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年賀状

27 12月

年末恒例行事
 昨晩、年賀状の図案を考え、今日住所を書いた。昔なら、数日がかりの大仕事だが、今では、実質一日で完成する。図案を考えれば、後はプリンター任せだ。

 図案と言っても、この一年、自分が取り組んだ主な出来事を組み写真にして載せるだけのことだ。興味のある人に見てもらえたらと思うからである。

 住所は、プリンター任せ。印刷をしている間は、年末恒例の掃除をすることができる。表裏とも完成したら、手描きで短いコメントを書くことにしている。

 しかし、全てにコメントを書くわけではない。ほとんど交流がない場合にはコメントを書きにくいからである。いずれにしても、今はパソコンのおかげで手軽に年賀状を作ることができるようになった。

 その分、手描き時代と比べると味気なくなったかも知れない。しかし、昔の生徒達がどんどん成長して立派に社会人として活躍している様子を知ることは楽しい。

 また、彼らが親として子どもたちとの楽しげな写真を賀状で紹介してくれることが多いが、自分の昔を思いだしてなつかしい。時間はどんどん流れていく。誰かが何かで書いていたが、年を取るスピードは年齢とともに早くなるらしい。いや、早く感じるらしい。

 あと四日で今年も終わる。雪が解けて、春が来て、家庭菜園に取り組んでいるうちに夏が来て、実りの秋。そして雪の冬が来てしまった。来年こそ何か残るものを作ってみたいと思う。紙芝居の他に。

(日記 朝から年賀状作りと部屋の整理整頓。今日も捨てきれなくて、苦労した。「まだ使えるのに捨てるのはもったいない」と「何かに間に合うのでは」と思うとつい捨てる気持ちが萎えてくる。明日は、孫達が帰省する。一気に我が家は賑やかになる。)

 
 

年末断捨離“第三弾”

26 12月

整理したい雑誌類
 定期的に購読している雑誌も1年、2年と経つと本箱のかなり場所を占めるようになる。そこで、順番に捨てることになるのだが、中には捨て難い記事もある。

 そこで、そうした記事をカッターで切り取ってスクラップしている。ところがそのスクラップも上手く整理しないと、どんどん増えてどこに何があるのか分からなくなっている。

 問題は、何のためにスクラップをするのかということだ。そこの所を考えると、スクラップしているねらいがぼやけてくる。

 若い頃スクラップしたものも、少しずつ捨てざるを得ない。目的が変わってくるからだ。さみしいことだが、自分には何ができるかを考えて、的を絞らなければならない。

 こうして、自分を納得させながら少しずつものを捨てていかなければならない。そして、これからどこに力を入れるのかを考えながら、ものを集めたり捨てたりしなければならない。

 かなり捨てたつもりだが、まだまだ捨てきれない。毎月のように買う本もそうだ。よほどの本でない限り二度読むことはないと思うのだが、捨てきれない。

 今のところ、捨てたい本は事務所の本棚へ持って行くことにしている。ここで何年か寝かせてから捨てるかどうかを考えればいい。断捨離のなんと難しいことか。

(日記 今日は、区の事務処理と自分の部屋の整理整頓。昼頃、区民の境界設定に関して立ち会い。根拠となる図面は明治の頃の手描きの地図が元になっているようだ。百年以上も経つと樹木は大きくなり、石垣なども崩れ、境界を確定する作業は簡単ではない。そんなことを考えながら、立ち合っていた。夜は、途中から太鼓の練習に顔を出す。なんとなく気ぜわしい年の暮れだ。帰宅して、年賀状のデザインを考える。例年の通り、組み写真にすることに決めた。大小8枚の写真を組み合わせてはがきに取り込み、簡単にメッセージを付け加えて印刷を開始した。住所は明日だ。 )

 
 

瓦版づくり

25 12月

テーマを何にしようか
月に二度、『かたせ瓦版』を発行している。「メインの記事を何にしようか」と迷う。地域の人たちに関心を持ってもらいたいものをメインに使用としている。

裏面は、組み写真にすることが多い。文字が多いと読んでもらえない可能性があるので、昔のなつかしい写真をいくつか組み合わせて掲載している。

それらを、編集しながら思うことがある。昔(20~40年前)は、区民がいろんなことに熱心に取り組んだことが分かる。地区のために、いろんなことをしたことがよく分かる。娯楽的なことにも積極的に取り組んできたのだ。

楽しいことは自分たちが作り上げたことが多い。今は、楽しいことは“他から与えられる”ことが多い。それも金を出して。

ゲーム、携帯、テレビやDVD、漫画や雑誌……等である。自ら何かに取り組むというよりも、他から与えられて楽しむことが多い。

楽しみを自ら作り上げたり、自ら参加して仲間と楽しむことがめっきり少なくなったと思う。瓦版の『思い出写真』を整理しながらこんなことを考えていた。

(日記 朝から夕方4時頃まで、もっぱら明日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。その後、物置の整理整頓。これまで保管しておいて捨てる気になったものを軽トラの荷台に積み込んだ。捨てるものが多いとさみしい反面うれしくもなる。部屋や物置がスッキリするからだ。)

 
 

昭和は遠くなりにけり

24 12月

時代は変わる
今日年末“断捨離”第二弾で、物置の大掃除。保存しておいたたくさんの音楽関係のカセットテープと録画しておいたビデオテープを廃棄することに決めた。完全にテープの時代は終わったのだ。

勉強の後、サンタの衣装でクリスマスソングを歌ってくれた孫達。

勉強の後、サンタの衣装でクリスマスソングを歌ってくれた孫達。

アナログからデジタルへ、時代は完全に変わったのだ。昭和時代が遠くなる。それと同時に、我が青春時代もどんどん遠くなっていくようだ。寂しい限りだ。現在はいつも時代の最先端だ。

しかし、少し時間が経つとあっという間に過去になってしまう。やがてCDも過去のものになってしまうだろう。しかし、その時々に流行ったものはいつまでも心の中に残っている。

特に、それぞれの歌はその歌が流行った時代に自分を引き戻してくれる。そして、演奏した曲ともなれば、その時代やその時の仲間のことが鮮明によみがえらせてくれる。

昨日の掃除で物置から出てきたサンタの人形。電池を入れたら腰を振って“ジングルベル”を歌い出した。

昨日の掃除で物置から出てきたサンタの人形。電池を入れたら腰を振って“ジングルベル”を歌い出した。

しかし、今日はそうした歌の詰まったたくさんのカセットやビデオテープを箱に入れて軽トラックの荷台に載せた。青春時代との別れであるようにも思う。

(日記 午前9時から午後6時まで年末“断捨離”第二弾。今日は特に長年保存しておいたたくさんのカセットテープとビデオテープをほとんど廃棄処分にした。「昭和は遠くなりにけり」と言った気分だ。午後7時半から“爺ちゃん勉強”。終わった後、孫達がクリスマスソングを歌ってくれた。)

 
 

道場参り

23 12月

御正忌
 今日は村の道場で『御正忌』が行われた。浄土真宗では、開祖親鸞聖人の忌日に行う法会である。昔は、たしか「しちにっつぁん」とも言っていたように思う。

 私達の子供時代には、宗教行事ではあったが楽しみの一つでもあった。と言うのも、子供時代にはテレビなどがないために、子どもたちは、喜んで親や祖父母と道場へお参りしたものだ。

 その際、「米ふかし(煎り菓子)」や「かち栗(ゆでた栗を数珠のようにつなぎ乾燥させたもの)」や「みかん(高価なので一つか二つ)」をなどを持参して参ったのだ。

 読経の間は、道場の囲炉裏の回りで雑談をしたりトランプをしたりして遊んだものだ。そして、説教が始まると道場に正座して聞き入ったものだ。

 道場は、宗教の場であるばかりでなく、巡回映画の上映場所、演劇などの舞台、村の総会などの場所、夏には子どもたちの遊び場や勉強の場所でもあった。

 私がギターと出会ったのも確か、この場所だったと思っている。先輩達のギターを聞き、その音色に魅せられてギターを始めたのだ。道場はいろんな思い出のある場所だ。

 今日、道場へ集まったのは、60歳以上の男女が20人前後だっただろうか。そのうち男子は、6、7人。いずれも、昔、道場で遊んだ経験のある者ばかりであった。若者も子どもは一人もいなかった。全員で読経し、話を聞き、お茶を飲んでしばし歓談し帰宅した。

 道場で過ごした経験のある者は50代後半以上ではなかろうか。今後、このような宗教行事はどんどん廃れていくだろう。その他のいろんな行事も簡素化されたり、廃止になっている。

 かわりに、テレビやゲームなどが出て来て、若者や子どもたちは退屈することはないだろうが、大人になるための大事なものを身に付けないで育っていくような気がしてならない。

 成長して、それらが大切であることに気がついた頃には、味気ない社会ができているのではなかろうか。「今さえよければよい」と言って、いつまでも「今」がよくなるとは限らないように思う。そんなことを考えた道場(寺)参りだった。

(日記 午前中は道場参り。午後は、昨日軽トラックに積み込んだ粗大ゴミなどをゴミ処分場へ持って行った。帰宅してからは、数学の問題作り。その後、今週発行の瓦版の絵描き。 )

 
 

年末“断捨離”

22 12月

久々の大型廃棄
 今日は、年末の大掃除をすると決めた。これまでは、いろんなものを見ても、「いつかは何かにつかえるだろう」と捨てられずにいた。

 しかし、今日は、いつもよりは強い気持ちで“断捨離”を実行すると決めた。だいたい軽トラック一杯分、捨てるものを荷台に積み込んだ。

 まだまだ捨ててもいいものがあるが、捨てきれずにいる。おそらく、多くの家庭で捨てるに捨てられずにいろんなものを保管しているのではなかろうか。

 思い出の品を捨てるのは忍びないが、一方では買い求めているのだから、やむを得ない。写真なども、自分さえ見ないものを子や孫が見ることは少ないだろう。そう思うと、膨大な量の写真もいつかは捨てなければならないだろう。

 書籍もそうだ。よほどでない限り、同じ本を二度、三度と読むことはないだろう。となると、読み終わったら捨てればよいのだが、それもできない。

 楽譜となると、なおさらそうだ。いつか何かで必要になるのではないかと思うと、簡単には捨てきれない。古くなると、時代遅れになるもの、いくら古くなってもスタンダードナンバーとなっていつまでも演奏されたりする曲などいろいろである。

 数学の参考書等も捨てきれないものの一つだ。現役を離れた今でも買い続けている。参考書を作りたいという目的があるからだ。いつになったらできるかわからないが。

 今日は、主に、二階の物置と、車庫の二階を中心に整理整頓をしながら掃除をした。衣類も、なかなか捨てきれないものの一つだ。まだまだ使えるからだ。しかし、背広やネクタイは現役時代と比べると、使用頻度が激減した。捨ててもよいはずだが。

 今週は、我が家にとっては“断捨離”週間だ。何もない部屋にあこがれるが、なかなかそうはいかない。“もったいない”を身をもって体験してきた私としては、心を鬼にしなければ“断捨離”は実行できない。もうしばらくは戦いが続くだろう。(少しオーバーか。)

(日記 終日、年末大掃除。家の清掃、整理整頓に明け暮れた。軽トラック一杯分だけは捨てるものができた。本当は、まだまだあるのだが……。なんと“断捨離”の難しいことか。)

 
 

クリスマス子どものつどい

21 12月

図書館で紙芝居
 市立図書館から依頼があり、『クリスマス子どものつどい』で紙芝居をすることになった。紙芝居のかわりに、パワーポイントを使ってすることにした。 

手始めに二人で手遊び歌。子どもたちも一緒に手足を動かしてくれた。

手始めに二人で手遊び歌。子どもたちも一緒に手足を動かしてくれた。

 それは、大きく映すことによって多人数でもよく見えるようにするためだ。紙芝居だと、画面が小さいので少人数にはよいが、そうでないと見えにくい。

 午前中、家内と二人で図書館へ行き、プロジェクターやパソコンを設置し、手遊びやクリスマスソングのリハーサルを行った。

 午後2時から本番。就学前の子どもとその保護者が多かった。手遊び歌から始めて、創作紙芝居『タン吉・コン子旅日記~大雨に負けないぞ~』、そしてクリスマスソングで締めくくり。その後、わずかだが子どもたちにお菓子をプレゼントした。

パワーポイントで創作紙芝居を上演。

パワーポイントで創作紙芝居を上演。

 最後のクリスマスソングを歌う場面で、歌の上手なS君が子どもを連れて参加していたので、打ち合わせなしで前へ出てもらってクリスマスソングを歌ってもらった。また、幼児も前へ出て歌ってくれた。楽しい一日だった。

 しかし、毎回、反省すべきことがある。さらに次回に向けて頑張ろうと家内と誓い合った次第である。

(日記 午前中、図書館で『クリスマス子どものつどい』のリハーサル。午後2時から本番。手遊び歌、紙芝居(パワーポイントで)、クリスマスソングなどを集まった子どもやその保護者と楽しんだ。午後5時から『親子太鼓教室』。また、一つの行事が終わった。)

会場のみなさんと一体となって楽しい時間を過ごした。

会場のみなさんと一体となって楽しい時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

今回のイベントのポスター(図書館制作)。ありがとうございました。

今回のイベントのポスター(図書館制作)。ありがとうございました。

 
 

70歳になると

20 12月

部品に故障が
 最近、膝が痛む。そこで、今日は膝のMRIを撮ることになった。ついでに目も最近調子が悪いので診てもらおうと、朝8時過ぎに家内と一緒に福井へ向かった。

 整形外科と眼科の二カ所で診てもらうことになった。整形の法は予約してあったが、眼科は予約がないのでかなり待つことになった。そして、ようやく診察。

 「眼底検査もしましょう」と言うことになった。瞳孔を開ける目薬を入れてかなりの時間待ち、再び検査。幸い、悪くはなかったので、眼が乾いていて傷がついているとのことで目薬をもらうことになった。

 膝の方も痛むが、今はこのままで様子をみようと言うことになった。最近、身体のあちこちが痛くなったりするようになった。加齢から来るのだろうから、やむを得ない。

 身体をいたわりながら、運動などで老化のスピードを落とすよう工夫をしなければならない。気分は、若い頃とあまり変わらないつもりでいるが、身体の方が時々悲鳴を上げるので、年齢を感じざるを得ない。

行きは雨だったが、帰りはみぞれ(長山交差点手前)。

行きは雨だったが、帰りはみぞれ(長山交差点手前)。

 全てを終えて、福井で昼食。あちこちへ寄り、最後にショッピングセンターへ。ここで、公開生放送のリハーサルをやっていた。若い二人組が、電子ピアノとギターで歌を歌っていた。

 こんなところで血が騒ぐ。最近、ギターとキーボードとステールギターのトリオでバンドを始めたが、「もっと練習しなければ」と思ってしまった。若者に刺激を受けて、まだまだ何かをやれるのではと思ってしまう。

 身体と心のバランスがとれないまま日々が進んでいくように思う。身体が先へ進んで(歳をとって)、心の方が追いついていかない(若いつもりでいる)ようだ。健康に気をつけなくっちゃと思った一日だった。

(日記 午前中、福井の病院へ。膝と眼を診てもらう。その後、年末恒例の店回り。正月に備えて衣類を買ったり、本を買ったりして帰宅した。帰りは激しい雪。家内が運転。前が見えないくらい雪が降っていた。夜は、明日の紙芝居練習。)

 
 

プールあれこれ

19 12月

プールがどんどん近くに
 今日、何ヶ月ぶりかに家内と近くの市営プールへ泳ぐに出かけた。冬だというのに、泳げるとは時代も変わったなあと思う。プールにはいろいろな思い出がある。

 数十年前のことだろうか。私の村では、福井のNプールまで水泳を習いに出かける子どもがいた。福井までバスで通うとは大変なことだと思っていた。

 そのうちに、大野市にプールができるようになった。私の3人の子どももをそれぞれプールに通うようになった。泳ぎは、命に関わることなので、3人にプールへ通わせたのだった。

 しばらくして、近くに相互スイミングプールができた。この頃には3人の子どもは大きくなり、大野のスイミングスクルールに通ってはいなかったが、近くのプールでいつでも泳げるようにと家族全員で「ファミリー会員」になった。

 しかし、子どもたちが大きくなり、泳ぐ時間もなくなったのでその後は、私たち夫婦だけが会員になり,プール通いを続けた。

 そのうちに、私たちも何となく忙しくなり、週に一度も通えなくなり、プールの会員になることをやめ、泳ぎたいときにお金を払って泳ぐことにした。

 プールへ通うことは健康にはとてもいいとは分かっていても、なかなか通うことができない。今日、何ヶ月ぶりかにプールへ行くと、何人かの知り合いと会った。

 プールでは、歩きを中心に、少し泳ぎ、サウナにな入り、風呂に入り、ジャグジー風呂に入って帰ってきた。久々の運動だったが。とても気持ちがよかった。近くに、プールがあるのに、泳がないなんてもったいない。

 健康作りのために、週に一、二回はプールへ通いたいものだ。泳ぎは全身運動だ。特に冬場の運動不足解消には最高だと思う。

(日記 午前中は、区の道路関係の古い地図を調べた。道も、時代と共に、変わっていくことが分かる。午後は、家内と市営プールへ行く。)

 
 

免許更新手続き

18 12月

70歳になったら
今日は、勝山自動車学校で高齢者(70歳以上)の免許更新のための『高齢者講習』が行われた。午後1時半に自動車学校へ集合。最初の一時間は、法令などの講習。次の1時間は目の検査など。最後の1時間は自動車学校の車を運転してコースを回った。

とうとうそんな年齢になったかと、少し残念ではあったが安全運転のことを考えると、そんなことは言ってはいられない。若い頃に比べると、何もかもが衰えていくのだから。

視力は衰え、記憶力は低下し、体力は衰え、運動神経は鈍くなり……と、全てが衰えていく。そんな中で、車を運転するには、安全運転を守らなければならない。今日の講習に参加して言えることは、スピードを出しすぎないと言うことだ。

地方では、交通の便は必ずしもよくない。従って、車を手放すことは困難だ。高齢者になっても、日々の生活を快適に過ごすには、二つのことが欠かせない。それは、通院と日々の買いものだ。

この二つに不便を感じない地域に住んでいれば、高齢者になっても、何とか安心して生きていけるだろう。しかし、この二つが不便になると、高齢者は地方に住みにくくなる。後は、雪の問題だろうか。

車の便利さは今更言うまでもない。しかし、便利さと共に危険も同居している。歩行者としても、運転者としても、安心してはいられない。運転に関しては、いつまでも初心に返って安全運転を心がけなければと思った半日だった。

(日記 午前中は、数学の参考書編集作業。 午後は、勝山自動車学校で免許更新のための『高齢者運転講習』を受けた。安全運転の必要性を再認識した1日だった。)