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Archive for 4月, 2010

旅の支度

10 4月

旅の形
 旅と言ってもいろんな形があると思う。一人旅。夫婦の旅。気の合う友達との旅。組織に一員としての旅。また、交通手段もいろいろである。歩く、電車、車、飛行機又は、これらの組み合わせが考えられる。

北海道一周
   これまで旅した中で一番の思いでは、家族揃っての北海道一周の旅であろう。ワゴン車の屋根に建具屋さんに特製の組み立て式骨組みを作ってもらい、テント屋さんに厚地の生地で特製テントを作ってもらって新潟からフェリーで出発した。最初に小樽へ行き、札幌、旭川、富良野、宗谷岬、網走、知床、釧路、池田、函館……と、家族5人が車中泊とホテルや民宿での宿泊を繰り返しながら、北海道を一周したことが大きな思い出となっている。

テレビなどで、摩周湖が出てきたり、カムイワッカ湯の滝や阿寒湖が出てくる度に、家族で「あっ、行ったことがあるとこや」と自己満足しているのである。

坂本龍馬を訪ねて
     坂本龍馬を訪ねて、高知県も旅したが、このときもメンバーは家族全員。桂浜や龍馬の博物館、生家のあった場所など龍馬ゆかりの地を尋ね、記念のグッズを買ったりもした。今年は、大河ドラマで龍馬伝が放映されているが、再度高知を訪ねたいと思っている。

明日から九州一周 
退職を記念して、今度は夫婦二人で九州を一周したいと考えている。九州と言えば、高校の修学旅行引率で何度か訪れたことがある。福岡、長崎、阿蘇、別府、宮崎、鹿児島などを見学したが、今度は、そうした観光地の他に、まちづくりや農業などの先進地も見学したいと思っている。

そして、観光地を見学する際にも、何が観光振興に役立つのか、もてなしの心はどうか、何か目新しい物産はないのかなど、地元の観光振興に役立つものを一つでも二つでも見つけられないかと考えている。

さらに、幕末の舞台となった長崎や熊本、鹿児島の史蹟なども見学できればと考えている。今日一日は、その準備に追われた。

(日記:旅行準備。退職の挨拶のためのはがきを書く。はがき投函の際、弁天の桜を見る。まだ、八分咲き程度だった。)

幕末青春記   『龍馬』         歌:旭 義明
作詞・作曲・編曲 いなか もん

一、土佐の城下は 俺には狭い
人に上下は あってはならぬ
剣に命を かけてはみたが
古い日本は 変えられぬ
姉貴 見てくれ
俺はやる この国を 洗濯する

二、藩と藩とが 争う時期(とき)か
お家大事は わかりもするが
周り見渡せ 虎視眈々と
迫る異国が 見えぬのか
俺は 守るぞ
父母の国 きみの国 命かけて

三、狭い了見 かなぐり捨てて
恨み乗り越え 手を取る時だ
国をまとめて 一つにしたら
後はまかせて 俺は行く
明日は 乗り出す
船の上 波の上 夢を求め

 
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健康維持とまちづくり

09 4月

定期検診
 2ヶ月に一度、福井の病院で定期検診を受けている。約二ヶ月間の身体の状態が分かる血液検査もある。まるで学生時代に通知票をもらうような心境だ。

病院では思わぬ人に出会う。考えてみれば、病気は自分自身がつくる場合が多いように思う。食事や運動など日頃の生活習慣が病気を引き起こしているのだと思う。

しかしながら、若いうちは少しぐらいの無理が続いても、即病気になることは少ない。しかしながら、何十年と身体に良くないことを続けていれば、身体といえども機械のような部分があって、痛みや故障が出てくるのは当然のことであろう。

この年になって、食事に気をつけなければならないことや適度な運動が必要であることを痛感している。

楽しんでまちづくり
  だからといって、入院しているような生活では味気ない。健康を維持するためには、次の三つが大切であると思う。

(1)食事(伝統色や健康食)
(2)運動(身体を動かすこと:スポーツや踊りなど)
(3)休養(充分な睡眠とストレス解消)

これらは、いずれも楽しんで取り組むことができ、まちづくりにもつながると考えている。

(1)は、それぞれの地域に伝わる伝統食や健康食があり、それらの中には現代人にも魅力あるものが少なくないと考えている。

「B級グルメ」という言葉があるが、私は地域ならではの料理や食事を「F級グルメ」として売り出したらどうかと考えている。Fはファミリーの頭文字である。
例えば、山村に伝わる報恩講料理や漁師の料理など地域に密着した料理は、ファーストフード全盛の時代にきっと現代人にも受けると思っている。

(2)は、とにかく身体を動かすことであり、スポーツはいうまでもなく、踊り(ダンス)もこれに当たると思う。年齢に応じたいろんな踊り(ダンス)がある。ヒップホップダンス、エアロビクスダンス、ジャズダンス、ハワイアンダンス、日本舞踊、民謡、剣舞など様々なものがあり、これらは仲間作りと健康作りとまちづくりにもつながっていくように思う。私は今、盆踊りが復活することを願っている。

(3)は、生活そのものをゆったりとさっせることであり、選択と集中でライフスタイルを多少見直すことが必要であるように思われる。「モノ」を手に入れるために、働き続けなければならないが、「モノ」が必要以上になくとも、豊かな生活になることを知らなければならないように思う。
若いうちは、ストレスと感じなかったことも、年齢と共にストレスになる場合があるように思う。ということで、これからは、スローライフを心がけたいものである(しかしながら、言うは易く行うか難しである)。

(日記:午前中通院。午後コンピュータ店へ。夕方、家の回りの清掃。はがき書き。)

 

スローライフ

08 4月

朝から快晴。久々に自宅での落ちついた一日が始まった。まず、今日は何をするかを妻と相談。
午前中は、雪囲いはずしと雪で痛んだ樹木の剪定。

家庭菜園
 昼食後、剪定した樹木の枝などをゴミ処理場へ持って行って」処分。その帰りに、JAへ行って籾殻の堆肥をもらいに行った(無料)。そして、ミニ耕耘機で畑を耕し2種類のじゃがいもを植えた。JAからもらった堆肥も土に混ぜ込んだ。また、ポットにあるエンドウの苗の定植。

朝から晩まで猫の額のような畑で過ごした。しばらくすると、じゃがいもの芽が出るであろう。その頃、ナス、キュウリ、ニガウリ(ゴーヤ)、トマト、生姜、さつまいも、とうもろこし、各種の豆や菜類などの苗を植えたり、種を播いたりと、家庭菜園の仕事が続く。充実した時間でもある。そのうちにイチゴが実り始めるであろう。

小さな菜園を維持するための元手は、苗、種、肥料、マルチフイルム(雑草防止)等の費用だが、大した額ではない。一年間楽しめて、東京ディズニーランドへ一日行くだけの費用もかからない。それで、春から雪が降るまで楽しめるのだ。金もかからず、植物相手に、充実した時間が過ごせる。そして、それらを使った料理が食卓を賑わす。

一時に実りすぎたキュウリは、キュウちゃん漬けに、いちごはジャムに、豆やトウモロコシは冷凍してしておけば一年中楽しめる。息子夫婦やわたしの妹たちはこれらの大ファンである。

わずかな田んぼは地区の農事法人に預けてあるので、家庭菜園での野菜作りだけ楽しむことができる。

その昔、休みになると町の人達は行楽に出かけるが、それらを横目に私は田畑の手伝い。いつも田んぼがあることを疎ましく思ったものだが、今は何よりの楽しみになっている。

スローライフの始まり
これからは、家庭菜園の作業の合間にギターでも弾きながら、好きな歌でも作りたいものだ。それが自分の理想だと思っていたが、それができるようになったのだ。

金を使わなければ遊べない。金を使わなければ充実した時間が持てない。これが当たり前になって、国民が金を使わなければ世の中の景気が良くならない。国民に金をばらまかなければ国が立ちゆかないなんてどこかおかしい。

あれもこれもとモノを手に入れようとしたり、金を使ってせわしく遠くへ出かける生活スタイルから、生活の質を向上させる生き方を目指したいものだ。その生き方の一つがスローライフではなかろうか。

『晴耕雨読』ならぬ『晴畑雨歌(晴れたら家庭菜園、雨が降ったら歌作り)』か『晴歩雨創(晴れたら山歩きや散歩に出かけ、雨が降ったら室内で創作活動)』といきたいものだ。

(日記:午前中は庭木の剪定など。午後は、JAで堆肥をゲット。家庭菜園にじゃがいもの植え付け。)

 
 

過疎化と過密化

07 4月

過密化
 息子の横浜の家で過ごす4日目。朝7時前に起きて、散歩に出かける。犬を連れて散歩する高齢者とたくさん出会った。この人達は日中何をしているのだろうか?

また、次から次へとやって来る電車に乗って多くの人達が動いている。この人達は何を考え職場に急ぐなのだろうか?沢山の人が集まる都会は、確かにいろんなことをする機会があり、いろんなものが溢れ、いろんな人が集まっている。
夢を求めて都会へ集まる人達は、それぞれ満足できる居場所を見つけることができるのだろうか?大きな組織の歯車になってはいないのだろうか?

電車で移動中、窓から見える横浜や東京の景色の中に、高層マンションやアパートがよく目に付いた。若いうちは、仕事にも脂がのっていて便利な都会で過ごすことに大いに意味があるだろうが、歳をとったときや、リタイヤした後はどうなるのだろうか?マンションの一室で何を考えどう過ごすのだろうか?

過疎化
 高校を卒業すると、多くの者が、進学のために、就職のために、地域を離れる。地域には働く場が少ないのだからやむを得ないことであるが、どこか悲しい。豊かな自然があり、綺麗な水と空気があり、美味しい食べ物がありながら、若者の多くはふるさとを離れていく。働く場がなければ、地域に留まることは困難であろう。

それならば、100人のうち1人でも、都会へ出て腕に力をつけてから、地元に戻って働く場を作ってほしいものだ。若者の起業を期待したい。きっと、豊かな自然の中でできる仕事があるはずだ。

吉幾三の「おら東京さ行くだ」ではないが、「おら田舎へ戻るだ」と言える人材の出現を待っている。きっとあるはずだ。田舎でもできる仕事が。

(日記:午前10時に新横浜を発つ。午後3時前に自宅へ到着。午後6時頃、歓送迎会あり。)

 

ディズニーランドで考えたこと

06 4月

横浜三日目。幼稚園児の孫娘(5歳)の春休みの思い出作りに徹することを決めて、私たち夫婦、息子の嫁と孫娘二人の5人は、電車を乗り継ぎ乗継して、ディズニーランドへ出かけた。

アトラクションもすべて、孫娘に照準を合わせて、我々夫婦は、孫の喜ぶ顔を見たさに園内をうろうろ。家内は、2歳の孫娘のリクエストに応じて、メリーゴーランドに2回も乗った。さらに上の娘のリクエストに応じて、コーヒーカップとダンボの飛行機に一回ずつ。コーヒーカップには目を回してしまったようだ。

私はと言えば、リトルワールドで舟に一回乗っただけ。後は、みんなで昼夜のパレードを3回見たが、孫娘たちはとても喜んでいた。

『手塚治虫ランド』があってもいいなあ
 その昔、ディズニーのマンガやアニメ映画は、世界の子供や大人たちに、とても人気があったのである。そして、さまざまなキャラクターが全世界で有名になっていったのである。その後、ミッキーマウスやミニーマウス、ドナルドダッグなど多彩なキャラクターを中心に、ディズニーランドが生まれたのである。そして、いろんなアトラクションが手を変え品を変えて登場している。しかし、子どもたちはミッキーやミニーが登場すればやんやの喝さいである。
一方、ユニバーサルスタジオにはなじみのキャラクターは少ない。その分、スケールの大きいアトラクションで観客を魅了している。しかし、子供受けするキャラクターという点になるとディズニーランドにはかなわないのではないか。

いま日本でもっとも人気のあるキャラクターは何であろうか?もしかしたらアンパンマンかも知れない。絵本にも漫画にもアニメにもなっている。バイキンマンやドキンチャンなど多彩なキャラクターにも事欠かない。アンパンマンのキャラターは数多くの商品に使われて、幼児には絶大な人気がある。しかし、どちらかというと幼児向けのキャラクターであるように思われる。

このような人気キャラクターがたくさんいるので、横浜には子供向けの「横浜アンパンマンこどもミュージアム」ができた。一日遊んでも飽きないそうだ。

しかし、ここで私が提案したいのは、『手塚治虫ランド』、または、『手塚治虫ワールド』を作ってほしいということだ。「鉄腕アトム」は漫画にもアニメにもなっている。そして世界中の人気者になっている。手塚漫画には、ひげおやじ、ジャングル大帝の数々の動物、リボンの騎士の女剣士、・・・と、多彩なキャラクターがたくさん登場している。キャラクターには事欠かないのである。特に、アトムは、世界中の人たちが知っているキャラクターである。人間の感情を持つロボットという点でも現代にマッチしている。

なんでもかんでも、アメリカのものが世界を席巻している中で、日本代表としてぜひとも頑張ってほしい。アトラクションも、日本独自のものが考えられるであろう。縄文、弥生時代から、現代まで日本史を紐解けば、様々なアトラクションが考えられよう。そして、アトムがメインキャラクターならば、宇宙へも話を広げることが可能である。日本のロボット技術を生かし、日本独自の味付けをした『手塚治虫ランド』、または、『手塚治虫ワールド』を望んでいるのは私だけだろうか?

こんなことを考えながら、孫娘の相手をして、ディズニーランドで一日過ごしたという次第。

(日記:妻と二人で、終日二人の孫娘の相手をしてディズニーランドで過ごした。)

 
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血が騒ぐ

05 4月

今日は息子の家に宿泊。
朝、家内と二人で電車で、まず横浜中華街へ。昼食後、歩いて雨の山下公園を通り、赤レンガ倉庫へ。ショッピングと美術展見学。
続いて横浜コスモワールドで大観覧車「コスモクロック21」に乗る。雨に煙る横浜港を一望できた。続いて孫たちの土産を買うためにショッピング。

おいらはドラマー♪、やくざなドラマー♪
 続いて覗いた楽器店。店頭には電子ドラムが多数陳列されている。店員さんに頼んで叩かせていただく。
ヘッドフォンそ装着して叩いてみるとまさにドラムの音が聞こえる。低音から高音のドラム音、そして、シンバルの音。軽くロックのリズムを刻んでみる。
すでに気持は47、8年前に戻っている。軽音楽クラブでドラムをたたいていたあの頃に戻っている。

ドラムを志したきっかけは、石原裕次郎の映画『嵐を呼ぶ男』のかっこよさに憧れてのものだ。
10数年前に、小樽の石原裕次郎館で『嵐を呼ぶ男』のダイジェスト版を見たときには、胸に熱いものが込み上げてきたものだった。

あれからずいぶん遠く?へ来たものだ。思えば遠くに来たもんだ。
でも、まだ血が騒ぐ。この電子ドラムを本気で買おうかと迷っている自分がいる。今日は旅先だ。カタログだけで我慢することにした。

ハワイアンバンドの夢もいまだ消えず
続いて覗いた店はハワイゆかりの数々の品が並んでいる店。ハワイアン専門店。
アロハシャツやカラフルなレイを見るとまだやり残したことを思い出して血が騒ぐ。

それはフラダンスチーム付きのハワイアンバンドだ。実は学生時代に、ハワイアンギター(スティールギター)もかじったのだ。
これは、「和田弘とマヒナスターズ」に憧れてのものだ。リーダーの和田弘のあのスティールギターの甘い響きは田舎者の私を虜にしたものだ。
大学時代に、海開きで弾いたこともあるものだ。数年前には、マラソンの応援演奏で家内のウクレレをバックに沿道で弾いたこともあるので、いまでも数曲は弾けると思っている。

また、市民大学講座では、講師を見つけてフラダンス講座を開講してもらった。いずれは夢の実現にと思い、家内にもこの教室へ通ってもらったものだ。
自宅には、アロハシャツも買ってある。ズボンも白っぽい靴も買ってある。100均でレイまで買ってある。後はメンバーを少し集めるだけだ。

まさか横浜で、こんなに血が騒ぐなんて・・・。
もう少し充電してみよう。そして、優先順位を決めて取り掛かりたい。

孫に聞かせる童話の本を作りたい
そういえば、昨晩は寝床の中で孫に即興の童話(作り話)を聞かせたのだ。S先生の市民大学講座『楽しい童話教室』は、開講以来ずっと受講している。今年ももちろん受講するつもりだ。
講師の先生のおかげで何作かの童話も書くことができた。孫のために、童話集でも作ってみるか。これも思案中だ。

(日記:息子宅に泊まって横浜港界隈を散策。妙に血が騒ぐ一日だった。)

 
 

知恵無限

04 4月

最近世の中は非常に厳しい。

特に、民間企業で働く人には厳しい時代である。仕事を失う人、ボーナスをカットされる人、給料大幅減額の人、廃業を余儀なくされる人、様々である。

高校生や大学生の中には、就職できない人がたくさんいる。これはなにも都会だけの話ではない。

知恵は泉のごとく湧く

これに比べて、公務員はどうだろうか?多少のボーナスカットや給料の減額があっても、路頭に迷うことはない。

そんな不安は一切必要ないのだから、今こそ、国民、県民、市民のために何ができるかを考えてほしいものだ。

財政は厳しくとも、知恵は無限にある。知恵は出し続ければ次から次へと湧いてくるものだ。ちょうど井戸水のように、汲み出せば汲みだすほど地下に水道(みずみち)ができて、枯れることはない。

挨拶の機会があるたびに『知恵無限』をアピールしてきたつもりでいる。何か事を為すときには、一人でも多くのものが知恵を出せば、きっとよりよいものができると信じている。

アイディアを出すなら100以上

何か事を為す場合に、アイディアを出すとしたら、一つや二つではだめだと思っている。ぱっと思いつくアイディアには時には素晴らしいものもあるだろうが、多くの場合ありふれた誰もが思いつくようなものが多い。アイディアを出すとしたら、100個は出したいものだ。ある時、小布施ミニマラソンを始めたセーラ・マリ・カミングスさんの書いた「小布施でマラソン大会を始める理由」を書いた100の理由を読んだことがある。それ以来、私は、「アイディアを出すなら100個は出してほしい」と、これまた周囲の人たちに話しているし、自分もそうしようと努めてきたつもりでいる。また、同調してくれる者もいる。

『知恵無限』をこれからも、自ら実践しながら周囲に呼びかけていきたい。きっと生き甲斐につながると信じている。

(日記:朝10時に芦原温泉を出発して息子の家族と一緒に車で息子の住む横浜へ。道中二人の孫とごろごろ。1000円の影響か渋滞がひどくて午後8時に到着。)

 
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丸投げ全盛時代……これでいいのか?

03 4月

成熟社会では、手厚い行政の支援がある。農業、福祉、経済、……等の分野で様々な政策が次々と打ち出され、補助金を伴ってやってくる。一部の人間が考えた、全国一律的な様々な施策とそれに対する財政的援助、……。

国民は自分で考えることを放棄したのだろうか?
与えられることのみ望んでいるのだろうか。
自分で行動することをあきらめたのだろうか。
何でもかんでも行政頼みの人がどんどん増えている。

人の一生これでいいのか
最近の人の一生を考えてみればそれがよく分かる。
子どもが生まれたら幼児施設に、学齢期は学校や児童センターへ預けっぱなし。
これで子育ての楽しみを味わうことができるだろうか?
冠婚葬祭も全て業者任せ。
高齢者になれば施設へ預けっぱなし……。
いずれは自分に返ってくることになるだろう。

やむを得ない場合は仕方がないが、あまりにも“丸投げ”ではなかろうか?
物理的には他者任せでも、精神面まで他者任せでは、人間がモノ扱いになりかねない。

他人のせいにする前に、今こそ私達は自分の行くべき道を自分の頭で考えなければならないのではないか。

しかし、幼い頃から予め設けられた既定の路線に乗って育てられた子ども達は、大人になっても自分の頭で考えることは困難であろう。

プロの農家
 私の知っている限り、プロの農家は自分のビジョンをしっかり持っている。
他をあてにせず自らの企業努力によって経営しているために、農業政策に振り回されない強さがある。
制度に振り回されるのではなく、自分からそれらをうまく利用している。
突然補助金を打ち切られて路頭に迷うようなことがないよう、常に考えて経営している。
他に甘えているうちは、何事も成功しないことをプロの農家は知っているのである。

自分の頭で考え、自分の足で歩く
 国家の独立と同時に、私達個人も、国民としてもう少し自立しなければならないのではないか。何でもかんでも行政任せでは本当の充実感は得られないであろう。

丸投げ全盛時代!私達は何を自分自身でやろうとしているのだろうか?
自分でできることを自分でやらなければ生き甲斐は生まれないであろう。

「世界一豊かで、心の貧しい国?」と言われた日本は今、その豊かさも怪しくなっている。この頃は二極化が進み、何割かの人達が働く場を失い、文字通り貧困層が増えている。

今こそ、自分の頭で考え、自分の足で歩みたいものだ。

(日記:午前中雪囲いの片づけ。夕方、長女(福井)・長男(横浜)の夫婦とそれぞれの孫が二人ずつ、そして社会人2年目の二女(大阪)、私たち夫婦(勝山)の総勢11名が芦原温泉に集まって、私の退職慰労会開催)

 
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孫との再会

02 4月

孫達の帰省

昨年10月から、息子の仕事の関係で我が家の孫達は、横浜へ引っ越してしまった。いつも一緒に風呂に入っていたのに、今はそれもできず、会いたくても簡単には会えない。

しかし今は便利なものがある。WEBカメラによる対話だ。パソコンにつけたカメラによって自由に会話を交わすことができるのだ。おかげで、顔だけではなく、部屋の中も見渡すことができる。

横浜と東京で一緒に歌うこともできるのだ。マイクに向かわなくても、何人もが自然に会話ができるのだ。姉妹が揃って布団の上でデングリガエリする姿も、手を取りあってダンスする姿もよく見える。

普通の黒電話さえなかった時代から比べれば隔世の感がする。

帰省した際、家内が孫に教えたあやとりを、孫達はカメラの前で見せてくれるのだ。

「こんにちわ」と言って、今日、その孫達が帰ってきた。WEBカメラで話しているので離れていても違和感はない。早速孫達二人を抱き上げる。明日の私の退職記念のために、帰ってきたのだ。

明日、横浜、大阪、福井の子ども達が孫を連れて芦原へ集まるのだ。

最後の挨拶

4時半頃、教育研究会の終わりに時間を設けていただいて、教職員の皆さんに、最後の感謝の挨拶をする機会をいただいた。

45年の教育関係の仕事の全てを終えたのだという実感が湧いてきた。

しかし、何時までも感傷に浸っているわけにはいかない。退職前から考えておいたプランを実行するときが来たのだ。

(本日:残務整理のため福井へ。帰省した息子と児童館の事務室の整理。古いパソコンなどを廃棄する。)

 
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『残日録』を始めるに当たって

01 4月

“残日録”ということばは、藤沢周平先生の小説『三屋清左衛門残日録』に出てくる「日は残りて昏るるに未だ遠し」に由来してる。

おそれおおくも、この『残日録』を使わせていただいて、『いなかもん残日録』としましたのは、小説に登場する三屋清左衛門の生き方に憧れたからでもある。

三屋清左衛門は、隠居後、現役時代にはできなかった様々な問題を解決したり、新たな経験を積み上げていく。充実した第二の人生の生き方に感銘を受けた。

私も人生これからだという気持ちで、力まず、焦らず、「地域のため」、「家族のため」、「自分のため」にこれからの時間を有効に使いたいと思っている。

サンデー毎日の日々

いよいよ今日から、組織に所属することがなくなった。

時間は全て自分で使うことができます。土日や夜間さえ自由にならなかった時間の全てが、自分の思いのままに使うことができる。(あれほど過密だったスケジュールは、いくつかの送別会を残すのみとなった。)

しかし、これはこれで大変なところもある。

とりあえず今日は、自分の活動する場の整理を始めた。まだまだ時間がかかるが、活動の基地を整えて、前記の三つの部分で少しずつ活動を始めたいと思ってる。

無理せず、かっこつけずに、自分の想いを自由に気楽に書き続けたいと思っている。

さあ、新しい人生の始まりだ。

(本日:児童館の整理)

 
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