野菜と人の類似点
私は、野菜作りにおいては、せいぜい家庭菜園での経験しかなく、確たる理論もない。しかし、一つ言えることは、両者とも手をかけただけ、それにこたえてくれるということである。
また、丈夫な根っこを育てることが大切であることもよく似ている。人間も、基礎がしっかりできていなければ大きく成長できることはない。人間における基礎とは、前向きの精神、創造的な力、そして基礎的な知識であろう。
知識だけでは、大きく育たないことは誰もが知っていることである。野菜も同様で、しっかりした根っこが育っていなければ、大きく育つことはなく、実りの時期を迎えても、十分な収穫は期待できないであろう。
我慢する力
我慢のできない人間は、いざというときに力を発揮することは困難であろう。
聞いた話ではあるが、花を育てる場合、水がほしい時期に、我慢させることが大切だということを聞いたことがある。植物は、水が十分得られないとなると、水を求めて根っこを伸ばすそうだ。
ところが、いつも簡単に水を与えてしまうと、植物は、自ら根っこを伸ばさないそうだ。ひ弱な根しか持たないことになるらしい。いつも、保護者からモノやお金を与え続けられた子供は、水から求めようとしない。
学ぶ意味も、働く意味も理解できないらしい。今の状況をもっとよくしようとする気持ちも起こらないらしい。こうした状況とは逆に、心身共に飢えた状況にある者は、よりよい生活を求めて、より充実した人生を送るために、自ら、行動を始めるのだ。
“ハングリー精神”という奴だ。かつての日本人は誰もが持ち合わせていたのだ。誰もが“我慢する力”を持ち、向上しようとする気持ちを持っていたのだ。
私達も、人間である前に、動物である。動物遠くの共通点を持っているだろう。動物から学ぶことを多く持っているはずである。
私達は、動物である前に、生物である。植物と共通の部分があるのはおかしいことではない。
大きく育つには、見えない根っこうの部分が大切だということだ。家庭菜園で野菜を育てながら、時々そう思うことがある。
(日記:午前中、定期検診のために済生会病院へ行く。午後、。家庭菜園の草取りなどの作業。)