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市長へ要望活動

25 7月

小学校のない地域
市内の各町には小学校があるが、猪野瀬地区のみ小学校がない。学校がないと言うよりも、地域の中心となる核がないとも言える。

市内の旧町を除く8地域では我が猪野瀬地区は、村岡町に次いで2番目に児童数が多い。122名である。児童数が25名、36名、42名といった地域にも小学校や児童館がある。

小学校がある地域では、保護者も同じ学校の卒業生である場合が多く、地域の結びつきは大きい。小学校区単位で、運動会や文化祭など地域の様々な行事が行われる場合が多く、学校が地域の活動の中心となっている。

我が猪野瀬地区は、小学校がないために、公民館がその役割を果たさなければならない。小学校がないために、自由に使える体育館もない。そこで、今日、公民館近くにある林業者健康トレーニングセンターに簡易ステージを整備すること、公民館の施設・設備などを充実していただくよう「猪野瀬地区活性化委員会」で市長と市議会議長に要望しに出かけた。

主旨は理解していただいたが、何しろ金のかかることなので、いつ何を実現していただけるかは明らかにはされなかったが、市長の回答は前向きなものであった。

(日記 午前中は、少し部屋の整理。午後は、市長への要望活動。その後、3時半過ぎから公民館で「猪野瀬地区定例活性化委員会」を開催。熱を帯びて午後8時までかかった。それでも充実した時間を持つことができた。)

 
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『片瀬豊年ばやし』

24 7月

今後の方向性
我が地区の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』は、少しずつ郷土芸能の体を為し始めている。あちこちから、お呼びがかかりつつある。銭太鼓のばちを操ると同時に、寸芸を挿入するのだが、その芸のコンセプトは、大正・昭和の農業をユーモアを交えて再現することだ。

今は、農業も機械化し、かつては作業の中心を担っていた女性が農作業から少し実姿を消しつつある。高度に機械化されたために、ほとんどを機械でこなすからだ。

しかし、大正・昭和時代は、そうでもなかった。機械の化ありに牛や馬が使われら。そこで、この豊年ばやしでは、馬による作業を芸に取り入れている。

昔の農作業を担っていた馬にも、いろんな性格ががあるのだ。また、馬を使い手の顔色を見るという化、その技量によって言うこと(指示)を聞いたり聞かなかったりするのだ。そこに、芸としての面白さが出るのだ。

まだまだ練習しなければならないが、少しずつ成長していると思っている。今後、あちこちから注目され、演じている者も自信を持てるような『片瀬豊年ばやし』にして、当地区の郷土芸能であるばかりでなく、当地区の労働歌、当地区のコマーシャルソングとして地区の農産物のブランド化に役立てばと思う。

(日記 午前中は、部屋の整理。午後は、事務所で数学。午後6時半過ぎから事務所で笛のFさんを交えて伴奏練習。私は三味線、家内は歌で練習に参加。午後7時半から、村の集会場で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の合同練習。伴奏も生で行った。全て生で行って初めて郷土芸能になると思っている。まだまだ練習して、エコミュージアムの全国大会には、県外の人たちにも見ていただきたいと思う。)

 
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朝飯前

23 7月

涼しいうちに農作業
この頃晴れると毎日暑い。そこで今日は、朝飯前に作業をするときめた。集団農場にある生姜と里芋畑へ出かけると,すでに作業をしている人がいた。

生活の知恵だろうか。真夏の暑い日には、早朝作業をして暑くなったら、午前9時前に作業を止めて帰宅するのだ。早い人は午前5時には作業を始めているだろう。我々は、午後6時に出かけた。

ショウガの周囲の草を取り、牛糞堆肥をボカシ肥料と化成肥料少しやり父寄せをした。そして、ショウガの畝の端に古い黒マルチをかけた。少しでも草の生えるのを防ぐためだ。

雨が降ってくれれば肥料も効いて生姜は生長してくれるはずだ。片瀬地区は昔から生姜の産地だが、皆それぞれに自己流の生姜の栽培法があるようだ。しかし、ベテランでもうまくいかなかったり、私のようにど素人の方がうまくいくこともあるから不思議だ。

作業をしていると、どんどん暑くなってきた。帰宅して、改めて朝食を取った。昔の人の知恵だろう。早朝の作業は能率が上がり、健康にもよい。今日は昼寝をしなければ身体が持たないだろう。

(日記 早朝農作業。午後は、部屋の整理。夜は、和太鼓の練習。夏祭り出演のための練習だ。)

 

 
 

『地域向上力基金活用』

22 7月

市長へ陳情
猪野瀬地区には、市から『地域力向上力基金』が交付されている。この基金は、市内10地区に対して均等割部分と人口割り部分で配分されているのだ。

文字通り“地域力向上(活性化)”のために使えばいいのだが、本来市でやらなければならないことは、市でやっていただかなければならないと思っている。

そんなわけで、今日は市長への陳情書の下書きを書いた。これは、先日の7月定例活性化委員会で決めたことだ。要望の要旨は「地域に小学校がない当地区では、諸活動の拠点は公民館にならざるを得ない。

他の地域のように自由に使える体育館もない。近くに類似施設の『林業者健康トレーニングセンター』はあるが、放送設備もステージもなく使い勝手が悪い。そこで公民館施設を充実してほしい」というものだ。

小学校がないために、地域のまとまりを強めることは本当に困難だ。そんな中で、地域の活性化を図ることは簡単ではない。逆に言えば、やりがいがあるとも言える。これからが正念場だ。

(日記 午前中は、市長への陳情書の下書き。午後は、活性化委員会の副委員長のAさんと陳情書を仕上げた。いろいろ推敲しているうちに夕方までかかった。A4一枚に全てを書くために苦労した。)

 

また逢う日まで

21 7月

娘は新郎の家族と共に
我が家で新郎とその家族が我が家へ泊ってくださった。昨晩は酒を飲み、新郎のお父さんが握ってくださった食べきれないほどの寿司を味わいながら楽しい夕食をとることができた。

朝食の後、東京方面へ向かいながら、観光をするのだという。来るときは、次女は金曜日に勝山へきたが、帰りは新郎の家族と同じ車で勝山を出て行った。最初の訪問地は白川郷だという。

次女が結婚すれば、私の3人の子供はすべて結婚することになる。親としての、一つの責任を果たせそうだ。つい先日、自分たちが結婚したと思っていたが、小さかった3人の子供達はいつの間にか大人になってしまった。

人生って長そうで短い。短そうで長い。海のように穏やかな日もあればそうでもない日もあるだろう。そんな時、「自分は偉い人間」だと思わなければこうした荒波は乗り越えられると思っている。

二人なら、乗り越えられない波はないと思っている。新しい家族とともに、勝山を去る次女の「洋々たる前途に幸あれ」と願いながら、勝山を去る新郎の家族を見送った。「また逢う日まで」と思いながら。

(日記 午前9時半に次女と新郎の家族が勝山を去っていった。午前10時45分より村の道場(浄土真宗)の屋根改修完成の記念法要が行われ、その後懇親会。午後6時より、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。午後7時半より村の集会場で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。結構慌ただしい一日だった。)

 
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次女の結納

20 7月

東京の人に
今日は、次女の結納の日。午前10時ころ、市内のホテルから新郎とその両親が我が家へやって来られた。しばし歓談ののち、セレモニーが行われた。

結納の後、家族で記念写真

結納の後、家族で記念写真

結納の品々の中には、『家族書』と『親族書』があった。私も、長男、長女が結婚し、結納を行った経験があるが、『家族書』も『親族書』も受け取らなかったし、私もしなかった。

しかし、今回は別だった。関東の習慣に従って、私も初めてこれらを書いた。そして、新郎の父親からこれらを受け取り、私も同じように相手にお渡しした。

結納の儀式が無事終わり、しばし歓談。そして、場所を移していきつけの料理屋で会食。向こうの両親とも、完全に打ち解けて長年の知り合いであるかのごとく、付き合うことができた。

今日は、3人とも我が家で泊まっていただくことにした。帰宅後、和食の料理長である新郎の父親が市内でネタを仕入れ、2本の包丁と大皿を持参して寿司を握ってくださった。マグロやハマチ、エビ、イカ、ホタテなどたくさんの寿司が出され、両家はますます打ち解けて楽しい時間を持つことができた。

(日記 午前10時より結納。昼は行きつけの料理屋『魚中五』で会食。帰宅して、午後6時半より、寿司パーティー。新郎のお父さんが握ってくださったのだ。一生の思い出に残る結納の一日だった。)

我が家の玄関で記念写真。

我が家の玄関で記念写真。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新郎の父親は和食の職人。夜、我が家の台所で寿司を握って下さった。

新郎の父親は和食の職人。夜、我が家の台所で寿司を握って下さった。

 
 

埼玉より珍客さん

19 7月

明日は次女の結納
夕方、埼玉県から「次女の結納」のため新郎になるOさんとその両親がやって来られた。私たちは、市内のホテルへ挨拶に伺った。

早速自己紹介したが、気さくで笑顔を絶やさないご両親で長年の知人であるかのごとく、コーヒーを飲みながら、親しく歓談することができた。30分ほどして、明日の結納の日程などをお話してホテルを去った。

長男は、東京へ勤め、横浜住まい。次女も、東京勤めで東京住まいになるだろう。私が若いころあれほど憧れた東京で長男と次女が働いているのだ。

今は、この田舎が一番だと思っている。それにしても、縁とは不思議なものである。福井生まれの娘が、埼玉生まれの人と結婚するなんて。しかし、これには音楽が大きくかかわっている。

音楽を通して近づいていったのだ。この点、私と共通点がある。娘は、広い大都会の中で、一人の男性とめぐりあうなんて。明日は結納だが、いつまでも、幸せな人生を送ってほしいと願わずにはいられない。

(日記 明日は次女の結納。自分の部屋を片付けていた。午後はしばし音楽。午後5時半に「勝山ニューホテル」」で新郎となるOさんとその後両親に挨拶に伺った。新郎とは、今回で三回目の対面だが、ご両親とは初対面。でも気さくなご両親でよかったと思った。)

 
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結局“力”か

18 7月

不安定な地球上
この頃、地球上は非常に不安定な状況だ。自然現象でも、地震や豪雨、台風やハリケーンが各地を襲っている。我が国は、これに原発事故が重なり、平穏な日々がなかなかおとずれない。

その上、各国の統治機能がうまく働かないようである。常に武力による攻撃があちこちで頻発している。外交交渉による平和構築は困難を極めている。

武力を背景に、自国の利益を優先させようとしている国が多いように思えてならない。あちこちで、近隣諸国同士の紛争が続いている。大国が主導権争いをして世界各国で自国の身方を増やそうとしているようにも思える。

武力による平和構築、バランス構築は際限なく続けられていくことだろう。平和を守るためにという口実で、武装することが当たり前になっている。政治力ではコントロールできなくなっている。最後は力に頼るしかないように見える。国家同士の争いだけでなく、これにテロリストによる武力攻撃も各地で頻発している。

どの国の一般大衆も平和を望んでいるだろうが、各国の指導者の考えで、それらは遠のいていくように思えてならない。各国のリーダーの本当の意味での政治力が問われている。そんな中で、今日もまた旅客機の墜落事故が起きた。しかも、武器により墜落させたのだという。宇宙から見たら、地球上の争いは、非常に醜く見えるだろう。悲しいことだが、物欲の果てには必然的に起こる現象と言えなくもない。

(日記 午前中、仕事をしやすくするために、自分の机の周辺を整理した。午後も作業を継続。時々歌作り。午後7時過ぎから村のゲートボールの練習に参加。猪野瀬地区のゲートボール大会があるためだが、私は家庭の事情で参加できない。それでも練習は楽しかった。)

 
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久々の歌作り

17 7月

替え歌の歌詞に新たな曲
片付けてあったファイルを見ていたら,替え歌が見つかった。曲は元歌があるが、歌詞はオリジナルだ。頼まれてはいなかったが、ギターとパソコンを使い、新たな曲を作ってみた。

プロの歌作りは、曲先の場合が多いらしい。作曲家が先にメロディーを作り、作詞家が後から歌詞を当てはめていくのだ。そこに、ディレクターがあれこれ注文を出し、修正を加えて作品を完成させるらしい。

シンガーソングライターは両方を一人で一度に作っていくのだろうか。それにしても、7つの音を組み合わせて、ずいぶんいろんなメロディができるものだと感心する。

日本民謡、外国の曲、演歌、クラシック、ロック、ジャス、フォークソング、ウェスターン、・・・、音の流れでずいぶんいろんなものができるものだ。

私のように、全くのど素人は、もともと誇りも何もないから、自由自在に歌を作ることができる。度素人の強みだ。規則から外れていても、気にならない。そんなわけで、1時間ほど歌作りに没頭した。ギターでメロディーを考え、パソコンで編曲しながらの作業だ。明日聞いたらきっと幻滅あdろう。でも楽しかった。“忙中閑あり”のお遊びだった。

(日記 午前中、パソコンのマニュアル等の整理。午後は、民謡のCD作り。あれこれやっているうちに一日が過ぎてしまった。午後8時より『爺ちゃん勉強』。)

 
 

久々の和太鼓

16 7月

九頭竜ワークショップの夏祭りに向けて
今日は久々の和太鼓練習。九頭竜ワークショップの夏祭りの出演依頼が来たのだ。そこで、今日は一部のメンバーが集まって曲の編曲作業。といってもこれまで私が作った曲を、出演できるメンバーの数に合わせて組みなおすのだ。

この作業は、メンバーが自主的にやってくれるのでありがたい。子供太鼓の場合には、私が中心になって指導するが、大人の部は、メンバーが練習計画も曲の編曲作業もすべてやってくれるので私の負担は非常に少ない。

夏祭りで演奏する曲を練り上げる和太鼓のメンバー。

夏祭りで演奏する曲を練り上げる和太鼓のメンバー。

夏祭りには、和太鼓が不可欠だ。太鼓の響きが祭に彩りを添えてくれる。みんなが一つの曲に集中できるのが和太鼓のよいところだ。楽しいところだ。

メンバーの一人が言う。「太鼓とよさこいをやらないと夏が来たような気がしない」と。私もそんなところがある。太鼓をやると夏が来たなあと思う。和太鼓集団を創設してからかれこれ30年が経つ。

短期間の練習でどれだけできるかわからないが、一生懸命取り組みたいと思う。本番では私は篠笛を担当することになるが、だんだん下手になっていくように思う。その分、練習でカバーしなければならないと思うが。

(日記 午前中は、電燈の入れ替え。蛍光灯をLEDに入れ替えた。それとともに、台所の手元灯を付けた。長い期間、つけたいと思っていながらできなかったことだ。半日かかったが、我ながらうまくいったと思う。午後7時から和太鼓の練習。私は、見ていることが多かったが、楽しかった。)