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当たり前か?

01 5月

私達は活字には弱い
 私たちは、新聞や様々な書籍など活字になった情報に対しては、それが全て真実であるかの如く受け取りやすい。
 しかし、新聞を二紙以上購読してみると、よく分かる。A紙では重大であると捉えている問題でも、B紙では取り上げもしなかったり、小さな記事で済ませている場合が多い。

 新聞社の立場で記事の取り上げ方が全く違うからである。読み比べて、自分の頭で考えないといつの間にか洗脳されてしまう危険がある。

 また、物事を考える場合でも当事者として考えるのか、傍観者として考えるのかによってずいぶん異なる。

 米軍基地問題もそうである。沖縄県人の立場、与党の立場、野党の立場、沖縄以外の国民の立場、アメリカの立場、それぞれの立場によって考えは異なる。

 従って、今月中にこれらを一つにまとめるのは至難の業である。傍観者になって、マスコミの報道の導くままに、無責任にただ批判しているだけの言動は慎みたいものである。

 やはり、一定の年齢になったら、浮き草のように自分の立場をはっきりさせずに批判ばかりしている人間にはなりたくない。これでは、人の信頼は得られないだろう。

 「事業仕分け」を見ていると、「これは当たり前ではない」と思う場面が多いと感ずる。

私達は映像にも弱い
 映像についてもそうである。“百聞は一見に如かず”ということわざもあるように、私たちは映像には全く弱い。

    しかし、映像といえども全体の一部を切り取っているに過ぎず、よくよくその裏側や見えない部分を考えないと、判断を誤ることになる。

    少人数しか集まらない集会でも、全体を映さなければ、たくさん集まっているような錯覚を起こさせることは簡単である。何万の大軍が合戦しているシーンも百人余りで十分表現できるように。

 それにつけても、最近のテレビは長期間にわたって政治と金の問題ばかり扱っている。国民が、政治とはこのようなものかと思ってしまっては大変である。

 これは、当たり前ではない。本来審議すべきことはたくさんあるはずである。

 しかしテレビ局は、視聴率を上げるためになりふりかまわず構わず興味半分に報道する。政治とはこのようなものだと思ってしまっては大変である。

 マスコミの姿勢もこれでよいのだろうか?表現の自由のためには誰もこれを止めることはできない。見る者が悪いと言ってしまえばそれまでである。そのうちに、これが当たり前だと思ってしまうことになるだろう。

 私達は、常に、「これは当たり前か?」を考えながら生活しなければならない。子どもたちにも自分の頭で考える習慣をつけなければならないのではないだろうか。

 そうでなければ、世の中は知らないうちに、とんでもない方向へ行ってしまうことになるだろう。

(日記:今日は終日、野菜の苗を植える準備をし、トマト、キュウリ、シシトウ・ピーマンなどの苗を植え、豆やほうれん草の種播きをした。夜はファイル整理。)

 
 

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