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Archive for the ‘未分類’ Category

オーバーヒート

25 8月

容量オーバーの一日
   終わってみると超多忙な一日だった。今、全てを終えてブログを書いているが、ここまでが長かった。午前5時半過ぎに起床。トーストを一枚かじって法人で借りている畑へ行く。涼しい時間帯に作業を終えたいからだ。家内と二人で秋のジャガイモを植えるために出かけたが、この集団農場にはすでに3台の車が止まっていた。

  朝早くから来て作業をしているのだろう。私も畝の真ん中を少し三角鍬で削り、その上へ順番に種芋を置き、土をかぶせていった。春のジャガイモは30数年作っているが、秋ジャガイモを作るのは今年が初めてだ。

  作業を終えて、帰宅してから、朝食。その後、バンド仲間から頼まれた盆踊りの為のCDの制作作業。その後、バンドの楽譜書き。昼食後、午後1時から子ども太鼓の指導。午後2時から午後5時半頃まで「親父バンド(じいちゃんバンド)」の練習。

  帰宅すると、祭りのために、『片瀬豊年ばやし』に挿入するための芸のシナリオ作り。豊年ばやしの間に「餅つき」を芸能として挿入して演じる予定だ。これを1ヶ月後の村祭りに披露する予定でいる。

 神社の祭りでは、銭太鼓の音楽に合わせて実際に『祝い餅』をつきながら、ユーモラスに演じたいと思う。現在は『俵芸』を演じているが、いくつかのレパートーを持ち、場所に応じていろいろ演じ分けたいと思う。

  午後7時半、銭太鼓の練習に参加。『餅つき』芸について、シナリオを見せながら説明した。今日は練習に参加し多人数が少なかった。途中で仲間に任せて『平泉寺の秋祭り』に出かけた。

踊りを復活して2年目の平泉寺の祭り。今後もっと盛り上がることを期待したい。

  神社に着くと、壮年会を中心に男女が踊っていた。頼んでおいた踊り隊『ひらり』の皆さんも出向いてくれてた。一昨日、平泉寺の壮年会の皆さんに5曲の踊りを指導したところだ。しかし、一曲だけ踊り方を忘れて誰も知らないという。みんなに踊り方を説明してほしいと言う。私はマイクを使って説明した。

 5曲をしっかり踊れるようになったので、何度か繰り返えされた。とてもいい運動になった。さすがに疲れた。

  完全に私の能力を超える一日のスケジュールだった。昔ならこの程度の忙しさは苦にならなかった。今日は、身体が悲鳴を上げているようだった。

(日記 上記の通り。充実はしていたが、自分の能力の限界を超える忙しさだった。いつも家内から言われるように、的を絞らなければならない年齢になった。)

 
 

コミュニケーションの大切さ

24 8月

年を取るほど大切な雑談や話し合い
   今日、午後6時より昔の仲間との懇親会があり、幹事を務めた。参加者は10名だった。料理屋で行った。一人一人がお膳の前に座っての懇親会だった。幹事の特権で、最初は個人個人が酒をついで歩かず、先ずはご馳走を食べ、隣隣で酒を酌み交わす。酒は幹事や料理屋の女将さんに任せる。

 その代わり、一人一人が近況を話す。途中で質問があれば、本人に質問をしてもよいと言うことで話を始めた。今日の目的の一つは、酒を酌み交わし、ご馳走を食べることもそうだが、他人の話に耳を傾けるのもご馳走だと思ったからだ。

 お陰でいろんな話を聞くことができた。参考になること、刺激になることも多かった。そんな中で年をとるほどコミュニケーションが大切になると思った。年をとると、健康がすぐれるなくなったり、外出がおっくうになったりして、家に閉じこもりがちになるからだ。

  心身の健康を保つためには、運動・栄養・睡眠と共に心の健康を保つためにもコミュニケーションが大切だと思った。昨日の高齢者サロン、そして今日のOB会に出て思ったことだが、気軽にいろんな話ができるそんな機会と場所が各集落には必要だと思った。

 人と交わることによって、いろんな刺激を受けることができるからだ。人間とは、“人の間”と書くように人と交わることによって生き甲斐も生まれるのだろうと思った。それがまた、心身の健康にもつながるだろう。

 今日の話の中で、日本の将来を心配する人も少なくなかった。国家や政策よりも政局を優先する政治家の皆さん、国益よりも省益や個人の利益を優先する官僚の皆さんが少なくないからだろうか。

(日記 ラジオ体操の後、午前中はOB会の資料づくり。その後、暑かったが“秋じゃがいも”を植える場所を耕した。午後は、少し昼寝。そして、5時に料理屋へ行って6時にOB会開始。昔の仲間といろんな話をすることができて楽しかった。それと同時に2年間の勝山での幹事を終えることができた。)

 
 

楽しい高齢者サロンを目指して

23 8月

双方向で楽しく
  平泉寺公民館での高齢者サロンに、講師として招かれた。妻と共に出かけた。私の今日のメニューは、(1)紙芝居『平泉寺物語』(但し今日は紙芝居ではなく、パワーポイントで拡大して行った)(2)歌(3)高齢者と語るコーナー(4)踊りコーナーを準備した。

妻と二人で『白山平泉寺物語』を演じた。今日は高齢者が多いので、パワーポイントを使って画面を大きくして演じた。

 最初の紙芝居は、世界遺産を目指す平泉寺の時代的な流れをドラマ化したものだ。平泉寺地区の皆さんでも平泉寺の歴史はあまり知らないと思う。妻と二人で演じ、時々私はギターも使って音楽を入れた。意外と好評だった。

 次は、「みんなと語ろう」コーナーだ。私のごとき講師が一方的に高齢者の皆さんに向かって話すことはおこがましい。いくつかテーマを決めて語り合った。テーマとは「ふるさと」と「昔、美味しかった食べ物」の二つだ。

 話したくない人に無理矢理指名するのもどうかと心配したが、皆さん生き生きとして自らいろんな事を語って下さった。美味しいものとして上がったのは、「タバコの乾燥場で焼いたトウモロコシ」、「自家用の粉糠イワシ」、「小豆のおはぎ」、「焼いた里芋」、「黄な粉のおにぎり」、「青豆の呉汁」、「鮭のなれ寿司」……、と思い出と共にいろんな食べ物を紹介して下さった。

 モノの乏しかった時代のいろんな話が飛び出しとても楽しかった。続いてみんなで「ふるさと」を歌った。最後は、私の作詞作曲した民謡『勝ち山ほがらか音頭』をみんなで踊った。何人かから「また来て下さい」と声がかかった。楽しい高齢者サロンだった。

『高齢者サロン』での民謡指導。高齢者の方々も楽しそうに踊って下さった。

(日記 今朝は午前二時まで紙芝居の絵を大きくするためにパワーポイントを使って紙芝居を映像化した。午前中は一度家内と脚本の読み合わせをして平泉寺公民館で行われる『高齢者サロン』に出かけた。午前10時から正午過ぎまで楽しく時間を過ごすことができた。そして二人で昼食もいただいた。午後は、『かたせ瓦版』づくり。午後6時までに何とかできあがった。早速班長に配った。午後7時半より平泉寺の集会所で明後日の祭り時の民謡の指導。昨年から平泉寺では民謡復活を目指しているので今年も積極的に応援したいと思う。今日は、2度も民謡の指導を行ったことになる。)

 
 

優先順位

22 8月

先ず必要な現状分析
   組織は、何を優先して物事を進めるのだろうか。一般大衆受けのすることを優先するのだろうか。それとも、一部の集団の利益を優先して物事を進めるのだろうか。それとも、今最も必要なことを優先するのだろうか。

  教育を例にとるならば、テストの点数を優先するのだろうか。現実には、テストの点数が優先されることが少なくない社会であるだけに、無視せよとか軽視せよとも言えない。しかし、教育行政で最も優先すべきことはテストの点数ではあるまい。個人が点数を優先するのはよしとしても。

  私なら、自分の頭で考えられる人間、自分の言葉で語れる人間、創造性と想像性を兼ね備えたリーダーシップのある人間を育てたいと思う。与えられた課題を黙々とこなすだけではこうした人間は育たないだろう。

 国体がやってくる。全体順位を上げることは大切だろう。しかし、国体を契機に県民一人一人が健康に留意し、スポーツに親しむことも選手強化と同時に大切だと思う。両者が大切だが、行政は往々にして選手強化に向かうだろう。

  政治の世界においても、何を最優先にすべきだろうか。増税だろうか。増税の前にすることがあるのではないかというのが多くの国民の声であろう。外野席から見ていると、個人の選挙が最優先事項であり、次が党の利益だろうか。いずれにしても、国民のための政治は最優先事項ではなさそうだ。

 先ずは、よく現状を分析し、何が最優先課題かを考えて、行動すべきである。学校においては、いじめ問題の解決は、全く優先課題ではなかったのだろうか。教育委員会や学校の対応、あるいはマスコミでの関係者の発言を見ていると、そう思えてならない。

  原発再稼働問題で、いつも気になるのは、原発は完成した技術なのだろうかということだ。「トイレなきマンション」と言われるように、温排水が処理できる技術が確立しているのだろうか。使用済み燃料を安全に保管する技術が確立しているのだろうか。

  安全だ、安全だというのは、国民の生命よりも、エネルギー不足を解決する方が優先度が高いからだろうか。それとも、原発村の住民を優先しているからだろうか。常識外れの専門家が多すぎるような気がする。そんなに安全なら大消費地に原発を作ればよいのではないいかという意見もうなずける。

  いま一度、いろんな部署で優先順位を考えてみる必要がありそうだ。もっともっと幅の広い視野を持ったリーダーが出てこないことにはこの国は、どんどん世界の中で信用されなくなっていくのではなかろうか。これは、県でも、市でも、村でも、家庭でも同じことだと思うが。

横浜へ帰る直前の孫達。いろいろあった夏休みだった。ラジオ体操も行けたし。

(日記 午前6時半、7月末から来ていた孫達の最後のラジオ体操の日だ。そして、午前9時過ぎに家内が車で福井まで送っていった。私は尻に火が付いている。しなければならないことが山積している。それにしても、あっという間の20日あまりだった。その後、私は瓦版づくり。今回は農業をメインにした。『農事組合法人かたせ』の理事長Nさんとの対談を掲載する予定だ。午後は、来月中旬に行われる和太鼓イベント『太鼓魂』で演奏する曲作りを行った。午後7時半より和太鼓の練習。明日発行の新聞がまだ半分もできていない。明日午前中は、平泉寺公民館でのふれあいサロンに行かなければならない。瓦版は夕方6時までには完成させなければならない。結構厳しいスケジュールだ。今夜は簡単にはねられない。)

初めて帰省した孫と玄関でパチリ。

 

和太鼓の練習。新曲にチャレンジだ。

 
 

『農事組合法人かたせ』について考える

21 8月

瓦版で『法人』を特集
  先日、、『農事組合法人かたせ』の理事長のNさんに、片瀬の法人についていろいろ聞かせていただいた。少子高齢化と後継者不足の農業を組合員の力で何とか守ろうと立ち上げた法人の今後や問題点についてICレコーダーに約2時間あまり録音した。

  そして、昨日と今日の午前中一杯をかけてようやく文字化することができた。これを瓦版に掲載するためには編集し直さなければならない。文字化しながら考えたことは、区民にはこの法人の今後について関心をもってほしいということだ。

  法人ができたから、自分の田んぼを丸投げすればよいというものではない。しかし、現実には丸投げしているような人が少なくない。法人が成り立つのは、一部の理事やリーダーとそれを支える組合員の協力があってのことだ。

法人の農舎内部。これらの施設を有効に活用するためにも、法人は持続させなければならない。

  区民は、自分一人では先祖から引き継いだ田畑を守ることはできない。そこで、組合を作ったのだから、できる協力はしなければならない。水の管理をする、草刈りをするなどは,その気になればそんなに苦労することではない。私でもできることだ。しかし、これがうまくできない人もいるのだ。

 せっかく法人を作り、農舎も建て、機械も備えたのに、組織そのものが持続不可能では情けない。そのあたりを瓦版で伝えたい。みんなで守っていくという気持が今求められているのだ。

  私は予てから、こう思っている。町であれ、会社であれ、それらは「ある」のではなく、誰かが「守っている」のだと言うことだ。会社も「ある」のではなく、社長以下社員が会社を「守っている」のだ。

 同様に、我が『農事組合法人かたせ』も、「ある」のではなく、役員や組合員で守っていかなければならないのだ。残念ながら、この感覚が希薄である。持続可能にするには、代表者をもり立て、励まし、協力していかなければならないのだ。そんなことを瓦版で訴えたい。

(日記 午前中は、ICレコーダーに録音された対談を文字化した。かなり時間がかかった。午後は、同じく『農事組合法人かたせ『』苑のホームページに使うBGMを作りCD化した。また、他の法人の米価や労賃についても取材した。夜は、法人の書記のSさんに法人の経理内容について説明してもらった。)

 
 

盆踊り復活作戦(その2)

20 8月

地域から地道に普及
  私は、勝山市の『盆踊り復活作戦』をここ数年展開してきた。そして、越前大仏や市の中心部にあるはたや記念館『ゆめおーれ』でも、櫓を建てて盆踊りを実施してきた。しかし、今年は方針を変えることにした。

  それは、各地域で先ず盆踊りを普及し、ある程度の参加者が見込めたときに、再び市の中心部で『盆踊り』を実施したいと思う。今年も、平泉寺町は、町民運動会では、『全町踊り』を実施するのだ。

私の部屋での吹き込み風景。Aさんは県の民謡チャンピオンでもある。

  昨年は、平泉寺の本村の盆踊り復活のお手伝いさせていただいた。祭り前の練習会、祭り当日の指導も依頼され、喜んで引き受けた。今年も、事前練習会に呼ばれている。復活二年目なので、昨年よりは本番もスムースに行くだろう。

 また、町民運動会での総踊りだが、昨年は、公民館での練習会、小学校での練習会にも参加したが、校長以下とても協力的だった。また、公民館での練習会、運動会当日も、マイクを持って指導させていただいた。まあまあの踊りの輪ができたと思う。

  今年は、小学校での指導と公民館での指導だけで本番は地元の関係者がリードするという。このような地域での動きを精一杯支援していきたい。私の一つの生き甲斐である。慌ててはいけない、地道な活動が必要だと思っている。

『ほがらか作戦』
  さて、今年の『盆踊り復活作戦』だが、次のような戦略を描いている。私は、十数年前に『勝ち山ほがらか音頭』を作った。この歌に、踊りの師匠のSさんが振り付けをしてくれた。結構勝山ではポピュラーな民謡になっている。 

 『勝ち山ほがらか音頭』のアドレスです。
http://song.inakamon.net/s_hogaraka.html

 この曲を使いながら、『遅羽ほがらか音頭』を作った。毎年の遅羽の文化祭である『三室祭り』には総踊りとして地元の若い衆が歌い、町民が踊っている。そこで、今年は、以前に民謡を作詞してくれた鹿谷町のTさんに『鹿谷ほがらか音頭』の作詞を依頼した。

忘れないようにたくさんのメモが張ってある私のパソコン周辺。パソコンを使ってのデジタル録音でCD を作成するのだ。

  そして、一ヶ月余り前に、作詞が完成した。今日は,予てから準備していた平泉寺町赤尾地区の銭太鼓曲『赤尾よいとこ(作詞は地元のFさん)』と『鹿谷ほがらか音頭』の二曲をAさんに吹き込んでいただいた。

 赤尾の銭太鼓曲『赤尾よいとこ』は、赤尾の皆さんが銭太鼓のための曲として生かして下さるだろう。一方の『鹿谷ほがらか音頭』の踊りは、『勝ち山ほがらか音頭』と同じにして地元の人達に是非踊っていただきたいと思う。

  この調子で、市内10地区の『○○ほがらか音頭』が完成した時には、市全体の盆踊り大会が開催できるのではと期待している。少なくとも、5地区以上の『ほがらか音頭』ができた時点で全市的な『盆踊り大会』を開催したいというのが、私の作戦だ。果たして上手くいくかどうか。男女を問わず、年齢を問わず、一堂に会して一つのことができる盆踊り大会の可能性を私は信じたい。

(日記 午前10時より2時間かけて、我が家で二つの民謡の吹き込み。正午までかかった。午後は、編集作業。そしてCDにした。できあがった歌の一つを持って作詞してくれた赤尾のFさん宅へ届けた。夕方は、ショウガの追肥。今頃やっていいのだろうかという不安があったが、有機肥料を株間に施したので大丈夫だと思いたい。)

 
 

舞台は準備できたが

19 8月

北谷地区から舞台を譲り受け
  昨年あたりから、北谷町から「組み立て式の舞台」を譲ってもらうという話ができていた。二ヶ月ほど前に、大工で農家組合長のYさんと下見をしておいた。その後役員会でいつ運搬するかを決めた。その日が今日だった。

上左:トラックで舞台を搬入 上右:組み立て方を指導する北谷町の貴重K氏(右) 下左:仮組立中の舞台 下右:礎石を置くために水を見る(水平を調べる)

 午前7時に役員全員が集会所前へ集合。早速北谷公民館へ出かけた。そして、区長のKさんの立ち会いのもと、分解してある舞台をトラックに積み込んだ。この舞台は高さ三尺(90cm)、縦2間(3.6m)、横4間(7.2m)の大きさだ。

 北谷の区長のKさんが、片瀬の神社まで来て下さり、組み立て方を指導して下さった。一度習えば、今後は片瀬区民で組み立てることができることがわかった。というのは、きちんとわかりやすい記号が付いていたからだ。

  昨年までは、拝殿の側面に特設舞台を設置したが、今年は設置の容易な広場に設置することに決めた。先ず、大工のYさんが、水を見て水平を決め、基礎となるブロックを埋め込む作業をした。

 そして、一部仮組み立てを行い、解体して、舞台の部品を倉庫にしまい込んだ。正午にようやく作業が終わった。

 貴重な舞台を北谷地区からいただいた。かつて、北谷町では夏祭りとして「北谷恐竜祭り」を開催していたが、過疎化が一段と進み、夏祭りも中止になり、舞台も何年も使わずにいたのだ。

 私も、20数年前に、この舞台で小学生だった息子達と和太鼓を叩いたことがある。思い出のある懐かしい舞台だ。貴重な舞台をいただいたが、この舞台で何をするかだ。小中学生女子による「浦安の舞」と銭太鼓「片瀬豊年ばやし」はこの舞台でかがり火を焚きながら演ずることは決まっている。

水平になるように考えながら神社の広場に15個の礎石を設置した。高くなったり低くなったりと悪戦苦闘だった。

 他にどんな芸能をこの舞台を使って発表できるかだ。特に今年は、この舞台を初めて使うのだ。何とかこの記念の年に、思い出に残る発表を区民の人がして下さることを期待する。

(日記 午前7時から正午まで、役員全員により北谷地区からいただいた舞台の設置作業。午後は、ばてて少し昼寝。その後、『かたせ瓦版』作成のため、対談のテープ起こし作業。夕方、家庭菜園作業。息子が孫達を迎えに来たが、息子の嫁や孫達は風邪で帰ることが出来ず、息子一人が車で横浜へ帰って行った。もうしばらく孫達と過ごせそうだ。)

 
 

『花のまちづくり』事業の第二彈

18 8月

花を育てる事は命を育てること
  今日は、区と農事組合法人と各種団体の協力で河川清掃を行った。川の中に投げ込まれている空き缶、農業用資材、雪囲いのビニール波板、看板など様々なモノが川に捨てられていた。それらを拾いつつ、子ども達は網を持って川の中へ入り、魚を捕まえたりした。昔、たくさん捕れた魚はほとんど捕まらず、今は、カニやアブラハヤだけであった。  

じいちゃんと三人のお孫さんのプランターづくり。子どもにドリルを使わせている。「じいちゃん、偉い!」

 この後、『四季折々の花の咲くまちづくり事業』の第2彈(秋バージョン)として、木製プランターづくりを行った。材木は、奥越森林組合勝山工場から購入した製材の後に出た木の外側(周辺材)の「コア」と呼ばれる部分を大工さんにカットしてもらったものだ。これらを子どもと父親や祖父と一緒に組み立てるのだ。もちろん、大人だけで作成した人もいる。  

  組み立てた木製の枠(プランター)の中に市販のプランターを入れて使うのだ。少しでも自分で手がけたものは愛着が湧くだろうということで企画したものだ。春は「竹」プランターづくりだが、秋は「コア(木材)」によるプランターづくりだ。  

  秋の花なので、花苗は後日配ることにしている。子ども達に望むことは、プランターづくりよりも、命(花)を育てることの大切さを学んでほしいと思うのだが。用事で村内をまわると、真夏にもきれいな花を咲かせている家庭と、枯らしてしまった家庭がある。   真夏の炎天下にも,見事な花を咲かせ続けるには毎日の水やりが必要だ。その量も花が望む量でなければならない。水のやり過ぎは、根腐れを起こさせるし、水不足では苗はぐったりして枯れてしまうい。赤ちゃんと同じように最新の注意が必要だ。 

こちらもじいちゃんと孫。じいちゃんも真剣だ。

 菊作りの名人に言わせると、真夏の水がほしいときでも、少し我慢をさせることが大切だとのことだ。我慢をさせると菊は水を求めてしっかりと根を張るそうだ。そして、立派に育った根が最後に栄養を吸い取って大輪の花を咲かせるのだという。 

 水をやりすぎると、菊は大きく根を張らないために、いざというときに養分を吸い上げる力がないそうだなんだか、人間とよく似ている。基礎体力をしっかり付けないと、いざというときに力を発揮できないのだ。 

  子ども達には、花を育てることによって、命を育てることの大切さ、難しさを勉強してほしいと願う。しかし、こちらの願いは簡単には子ども達には届かないだろう。私は、集会所前のたくさんの花に毎日朝晩水を撒いている。花に語るように。花をそれに応えてきれいな姿を私達に見せてくれている。   今では私の楽しみになっている。いつかは、子ども達もきれいな花を見たときに、「きれいだ」と感じるようになってんもらいたい。押しつけても無理だ。気づいてくれることを期待しながらの、今日は木製プランターづくりを行った。(日記 午前9時より川掃除。その後、木製プランターづくり。午後は、OB会のためのギター練習。毎日少しずつ練習しないとなかなか上達しない。午後7時半より『

さすが中学生ともなると、自分で組み立てる。お父さんは見守るだけ。これもまたよし!

かたせ瓦版』の取材として、理事長のNさんと会計のSさんに法人の今後について話を聞いた。片瀬の米作りが持続可能になるには、やはり組合員一人一人の協力が不可欠である。今日聞いた話を瓦版に載せて、みんなで片瀬の農業を守っていくことをアピールしたい。)

製材した後の周辺材である「こあ」を使ったプランター。木の表面が出ているので面白い。

  

横浜から帰省した息子もプランターづくり。子ども達は見守っているだけ。息子や孫達の代わりに、このプランターに花を咲かせたいと思う。

 
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稲の草取り

17 8月

次の世代には草取りは無理かな
   昨日、急に法人の理事長から電話がかかってきた。「明日ヒエ取りに出てもらえんか」とのことだった。私は、退職してからは、よほどでない限り法人の作業には出ることにしている。今朝、午前4時半に起床。午前5時半に法人の農舎前へ行ったら誰もいない。日にちを間違えたのか。

  携帯で理事長に電話をすると「午前6時から作業開始だ」とのこと。30分間違えて早く来てしまった。朝の30分は貴重だ。昼の1、2時間に相当する。午前6時に10数人が集まってきた。

たくさんのクサネムが生え、悪戦苦闘。それでもたくさんの人数で刈り取るのでしばらくするときれいになった。

  法人が預かっている田んぼの中で草の最も多いと思われる所から作業を始めた。法人が同じように除草剤などを撒布しているのに田んぼによって草の生え方はかなり異なる。関係者によれば、除草剤を撒布した直後の水管理によるのだと言う。

 特に最初に入った田んぼは、「クサネム」が多かった。コンバインで稲を刈ったときに、籾の中にクサネムの種が混ざり込むのでとてもやっかいだと言う。場所によっては、群生しているような感じだった。

 ところで水管理だが、我々の法人の場合では、原則、田んぼの持ち主が行うことにしている。しかし、水管理に自信のないものは、法人が隣の田んぼの持ち主など適当と思われる人に管理を任せているのだ。私も、水管理には自信が無いので他の人にしてもらって、畔草取りだけは自分でやっている。

  いろいろ雑談をしながらの作業は楽しい。しかし、午前9時が近づくと暑くなってきた。そこで、今日の作業は終わりとなった。汚れるのでゴムのカッパを着用している。そのため全身汗でびっしょりとなった。こんな作業を次の世代はするだろうか。

 今日作業に参加している人達は、50歳代から70歳代の者だ。子ども時代から何らかの形で農作業を経験したことのある者ばかりだ。未経験の者が、この作業を引き継いでくれるかはいささか疑問が残る。米作りの大部分は機械化されているが、一部にこうした作業が残っている。克服すべき課題だ。

花火を見ていると、何となく夏が終わるという一抹の寂しさを感ずる。少しずつ、秋、そして、冬へ向かうのだ。

(日記 午前4時半起床。午前6時より法人の田んぼの草取り。クサネムが多く閉口。次の田んぼはヒエが多かった。午前9時過ぎに作業終了。その後、帰宅して新曲の楽譜とカラオケCDづくり。月曜日に吹き込みをするからだ。完成したCDを大野市のAさん宅まで持って行った。その帰り明日の木製プランターづくりの材料を揃えた。孫達は、あと2日で20日あまり過ごした我が家から横浜へ帰ることになる。長女家族が来たり、次女が東京から帰省したりしたが、いよいよみんな帰ってしまう。昨日、横浜から息子も帰ってきたので、孫達は大喜び。家族で夏の名残の花火を楽しんでいた。まもなく、夫婦だけの静かな日が始まる。「楽な寂しい」とはこのことか。)

 
 

世界は力に頼るのか?

16 8月

日本近海の不穏な動き
  日本近海が領土問題で揺れている。領土問題は、もはや話し合いで解決しない様相だ。力でしか問題は解決しないのだろうか。それとも、経済と引き替えに決着を先延ばしするのだろうか。

  こうした問題で難しいのは、それぞれの国民によって考え方が全く異なることだ。冷静に判断する場所はないのだろうか。公平に判断できる代三者機関ははないのだろうか。

 物事の判断の基準は国の成り立ちにも大いに関係しているように思う。他から、隔絶された我が国と、国境を接している国では全くものの考え方が異なるだろう。領土の場合、そのうちに「既得権」と言うことで所有権が固定してしまうのが怖い。

 結局の所、歴代の政権が、その場しのぎの先延ばしで物事を曖昧にしてきたツケがいろんな問題を発生させているように思われる。しっかりと、一つ一つの問題のけじめを付けて次世代に渡さないといつまでも同じ問題を繰り返しそうだ。

 それともう一つ困るのは、特に近隣諸国では、政権交代時、あるいは選挙の行われる年には強い指導者のイメージを作らなければならないために、必要以上に外国を刺激することだ。

 また、内政の失敗や矛盾点、国民の不満を外部に向けるために、近隣諸国にプレッシャーをかけることも少なくない。そんな中で、毎回繰り返される不穏な動きを地道な外交努力によって解決できないものか。

 しかし、政治家の皆さんは、今それどころではないだろう。政策よりも、政局だ。もっと言えば、次回の選挙で自分が当選するかどうかだ。当選する自信のある政治家は、過半数をとれるかどうかが気になるところだろう。

 過半数をとることはどの政党にとってもハードルは高そうだ。当分、この不安定な政治が続くことだろう。「大阪維新の会」の存在も既成政党に与える影響は少ないだろう。一般国民は、誰に日本を任せることができるのだろうか。

 こうした一連の動きと、オスプレイの配備はどこかではつながっているのだろう。この頃、力による解決が前面に出て来ているように思う。いつか来た道に戻らないためにも、ここ一番知恵を出し合い、穏便に解決してもらいたい。

(日記 朝は宗教の勉強。浄土真宗について調べている。紙芝居の次回作のためだ。午前11時頃、市営プールで一泳ぎ。午後は、比較的のんびり過ごす。音楽を聴いたり、区長の雑務をこなしたりした。午後7時半頃息子が横浜から帰省。一足早く帰省していた息子の嫁や孫がこの週末に横浜へ帰るために迎えにきたのだ。)