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数学参考書作り

13 9月

モニターの高校生
 私はいつも、センター試験を解くことにしている。平成26年度も問題も解いてみた。解く理由は簡単だ。果たして私の作った参考書が、センター試験に役立つかどうかを確かめるためだ。

 数学ができるかどうかは、「どれだけ基礎知識を持っているか(公式、基本的解法の理解)」、そして「どれだけ考えられるか」だ。将来、社会に出たとき、直接役立つのは、この“考える力”だ。今、至るところで少子化が問題になっている。少子化担当大臣までいるぐらいだ。国も地方も、その存亡をかけて真剣に取り組んでいる。

 そこで、少子化を防ぐ対策を考えなければならない。そのためにも、なぜ少子化が起こるかを“考える”ことが必要だ。誰が、どれだけ、しっかりと考えられるかだ。

 政治家の“先生”が確かな考えを持っているわけでもない。国民みんながその原因を考えてみなければならない。取り除ける原因があれば、それを取り除かなければならないし、取り除けなければ、事前の対策を考えなければならない。

 隣の高2のMさんが数学を教えてくれと言うことなので、私の事務所で先ず今春行われた「センター試験」を解いてもらうことにした。解答の後、自作の『参考書(セオリー集)』を見せて、関連を説明した。今後、この『参考書』のモニターとなってこの参考書を活用してもらいたいと思っている。そして、いずれは、数学の不得意な生徒に役立つものを完成できればと思っている。

(日記 朝は数学。午後10時から昼過ぎまで、ショウガの除草と土寄せ作業。そして、田んぼで藁集め。コンバインで細かく切らずに田んぼの中へ落としておいてもらったものを束ねて家庭菜園の畑の近くへ運んだ。午後も数学。そして、午後4時から高校生に数学指導。参考書を作るためのモニターを勤めてもらっている状況だ。)

 
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銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の一つの区切り

12 9月

見えてきた最終形
 銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の出番がいろいろ近づいている。9月27日の片瀬の秋祭り(片瀬白山神社)、10月11日の里芋サミット(勝山ニューホテル)、10月12日のエコミュージアム全国大会(勝山市民会館)、繊維祭り(ゆめーおーれ勝山)、いのせ文化祭(いのせ公民館)……、この他にも地区の文化祭など出演依頼が相次いでいる。

 我々としては、10月12日の出番を一つの大きな目標としている。現在の豊年ばやしは、まだまだ発展途上だ。当日は、挿入芸も完成させたいし、伴奏も全て生でやりたい。

今年は、数は少ない大きな実をつけた我が家のキウイ。

今年は、数は少ない大きな実をつけた我が家のキウイ。

 今日は、そんなわけで、先ず曲の長さを調整し、挿入芸の脚本を書き、歌詞を考えた。字数を合わせながら言いたいことを言うのは、素人の私には至難の業だ。

 結局、朝から始めて午後3時までかかってしまった。まだまだ十分ではないが、現時点での一応の完成を見た。午後7時半からの練習に早速みんなに説明し、今後の練習計画などを話し合った。

 それぞれが忙しいので、全員が集まって練習するのはなかなか大変だ。果たして、全国の皆さんにどのように受け止められるだろうか。皆さんの意見を聞いてみたいものだと思う。この豊年ばやしの挿入芸のコンセプトは“大正・昭和の米作り”だ。これを豊年ばやしのメロデーに乗せて演ずるのだ。苦労は多いが、楽しみでもある。

(日記 午前8時過ぎから、午後3時まで、もっぱら『片瀬豊年ばやし』の創作作業。午後は、しばらく映像編集作業。そして、午後7時半から、『片瀬豊年ばやし』の練習集会。忙しい一日だった。)

 
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イチゴ ナウ

11 9月

食べるのはひととき、育成は年中
 イチゴを食べる時期は、ほんの2,3週間だ。この間は、自由に食べることができる。しかし、イチゴの苗を育てている期間は、1年中だ。

 イチゴの収穫時期が終わると、先ずはイチゴのランナーを伸ばすのだ。ランナーからは次々と新たな苗が育っていくのだ。子苗、孫苗、ひ孫苗、……とどんどん伸びていく。

自宅の裏で、出番を待つイチゴの苗。根が上手ポットの中が一杯になっている。早く畑へ植えたいものだ。

自宅の裏で、出番を待つイチゴの苗。根が上手ポットの中が一杯になっている。早く畑へ植えたいものだ。

 親苗から伸びたランナーは着地しながら新たな苗を増やし、そこから、根が出るのだ。今年、我が家は家内が、その孫以下の苗にポットをあてがったのだ。

 ポットの中で根が十分伸びた頃、ランナーを切るのだ。これで完全に独立した苗となるのだ。この苗を自宅へ運んだ。そして、今日まで水をやり続けている。そして、今日は、イチゴを植える場所を耕した。石灰を入れ、少しの肥料を入れて耕した。

 一週間後には、たっぷりと有機肥料を入れて耕すつもりだ。10月になったら自宅で待機している苗をいよいよ畑に植え、来年の収穫時期を待つのだ。時間をかけて、苗を育て、水やりをしたりしながら、収穫を待つのだ。農作業の醍醐味はこうした育成期間にあるかも知れない。お金を持っていけば何でも帰るのとは、また違う楽しみがある。

(日記 午前中は、映像編集作業。午後は、イチゴを植える場所を耕した。帰宅後も、映像編集作業。)

 
 

映像編集

10 9月

思い出しながら
 映像を編集する必要に迫られている。絵を描いてそれを動かそうとするのだから大変だ。果たしてできるかどうか分からない。

 平泉寺の歴史と言えば、「泰澄大師が白山を開き、その登拝口として平泉寺が大いに栄えたこと。その後、栄華を誇った平泉寺が一向一揆勢に攻撃されて焼失し、その後、規模は比較にならないほど小さくなったが再建されたと」いうところまでだと思っていた。

はたしてこの絵を動かすことができるだろうか。

はたしてこの絵を動かすことができるだろうか。

 ところがその後の平泉寺の歴史も、また、非常に興味あることが分かった。そこで、「再建後から明治の廃仏毀釈、そして、平泉寺が白山神社になった」ところまでを何とか、静止画中心に少しだけ絵を動かしてみたいと思う。

 しかし、映像編集の技術はまだまだ未熟だ。福井の病院へ行くに辺り、映像編集ソフト「プレミアプロ」のマニュアルを持って出かけた。

 たまにしか使わないソフトなので、なかなか操作を身に付けられない。今回も映像編集には苦労しそうだ。場合によっては、作品が完成しないかも知れない。しかし、諦めずに頑張ってみたいと思う。もっと若い時期にこんなソフトがあったらと思うが、それは愚痴というものだろう。

(日記 福井へ行くついでに、済生会の眼科で眼を診てもらった。用事を済ませて午前中のうちに帰宅。午後は、もっぱら映像編集の準備。なかなか大変だ。午後九時近くまでかかってようやく準備ができた。明日から、ボチボチ脚本を作って、映像編集を始めたいと思う。)

 
 

元気な小1の児童と共に

09 9月

楽しい社会人授業
 成器南小学校の1年生の先生からの依頼で、子どもたちの前で授業を行う機会をいただいた。生活科の授業だ。とても楽しみだった。

南小学校での楽しい生活科の授業。とても楽しかった。

南小学校での楽しい生活科の授業。とても楽しかった。

 体育館で、二クラス全員の児童に対して授業を行うということで、今日は紙芝居をいつもの紙に描いた絵からパワーポイントを使って行うことにした。導入として、先ず手遊び歌など3曲を子どもたちと一緒に歌ったりした。

 子どもたちは、積極的に参加してくれた。特に、『大きくなったら何になる』の手遊び歌の後で、子どもたちに「大きくなったら何になりたいですか?」と尋ねたところ、たくさんの手が挙がった。とても盛り上がった。

 時間の関係で、全員に答えてもらうことができなかった。その後、創作紙芝居『ナマズのテツ』を演じた。一転して、水を打ったように集中して聞いてくれた。この切り替えには感動した。

 演技の後、「大きくなったら何になりたいか?」の質問を続けた。ほとんどの児童が手を挙げてくれた。その後、「私たちに対して何か質問はありませんか」と尋ねたところたくさんの手が挙がった。こうした質問にも、元気よく、たくさんの子どもが手を挙げてくれたことに、感動した。とても、楽しい一日だった。

(日記 朝起きる也、今日の紙芝居の画像の再調整。午前9時前に南小学区へ向かった。9時25分頃から、1年生二クラスに対して紙芝居など演じた。楽しかった。午後1時半からは、鹿谷公民館でおばさん達に銭太鼓の指導。その後、歯医者へ。夕方、南校へ今日の授業の写真データをもらいに行った。ついでに授業についての生徒達の感想文もいただいた。内容を読んで感激した。結構忙しい一日だったが、充実した一日でもあった。)

 
 

「平凡」のありがたさ

08 9月

退院
 待ちに待った退院の日。入院中、一番困ったのは、食事だろうか。健康的には考慮されているのだろうが、食事の楽しみというと、少し物足りない。それでも、入院中の生活で一番の楽しみは食べることなのだが。

 やはり入院生活は、普通ではない。やむを得ないことなのだ。しかし、空気の有り難みをあまり感じないで生活しているように、日々の平凡な生活の有り難みを感じることは少ない。

 しかし、こうして入院してみると、行動は制限されるし、食事は制限される。自由なのは、頭の中だけだ。それでも、入院して、不自由なところを処置していただいたことには大いに感謝している。

 これまで何度入院しただろうか。この病院だけで、三度入院している。入院してしまうと、頼みの綱は、主治医や看護師さんだ。

 今後は、「平凡」な日々に感謝し、無理はしないで毎日を送らなければと思う。そういう意味では、今回の入院も自分を省みるよい機会になったと思っている。 

(日記 午前10時過ぎに、いろいろ手続きを取って退院。家内が迎えに来てくれた。二人で、ささやかな退院祝として外食。帰宅後、歯医者へ。午後4時頃、南小学校で明日の生活科の授業の打ち合わせ。明日は、二クラス合同で体育館で授業をするというので、パワーポイントがうまく使えるかどうかをテスト。うまく作動すると分かった。帰宅して、午後10時過ぎまで、明日のパワーポイント画像の修正と仕上げ作業。ようやく準備ができた。)

 
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終日、パソコンで編集作業

07 9月

家と同じパソコン環境
 家内が昨日パソコンで絵を描くためのタブレットとタッチペンを持ってきてくれたので、絵を描くための環境が家と同じになった。

 火曜日に南校で演ずる創作紙芝居『ナマズのテツ』のパワーポイント用画像を描いた。同じように、紙芝居をすると言っても、紙に描いた絵で演ずるのと、パワーポイントでは全く異なる。

紙芝居の一場面。このカメも足や首を動かして水中を泳ぐようにした。

紙芝居の一場面。このカメも足や首を動かして水中を泳ぐようにした。

 パワーポイントの画像の場合、瞬時に絵を切り替えることができるので、少しずつ異なる絵を順次切り替えればアニメーションのように絵が動いて見えるのだ。

 紙芝居なら1枚で済む絵をパワーポイントでは数枚描くと動いて見えるので面白い。しかし、複数の絵を描くとなると手間はかかる。

 手間はかかっても、小学1年生の子どもたちが喜べばと思って、気合いを入れて絵を描いた。おかげで、カメが水中で泳いだり、石を持ち上げたりする絵を描いた。九日、南校の子どもたちは喜んでくれるだろうか。

(日記 今日は、朝から晩まで、食事時間以外は紙芝居の絵を描き続けた。夜、9時過ぎまでかかった。そして、脚本も少し手直しした。家にいるのかと錯覚を起こすくらいであった。)

 
 

ラップとは何か?

06 9月

ラップの教科書を読む
 以前に買って放ってあった『ラップの教科書』を読んでみた。これまでは、メロディーのない早口言葉ぐらいに考えていた。しかし、もっと奥の深いものであることが分かった。

 言葉をどのようにリズムに乗せるか。リズムのどこに言葉を乗せるかは大きな問題だ。それと韻を踏むことが大切だという。しかし、だじゃれのように、子音も母音も一致させるのではなく、母音だけを一致させる穂が面白いという。

長女と一緒に見舞いに来てくれた孫達。家内と一緒にパチリ。

長女と一緒に見舞いに来てくれた孫達。家内と一緒にパチリ。

 こんなことを考えると、歌詞を考えるのは難しくないのだろうか。「期待」と「機体」と「気体」などは同音異義語でシャレなどに使われる。

 しかし、「期待」と「錨」となると、子音は異なって母音“i・a・i”は一緒である。このように韻を踏みながら詩を作るというのは簡単ではないが、チャレンジしてみたい気がする。

 そして、自分の言いたいことを詩にするのだ。韻など無視してとにかく、リズムに乗って楽しく歌える曲を書いてみたい気がする。看護婦さんが、私の持っている『ラップの教科書』なる本を見て驚くのも無理がない。 

(日記 病院での生活はいつも同じで短調だ。特に、今日は土曜日でリハビリや検診もない。時折、体温や血圧や血糖値を測るために看護師さんが来るだけだ。空いた時間には、紙芝居の絵を描いたりした。しかし、マウスでは、思うように絵を掛けないので、家内に頼んでおいたら、持ってきてくれた。夕方、長女が二人の子ども(私の孫)を連れてやって来た。しばらく談話室で話をして別れた。そして、家内も帰っていった。)

 
 

いつか来た道

05 9月

多い戦争ドラマ……二度と繰り返すまい
 朝ドラ『花子とアン』を欠かさず見ている。どらもの時代は戦争のあった時代だ。国内が戦争一色になっていく。新聞もラジオも世の中の仕組みもすべて、戦争賛美の方向へ向かっていくのだ。

 最近の朝ドラでは、『梅ちゃん先生』、『ごちそうさん』、そして、今の『花子とアン』も全部戦争前後の物語になっている。視聴者の多くは、その戦争の結果が知っているだけに、戦争の持つ恐ろしさ、危うさ、空しさをよく知っている。

 しかし、当時の指導者は、そんなことはお構いなしに突き進んでいく。そして、一般大衆に多大な影響力を持つマスコミも同調して国民を戦争に巻き込んでいく。

 これらのドラマが繰り返し報道されるのは、なぜだろうか。今の時代がいつか来た道に通じるからだろうか。戦争体験のない人が増えて、戦争の悲惨さが伝わらない時代が来るのではなかろうか。今の世の中、言論により平和を模索するというよりも、武器によって平和を維持するという方向に向かっているように思える。
(日記 入院三日目。例によって、リハビリと諸検査。自由時間にパソコンで紙芝居の絵を描く。といっても、タブレットがないので簡単にはいかない。夜、サッカーの試合を見る。素人目にも、世界のトップレベルとは、まだ差は大きいように思う。)

 
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頭の中は自由でも

04 9月

 入院二日目
 車いすでの移動。看護婦さんがついてくださるが、なんとなく申し訳ない。昨日の今日だから体は自由に動かない。特に、足だから、なおさらだ。

 昼近くにリハビリ。黙ってリハビリをしているのもなんとなく落ち着かないので、少しずつ、話をする。途中で子育ての話になった。

 30分ほどの間だったが、話の終わりに伝えたかったことは、「子供が帰りたくなる家庭を作ってはどうでしょうか」ということだった。

 ベッドの上では、身体は不自由だが、頭の中は自由だった。自宅から、三種類のマニュアルと『文芸春秋』を持ち込んだ。時間があれば見ればいいだろうと思って持って来たのだ。一つは映像編集の「プレミアプロ」だ。ほかに、「パワーポイント」だ。いずれも長年愛用しているが、さらにレベルアップするために読もうと思ってのことだ。

 最後の一つが、「ラップの教室」だ。表紙を見つけた看護婦さんが驚いていた。高齢者の私がラップの本を読むなんて信じられないという風だった。暇な時間は有効に使いたいと思う。

(日記 入院二日目。リハビリと後は、定期的な血圧、血糖などの検査だ。時間がいくらでもあるので、時々テレビを見ながら、マニュアルを読んでいた。)

 
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