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Archive for the ‘未分類’ Category

高齢者の楽しみとは?

03 11月

施設の文化祭に参加して思うこと
  今日は施設の文化祭にでかけて、地区の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じてきた。施設には、いろんな方が、入所しておられた。いずれは誰もが高齢者になっていくのだ。病院などでは多くの高齢者の方にお目にかかる。

重い障害者の方が入所しておられる第一ステージで銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じた。

  地区にも、高齢者の方がたくさんおられる。80歳を過ぎても現役で野菜作りや園芸をやっておられる人、施設に入所している方等様々である。果たして、自分が高齢者になったとき、何を目当てに生きていくのだろうか。

  高齢者のなったとき、いつまで車を運転しているのだろうか。車の有無は、行動範囲に大きく影響する。車がなければ、行動範囲が極端に狭くなるだろう。体の移動する範囲が狭くなろうとも精神的な行動範囲は狭くしたくないものだ。

  いつまでも、何か(夢)を追いかけている人間になりたいと思うが、それは今の考えで、実際に高齢化したとき、いつまでも何かを求める意欲があるだろうか。意欲の方が心配だ。

  今日は、私たちは、文化祭で郷土芸能を演じたが、入所者の皆さんはそれらをどう受け止めてくださっただろうか。面白いと感じてくださったのだろうか。それとも、単なるテレビの一場面のように思われたのだろうか。

『片瀬豊年ばやし』の途中に入る「餅つき芸」。老人スタイルは私。

 現在と10年後とは、連続しているのだから、今日の一日、明日の一日が充実した日々になるよう一日一日を大切に生きなければと思う。そして、年齢と共に自分のできる範囲を精一杯がんばって生きたいものである。

 施設の文化祭に出演して、いろんなことを考えた。ある日突然高齢者になるわけではないのだから、今のうちから、あきらめることなく、無理することなく、夢を追いかけていきたいものである。

(日記 午前中は村の用事。午後1時から施設の文化祭に出演。同じ施設に二つのステージがあるので、二回出演した。それぞれ入所しておられる方の病状に違いがあるので、2箇所の舞台で演じることになったのだ。午後4時から親子太鼓。今日から曲太鼓に加えて、左義長太鼓も練習することにした。小学1、2年生の子どもたちには、二月の左義長まつりで、櫓の上で太鼓を叩いてもらいたいと思う。午後7時半から、11月の区の定例委員会。いろんな意見を出してもらった。当区でも少子高齢化が進んでいる。持続する区にするた

大ホールで『片瀬豊年ばやし』を演じる保存会のメンバー。

めには考えることが少なくない。)

同じく大ホールで『片瀬豊年ばやし』を演じる保存会のメンバー。

 
 

『毎日パワー』を信じて

02 11月

アドバルーンを上げる
  少しだけ、日々の生活に時間的余裕が出てきた。と言うのは、家庭菜園や種々の野菜づくりも終わり、来年のためにニンニク、タマネギなども植えた。後は、エンドウ、水菜ぐらいだろうか。里芋の畑はマルチをしたので来年の植え付けを待っている状態だ。

  和太鼓も、じいちゃんバンドの演奏会も終わった。後は、明日から始まる三つの文化祭と12月のオカリナ演奏会を残すのみだ。比較的自由に自分のことができる時期だ。この時期を生かさない手はない。

  やりたくても、継続委できなかったことだ。それが、「ウインドシンセサイザー」と「篠笛」をある程度吹けるようにすることだ。前者は音は出るが、指使いが難しい。後者は指使いは何とかなるが音が出にくいことだ。

  しかし、今の私にはこれらをマスターすることは簡単ではない。というのは、「ウインドシンセ」と「オカリナ」と「篠笛」の指使いがかなり似ているところだ。全く同じではないので、あわてたとき混乱する可能性があるからだ。

  しかい、毎日、少しずつ練習することによって、なんとか人前で演奏できるレベルにしたいものだ。『毎日パワー』によってのみできることだ。どんなことでも、1年、2年と続ければかなり上達するはずだから。

  かつては、高校生にも『毎日パワー』という言葉でアピールしてきた。「ちりも積もれば山となる」である。日々の努力を怠らなければ必ず一定の進歩はするはずだ。一日一日の努力は簡単でも毎日続けることは容易ではない。

  「三日坊主」、あるいは「三ヶ月坊主」になりやすい。せめて1年はやり続けたい。ここ(ブログ)で、やると宣言したことは私のことばで言う「アドバルーンをあげる」ことだ。それによって自分が引き下がれないようにしているのだが。

  私のように意志の弱い人間は、「不言実行」よりも「有言実行」の方がよいと思っている。「毎日ブログを書いている。」と家族や友人に話したために、何があってもブログを毎日書いている。アドバルーンを上げたからだ。

  今、思い出したが、禁煙の場合、100回ほど失敗してようやく実現できたのだ。ようやくの思いでヘビースモーカーから脱出できた。子どもが熱を出して大変だった時期に、禁煙を決意してようやく実現したのだ。

  どんなことでも、毎日やれば必ず進歩するはず。必ず上達するはず。このブログで宣言したからには、1年後に「やっぱりダメだった」と言わないでもすむようにしたい。自分のやりたい楽しいことを宣言しているのだから。

(日記 午前中は、オカリナの編曲をしたり、灯油を買いに行ったりした。ついでに、公民館へ寄り、家内達「食生活改善推進員」が、猪野瀬地区の文化祭の出し物の練習をしているというので顔を出した。かなり上達したようだ。午後は、部屋の片付けとこたつの設置。いよいよ冬がやってくる。こたつに入りながら、のんびりするのも悪くない。午後7時半より、『片瀬豊年ばやし』の練習。途中に挿入する「にわか芸」を新しくしたので、それを中心に練習した。いよいよ、明日は、施設の文化祭で2ステージ、明後日は猪野瀬地区の文化祭で1ステージがある。何とか地区を盛り上げたい。)

 
 

「ふるさと」から連想すること

01 11月

あなたにふるさとはありますか?」と問われたら
  最近、「ふるさと」という言葉をよく聞く。宅に昨年の3.11以来至る所でこの言葉を耳にした。今、仲間とオカリナを練習しているが、ここでも「ふるさと」を演奏している。「ふるさと」という言葉は独特の響きを持っている。しかし、その「ふるさと」が少しずつ消えていくような気がしてならない。

  人は、どこに生まれるかを選ぶことはできない。日本には、山奥もあれば、平地もあり、海辺もある。人の多いところがあるかと思えば、人の少ないところもある。かつては、生まれた場所で育ち、学び、生まれた場所で働き、そこで家庭を持ったのものである。

  そして、周囲の人たちや周囲の環境に大きく影響を受けて、成長したのである。そうした中で、生活を彩る様々なイベントがあった。そして、それらを楽しみに働いてきたのではなかろうか。

  人と人との関わりは、ときには面倒くさいこともあろうが、助け合いや教え合いがあり、人間関係の暖かさもあったのではなかろうか。また、農家の場合には家族と共に働く機会があり、働く厳しさと働く楽しさを味わいながら成長したような気がする。

  しかし、文明が発達するにつれて、様々な「モノ」が産み出され、それらを手に入れることが豊かさのシンボルのようになっていったのである。「モノ」を手に入れるために、働かなければならない。

  その働き方も、地域の人たちが助け合う、農業や漁業ではなく、ふるさとを出て、町や都会で働くことが多くなり、地域は寂れる一方になった。子どもたちも、学業や習い事に追われ、地域を「ふるさと」と感じる余裕がなくなってしまった。

  村部には、大きな家や田畑が残っているが、そこに住んでいるのは老夫婦である場合が少なくない。今後ますます少子高齢化が加速しそうだ。今日は、用事で村部の方へ出かけたが、今後、それらの地域を維持していくのは大変だろうなと思わずにはいられなかった。

  結局のところ、鍵を握るのは子どもたちであると思うが、その子どもたちに大人達がどのような背中を見せるかが問題だ。家族以外の大人とどう関わるかが、生まれた地域が「ふるさと」になるかどうかの分かれ道だと思う。

  また、我が家以外の場所でいかに過ごすかも、地域が「ふるさと」になるかどうかのポイントになろう。「あの祭りのある時に帰って仲間と一緒に楽しもう」、「自分が遊んだあの川で子どもたちを泳がせてやろう」、「いろんなことを教えてくれたり、叱ってくれたあの人に会いに行こう」……、そんな思い出がなければ、地域には、「我が家」はあっても「ふるさと」はないだろう。

里芋の「洗い子」。「煮っ転がし」には小粒な方がよい。夜は食卓に上った。

(日記 午前中、部屋を片付けながら、自作(歌詞は別)民謡のCDづくり。ジャケットを作り、歌詞カードを作り、CDの盤面にも印刷した。家内は里芋を持って実家の平泉寺へ出かけだ。「洗い子」にするためだ。午後も部屋を片付けながらCDづくり。完成したCDを持って作詞をしてくださったTさん宅へ出向いた。一件落着。夜は里芋の「煮っ転がし」を食べた。7時過ぎに、Yくんが頼んでおいたノートパソコンの部品を持ってきてくれた。ついでに、ソフトを入力してくれた。感謝。)

 
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捜し物

31 10月

元へ戻さないくせを直さなければ
  どうもこの頃、捜し物に費やす時間が多くなった。「携帯?」、「デジカメは?(ブログを書くのでいつも持ち歩いているが)」、「免許証は?」、「服は?」、「ズボンは?」、「めがねは?」とかなりの頻度で捜し回っている。

  大事な資料なども同様だ。捨てずに保管してある様々なものも、ほしいときに使うことができない有様である。これでは何のために保管しているのか分からない。

  間口を広げているので、バッグも一つでは追いつかない。そこで、「バンド鞄」、「和太鼓鞄」、「オカリナ鞄」、「民謡鞄」……と分けて保管しているのだが、他にも、紙芝居の絵や脚本、種々の楽器とその付属品などがあり、その整理が大変だ。

  今日も、うっかりしていて、ミニ耕耘機の二つの部品を土の中へ落としてしまった。30分以上畑の土を掘り返して捜した。その後、家内がそのうちの一つを探し出してくれたので、残りは探せなかったがあきらめて代用品で作業開始。

  捜し物に費やす時間も馬鹿にならない。今後は、使ったものはなるべき元へ戻すことを習慣化したい。今後、気をつけたいのはうっかりと「モノ」を無意識でどこへでも置かないことが大切だ。

 これは、外から見えないパソコンのハードディスクの中も同じだ。しっかり整理して検索しやすい名前を付けておかないと、後で無駄な時間を過ごすことになる。場当たり的に名前を付け、最寄りのところへ保存しておくと、後で捜すのに大変なことになる。

 昔の人はうまく言ったものだ。「急がば回れ!」と。後のことを考えると、やはり多少の時間をかけてもしっかりと整理して保存しておかなければならない。急ぐときほど気をつけなければならない。畑での捜し物でつくづくそう思った。

青空の下での里芋掘り。とても気持ちがよかった。

(日記 午前中は、机の上を整理するために、プリンターの台を作った。十数cmほどプリンターを上へ上げたので、プリンターの下や排紙トレイの下のスペースを有効に使えるようになった。その後、民謡のCDづくり。カラオケも作った。その他、CDジャケットも考えた。午後は、先ず里芋掘り。二人の友人に送るためのものだ。続いて水菜を植える場所をミニ耕耘機で耕した。晴れていて作業はとても気持ちがよかった。晴耕雨読の「晴」の部分に適した一日だった。夕方、里芋発送。)

我が家のヤーコンは不作だったが、家内の友達が立派なヤーコンを留守の我が家へ置いていってくれた。

 
 

なければ作る

30 10月

たとえ余興といえども
 私の家内が属している『さわらび会(食生活改善推進員の会)』は、猪野瀬地区(8地区の集合体)では、婦人会の組織がなくなったので、連合婦人会のような働きも兼ねている。

 そして、毎年公民館祭には、踊りを披露している。その振り付けの多くを私が担当しているのだが、地域性をなくさないで日本各地の踊りの楽しさを導入したいと思っている。

 例えば、山形の『花笠音頭』があったとする。それを踊りたかったとする。安易に考えれば、山形民謡『花笠音頭』に合わせて花で飾り付けされた笠を操りながら踊ればそれなりには見えるであろう。しかし、それではコピーだ。

 そこで、私はさわらび会の皆さんと相談して、民謡は『勝ち山ほがらか音頭』を使い、笠ではなく、ザルを使うことを提案した。ザルは、食生活に大いに関係する道具である。

  ザルは、野菜などを天日で乾燥させるときにも役立つ。例えば、「えのきだけ」を天日で乾燥させるとビタミンDは40倍になるそうだ。いろんな野菜を乾燥させると、味もよくなるのだ。生姜を乾燥させて使ってもよい。

 乾燥野菜は、健康にはとてもよいのだ。ザルはその乾燥野菜を作る道具としても有用だ。そこでザルを花で飾り、それを使って地元の民踊を踊るのだ。そうすれば、曲目紹介でも、食生活の大切さをさりげなくアピールすることができるのだ。

   余興といえども、常に地元に密着したものを使うことで、多くの人たちの共感を呼ぶことができるのだ。特に、市外の人たちには、印象を持ってもらうことができるのだ。

 私の村の銭太鼓も、百年あまりの伝統がありながら、郷土芸能になり得なかったのは、歌も踊りも他県(島根県)のものだったからだ。いつまでも、祭りや文化祭や結婚式の余興にでしか披露することはなかった。

 これを、三年前に村オリジナルの銭太鼓『片瀬豊年ばやし』に変えたとたん、あちこちから出演依頼が舞い込むことになった。これは当然ことであろう。誰も、片瀬の人間が演じる島根県の郷土芸能を見たいとは思わないだろう。地元のものを見たいのだ。

 勝山の新民謡『勝山よいとこ』も、彼女たちのおかげで今も勝山では生き続けている。「他県の郷土芸能を踊ったり演じたりするな」というのではなく、必ず、「地元のものも同時に大切してもらいたい」ということだ。

 地元のものが、「なければ作ればよい」というのが私の考えだ。これは、何も民謡ばかりではなく、どんな分野でも必要なものがなければ作ればよいのだ。組織でも同じだ。地元で有効に働く組織がなければ作ればよいだけのことだ。

「勝山にも八尾『おわら踊り』のような踊りがほしい。」との願いのもとに作ったのが創作新民謡『勝山よいとこ』。初演は食生活改善推進員のみなさんだった。感謝。

  「どんなものでも作る」ということは簡単ではないが、作ることは生き甲斐にも繋がっていくのではなかろうか。遠回りのようでも近道かもしれない。こんなとき、間違ってもできない理由を述べて周囲のやる気を削がないようにしたい。

(日記 午前中、しばらくパソコンで音楽を楽しむ。その後、自家用の里芋を少し掘る。そして、来年収穫するニンニクの成長ぶりを見に行こうと思って畑へ行くとまだ植えてないタマネギの穴に雑草が生えていた。そこで草取り。そこへやってきた村のNさんが「タマネギノ苗をあげましょう」と言ってくれた。早速、普通のタマネギと紫タマネギの苗を頂いて畑に植えた。その後、燻炭用の糠を自宅へ運んだ。雨が降ってきたので、農作業は中止して、再びパソコンで遊ぶ。)

 
 

加点主義と減点主義

29 10月

意外と多い減点主義
  人を育てるのには「加点主義」と「減点主義」とどちらがよいだろうか。当然、加点過ぎだと思う。特に今の時代は。しかし、世の中、どちらかと言えば、「減点主義」がはびこっているように思う。

  日本の社会には、ひとたび何かでミスをするとその後は立ち直れない場合が多い。チャレンジして失敗すると、非難される場合が少なくない。したがって、冒険もせず、ミスも出ないようにしていれば、それなりに出世する仕組みができている。

  しかし、今のように厳しい時代には、「減点主義」では発展や進歩は望めない。子どもたちが、何かに向かってチャレンジし、失敗したら、周囲から責められるとしたら、あえて自ら前へ出ようとはしないだろう。

  世の中で新しい「モノ」を生み出すのは、「失敗」の中からである。失敗から人は多くのことを学ぶのである。その失敗を責めるのはなぜだろうか。組織の長は、長い目でモノを見られないからではなかろうか。

  ほとんどの組織は、10年先、20年先を視野に入れることはできないだろう。なぜなら、それぞれのリーダー(社長や監督、首相、大臣など)が、長期にリーダーでいる保証はないからである。

 したがって、目先の利益や成果を追いかけることになるのである。そうなると、失敗を許す余裕がないのである。結果的に、「減点主義」がはびこるのではなかろうか。

  少なくとも、親や家族は子どもの成長を長い目で見て、今がよくないからと非ばかりを責めるよりも、少しでもよいところを見つめてほめる「加点主義」の方がはるかに子どもを伸ばすのではなかろうか。

  ただし、常に自らを振り返り、失敗の中から学び姿勢は忘れてはならないと思う。一つの成功を得るために、百、千、万の失敗を経なければならないであろう。人の非ばかりが見える人間にはなりたくないものである。

(日記 午前中、某地区のSさんが左義長囃子に私の民謡が挿入できるかどうかを検討しているというので、その民謡の三味線譜を書いた。午後、そのSさんが三味線とギターを持って我が家へ遊びに来た。その後、オカリナの楽譜書き。午後7時半よりオカリナ教室。練習のあと12月に行われる『クリスマスコンサート』について話し合った。コンサートをするためには、かなりいろんなことをしなければならない。少しその分担も話し合った。)

 
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毎年『OB演奏会』ありか……!?

28 10月

出るからには舞台に
  昨晩は、みんなで遅くまで語り合った。「今後、毎年このOB会を開催すべきかどうか」が話題になった。いろんな意見が出た。しかし、参加者で演奏しなかった者達が、「来年こそは」となるのだ。そうした連中がいるので今年は2バンド増えのだ。

演奏後全員で記念撮影。みんな爺ちゃんば婆ちゃんだが、気持ちは若い。

 また、今年初めてバンドを組んだ連中が、思い通りの演奏ができなくて来年こそはと張り切ったりするのだ。我がバンドでも、京都にいて本番まで一度も一緒に練習しなかったのに、本番(ハワイアン)で舞台に立つことができた者もいるのだ。

 それは、楽譜と演奏したCDを送れば、何とか練習できるからだ。「新しい曲が決まったら教えてください」と昨日も言われた。OB会を楽しみにしているのだ。帰りのマイクロバスの中での話を聞いていると、もうすでに全員来年のことを考えている。

 全員が音楽で繋がっているので、懇親会も非常に盛り上がった。誰かが、懇親会の自己紹介で発言していた。「ここへ来ると50年前に戻ることができる。」と。その通りだ。気持ちはあの青春時代に戻ることができるのだ。

帰る前にホテルの玄関で記念撮影。

 私は、ここでは古参の方だ。今回の出席者では年齢は上から3番目だった。ほとんど全員が後輩だ。でも、音楽の話になると年齢は関係がないのだ。誰もが、楽しそうに目を輝かせながらあれこれ夢を語るのだ。

 私も、昨日の懇親会の自己紹介で、「……。バンドに関する夢の中で、一つはフラダンスチームと一緒にハワイアンバンドで演奏すること。そして、もう一つは、ジャズのフルバンドで指揮をすることです。……。」と。

  前者の夢はすでに今年の夏実現した。後者の“フルバンドで指揮をすること”だが、これは次回のOB会で実現できればと思っている。それには、曲を決め、楽譜とCDを参加者に送ることだ。そして、本番まで練習してもらうのだ。

  演奏当日は、少し早めに会場へ来てもらい、合同練習をすることだ。メンバーは、全国に散らばっているので、本番以前に全体

懇親会での楽しい合同演奏。誰もが勝手に舞台に上り一緒に演奏するのも楽しい。

練習をすることは非常に困難だ。でも、今の時代だからこそ、やってみたい気もする。

  それと、夫婦で参加する者も、少しずつ増えてきた。私も夫婦で参加したが、今後も増える可能性がある。女性の方が楽器を始めようとしているのも面白い。今の時代だからこそ、いろんな方法で家族で音楽を楽しんでもらえたらと思う。

  前回も話題になったが、今年も同じことが話題になった。それは「福井大学の学園祭に出ようではないか」ということだった。バンドを創設した初代メンバーは70歳を超えている。

  そうした連中が、20歳前後の若者の前で演奏することは楽しいだろうし、何かを伝えることができるのではなかろうか。若い時代に何か趣味を持っておけば、人生を豊かに生きることができるのではなかろうか。

  このOB会では、音楽以外にもいろんな話を聞いた。脳梗塞から復帰したOB話は身につまされる。趣味も話なども出た。これからは健康維持も大きな課題だ。

家内もOBではないが今や福井バンドの一員のようだ。みんなで乾杯。

  今回のOBは全員60歳以上だ。軽音楽部は、創立後10年ほどで消滅したからだ。それだけに、このOB会の結束は固い。今後も、この会が存続することを期待したい。私も、毎年オリジナルを発表していきたいと思う。

(日記 午前6時に起床。朝ぶろ。そして朝食。午後8時半ホテルを出て高速で福井へ向かう。途中で、石川県から参加しているN君がCDカセットでカントリーソングを聴かせてくれた。車の中ではいろいろ来年のことが話題になった。N君のウクレレの伴奏で、持参のオカリナを演奏した。途中から家内も合流して3人で楽しい時間を持つことができた。途中で昼食。仲間と別れることがさみしくなった。午後3時少し前に自宅へ着いた。たのしいOB会演奏会であった。)

 
 

静岡での軽音楽部OB会演奏会

27 10月

盛り上がる『じいちゃんバンド』
  午前5時45分、片瀬を出発。福井で残りのメンバーを乗せて一路静岡へ。今日は家内も部員ではなかったが、ボーカルとして同行。車中で新曲『60歳』の歌詞を完成させる。静岡へ到着するまで猛練習。

車の中でできたばかりの新曲の猛練習。

  途中のパーキングで早めの昼食を取り、午前10時半に静岡へ到着。早速楽器を3階の運んでステージへ設置。午前11時45分より福井バンドのリハーサルタイム。午後1時よりOB会演奏会開始。私たちの出番は午後3時半過ぎ。首からレイをかけて、最初に『ハワイアンバンド』スタイルで6曲。

  うち2曲はオリジナルだった。ハワイアン3曲とオリジナルフォーク演歌『足羽川慕情』は家内がボーカルだった。その後、百円ショップで買った帽子をかぶってジャズバンドスタイルで5曲演奏した。私は最初の4曲はキーボードとギター、最後の1曲はドラムだった。

  演奏会は午後6時過ぎに終了。午後7時から懇親会。楽しい自己紹介があり、舞台を使っての余興もあった。我々福井バンドも「お椀」と「茶碗」を使った余興『聖者の行進』を歌った。「♪お椀だせ、茶碗出せ(オー ウェン ザ センツ、ゴーマチイン)……」と歌った。

演奏会でジャズを演奏する福井バンド。私はキーボード。

 最後に、私が最後の挨拶。3本締めで懇親会が終わった。その後入浴して、二次会。午前1時頃名残を惜しみながら別れた。楽しい一日だった。

(日記 早朝出発して静岡での『福井大学軽音楽部OB会演奏会』に参加。楽しい一日だった。)

最後の演奏曲『ウオーターメロンマン』でドラムを叩く私。

懇親会では舞台に上がって自由に楽器演奏。私はコンガで参加。

最後に私が挨拶して懇親会終了。

 
 

あと一日足りない

26 10月
あっという間の一年間
  いよいよ明日は、静岡で大学の軽音楽部OB会が開催される日だ。午後1時から各地区ごとに編成された7つのバンドが演奏することになるのだ。十分練習できないうちに前日を迎えた。 

  少なくとも、今日は少しは練習しなければならない。そう思ってまだ完成していないドラムソロの練習に事務所へ出かけた。ドラムソロの流れを考えついたのは午後4時だった。いつでもこうなるのだ。  今回もまた、「あと一日足りない」と言わざるを得ない。いつもこうなるのだ。1年間もあったのに、あと一日足りないなんて情けない。昨日の『かたせ瓦版』づくりもそうだ。もう少し余裕を持って始めなければならない。

  明日の私のパートは、普通のギター、ハワイアンギター、キーボード、そしてドラムの4つだ。演奏するのは全部で11曲。うちオリジナルは2曲。今日はそれぞれ少しずつ練習した。明日はどうなることやら。

 特に電気系の楽器を使うので、準備を慎重にしなければならない。当日は、本番前のアンプやエフェクターの調整も難しい。果たして明日はどうなることやら。

  最後の練習は、静岡までの車の中での練習だ。イメージトレーニングになりそうだ。それに、今年の新曲の詞が完成していない。これもまた車の中でしなければならない。

  最後の最後までなすべきことが残っている。限られた時間を有効に使ってがんばりたい。その一番は楽しむことだ。文字通り音を楽しむことが一番大切だと思う。演奏している者が楽しくなくては、見ている人も楽しくならないだろうから。

(日記 午前中は明日の準備と楽器の練習。午前11時過ぎに花の苗や土の会にホームセンターへ出かけた。夏休みに行った秋花壇用のプランターを作った人に花を配るためだ。各色のパンジーや桜草を40本あまり購入した。そして、昼食時に花と土を配りに歩いた。午後もドラムやキーボードなどの個人練習。午後8時過ぎにマイクロバスにアンプなどを積み込んだ。不安なまま明日は静岡へ出発することになりそうだ。) 

あれから50年。お互いに歳をとったものだ。初代部長のSさん(中央)、二代目の私(右)、三代目のNさん(左)。三人で一緒のバンドを組んでいた時期もあった。昨年の演奏会後の懇親会で。

 
 

改めて『事を成すのは人である』

25 10月

人こそ資源
  最近改めて思う。人こそ最大の資源であると。地域にたとえ歴史ある神社仏閣があろうとも、それが観光資源になるとは思えない。それらを生(活)かす人材(財)がいなければ、資源はただの「モノ」に過ぎない。

  我が村近くに日本一の大仏ができた。誰もがたくさんの観光客が来ると思ったのだろう。いろんな人たちが門前町やその付近で様々な店を構えた。土産品も作られた。しかし、一年と経たないうちに閑古鳥が鳴くようになった。

  そして、櫛の歯が抜けるように土産店は門前町から消えていった。最終的には全ての土産店が撤退した。日本一の大きさを誇る越前大仏、日本一の高さを誇る五重塔、日本一の高さを誇る天守閣を持つ勝山城博物館、いずれも未だ観光資源になり得ていない。

  事を成すのは人である。初めに人がいなくてはならない。そう考えると、その人を育てることを考えなければならない。しかし、現実には、悲しいかな先人の知識をなぞるだけの教育が横行しているように思えてならない。

  現代は、答えのない連立方程式を解いているような状況にあると思う。正解がないとも言える。ならば、ベストがなくても、ベターな答えを見いださなければならない。そんな訓練を受けているだろうか。

 子ども時代から、考えることの大切さを身に付けさせなければならない。よりよい高校、よりよい大学、よりよい会社や官庁を目指す者は多いが、その後が問題だ。いつの間にか自己中心の人間に変身してしまう。

  さて、政界に目をやると、日本の現状を改善すると言うよりも、党の利益、個人の選挙を優先する国民無視の政治家が多すぎるように思う。民主党の与党ごっこもまもなく終焉を迎えるであろう。

  そのとき、自民党がどれだけ議席を獲得できるか、それとも、今日都知事を辞任し新党結成を表明した石原氏の動き、日本維新の会の橋下氏の動き……、どのグループが国民の支持を得るだろうか。

  与党病に憑かれた人たちは、徒党を組もうとするだろう。過半数を目指して政界再編が起きそうだ。絶対にありそうにもないと思われた自民党と社会党が組むことだってあったのだから。

  果たして、この日本をよりよく導くリーダーは生まれるだろうか。国民の税で自分達だけ得をしようとする輩がまだまだ横行しそうな日本でる。改めて言いたい。「出でよリーダー!」と。

(日記 午前10時より鹿谷公民館でおばさん達に銭太鼓の指導。かなり上手になってきた。午後は、もっぱら『かたせ瓦版』の仕上げ作業。 夕方、5時半に完成した。早速班長に配った。慌ただしい一日だった。)

 
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