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地域の盛り上がり

22 2月

左義長フィナーレ
知人から誘われていたので、先ず7時頃芳野町の櫓を見に行くことにした。

上三枚:左義長スナップ。中:家の前の雪で遊ぶ孫達。下2枚:「農事組合法人かたせ」の総会と「GAP講座」。

上三枚:左義長スナップ。中:家の前の雪で遊ぶ孫達。下2枚:「農事組合法人かたせ」の総会と「GAP講座」。

「浮き浮きライブ」ということで若者を中心に左義長ライブという感じであった。

若者がたくさんこうした行事に参加していることをうらやましく思うと同時に、我が地区でもなんとかしなければとの思いを強くした。

ライブの後は、「菓子まき」や「餅の手渡し」があった。中心市街地から少し離れているので身内中心という感じではあったが大いに盛り上がっていた。

左義長を見ながら考えた。この地区の左義長の全取り組みをビデオにしたらきっと他地区のまちづくりの参考になるだろうと思った。

昨日も書いたが、地区に「伝えるもの」のある地区は活気があるということと、「祭りは地域の力」の現れであると思った。

午後8時半過ぎに、福井へ帰る孫達に左義長を見せたくて勝山駅まで一緒に出かけ、「どんど焼き」の点火を待った。バックにライトアップした勝山城博物館が浮かぶ中、どんど焼きの大きな炎が天に向かってゆらめいていた。いよいよ奥越にも春が来る。そんなことを思いながら、孫達と別れて帰途についた。

(日記 午前9時より『農事組合法人かたせ』の定期総会。年に一度の総会だったのでいろんな意見が出て3時間かかった。私も、「組合の米価の設定と販路拡大」、「次世代育成」、「里芋のオーナー性や畦の貸し出し」などいくつかの提案をした。今年のJA売り渡し価格は下がったし、今後もその傾向は続きそうだ。組合による一般販売も必要になるだろう。午後は、1時間ほどバンド練習に付き合い、その後、集会場で県主催の『奥越地区(GAP(適正農業実践)講座』を受講。安全安心の農作物作りについての話を聞いた。午後7時芳野区の左義長を見に行く。午後9時福井の孫達と左義長のフィナーレである「どんど焼き」を見て勝山駅の駐車場でまごたちとわかれた。)

 
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伝えるもの

21 2月

左義長から学ぶこと

上三枚は左義長を見に行ったときのスナップ。下は、一日遅れの私の誕生祝い。

上三枚は左義長を見に行ったときのスナップ。下は、一日遅れの私の誕生祝い。

福井から孫達がやって来たので、家内と2人で左義長を見に出かけた。天候に恵まれて多くの見物客が出ていた。また、町中を左義長の衣装で歩く子どもや若者が見受けられた。

外からは見えないだろうが、おそらく櫓を持つ各地区の若者の中には「左義長には何が何でも帰る」と思って帰ってきた者もいるのではなかろうか。

我が次女も左義長ファンだ。我が家は左義長の櫓を持つ地区ではないが、次女から、今日の午前中、「左義長に来年は必ず帰ります」とのメールが来た。保存会のメンバーではないが、会長のKさんの指導を受けた関係で長年櫓に上がらせていただいていたからだ。

果たして、我が村に、子ども達や若者が「この行事には何が何でも帰りたい」と思うようなものがあるだろうか。地域に人を惹(引)きつける魅力があるだろうかと思ってしまう。

これは大人の私達の責任だ。地域に魅力がなければ都会へ出たくなるだろうし、出た者は帰ってきたくならないだろう。子どものうちから地域で活躍できる場や心地よい居場所を作っておかなければならないだろう。そのためには、私達が、地域で力まず生き甲斐をもってひびせいかうしなければと思う。それと同時に、子ども達に伝えられるものを作らなければと思う。

(日記 午前中は正月飾りを取り外し、左義長会場へ持って行く準備。その後、少し数学。午後は、カラオケ作り。午後2時半過ぎに福井の孫達と家内と4人で左義長を見に行く。夜は一日遅れの誕生祝い。とうとう72歳になってしまった。)

 
 

ワーク・アンド・ライフ・バランス

20 2月

ライフがあるのか?
 最近、「ワーク・アンド・ライフ・バランス」という言葉がよく聞かれる。それは、「仕事と生活の調和」と訳され、「国民の誰もが生き甲斐を実感しながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、それぞれの年齢に応じて多様な生き方が選択・実現する」ことを指しているように思う。

しかし、周囲を見渡すと「ライフ」がどうかなと思う場合がある。私が67歳で完全に退職したとき、町中で出会った数人から「暇やろ。何もすることないやろ」とよく言われたものだ。

私は、退職してから5年が経ったが、暇で何もすることがないと思ったことはない。ただし、自由時間がないというわけではない。なぜなら、やりたいことはたくさんあるが、それらを先送りすることができるからだ。

ところで、今から100年ほど前の人達の、「ワーク・アンド・ライフ・バランス」はどうだったのだろうか。調べようもないが、当時の地区の行事を調べてみると農作業とは別にずいぶんたくさんの行事があったことが分かる。

そのうち2月の行事のいくつかを紹介すると次のようなものだ

◇二月◇・・・・・・。(『片瀬誌』より)・・・・・・・・・・
・旧の正月(二月一日二日三日は休業。朝食に雑煮、夕食は数の子、煮豆、鯖の寿司を食べ、酒を飲む。正月の三日間は深夜神社へお参りし、続いて道場へお参りする。素晴らしい風習なので今後も続けた方がよい。)
・書き初め(二月二日。小学生などは短冊を書き、左義長まで庭の前に立てておいた。)
・使い初め(二月四日。仕事始め。青年会では三日の夜を仕事始めとし、四日は休む者があった。)
・初寄り合い(二月四日。区民の総集会。行政に関する種々の協議をする。)
・延年・七草節句(二月七日。他区、他町村の親戚を招いてもてなす。七草節句としては、七菜五穀をあわせてお粥を作った。)
・左義長(二月十四日。藁を集め、広畑で門松にかけ、夜、これを燃やした。この際、書き初めを生竹に吊して持ち集まった。また、年中仏壇に供えた花を持ってくる者もあった。)
・例年法会(二月十五日。宗祖見眞大師の御忌日にあたり法会を行う。)※親鸞聖人は、明治九年に明治天皇より「見眞大師」の諡号(しごう:おくり名)を追贈されている。
・十八粥(二月十八日。朝食に小豆粥を作り、これを柿の木の幹に鉈(なた)で傷を付け、切れ目に挟み込む。)
・御宮酒(二月二十日。春祭りと称し、氏神様に祈祷を行い、お供酒のお下がりをいただく。そして、老若男女は重詰めのご馳走を持ち寄り、宮番の家で酒宴を開く。この日は、田舎芝居があったり、各自が得意の芸を披露する。氏子にとっては、一年のうちで最も楽しい日。)
・天神講(二月二十五日。昼食に小豆飯を作る。また、正月以来床の間にかけておいた天神様を片付ける。)
・紀元節(二月十一日。三大節の一つで休業日とする。)
※三大節とは、旧制の三大祝祭日。すなわち四方拝・紀元節・天長節の総称。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このように、たくさんの行事を家庭や地区でこなしたのかと思うと、頭の下がる思いがする。厳しい農作業の合間にもこのようにたくさんの行事をこなしたと思うと尊敬に値する。

(日記 午前中は数学。このごろ結構作業がはかどっている。衆院予算委員会の実況を聞きながらの作業だった。総理も正月前後は、連日、映画、観劇、ゴルフ、フイットネスクラブと正に「ワーク・アンド・ライフ・バランス」を実施していられたようだ。もっとも、危機管理上の問題で責められてはいたが。そう言えば、今日は私の72回目の誕生日。年齢は異なるが長島監督も今日が誕生日だ。ジャンパーのプレゼントがあり、孫達から手紙をもらった。)

 
 

PDCAでいいのか?

19 2月

「現状分析」を加えたい
物事を実施する場合に、「PDCAサイクル」いうのがある。しかし、私はこれだけでは不十分だとかねてから考えている。

先ず、この、「PDCAサイクル」だが、次のように言われている。
1.PLAN(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する
2.DO(実施・実行):計画に沿って業務を行う
3.CHECK(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する
4.ACT(行動・処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする

いろんな場面で、このサイクルの甘さを見てきた。多くの場合、計画以前に「現状分析」を十分に行わなければと考えている。計画が甘すぎた場合が多いのだ。

原発を例にとっても、現状分析を十分に行わないまま、計画され、実施されたのではないかと思われるふしがある。可能な限り、予測される危険や問題点を把握し、可能な限り対策を研究して計画しなければならなかったのではなかろうか。

核廃棄物の処理法も処理場所も、(いずれ老朽化するはずだから)その廃炉の方法も全て未定のまま、計画が先行し、問題が発生しているのではなかろうか。原発の賛否を述べる以前の問題だ。事前の十分な現状分析を行わないまま事に当たれば尊い人命が失われることを私達はよく勉強して事に当たらなければならないのではなかろうか。

少子化や地域の崩壊に対する対応も、なぜそうなったのかなど現状を十分に分析して対応しなければ改善には結びつかないのではないかと思われる。

(日記 午前中は数学。午後1時過ぎから家内と市営プールへ行き、水中ウオーキングとサウナ。たっぷりと汗をかいた。午後6時から「爺ちゃん勉強」。小学4年生の問題集に方程式を解くような問題が出ていて教えるのに苦労した。夜はビデオ鑑賞。)

 
 

対立!

18 2月

どう折り合えるか?
今日は、参議院の代表質問。いろんな問題で与党とやとうが対立している。今日の代表質問でも、様々な問題で与党と野党が対立している。

経済問題では、「景気が良くなっている」という与党と「けい気は良くはなっていない」という野党。「沖縄の基地移転問題」、「原発再稼働問題」、「貧困の問題」、「アイスルに対する対応」、「憲法問題」……。

国内でも、対立する問題がたくさんある。外国でも、国内や外国との対立が多くある。ウクライナの問題も深刻だ。フランスで起こったテロの問題もまだ尾を引いている。

どうも今は、武器に頼らなければ自国を守れないと考える国が多くなったように思う。武器に頼ればエスカレートするばかりだろう。政治家は自国を守るという言葉をよく使うが、何によって自国を守るかが問題だ。

今は、国内も国外も「信頼」という言葉が失われていくように思えてならない。自由競争は勝者を生む反面、敗者をも生む。TPPもみんなが勝者になるわけではなかろう。勝者と敗者の格差を小さくするのが政治ではなかろうか。もしそうでなかったら、世の中は、ますます不安定になっていくのではなかろうか。

(日記 午前中は数学。午後は、先ず餅切り。平たくした種々の餅を四角に切った。その後、かなりの時間数学をやっていた。参院の代表者質問を聞きながらの作業だった。その後、しばらくコンピュータミュージック。時々、ソフトが思うように作動しないときがある。夜は、ビデオで映画鑑賞。)

 
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地区の活性化に向けて

17 2月

「猪野瀬地区活性化委員会」2月定例委員会 今日は、公民館で猪野瀬地区活性化委員会の2月定例委員会。市の「地域力向上基金」の補助を受けて購入した備品の管理規定などについて話し合った。

上:白山山頂で御来光を待つ私。中:取材のためのカメラを構えて御来光を待つ。下:御来光。感動の一瞬。

上:白山山頂で御来光を待つ私。中:取材のためのカメラを構えて御来光を待つ。下:御来光。感動の一瞬。

その後、新年度の活動について話し合った。今のところ、当委員会は、地域の活性化のためにパワーを蓄えている時期で、活動の中心は既存事業の活性化を目標にしている。 昨年は、「いのせ文化祭」の活性化に向けて、会場の変更、模擬店のあり方、舞台設定など様々な面でそれまでのものよりパワーアップしたと思っている。 正式決定ではないが、大師山関係の二大行事である「大師山自然観察会」と市の夏祭りの一環として行っている「大師山たいまつ登山」のうち、特に後者の方に新たな付加価値をつけて新たなイベントにできないかと、みんなで夢を語り合った。 大師山は、泰澄大師の“大師”を名前に冠した山である。泰澄大師は霊峰「白山」を開いた僧でその影響力は周辺に広がっている。また、その信仰の中心となる白山神社は全国に3千数百社を数えている。富士山の比ではない。様々なものを組み合わせた一大イベントを展開できないか、世界遺産を目指す「白山麓の文化」を取り入れた祭りにできないか、そんな夢のような話をしているうちに昼になり会議を終えた。 (日記 朝一番の餅作りで一日が始まった。午前9時半より公民館で「猪野瀬地区活性化委員会」の2月定例委員会。猪野瀬地区の活性化について語り合った。午後は、数学。そして、音楽。家内は福井へ子守りに出かけた。)

 

 

小舟渡から見た白山。山頂に雪をいただき、まさに「白山」である。

小舟渡から見た白山。山頂に雪をいただき、まさに「白山」である。

 

すれ違い

16 2月

各党の代表質問を聴いて
私は国会の討論をなるべく欠かさないで聴いている。パソコンをやりながら、あるいは、今日のようにウオーキングをしながら、時には、家庭菜園で野菜作りをしながら聴いている。

 今日は、午後から、安倍総理の施政方針演説に対する各党の代表質問だ。トップは、民主党の岡田代表の質問から始まった。格差問題などもあり、なかなか鋭い質問もあり、総理はどう答えるだろうかと興味を持って聴いていた。

 しかし、実際の答弁は淡々としていて、多少ストレスが溜まった。次に、自民党の谷垣氏の質問。与党であるだけに、総理に与党の方針を確認させるようなものであった。

大野高校(右後方)周辺をウオーキング。後方は日本百名山の一つ荒島岳。今日は、快晴で散歩日和だった。

大野高校(右後方)周辺をウオーキング。後方は日本百名山の一つ荒島岳。今日は、快晴で散歩日和だった。

 そして、次に、維新の党の代表・江田氏の質問。野党らしく鋭い質問もあれば、与党と似ている部分もある。国会議員の身を切る改革や原発に対しての質問があり、総理の答弁を注意深く見守ったが、やはりすれ違いの感は否めなかった。

 よりよい政治を行うためには、政治家に緊張感がなければならないと思う。それには、健全な野党が必要だと思っている。これは国会でも、県会でも、市会でも同様だ。これからも、なるべく国会討論を聞き、今世の中で何が問題になっているかに関心を持って生活していきたいと思っている。

(日記 午前中は数学。午後は、国会討論を聞きながら、大野高校の周辺を家内とウオーキング。快晴の散歩日和。荒島岳が、雪で輝いていた。いろんな家が建ち並んでいる。帰宅してからカラオケの楽譜作り。そして、子どもや孫に送る餅作り。午後7時から孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
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人と人とのつながり

15 2月

自分勝手に生きられそうな時代
私達子どもの頃と比べると、地域での人と人とのつながりはずいぶん変わってしまった。今は、自分勝手に生活し、楽しめる時代になったからだろうか。災害などがなければ、個人が勝手に自由気ままに生きられる時代になったのだろうか。

今の時代、「結(ゆい)」という言葉はほとんど死語になってしまった。金さえ出せばほとんどのことができる時代になったからだ。かつては、種々の作業において、地域住民同士の助け合いがなければ成り立たなかったのだ。

「結」による屋根の葺き替え作業。(写真提供:朝日印刷)

「結」による屋根の葺き替え作業。(写真提供:朝日印刷)

お互いの助け合いは、米作りを中心とする農作業では不可欠であった。全てを人力に頼った時代だったから、隣近所の助け合いで作業を進めなければできなかったのだ。

藁葺き屋根の多い時代であったから、この屋根の葺き替え工事も「結」でこなしてきたのだ。屋根に上がる者、萱を運ぶ者などに別れて手際よくさ業を進めたのだ。こればかりは金を出してもできる作業ではなかったのだ。

隣の大野市は、このような助け合いである「結」を全面的に打ち出して「結の郷」を名乗っている。今の時代、大概のことは家庭で完結するが、防災やまちづくりにおいてはやはりこの「結」の心は残していかなければと思う今日この頃である。人生に“いいとこ取り”はないのだから、多少煩わしくても、隣近所の付き合いはどこかで人生を豊かにすると思う。

・・・(「昭和の子ども達」より)・・・・・・・・・・・・・・・
「御裾分け」

結婚式だ ご馳走だ
おっとどっこい  ちょっと待て
隣近所へ  御裾分け
せっかく貰った ご馳走が
羽を生やして  逃げていく
回り回って  お返しが
忘れた頃に  やってくる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(日記 午前中は数学。ソフトの誤作動によって失われたファイルの復元作業。午後は、パソコンでカラオケ作り。あっという間に、一日が過ぎてしまった。)

 
 

歌作り

14 2月

音楽っている色あるなあと思う
「音楽」と一口で言っても、いろいろある。先ず、「器楽曲」か「歌」かによっても大きく分かれる。世界各地にはいろんな国があり、それぞれにいろんな音楽がある。

器楽曲と言ってもそうだし、日本の音楽にも使う楽器によっていろんな分野に分かれる。今日は、youtubeでいろんな音楽を聴いていた。時間の経つのも忘れていろんな音楽を聴いていた。

さて、これから、私の音楽活動をどうしようかなと考えていた。買ったばかりのクロマチックハーモニカもやりたいし、最近音が出てきたウインドシンセもやりたいし、昔、本職?だったドラムもやってみたい。ハワイアンギターも・・・・・。

こんなことを考えていたら、結局何もできないだろう。しかし、歌は作ってみたい気がする。何か作れそうで作れない。想いはあっても、行動を移すまでの距離がありすぎる。本気度が足りないからだろうか。

これまでの人生経験から何か歌が出てくるような気がする。要はどれだけ本気になれるかだ。いま、心の中で、少しずつ創作意欲が湧きつつある。毎日続けている数学に次に、歌作りにかけてみよう。そんなことを想いながら、あれこれ歌を聴いていた。

久々の除雪作業。機会を操作するのは楽しい。

久々の除雪作業。機会を操作するのは楽しい。

(日記 朝食後、しばし除雪機を動かして家の周辺の除雪作業。その後、数学。ソフトの誤作動で10日近くが無駄になってしまった。修復しながらの修復作業。もうしばらくは時間がかかるだろう。午後は、雪がチラつく中、ウオーキング、汗をかいた。帰宅してからは、いろんな音楽を聴いていた。午後7時から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。勉強の後、孫が詩を書いて聞かせてくれた。『私のジイジ、ノリオ』というタイトルだ。聞いていてジーンときた。その後、ビデオを見る。)

 
 

「戦争」という言葉が頻出する毎日

13 2月

平和が遠くなるのか
この頃、毎日のように新聞やテレビ、雑誌で「戦争」という言葉が目に付く。もはや、世の中の種々の問題は、武力でしか解決できないのだろうか。

昨日『文藝春秋』を買ったが、特集からして「新・戦争論」だし、あちこちに、「戦争」という活字が踊っている。テレビでも、同様だ。

戦争の悲惨さは言うまでもない。ある日、突然召集令状が来て、私の村でも多くの住民が戦地へ向かったのだ。私の父も同様であった。そして、何人かの人たちは、二度とふるさとの土を踏むことはなかった。私の同級生の父親も戦争で亡くなったのだ。

温泉の玄関で。

温泉の玄関で。

毎年、村では「戦没者慰霊祭」を行っている。最近の朝ドラにも戦争時代が描かれている。そして、戦争は非人間的な行動を招く。これは、先の大戦時だけではなく、今も同様だ。

戦争に勝者も敗者もない。どちらも、深く傷つくからだ。武力で戦争をなくしようとしても、互いにエスカレートするばかりであろう。戦争は、子ども達に特に犠牲を強いることになる。国と国との戦争、国内での戦争(内戦)、そして、テロとの戦争、……。傷つくのは弱者ばかり。政治家だけに任せるのではなく、自分に何ができるのかを考えなければならない時代になっているのではなかろうか。

(日記 温泉からの帰り、福井へ寄って帰宅。気分転換になったようだ。帰宅して、早速、数学。ワープロソフトが誤作動を起こして、十日分の作業が無駄になってしまった。やり直すしかない。残念無念。)

 
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