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平泉寺の凄さ

07 5月

白山と平泉寺
 午前中は、家の様々な品物の整理。午後は、パソコン内のファイルの整理を行った。今日は特に「平泉寺」関係のファイルの整理を行った。

 平泉寺を語るときに欠かせないのは、「白山」の存在と平泉寺を開いた「泰澄大師」の存在であろう。

 神々しい白山の存在は、昔から現在に至るまで、周辺の人達の生活と大きく関わり、一心に祈りの対象となってきた。そのことは、2000社以上ある白山神社の存在に現れている。

 平泉寺については、いろんな人がいろんな感想を持っているようである。「苔」を始め境内の美しさに関心を持っている人もいるだろうし、平泉寺旧境内の発掘調査に関心を持っている人もいるでしょう。

平泉寺の情報網
 私は、平泉寺の歴史に関心を持っている。平泉寺の歴史は決してローカルなものではない。常に、全国の最強の権威に関わって生き延びてきたように思われる。

 比叡山の傘下に入ったり、「源氏か平家か」、「南朝か北朝か」と時の勢力を読みとり、身の処し方を考えてきたのは、独自の情報網を持っていたからではなかろうか。

 そして、大きな勢力を持ちつづけ繁栄を謳歌してきたのである。その勢力の及ぶところは、福井県内の半分近くにも及んでいたのではないかと思われる。

 県内の強力な勢力だった朝倉氏とも手を組むなど、あの手この手で生き延びようと努力するのである。しかし最後には、内部分裂が起こり、滅びてしまうのである。

 これらを、なんとか子ども達にも分かるようにと、紙芝居化しようとしているが時間がかかりそうである。でも、やりがいはあると思っている。

源氏に味方すべきか、平家につくべきか?

南朝につくべきか、北朝につくべきか?

 
 

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