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孫守り

27 3月

二十数年前を思い出して
長女の二人の子供(私たちの孫)の守りを頼まれた。一人は四月から小学校入学、もう一人の孫は四月から幼稚園の年中組になるのだ。家内と二人で福井の孫の通うう幼稚園へ二人の子供を迎えに出かけた。

長女達は年度末・年度初めの忙しい時期なので、私たちが二人の孫を預かることになった。おまけに長女は転勤なので何かと忙しそうだ。

今日から3日間は、私たち夫婦が二人の孫の面倒を見なければならない。二人のやんちゃ坊主の面倒を見るのは、簡単ではない。動き回ってじっとしていないからだ。

早速、公園で自転車遊び。

早速、公園で自転車遊び。

二人の子供自転車をワゴン車に積んで勝山へ向かった。そのまま、自宅近くの公園へ連れて行った。二人は、公園で自転車遊び。その後、ブランコなどをしていた。

孫を預かって守りをするのは責任が大きい。けがをさせたら大変だ。目を離すことができない。家の中にいてもじっとしていないので、子守は大変だ。

孫たちはどんどん大きくなっていく。そして活動的になっていく。逆に私たちは、高齢化し体力がなくなっていく。うれしい反面、悲しくもある。20数年前の自分の子どもの育児の時は、体力はあったが時間がなかった。結局子守りはどちらも大変だ。

(日記 午前中は、午前中は『かたせ瓦版』の仕上げ作業とコピー。市の配布物と共に、各班長へ配布。午後は、家内の通院する病院へ行喜、ついでに本屋へ寄る。例によって数学の参考書を2冊購入する。その後、孫達の通う幼稚園へ行き、長女の子ども(孫)二人を預かる。そして、車に乗せて勝山へ。これから、家内と二人で孫の守りが始まるのだ。怪我をさせないようにと気を張る。)

 
 

『かたせ瓦版』

26 3月

いよいよ最終版
2年前の4月の創刊号を皮切りに、毎月2回『かたせかわら版』を発刊し続けてきた。市の配布物のある第2、第4木曜日に合わせて、それぞれA4裏表(A4で2ページ)、A3裏表(A4で4ページ)を発刊してきた。
そして、この3月の第4木曜日が最終号の発刊となった。臨時号も含めて全部で50号だ。今日は、終日、編集作業に取り組んだ。もっとも時間がかかるのは、違い探しの絵を描くことだ。

第4木曜日には、子供たちのために『違い探し』のコーナーを設けてきたのだ。この違い探しの絵を描くのに、朝から始めて午後2時ころまでかかってしまった。「はがき」よりも小さい絵を一枚描くのに半日以上かかった計算だ。

午後は、「退任のあいさつに代えて」と題して自分の考えを書いた。2週間に一度のペースでのかわら版の発刊は楽しい作業であったが、忙しい時には苦しくもあった。

途中で地区の農地保全協議会の会議があったので作業を中断せざるを得なかった。午後9時ころ帰宅して、さらに作業を続け、ようやく編集作業を終えることができた。この2年間の最後のかわら版の編集作業はこうして終わった。

「毎回楽しみにしています」という一部の人の声に支えられてこの2年間作業を続けることができた。90歳を超えた方から、記事の内容についてアドバイスをいただくこともあった。

おそらく、見向きもしない人もあっただろう。しかし、2枚の「違い探し」の絵の中の7つの違いを見つけて我が家へやってくる小学生に、ささやかなお菓子や学用品をプレゼントするのは私の小さな楽しみだった。

これからも、何らかの形でこのような『かわら版』を発刊できたらと思う。地区にこだわらず、テーマを見つけて取材し、別の形で瓦版を発刊できたらと思っている。締め切りを気にすることなく、出したいときに、気楽にできたらと思う。

(日記 午前中は、もっぱら『かたせかわら版』の編集作業。その後、総会後の区の会計処理作業。午後1時半過ぎから、新区長のTさんと区長の引き継ぎ作業。区を運営するための課題などを話し合った。午後4時半から高校生の数学指導。これはこれで楽しい。午後7時から農地保全協議会の会議。私も役員の端くれだからだ。帰宅後、再び、瓦版の編集作業。午後11時過ぎにようやく終わった。最終号だったのでほっとした。)

 
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ラストスパート

25 3月

もうすぐ自由がやってくる
この2年間、区長を仰せつかり、自分なりにいろいろやろうとはしてきた。結果が出たかどうかは、区民の皆さんが判断することで、多少の自己満足をしている。

先ず第一は、普段ならできないようなことを経験できたと思う。自分でやってみようと思うことの一端はできたと思う。役所を退職してから2年間は役所へ顔を出すことはなかったが、この2年間は何度となく役所へ出かける機会があった。

おかげで、以前の仲間といろいろ話すこともできた。アドバイスを受けることもできた。力を貸してもらうこともできた。人と人とのつながりの大切さを再認識できた2年間でもあった。

そして、先日は区の総会も終えることができた。後は、残務整理と最後の行事『涅槃団子まき』を残すのみとなった。最後まで務めは全うしなければならないが、あと数日を残すのみとなった

再び私に自由という“春”がやってくる。自分で求める忙しさはあろうが、他から求められる忙しさや義務感からは解放されるだろう。そういう意味ではワクワクしている。

今度こそ的を絞って、取り組んでみたい。選択と集中が大切だ。その第一は、数学の参考書作り。そして、創作活動だ。童話や子供用の話(小説もどき)を書いてみたいと思う。

後は、自然の中で家庭菜園作業。勝間和代さん風に言えば、『生産的時間』を増やし、『消費的時間』を少なくしたいと思う。もちろん、私にとっては“ウオーキング”は生産的時間だ。春は近い。ワクワクする。

(日記 区の残務処理。午後4時半から高校生に数学指導。午後6時から家内と二人で風に飛ばされた里芋の黒マルチの張り替え作業。黒マルチが風で飛ばされてしまったからだ。農作業もボチボチ始まろうちしている。)

 
 

本格的な春来る

24 3月

久々の日中シャワー
午後、家内と二人で雪囲いを外すことにした。つい、先日二人で雪囲いをしたと思ったのに、もう雪囲いを外す春が来たのだ。

木の雪囲い外し。

木の雪囲い外し。

今日は、特に暖かかった。作業をしていると汗が出るくらいの陽気だった。こんなに暖かいのは久々だ。来ているものを次々と脱いだがそれでも作業をしていると汗が出た。

家の玄関周辺と樹木の雪囲いを外した。ようやく長い冬が明けたと実感することができた。これからは、山々には山菜が芽吹き、桜が咲き、木々が新緑に代わる。

そのうちに、トラクターの運転音が田んぼに響き渡るだろう。そんな春はもうすぐだ。とにかく今日は暖かかった。たっぷり汗をかいた。

久々にシャワーをした。それは、隣の高校生が数学の勉強をしに来るからだ。4時前には、家の前の雪囲いをすっかり取り払われた。木々も喜んでいるようだった。

家の雪囲いを外すと春だ。

家の雪囲いを外すと春だ。

(日記 午前中は、業者が私のパソコンのグラフィックボードを取り換えに来てくれた。私のメインのパソコンがうまく作動しないので創作意欲もわかない。午後は、家内と二人で雪囲い外し。午後4時から、隣の高校生と数学の勉強。数学を教えているときが一番楽しい。相手が理解してくれたらなおうれしい。午後8時45分過ぎの仕事帰りに私のパソコンドクターのY君が立ち寄ってくれた。そして、私の困っている部分を解決してくれた。きっと、明日から快適なパソコンライフが始まるだろう。)

 
 

区の総会と奉仕作業

23 3月

2年間の総決算
午前6時半起床。先ずは、区の奉仕作業。私の区長としての最後の仕事だ。午前8時に区の集会場前に集まった区民のみなさんに作業内容をお知らせし、お白江氏、作業開始。

林道の補修で砂利をまく区民。

林道の補修で砂利をまく区民。

田んぼの水の取水口の泥あげ、林道整備、神社の清掃、公園の樹木の選定作業など仕事は様々だ。先ずは、全手の班の作業現場を巡回。

途中で、一緒に作業。そして終了。午後10時半より、区の定期総会。最初にあいさつ。2年間のお礼。そして、議長をしながら議事進行。

そして、行事計画報告から初めて、一般会計はじめ各種会計の決算承認、新年度の行事計画案、新年度予算案の審議。

最後に、協議事項や連絡事項などを終えて、総会終了。午後12時半ころから懇親会。まだ、最後に一つの行事が残っているが、2年間のほとんどの行事が終わった。

今の気分は、ようやく「終わった!」といい感じだ。長いようで短い2年間だった。

区の定期総会で議長を務めた。

区の定期総会で議長を務めた。

これまで、区長として力を入れてきたことは、「区民の意皆さんに区を愛してほしいと思ったこと、それには区に関心を持っていただくこと」と決めて月に2回『かたせ瓦版』を発行してきたこと。

もう一つは、地区で進む少子高齢化にどのように対応するかを考えてきたことだと思っている。そのために、いろんなことに取り組もうとしてきたことだ。

いよいよ次期役員にバトンタッチ。再び、自由時間が増えるだろうと思う。改めて、「社会のため、家族のため、自分のために時間を使いたい」と思う。

総会の後の懇親会。

総会の後の懇親会。

(日記 午前8時より区の奉仕作業。午前10時半より区の定期総会。午後12時半より懇親会。区長としての最後のあわただしい一日だった。)

 
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高校生と数学

22 3月

教える楽しさ
隣の高校生が数学の質問に来た。春休みの課題を質問に来たのだが、数学を教えるのは久しぶりでとても楽しかった。

生徒にとってはわかりにくいといわれる数学をわかりやすく教えるのはかつての私の仕事だった。自分としては、いろいろ指導法を工夫しながら、教えてきたつもりだ。

そして、そんなことを繰り返しているうちに、かなりのオリジナル教材がかなりたまってきた。今、それらを整理しようとしている。

そんな矢先に、高校生から教えを乞われたので快諾した。そして、今日初めて、一緒に勉強したのだ。やはり数学をしているときが一番楽しい。

とりあえず、数か月間、頑張ってみたいと思う。これで参考書作りに勢いがつくというものだ。この一年間が勝負だと思う。区の仕事を数学に変えてここ一年、頑張ってみたいと思う。

(日記 終日、区の資料の整理。明日の総会の準備をした。午後4時から約2時間あま理、高校生の数学の質問を受け付けた。楽しい時間であった。)

 
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裸の大将

21 3月

録画して時々楽しむ
ある時、テレビのチャンネルをあちこち動かしていたら、山下清画伯の『裸の大将』をやっていた。以外の面白いので、録画して家内と二人で見ることにした。

再放送なので一回に2話ずつ放映されるのだ。ストーリーはかなりパターン化しているが、それでも、山下清画伯役の芦屋雁之助と出演者のやり取りが面白い。

特に、人情味の薄い現代にはない暖かなドラマだ。もうひとつ面白いのは、各回に登場する俳優だが、懐かしい名前が並ぶ。有名は俳優の若かりし姿が見られる。

懐かしいと同時に、時間は過ぎていることがよくわかる。それと同時に、自分も年取っていくことがよくわかる。

このドラマの毎回のエンディングは毎回パターン化している。最後には、「清」とみんなに呼ばれていた主人公が「山下清画伯」であることがばれるのだ。

水戸黄門は自らを黄門と名乗って悪人を懲らすが、このドラマでは「山下清画伯」であることがばれた瞬間に「清」はその場を逃げ出して旅に出るという設定だ。

とぢどき、涙が出る場面に出会うことがある。そんなわけで私はこのドラマを毎回録画して家内と二人で笑いながら見ているというわけである。

(日記 終日、区の総会の資料整理。もうすぐ総会だからだ。)

 
 

一段落

20 3月

区のできごとに関心を持つこと
ここ一週間ほど区の決算総会のための資料作りに明け暮れた。お金を扱っているだけに、間際うわけにはいかない。普段はあまり使わない電卓をたたくことが多かった。

そして、ようやく原稿が仕上がったので、朝、公民館へ印刷に出かけた。全部で18ページある総会資料が刷り上がった。

思えば、区の運営で苦労したことは、“一人でも多くの区民に区に関心をもってもらうこと”だった。いろんな機器が出てきて生活が近代化した。

その上、携帯やゲームやテレビなどが発達した結果、年々家族の結びつきや地区民同士の結びつきも弱くなったように思う。

昔なら子供たちにとっては楽しみな地区の様々な行事も、遊び道具の多様化した今では魅力のないものに映るだろう。区の行事も工夫を凝らさないと面白みのない義務的なものになるのだろう。

本当は、人と人との結びつきにより、何かを行うことは、ゲームなどでは得られない充実感があるはずだ。しかし、それを味わわないまま子供たちは、区を、勝山を去ってしまうのだろうか。

今後も、どうしたら地区の子供たちとかかわることができるかを考えてみたい。高校生たちの学力向上にも、何かすることがあるように思う。今は、それが参考書作りだと思っている。

(日記 午前中は区の総会資料の印刷。その後、館長とまちづくりについて歓談。久しぶりに午後はのんびりと数学の問題を眺めていた。夜は黒田官兵衛の録画を見た。)

 

数学を楽しむ

19 3月

錆びた頭をリフレッシュ
突然、隣の高校生から「数学を教えてほしい」との申し出があった。錆びつきかけた頭をリフレッシュするのには最高だ。おまけに、私は、数学の参考書を作れないかを考えている時期だ。

現役の高校生と数学について話ができれば、参考書作りには大いに役立つだろう。何よりも、うれしいのは、今でも数学にかかわれることだ。

思えば、いろんなことについてチャレンジしてきた。間口を狭くしなければと思っていた矢先だ。どんなに間口を狭くしても、私には数学は残っている。

長年、高校生に数学を教えてきたので、やはり数学をしているときが一番楽しい。授業をしなくなってから15年が過ぎた。でも、数学の問題を見ていると、昨日のことのようによみがえる。

数学を教える時が、やはり一番楽しいと思う。子供たちが少しでも数学が好きになるように、少しでも数学がわかるようにするのは私の最大の楽しみだ。元高校数学教員の性だろうか。

(日記 午前中はもっぱら、地区の決算総会の資料づくり。午後も作業を継続。夜になってようやく総会で使う資料の印刷原稿ができ上がった。)

 
 

二つの体操

18 3月

たかが銭太鼓、されど銭太鼓
冬期間休んでいた銭太鼓の指導が再開。2年ほど前から『鹿谷町すいせん会(女性6名)』の皆さんに銭太鼓を指導することになった。

だいたい月1、2回のペースで鹿田に公民館へ出かけて指導を続けてきた。メンバーの年齢は50歳代、60歳代、そして70歳代だ。

やめる人もあれば、始める人もある。初心者はなかなか銭太鼓のバチの振りを覚えられないので昨年暮れにビデオカメラで撮影し、編集してDVDに焼いてあげた。

今日は、その成果がわかる日。楽しみにして出かけた。新人の二人も予想以上に腕を上げておられた。自作の練習用DVDが少しは役立ったようだ。

銭太鼓を演ずる鹿谷すいせん会の皆さん

銭太鼓を演ずる鹿谷すいせん会の皆さん

練習の合間に、いつも短時間、話をすることにしている。私は、自分自身に言い聞かせることを皆さんにも話すことにしている。ある程度の年齢になったら二つの体操が必要だと思っている。

今から4年後に福井国体がある。6年後に東京オリンピックがある。国や県では上位入賞を願って選手強化などに力を入れることになるだろう。

しかし私たちはそうしたことには無縁だ。しかし、健康な体を維持することは非常に大切だ。国体と聞いたら、自分の健康維持のために何をすべきかを考え、それを実行したいと思う。

私個人は、ウオーキングを継続したいと思う。市内、県内、あちこちを歩きたいと思う。自宅から、事務所から、車で出かけてそこから歩き回りたいと思う。

一つは体の健康だが、もう一つは脳の健康だ。歌を歌ったり、楽器を演奏したり、音楽に合わせて何かをすることは、頭に適度の刺激や負荷をかけると思っている。

特に、銭太鼓を始めたばかりの新人の人には、曲に合わせて銭の入ったバチを振ることは脳の体操に役立つと思っている。次はどうバチを振ればよいのかを脳が判断しなければならないからだ。

音楽に遅れくことなく、早くなることなく間違わずに演技をすることは脳としては負荷のかかる仕事だと思う。脳には適度な体操になると思っている。

私は、銭太鼓をすることは、遊びであると同時に、手足を動かし、脳を働かせる立派な体操だと思っている。今の鹿谷の皆さんにはいつも励ましていることだ。そして、それは自分自身にも言い聞かせていることだ。

歌を歌ってくれた横浜の孫(次女)

歌を歌ってくれた横浜の孫(次女)

(日記 午前中は、家内を乗せて福井の病院まで昨日の手術の診察と消毒のために出かけた。午後1時半から鹿谷公民館で銭太鼓グループの指導に出かけた。しばし、楽しい時間を持つことができた。夕食の準備は、家内の指示に従って両手を使う部分だけ私が行った。午後7時から、横浜の孫たちとスカイプ。孫たちと過ごす時間は、いつも楽しい。いつものように歌を歌ってくれた。夜、隣の高校生が数学のことで家へやってきた。また、数学仲間ができたかと思うとうれしい。)