今年が勝負
昨年の9月に、「片瀬豊年ばやし」は生まれた。片瀬地区におよそ100年前から伝わる銭太鼓を活かしながら、全く新しい片瀬の銭太鼓を誕生させたいという願いを多くの区民が持っていたのだ。
というのは、我が片瀬地区に伝わる銭太鼓は、島根県の「安来節」にあわせて銭の入ったバチを振るもので、地区の誰かが明治の末期にこの地に伝えた芸能であったからだ。
今年は、市のエコミュージアムの補助金をいただいているので、みんな力が入っている。なんとか、衣装は作れるのではないかと思っている。
練習の合間に、そろいの法被を作ることを決めた。襟と背中に文字を入れることを決めた。私個人は、この「片瀬豊年ばやし」を、単なる郷土芸能であるとは思っていない。
後継者のいない村の農業を守るために作った「農事法人かたせ」のテーマソングであるとも思っている。歌の文句に、「イモ(里芋)とショウガとうまい米」という歌詞を入れた。
この三つは、昔からの片瀬の特産物である。これらの初出荷の時、あるいは大売り出しの時、「片瀬ブランド」の宣伝の時などに、「片瀬豊年ばやし」を披露したらどうかと思っている。
いわば、「片瀬豊年ばやし」は、「農事法人かたせ」のテーマソングであり、コマーシャルソングであり、区民がまとまるための「区民の歌」であり、「区民の芸能」でもあると思っている。
今年、新しい農舎が完成した。我が片瀬は、自前で米を乾燥し、片瀬ブランドとして売り出すつもりでいる。昨年までは、全てJAにお願いし、乾燥や臼すりをお願いしてきたのであるが、少しずつ独立しようとしている。
今年はまだ、大々的に一般販売は無理かもしれないが、少しずつその方向へ進もうとしている。「片瀬豊年ばやし」は「農事法人かたせ」と一体となって発展していくことを願う。
(日記:午前中は、最初に米かちや雪害の写真の印刷などを行い、その後、家庭菜園の整理棚に使う「波トタン」や「水切り」などをホームセンターで購入し、作業を開始。午後も、作業を継続。整理戸棚のだいたいの形を作り、屋根を仕上げた。後は、棚板を張れば完成だ。予想以上に時間がかかったが、この間、ラジオを聞いていたので、退屈はしなかった。むしろ楽しかった。今日は6時で作業終了。午後、7時半から「片瀬豊年ばやし」の練習。)