いかに子供が自分の頭で考えるか
昨日、長女から電話がかかってきた。「算数の授業についていっしょに考えてほしい」と。この年になって少しでも子ども達の役に立つことは嬉しい。
午後6時に医科大で会うと約束した。 夕方5時に家内の入院している医科大へ行って娘を待っていた。午後6時過ぎに、娘がやってきた。医科大の談話室で、家内と3人で算数の授業について話し合った。
昨年3月まで9年間、ずいぶん多くの授業を参観した。そして、気がついたことは、一般論だが、次のように感じていた。
それは、山登りにたとえるならば、「子ども達を一斉に3合目までバスで連れて行って、そこから7、8合目まで並んで登らせている」ように思えた。これでも、一定の点数はとれる。
しかし、これでは、新しい山に自力で登ることはできないと思う。先ず、麓から自分の足で(自分一人で考えて)登らせてやってほしいと思う。
子供達の能力は様々だ。一度は、自分自身で考える癖をつけてやってほしい。どうしてもわからない時に初めて、一人一人に合ったヒントなどを与えればよいと思う。
「自分の言葉で語る」、「自分の頭で考える」ことが最も大切だと思う。「知恵無限」であり、世の中へ出たら、学校時代とは異なり、正解が1つであることなどほとんどないからだ。
結果は同じでも、自分で考えて解いたか、解法を(先生などから)習って答えを出したかでは大きな違いがある。社会へ出たら、誰も1から10までは教えてくれないからだ。
家内も加わって、3人での算数勉強会はとても楽しかった。何かの役に立ったかどうかわからないが、何かをつかんでくれたようなので、少しホッとした。
また、家内が退院したら勉強会をしようということで別れた。子ども達の役に立つことがあってよかった。満足して帰宅した。
(日記:午前中は雨が降っていたので、紙芝居『白山平泉寺物語』の絵の最終チェック。そして、来週土曜日の大師山植物観察の後のアトラクションとして山頂でオカリナ演奏を行うのでその伴奏楽譜を作成した。午後6時から医科大の談話室で、長女の算数の研究授業の勉強会を行った。家内も色々と話題を提供してくれた。子供の役に立てて嬉しかった。9時過ぎに別れて帰宅した。)