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Archive for the ‘未分類’ Category

09 1月

雪の降る地域が北上したのだろうか
ありがたいことに、今年は正月に少し降ったけど、その後はあまり雪が降らないのでありがたい。新潟以北はかなり降っているようなので気の毒だ。雨季の大変さはよくわかるからだ。

木製の「ばんば(またはコスキ)」。これで屋根納期を下したのだ。

木製の「ばんば(またはコスキ)」。これで屋根納期を下したのだ。

「サンパチ(昭和38年)豪雪」、「ゴーロク(昭和56年)豪雪」などの悲惨さを経験している者としては、雪の大変さはよく理解できる。

ところで、「サンパチ豪雪」の頃は屋根の雪下ろしに使う道具は「ばんば(またはコスキ)」と言われる木製の道具だけだった。これで、屋根の中央部分からでも雪をすくいとって下へ投げるのだ。

慣れない者には簡単に使える道具ではない。アルバイトで雪を見たことのない沖縄出身の大学生までが屋根に上ったが、彼らはあまり戦力にはならなかった。

奥越育ちの私は、大学の寮では「ばんば」による雪下ろしが一番上手だったと思う。屋根の先端の雪はだれでも落とせるが屋根の中央部分の雪を豆腐状に切り取って「ばんば」で下へ投げ飛ばすのは簡単ではなかったのだ。

その後、「スノッパー」で出てきて雪下ろしの効率は何倍もよくなった。しかし、最初の「スノッパー」は鉄でできていた重かったのを覚えている。今はアルミやプラスチックでできていて軽いので扱いやすい。雪おろしにも歴史があったのだ。今は昔に比べて雪が少なくなったように思う。温暖化の影響だろうか。

スカイプによる『辞意やん勉強』。勉強の後は孫たちと会話。

スカイプによる勉強の後は孫たちと会話。

(日記 午前中は数学。午後は大野高校時代に担任をしたI君が児童館へ来てくれた。いろいろ話をした。彼は住宅会社で課長をしているのだ。卒業生の活躍は頼もしく感じる。夜は、今年初めてのスカイプによる『爺ちゃん勉強』。)

 
 

遅々として進まず

08 1月

でも「毎日パワー」を信じて
私の日々の生活は「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨パソ」だが、今は「晴耕」の方は“シーズンオフ”。したがって、もっぱら家でパソコンの前に座っているばかり。「雨パソ」の方は「雪パソ」と言った方がよいかも知れない。雪が降ると外での仕事はないのでのんび

参考書に登場する数学女子。

参考書に登場する数学女子。

りと過ごすことができる。私は、日中はこたつに当たってテレビを視ることはしない。時間が無駄になるからだ。

今は、もっぱら高校生のための参考書作りをしている。高校生の参考になるかどうかは分からないが、自分では少しは役立つのではないかと思っている。2週間後は確か「センター試験」のはずだ。

私の参考書が役立つかどうかが試される。昨年は大いに役立った。というよりも毎年大いに役立っているといると思っている。今年はどうだろうか。きっと役立つだろう。

出題されるかどうか分からない予想問題を試験直前にたくさん解くよりも、基礎的な知識(セオリー)を確実に身に付けておくことが大切だを思っている。これらは絶対に出題されるのだから。

結構時間のかかる黒板(に書いたつもり)の図形。

結構時間のかかる黒板(に書いたつもり)の図形。

そして、応用問題は、それらをもとにして考えればよいのだと思う。考えなければ数学ではない。しかし、何もかも考えていたら、時間切れになってしまう。それにしても、参考書作りには多くの図形を挿入しなければならないが、これが大変な作業だ。遅々として進まないが,毎日やっていればバックはしないはずだからと思って今日もラジオを聞きながらパソコンを眺めている。

(日記 終日、数学。昼食後、家の前にあった雪を除雪機で飛ばした。孫達がソリ遊びをした場所だ。夕食後は、ぼんやりとテレビや読書。)

 
 

「地方発の新しいビジネス」

07 1月

宝を生み出す“つながり力”
今日は「地方から日本を変える・・・地方発の新しいビジネス」(NHKクローズアップ現代)の二日目。地域で成功している中小企業が紹介された。雪深い新潟・三条市で5年で売り上げを倍増させたアウトドアーメーカーー「snow peak」の話である。社長は26歳でUターンしたY氏。同氏がUターンした頃は、地元には金属加工の技術はあるが、安い外国製品に押され不況にあえいでいた。同氏によれば「みんなで安いマーケットに安いものを作って安く売っていた。」と思っていたらしい。

今や同社は、年間売上高54億円。躍進の秘密は高度な技術で加工した付加価値の高い製品を売り出すことにあった。思いついたのは自分が好きだったアウトドアー関連の製品。地元の金属加工の技術を使って高級テントを作り、従来品の10倍の値段(27年前に168,000円)で売り出したところ、大ヒット。

地元の鍛造技術使った驚異的な強度のあるペグ(テントのひもを止める器具)や、地元の職人にしか作れないキャンプ用の調理鍋を作るなど、地元企業に声をかけ、技術力を売りにした製品の開発に乗り出している。Y社長は「僕は高く買ってくれる人に、高くてもいいものを作って売っていくようにしている。そのためにはブランドも作らなければいけないと思っていた」と語っている。

それが高級ブランドの出発点となった。高付加価値戦略の成功により地元企業の意識も変わった。販売は直営店を主体に行っている。社員が製品の機能やブランドの哲学を徹底的に説明する。今や社員の約7割は県外から入社を希望して集まっている。「これだけの技術はうちだけしか持っていないでしょう」と自信を持つ職人たち。消費者も「値段は高いがものがいいのでずっと使える。」と言い、リピーターになっている。

こうして、地場産業とのつながりを武器に世界を目指している。高付加価値のブランドが地方の新たな可能性を開こうとしているのだ。社長「地域からグローバルなマーケットに高くても価値のあるものを作って高く買ってくれる人に対してものを供給するようなことが成長戦略としてある。」と結んでいる。地元にどんな技術があるのか、どんなものを人が求めているのか、安売り競争に巻き込まれず、本物を作る力が地方に望まれているのではなかろうか。まさに“知恵無限”である。

(日記 終日、数学。途中で事務所の除雪。冬は時間がたくさんあるのでありがたい。)

 
 

人口増に沸く離島……クローズアップ現代

06 1月

地域の活性化
昨日のNHKのクローズアップ現代で『地方から日本を変える~人口増に沸く離島』を放映していた。視る前にビデオをセットした。そして番組を見た。(今日も続きがあった。)

最初に、日本海の島根半島沖合約60kmに浮かぶ隠岐諸島のひとつである島根県海士町のまちづくりについての報告があった。本土から船で2、3時間かかる離島に、都会から若い人達が移住し、統廃合寸前だった高校にも、全国から生徒が入学し、学級増になったという。

「徹底した行財政改革を断行するには、自ら身を削らなければならない」」との考えのもと、町長は当選後にまず、自分の給与を50%カットしたのである。ところが、課長以下役場の職員も自ら給与カット(40%から16%)を申し出、2億円の人件費削減に成功したというのだ。そのため、海士町は「日本一給料の安い自治体」となったとのことだ。一方、移住して手に職を持とうとする者には、3年間毎月15万円を役場から補助し、定住化の支援をしているという。また、高校の進路指導にも力を入れている。進学指導も、就職や将来に対する意識改革も進めている。若い人の育成に力を入れているのだ。

このような島民の本気度が、いろんなアイディアを生んでいる。そして、若い人たちが子育てに集まる島、高校生が島外からやってくる島になったのだ。また、新しいシステムを導入して細胞組織を壊すことなく魚介類を出荷できる最新技術を導入して、直接都会の消費者に届けるなどして地域の魚介類や肉牛をブランド化し、立ち上げた会社は黒字を続けているというのだ。

島の人たちの「志」が離島というハンディーを克服して今の時代に人口を増やしているのだ。まさに、“事を為すのは人である”という事を再認識した次第である。

(日記 今日は終日数学。外は雨。静かな一日だった。明日からまた雪が降るという。ブログを書きながら、クローズアップ現代を見ていた。地方の中小企業の創造的な取り組みを見ていた。まだまだ可能性がある。勇気がわいてきた。)

 

 

 
 

「希望」それは生きるエンジン

05 1月

ドラマに登場する昭和初期
最近の「朝ドラ」にはよく、昭和初期や戦争前後の時代が取り上げられている。今、放映中の『マッサン』も一つ前の『花子とアン』も、さらに一つ前の『ごち

雪の中での凧揚げに興ずる昭和の子ども達(朝日印刷提供)

雪の中での凧揚げに興ずる昭和の子ども達(朝日印刷提供)

そうさん』も、その前の前の『梅チャン先生』も……、みなドラマの中で戦争が起こっている。いろんな意味で、過酷な時代であったと思う。しかし、どのドラマにも、“希望”を持って生きている主人公の姿があり、視る者の心を打っているのだろうと思う。

果たして、今の時代はどうであろうか。私のように終戦直前に生まれた者の子供時代と、今の時代の子どもとでは置かれた時代がまったく違っている。物質的な面では比較にならない。

一家に大人の数だけ自動車がある今と、一家に中古の自転車が一台あればましな方だった時代とでは比べようがない。もちろん、テレビもゲームも漫画もなかった。しかし、子ども達の生き生きした姿はそこにはあったように思う。遊びは、常に創意工夫の連続だった。

雪遊びを楽しむ昭和の子ども達(朝日印刷提供)

雪遊びを楽しむ昭和の子ども達(朝日印刷提供)

ゲーム、漫画、携帯などの画面に集中している今の子どもや大人と、雪が降れば暗くなるまで手製のソリで雪の中を遊び回り、正月になればこたつを囲んで夜通しトランプに興じたあの頃の子ども達とでは行動力は全く違っていたように思う。

しかし、これは何も今の子どもや大人のせいではない。せめて、今の世の中を肯定的にとらえて、希望を持って生きていってもらいたいと願うばかりである。人が機械の1部になったり、経済面ばかりに目を向けて人間らしさを失っている大人にだけはなってほしくないと思うのだが……。余計なお世話か。私の場合も、希望がなければ前向きには生きていけないと思っている。

(日記 静かな日々が戻って来た。午前中は、少し数学。体調不良。午後は、こたつの中で読書。健康維持に努めねばと思う。)

 
 

孫たちが横浜へ

04 1月

別れの時

福井駅でしばしの別れ。

福井駅でしばしの別れ。

12月27日に帰省した息子の家族が今日、横浜へ帰ることになった。9日間の我が家での生活があっという間に終わってしまった。この間、二人の孫(長女と次女)は、毎日私たち夫婦と一緒に川の字になって一緒に寝た。 一緒に餅を作ったり、神社や寺へお参りしたり、雪と遊んだり、二家族と私たち11人が一緒になって歌ったり(次女の結婚式のため)、孫同士が遊んだりしているうちに9日間が過ぎてしまった。 特に、横浜の孫たちとは週2回パソコン画面で会って、顔を見ながら話しているので、夏以来のブランクをほとんど感じることはなかった。明日以降は、また画面の中で会うことになる。

いつもこの階段から現れ、この階段から去って行く。

いつもこの階段から現れ、この階段から去って行く。

私はよくパソコンを使うが、ハードについても、ソフトについてもほとんど知識がない。いくつかのソフトをある程度使えるというレベルだ。しかし、これらのソフトも機能不全に陥ることが少なくない。 そこで一番よく使うパソコンだけ、息子が遠隔操作できるように設定してもらった。パソコンに不具合が起こったら、息子に電話すれば、横浜や東京で私のパソコンを操作できるのだ。とにかくいろんなことがあった、9日間があっという間に終わってしまってまた二人だけの静かな生活が戻ってきた。 (日記 午前中、息子達は横浜へ帰る準備。午前11時に息子家族5人と私達2人が、車で福井まで行くことにした。昼食後、孫達は午後1時半過ぎの列車で帰っていった。私達はせっかく福井へ出たのだからと、映画『バンクーバーの朝日』を見ることにした。戦前戦後の日本人移民の置かれた立場と共に希望となった野球チーム『朝日軍』の活躍が映されていた。冒頭のナレーション「3年間働けば一生遊んで暮らせるだけの財をなすことができる」との触れ込みで多くの日本人がカナダへ移ったという。しかし、そこに待っていたものは、……。 そこに戦争が加わり、日本人は敵勢外国人と見なされて過酷な運命に……。これはハワイでもブラジルでもアメリカ本土でも起こったことであった。いろんな面で考えさせられる映画でもあった。人生には希望が大切だということも。)

 
 

今日も大野高校同窓会

03 1月

大野高校での初めての卒業生

参加者全員と記念写真。福井パレスホテルで。

参加者全員と記念写真。福井パレスホテルで。

大野高校へ転勤して受け持った2クラス合同の同窓会が福井市で行われた。この2クラスの卒業生の中には、3年間担任した生徒、文・理展開が行われた3学年(理系)だけ担任した生徒、3年間隣のクラスだった生徒が混在している。

彼らは45・46歳だ。まさに社会の中では中心になって活躍している世代だ。一人一人にそれぞれ高校時代の思い出がある。特にこのクラスは、大野高校へ転勤して最初に担任をした生徒たちなので、思い出深いクラスでもある。

幹事の皆さんがいろいろ趣向を凝らして進行してくれたのでとても楽しく過ごすことができた。入場からして照明を落とした中を元のクラスの女性と腕を組んで会場は入った。

テーブルごとの記念写真。

テーブルごとの記念写真。

途中で花束やプレゼントをもらったりした。それと同時に、途中で27年前の授業を再現する場面があった。私のクラスの元生徒は27年前に使った数学のノートを大事に保存していてそれを持参していた。私は、それを使って数分間、昔の授業を再現した。もう一人の担任のSさんは英語の授業を行った。

いろんな場で活躍している卒業生の姿を見ていると、とても励まされる。こちらも、元気をもらうことができた。また、彼らの子供が高校生になっているのだ。時代は繰り返しているのだと思った。次回は、大野市で5年後に行うという。こちらも元気でいなければと思いながら会場を後にした。

(日記 午前中は、屋根の雪おろし。帰省中の息子が手伝ってくれたので助かった。午後3時過ぎに自宅を出て福井へ。午後5時から大野高校の2クラス合同の同窓会に参加した。とても楽しかった。途中で大野高校OBである滝波参議院議員も出席。IT関係やスタンフォード大学について短く意見交換。)

求めに応じて記念写真。声をかけてくれるのはありがたい。

求めに応じて記念写真。声をかけてくれるのはありがたい。

 

 

 
 

新年早々同窓会

02 1月

思えば年をとったもんだ
大野高校には8年勤務をしていた。この間、2つのクラスを卒業させた。今日はその中の一つの学年の合同同窓会だ。有り難いことに会場は近くの「勝山ニューホテル」だ。懐かしい顔が並ぶ。

大野高校同窓会。懐かしい顔がいっぱいあった。

大野高校同窓会。懐かしい顔がいっぱいあった。

思えば、大野高校には8年間在職したが、この間いろんなことがあった。野球部が甲子園へ2回出場したのもよい思い出だ。優勝したとき、選手も教職員も何から手を付けてよいか分からず甲子園常連の福井商業高校の指導を受けたことを思い出す。

私は年長者ということで、担任を持ちながらの学年主任だったが、生徒も教師集団も特に元気がよく、苦労の耐えなかった学年である。しかし、それも今ではみんなよい思い出になっている。チームワークもよかったと思う。

卒業生は41歳、42歳でみんな油ののっている年頃だと思う。医者あり、声優あり、建築家あり、教員や、市役所・県庁職員、農業、自営の者、市会議員など多士済々で話を聞いていてもとても楽しかった。

除雪機で作った雪山で5人の孫達がソリ遊び。

除雪機で作った雪山で5人の孫達がソリ遊び。

中でも、『ゆいファーム 農家のとうふ屋さん』のK君には、農業について話を聞くことができて有意義だった。やはり主力は米だが、販路を含めいろいろ考えているようだった。学者の考える農業、政治家の考える農業、K君のように本気で農業に取り組む者が考える農業、それぞれみんな異なるように思う。一般人も含めてよく話し合い、農政を進めてほしいと願う。いつかもっとゆっくり話を聞きたいと思った。有意義な同窓会だった。

(日記 朝から雪が降っている。途中で除雪機を動かす。子ども達のソリ遊びのために、家の前に雪を集めた。5人の孫達は楽しく雪遊び。午前中はのんびりと過ごす。午後は、パソコンで数学。午後4時より勝山ニューホテルで大野高校の同窓会。楽しい一日だった。)

 
 

雪の新年始まる

01 1月

毎日パワーを信じて
静かに新年が始まった。今年は、ある程度やることに的を絞ってそれに集中したいと思う。先ずは、起床の後、ラジオ体操と股上げ、スクワットを百回。こんな小さなことでも先ずは続けなければと思う。

体は、自然に“悪くなる”のではなく、自分で“悪くする”ものだと思う。健康を無視した不摂生が重なって自ら悪くするものだと思う。そんなわけで、年を取ると若いとき以上に健康には気をつけなければならない。元旦にあたってまず最初に考えることはこれだ。

次は、創作活動。歌作り。童話作り。数学の参考書作り。数学は、一番時間を使っているがなかなか完成しない。でも、毎日パワーを信じて、毎日少しずつでも進めたい。

それと同時に、身の周りにある様々な者を捨てるためにも、これらを何らかの形でまとめたいと思う。これまで、いろんなところでいろんな原稿を書いてきた。これらを『そのとき私は何を伝えたかったか』のタイトルのもと、当時の原文のまま冊子にでもまとめておくことができれば、子ども達へのメッセージになるかも知れない。

最後に、東北地方を旅行してみたいと思う。そして、どこかで自分の役立つ場を見つけて、わずかでも何かの役に立ちたいと願う。例えば、高齢者の方から何かを聞き取り、それを形にできればとも思う。これが今年一番やってみたいことかも知れない。

午前0時半から参拝者全員で読経。こうして毎年新年が始まるのだ。

午前0時半から参拝者全員で読経。こうして毎年新年が始まるのだ。

(日記 我が家では、年末年始の行動はパターン化している。午前0時と共に仏壇と神棚に初参りし、家内と息子と2人の孫といっしょに村の神社へ向けて出発。初詣の後、村の道場(寺)へ。参拝者全員で『正信偈』を唱える。帰宅して、私と家内と年長の孫娘と3人で、市の中心部にある神明神社へ参拝。そして、睡眠。ここまでの行動は毎年パターン化している。今日も例年のように行動。起床後、雑煮を食べて午前11時に私達

仏母寺へ参拝し、歩いて帰宅。新雪の中を歩くので気が引き締まった。

仏母寺へ参拝し、歩いて帰宅。新雪の中を歩くので気が引き締まった。

夫婦と息子の家族の5人が村の曹洞宗の寺である仏母寺へ初詣。午後は、のんびりとパソコンをしたり、賀状を見たりして過ごす。夕方、福井に住む長女の家族が合流して夕食。急に賑やかになった。)

 
 

大晦日に思う

31 12月

感謝!今年も無事1年が終わった
つい先日、初詣で出かけたけたと思ったのに、左義長が来て、さくらが咲いて、田植え、野菜の植え付け、稲刈り、運動会、文化祭……と、あっという間に一年が過ぎてしまった。

ソバ打ち(息子)

ソバ打ち(息子)

ぼんやりしていても、何かに夢中になっていても、一年はあっという間に過ぎてしまう。「一年の計は元旦にあり」と言われるように、何かに的を絞らないと時間ばかりが早く流れてしまってやりたいこともできないまま終わってしまう。

今年は、できるだけ消費的時間を少なくし、生産的時間を増やし、創作活動や旅行や気分転換などに時間を費やしたいと思う。イベント的にも是非やってみたいと思うことがある。

準備を整え、同志を募って行動に移したいと思う。それと同時に、健康時に気をつけたいと思う。そのためにも、ごく簡単なことを毎日続けたいと思う。長年毎

ソバ打ち(私)。反省すべき点あり。

ソバ打ち(私)。反省すべき点あり。

朝続けていた「ラジオ体操」「股(もも)上げ」「スクワット」を最近止めてしまった。これも、大切な生産的時間だと思う。

私のモットーである「地域のため」「家族のため」「自分のため」に、それぞれ目標を定めて、明日から少しずつでも、実行していきたいと思う。来年は、年男。楽しく充実した一年にしたい。

(日記 午前中は、恒例の仏壇掃除から始動。恒例の年越しの手打ちソバ作り。ソバを打っていると一年が終わるという感じがする。2玉のうち、一つは私で一つは息子が打った。夕方6時過ぎに風呂へ入り、先祖供養のために読経。『正信偈』と『仏説阿弥陀経』をあげる。家族ですき焼きを食べながら紅白歌合戦を見る。 )

都会の子どもは雪が珍しいらしい。少しでも雪があれば、ソリなど雪遊びを楽しむ。

都会の子どもは雪が珍しいらしい。少しでも雪があれば、ソリなど雪遊びを楽しむ。