遺産を目指す鍵である。そして次に、白山麓の文化的な景観であり、その中には白山信仰も平泉寺も禅定道も含まれているのである。
私たち勝山市民としては、平泉寺の歴史を知ることは不可欠であり、興味のあるところである。しかし、簡単に全容を理解することは難しい。
そこで私は、市教委勤務時代に息子と共に簡易アニメ『平泉寺物語』を制作したのである。また、息子の制作したホームページ『みんなのは白山』のために約1年、白山に登ったり、白山の写真をとり続けたのである。
こうしたアクションは、少しでも自分が平泉寺を理解したかったからである。また、少しでも多くの子ども達にも白山を理解してほしいと思っている。
来月には、ある団体から、紙芝居『白山平泉寺物語』を上演してほしいとの依頼が来ている。楽しく、嬉しいことだ。少しでもよいものにしたいと思う。できたら、家内と二人で音楽付きで上演したい。
(日記:午前中は、炊事洗濯、作物の水やり、買い物などで終わってしまった。午後は、紙芝居の絵のプリント。厚紙に印刷するので1枚1枚が非常に時間がかかる。半日ではとてもプリントできない。夜は、「片瀬豊年ばやし」の練習。今年も、いろんなイベントに出演予定。)