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平尾正晃さんのテレビを見て

19 2月

刺激を受ける
  昨日、テレビのチャンネルを回したら、「平尾正晃さんの番組」をやっていた。私より6歳上だが、我が青春時代のあこがれの存在だった。最初はウェスタンミュージック、そして、ロカビリーと当時は音楽の世界では流行の先端を走っていたのではなかろうか。

 特に、ロカビリーでは、山下敬二郎とミッキーカーチスの3人が当時の若者音楽のスターであった。今考えてみると、私の若い時には、二通りの音楽が同時にはやっていた。

  一方では三橋三智也、春日八郎、美空ひばりなどの日本の演歌が、他方ではポールアンカやプレスリーなどの外国の音楽が流行していたようだ。私は、両方の音楽に興味があった。そして、大学に入ってからバンドを組んで主に外国の音楽を楽しんだ。

  昨日の平尾正晃さんだが、歌手としての絶頂期に不祥事から音楽活動の表舞台から身を引かなければならなかったのだ。しかしながら、歌作りは休まず続け、布施明の数々の歌を提供し、作曲家として蘇ったのだ。

  鳴かず飛ばずだった福井県の「五木ひろし」さんも、平尾正晃さんの『横浜たそがれ』で歌手として蘇ったのだ。宝塚から転身し多「小柳ルミ子」さんも、平尾さんの『私の城下町』で歌手としてスタートしたのだ。

  このように、いろんな歌手に素晴らしい歌を提供し続け、」作曲家としての絶頂期に今度は病魔(肺結核)におそわれ、肋骨を6本も切る大手術をして再び蘇ったのだ。入院中も、ギターと持ち込み、作曲を続けたという。

  ずっと感動しながら、この番組を見た。そして、私も趣味として歌を作っているが、今日から、毎日、一節はメロディーを作ってみようと決めた。明日からでは遅い。今日からだとの想いでギターと五線紙を用意してメロディーを作った。

家の前でソリに興ずる長女の息子。一人でできるようになった。

  そして今日。平凡ではあったが、2曲のメロディーを作った。16ビートの歌とロック調の歌だ。メロディー日記とでも名付けてなるべく毎日続けたい。そして、日を改めて聴いてみると、おそらくそのほとんどは平凡でつまらないメロディだと思う。

  100のうち一つでも少しまともなメロディができればそれでいいのだ。とにかく、行動しなければなにも始まらない。昨日は本当にいい番組を見たと思っている。

(日記:午前中は、自宅で孫達を触れ合う。午後は、メロディー作りと孫との雪遊び。午後4時頃事務所の駐車場の排雪作業。数学のホームページを作りながらの作業だった。)

 
 

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