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御法事で道場へ

06 2月

道場で一日過ごす
  今日は、御法事の法要と戦没者慰霊の法要が村の道場で行われた。午前9時半より読経が行われ、その後説教が行われた。市内の法勝寺のお寺さんが招かれての説教だ。

  途中で、奥さんが描いたという紙芝居も使いながらの説教であった。子供の時代は、娯楽が少なかったせいもあり、何かと道場へ出かけたものである。

  昔は、読経の最中は、いろりで子供達が集まって話したり、米ふかしやかち栗を食べたりしながら楽しい時間を過ごしたものである。

  説教の時間になると道場の片隅で話を聞いていたりした。この道場は、映画や幻灯を見たり、園芸などをやる文化センターのような役目を持っていたのである。

  今日集まった年代をみると、一番多いのが70歳代、続いて60歳代、50歳代となっていた。若者の寺離れが進んでいるように思えた。

資料を使って説教をする法勝寺の住職さん(於:片瀬三屋道場)

  子供達は、寺へ出かける用事がないだろうし、娯楽の多い今の時代は、子供達にとっては魅力ある場所になっていないように思う。寺で楽しい思いをした世代は、今や50歳代以上である。

  午後も、参加した。戦没者慰霊の法要があった。この村から戦争に参加してなくなった人は、20人あまりであった。神社から日の丸を振った村人に送られて戦地へ出かけて行ったそうである。そして、生きて帰れなかった人たちである。

  戦争を始める人、負けが濃厚でも止めない人、これは政治家であり軍人であったであろう。一般人は補給も十分でない南方などで相手の攻撃や病気に倒れてしまったのだという。

  少しずつ、戦争が風化していくようである。誰もが平和を望んでいるだろうし、誰もが家族の幸せを祈っているのだが、戦争はこの世からいっこうになくならない。

  説教を聞きながら、戦没者の名前を聞きながら、若い命を戦争のために失った人たちの無念さを思うとき、やりきれない怒りと悲しみがわいてきた。

(日記:午前9時半から昼をはさんで午後5時道場で過ごした。説教の途中で、他の宗教の話も出た。帰宅後、童謡のCD作り。ようやく、午後10時前にCDだけはできた。楽譜印刷までには至らなかった。明日の練習は楽しみだ。)

 
 

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