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Archive for the ‘未分類’ Category

心を込めて

23 11月

行事をこなすか、盛り上げようとするか
  村にいるといろんな行事がある。係になったん者は、どのような態度で行事に取り組むのだろうか。この「行事に取り組む姿勢」によって、行事が盛り上がるかそうでないかが決まる。

  明後日午前11時より、『農事組合法人かたせ』の「収穫感謝祭」がある。当日、それに先立ち、組合の農舎で『里芋即売会』が開催され、振る舞い鍋や里芋田楽でもてなすという。

銭太鼓保存会の反省会。メンバーの中には『農事組合法人かたせ』の理事長や事務局長もいるので、活動は郷土芸能と農業振興が共存している。

  先日これらに関する会議があった。私は、「心を込めてもてなしましょう。」と発言した。また、感謝祭では、「手打ちソバ」や「里芋の田楽」などを作って区民をもてなすのだが、黙々食べているだけでは芸がない。

 そこで、私は家内と区内に住むNさんの三人で「オカリナ演奏をすることに決めた。食事を楽しみながら、オカリナ演奏を楽しんで頂けたらと思う。子どもの歌や懐かしい童謡・唱歌等を演奏するつもりだ。

 その後のお楽しみ企画として、「ゲームをしたいが忙しくてできない」と関係者が言うので、私が名乗りを上げた。「ビンゴゲーム」をやるのだが、先日の会議で「どんな景品がよいか」を尋ねた。「消耗品がいい」とある女性が発言したので、その方向で商品を購入することを決めた。

  ギフトショップに全てをお任せし、「いくらぐらいの景品を何本、いくらぐらいの景品を何本……」と頼めば準備してくれる。これでは業者丸投げだ。そこで、今日、私は家内と二人で景品を買いに出かけた。

  120本ほどの景品を一つ一つ吟味しながら購入した。「家内は自分がほしいものを選びます。」と言ってくれた。その通りだと思う。そんな気持ちで、時間をかけて「もらえたらいいなあ」と思う品物を中心に購入した。

  当日は、子どもから大人までが楽しめるように「オカリナ演奏」と「ゲームの運営」に取り組みたいと思う。自分も楽しみながらがんばりたいと思う。組合の『収穫感謝祭』に関わる一人一人が、わずかなことでも、参加者が楽しめるようにと心掛ければどんなことでも盛り上がるのではなかろうか。

  特に、子どもたちに、大人達が一生懸命イベントを盛り上げようとがんばっている姿、そして楽しいイベントを企画し要としていることを見てもらえればと思う。前向きの姿勢は、必ず次の世代へ伝わっていくと確信している。

(日記 午前6時少し前に起床、.午前7時より『新穀感謝祭(新嘗祭)』の準備のために、神社へ。拝殿に畳を敷いたり、幕を吊したり、供え物を飾ったりした。午前9時過ぎに神主さんが我が家へやって来た。しばらく休んで頂いてから、神社へ案内した。午前10時に神事開始。その後再び、神主さんを我が家へお連れした。しばらく休んで頂いて、お帰り頂いた。その後、家内と二人で、ゲームの景品を買いに出かけた。1時間ほどかけて、ゲームの景品を120個ほど購入した。午後6時から「銭太鼓保存会の忘年会兼反省会」に近くの居酒屋へ出かけた。参加者は、中学3年の女生徒から最年長の私まで14名だった。「勝山で認知度が上がった私たちの演奏活動を市外に広げていこう」と話し合った。楽しい反省会であった。)

 
 

毎日パワー(その2)

22 11月

わずかな練習でも少しずつ進歩
  最近「毎日パワー」の威力を実感している。和太鼓の演奏にメロディー楽器として篠笛(竹製の横笛)を使っているが、20年余り使用しないうちに、吹けなくなってしまった。できることなら、上手く演奏していたいと思うが、ちょっと練習してはあきらめていた。

  しかし、二ヶ月ほど前に、上手に篠笛を吹く女性の演奏を聴くことができた。「来年までにはしっかり吹けるようになりたい。」そう思い、11月2日に「毎日パワー」についてブログを書いたが、その日からいつも身近に篠笛を置いて、ごく短時間、練習してきた。

  最近、かなり音が出るようになった。この調子なら、来年の太鼓大会にはステージでまあまあの演奏ができるのではないかと期待している。かなり音が出るようになったので練習も楽しい。

  もう一つ、練習したい楽器、ウインド・シンセサイザーがあるが、これは今のところ、手を付けていない。教則本が全くないので、どうしようかと悩んでいたが、最近、偶然にネットで教則本を見つけた。

練習中の篠笛。ようやく音が出るようになった。

  早速、ネットでマウスピースと共に注文した。教則本が到着次第、篠笛と共に練習を始めたいと思う。来年のOB会のステージに立てるようにしたい。

  英会話もやりたいが、時間がないので無理だろう。せめて、ウインドシンセと篠笛だけはいけるところまで行ってみたいと思っている。年配者の私でも進歩するのだから、子どもたちは、もっともっと進歩するだろう。

  全ての子どもたちには、いろんな可能性があるのだ。しかし、何かを毎日続ける環境になければその可能性を引き出すことができない。そのために、何をしても楽しむ段階まで行かないうちに、挫折してしまうのだろう。

  楽しむためには、ある程度の段階まで進まなければならないと思う。小学校低学年の頃、女の子の多くは、ピアノを練習したのではなかろうか。しかし、学年が進むにつれて練習が大変になり、学業や部活などのために地道な練習ができなくて挫折してしまうのだ。

  挫折する前に、ある程度のレベルに達していると、ピアノを楽しむことができるのだ。安易も、音楽家になる必要はないのだ。しかし、楽しむことのできるレベルには達してほしいと思う。

 何か一つのことを上達させるための「毎日パワー」の他に、毎日少しずつ何かに取り組み、多くのことを成し遂げるにも「毎日パワー」は有効だ。

 来月中旬までに、新しい創作紙芝居を完成させたいと思っている。なにも考えずに、例えば二日に一枚の割合で絵を描きためていけばそれでいいのだ。二種類の「毎日パワー」で有意義な毎日を送りたい。半年後、1年後が楽しみだ。

(日記 朝からもっぱら『かたせ瓦版』づくり。昼頃ようやく完成した。今回はそんなに満足できるものではない。役員が半年余り何を協議してきたのかを分かってもらうために作ったものだ。午後は、区長としての事務処理。補助金申請のための実績報告書などを書いて役所などへ提出した。明日も諸行事で多忙な一日になりそうだ。)

 
 

森林資源をどう生かすか

21 11月

「生産森林組合連絡協議会」研修会に参加して
   今日は森林組合の研修会。大野市の九頭竜森林組合に午前七時集合。となると、自宅を6時半頃に集合。逆算して午前5時半に起床。県職員、大野市の職員、そして、大野市と勝山市の事務局と各地区森林組合長合わせて17名が参加しての研修だ。

「東濃ひのき流通(協)」で事前説明を聞く参加者。興味ある話もあった。  九頭竜森林組合を午前7時に出発して、油坂峠を経て岐阜県に入り、白鳥インターから東海北陸自動車道で郡上八幡インターチェンジへ。一般道で、岐阜県白川町の『東濃ひのき製品流通協同組合』に到着。

 組合の関係者から、主に、「木質バイオマスエネルギー利用施設」についての説明を受けた。その後、職員の案内で施設を見学した。合理的に、作られた施設であると思った。

 原材料ヤードに置かれた製材端材や、建築廃材、流木、廃棄物などを機械でベルトコンベヤへ投入すれば、自動的に粉砕機に送られて砕かれ、チップになるのだ。それをベルトコンベヤでチップサイロへ送り、さらにベルトコンベヤで燃焼室へ投入するのだ。

  っっそして、温めた蒸気を発電に使うという仕組みだ。さらに、燃焼後にできた灰はベルトコンベヤで灰の置き場へ送られるのだ。この燃焼後の灰は、廃棄物として埋めると、1t当たり4万円の処理費がかかり、セメントの材料として宇部まで運搬すると1t当たり2万円強で引き取ってもらえるらしい。

「東濃ひのき流通(協)」の施設内を見学。

 当然、輸送費をかけてでも、セメントの材料として引き取ってもらったほうが得策だ。「木質バイオマス」は木のゴミをエネルギーに変換するというのだ。しかも、木を燃やしたときに発生する二酸化炭素は、周囲の森林の生長に伴って消費されるというのだ。

  このため、森林を持続的に利用できれ、二酸化炭素の排出量は±0になるというのだ。そして、これを「カーボンニュートラル」と言うのだそうだ。温室効果ガスが増える中、二酸化炭素削減には大きな効果があるそうだ。

  こう書くと、いいことばかりのようだが、実際には、各省庁の縦割り組織の弊害があり、規制が多すぎ、補助金の使い方にも制限があって、文字通りバラ色であるとは言えないそうだ。

 今回の研修に参加して、思ったことは、国土のほとんどが山地である日本において、木材の利用が思い通りに進んでいないということだ。国産材は、安い外材に押されて採算に合わないらしい。

  さらに、TPPに加盟して関税が撤廃されれば、この傾向はさらに強くなり、森林事業に従事する者は激減し、山林は荒廃するのではないかと思った。これは、国土の荒廃に繋がり、災害に弱い国になりかねないのだ。

「日本昭和村」の店先で。昔懐かしいアイスキャンデー屋や駄菓子屋などもあった。

  もう一つ話を聞いていて感じたことは、補助金を出す側と補助金を必要としている側のミスマッチがあるのではないかと思った。机上で考えた計画が現場のニーズと乖離しているのではないかと思った。これは、いろんな分野で起きていることだが。

 これを正すのが政治家ではないのか。しかし、事の全体像を把握していない者にこれらを求めるのは酷ではないのか。将来国家の中枢で働く者には現場での長期にわたる実践的な研修が不可欠であると感じた。

 全てが専門家になれとは言わないが、真の専門家もこれからの世の中には一定数必要ではなかろうか。2,3年であちこち部署を変わる職員ばかりでは、これからの世の中を動かすことができないのではなかろうか。

(日記 生産森林組合の研修会に参加。岐阜県白川町の『東濃ひのき製品流通協同組合』での視察研修。その後、道の駅『ピュアチェーレ』で昼食をとり、『日本昭和村』を視察研修。広大な敷地に昭和時代の学校や役場、わらぶき屋根の民家、商店などが点在していた。親子、孫達と一緒に来ても一日遊べそうな施設だった。楽しかったが考えることの多い研修でもあった。)

 
 

答のない方程式

20 11月

「解なし」の方程式をどう解くか
  衆院が解散されていよいよ選挙が始まる。各党や候補者達は、「こうすれば世の中はよくなる」、」「こうすれば経済がよくなる」と、自説を吹聴している。しかし、そんなに簡単に世の中を変えられるのだろうか。まるで正解があるがごとく、マニフェストに掲げて政権を狙おうとしている。

 世の中には、正解のない問題、答えに近いものしかない問題、答えがあるかどうかさえ分からないような問題、……といろいろあるのだ。それを全て、自分は正解を知っていると言わんばかりに、自説を述べる人がいる。

  答に近いものを目指して日々努力する姿は尊いが、政界の皆さんの答は素人が考えても、怪しい場合が少なくない。議員の皆さんにもっともっと勉強してほしいと思うが、それは無理かもしれない。ここ数年の大臣の言動をみるにつけ、まるで中学校の生徒会よりも悪い場合もある。本当に国の先行きを考え、知恵を絞って事に当たっているとは思えない。

 地方に目を移しても、県都の駅前の活性化を図るために、どうすればよいのか、いろんな人たちの議論しているが、思いつきで、答え、あるいは答えらしきものが出るほど簡単な問題ではないと思う。しかし、専門家と言われる人たちが、勝手に青写真を描く。行政は直接自分の懐が痛むわけではないので安易に実行してしまう。

  よからぬ結果が出た頃には、当事者は他の部署に異動しているか、退職してしまっている。責任を取る者がいないのである。そんなわけで、あちこちに莫大な費用をかけた無用の長物が横たわっていても、誰も関心を示さない。 

  プロ野球を例にとると、春のキャンプの頃は、どの球団も活躍しそうに見える。しかし、いざシーズンが始まると、指定席に落ちつくのである。選挙のマニフェストを聞いていると、これで少しは世の中がよくなるだろうと期待するが、しばらくすると、各党は力を合わせるどころか、足の引っ張り合いを演じることになる。

   この間、国民は置き去りである。「復興予算がいつの間にか、何でこんなところに使うの?」と、思われるような状況になったいる。国会議員のチェックがなかったのだろうか。それとも、官僚の悪知恵が働いたのだろうか。それとも両者の阿吽の呼吸でそうなったのだろうか。

 今の世の中、答えがないのに、安易に答えを出すか、それとも、先送りをするかのどちらかである。高速道の無料化、ダムの凍結……、あれは何だったのか。各党が前々から議員定数を問題にしていながら、今回「0増5減」さえ実行できない。自分に都合の悪いことは先送り、そうでなけれ簡単に答えを出してしまう。

 私の知り合いに、「バカらしくなった。俺は絶対に選挙に行かんぞ」と意気込んでいる者もいるが、貴重な一票を無視するわけにも行かない。突然話は変わるが、私の予想通りに、I氏が「民・自・公の3党が協力していきたい」と早くもアピールしている。今回の解散は最初から出来レースだったのではなかろうか。

 子どもの頃から、答えがあるかどうかわからないような問題を解く練習をしておかなければ、これからの世の中は、生き抜いていけないのではないか。他人の出した答えを丸呑みにしていればそれで済むような簡単な時代ではない。

(日記 朝から晩まで『かたせ瓦版づくり』。腰が痛くなった。「世の中の出来事に関心を持つこと」がいかに重要か。「愛する」ことの反対が「無関心」とはよく言ったもだ。これは全てに当てはまる真理だ。家内は子守りで福井へ出かけた。一人で食べる晩ご飯はわびしい。家内がおかずを作って行ってくれたが、それでも……。)

 
 

貴重な「晴れの日」

19 11月

することがいっぱい
  この頃は晴れの日が少ない。一日快晴だったかと思うと、急に雨の日が続く。冬を前に、晴れた日しかできないことがいくつかある。雨が降れば降ったですることがあるが、北陸の晩秋は晴れの日にすることが多い。

家の玄関周辺の雪囲い。晴れの中でラジオを聞きながらの作業は楽しい。

  今は、勤めに出ていないので、晴れた日を待ち、作業をすればよい。しかし、仕事を持っていた時代には、休みの日が晴れないと困る。昨日は雨が降り寒い一日だった。サラリーマンの皆さんには残念な一日だったかもしれない。今日は快晴だったので、余計残念だったかもしれない。

 今日は、天気予報通り快晴だ。順序よく作業をやらないと、一日が無駄になる。家内と相談して、今日やることを決めた。先ず第一は、雪囲いだ。この前は、樹木の一部の雪囲いをしたが、家の周囲はまだだったので早速作業を開始した。

  昼食後、里芋の一種である「唐の芋」と「八つ頭」を収穫した。まあまあのできだった。その後、秋ジャガの収穫。一畝の半分だけを穫ることにした。春とは比べものにならないくらい大きなジャガイモが収穫できた。

 初めて秋ジャガイモを収穫したが、こんなにたくさん食べられだろうかと思うぐらいの量だった。また、子ども達に送ることができる。その後、法人の農舎横にある糠をビニール袋に入れて自宅へ持ち帰った。米糠燻炭を作るためだ。

 帰宅してから、再び雪囲いを継続。今日は家の前の雪囲いだけ終えることができた。あと一日で雪囲いは完成するだろう。天気予報通り、夜には雨が降ってきた。日本晴れのような快晴から一転して雨が降るのだ。まさに、女心と秋の空だ。とにかく、晩秋は、晴れが一番ありがたい。

晴れ間を利用し。急いで収穫した秋ジャガイモ。まだ、半分以上が畑に残っている。

(日記 午前中も午後も雪囲い。途中で、「唐の芋」、「八つ頭」、「秋ジャガイモの収穫。夕方は、オカリナの編曲作業。夜は、オカリナ教室。12月のコンサートに向けて練習。いつもの倍の時間練習した。少しでもよく聞こえるようにと編曲作業には気を遣う。大変ではあるが楽しみでもある。)

 
 

経験不足

18 11月

実体験の不足
  今日たまたまテレビを見ていたら、二人の国会議員(民主党の細野氏、自民党の甘利氏)と橋下大阪市長、コメンテーターなどが消費税や原発などいろんな問題について話し合っていた。しかし、討論では国会議員は太刀打ちできないような感想を持った。

 それは、国会議員の現場感覚のなさから来ているのではないかと思った。現在の政治は、多くの問題を国が決め、地方がそれに従うことが多い。あまりにも多くのことを国が決め、地方はそれに合わせて動かなければならない。これでは、特色ある地域を作りにくいのではないかと思う。金太郎飴だ。

越前大仏の駐車場で行われた4選を目指す山岸市長の出陣式。

  そうなると、必要のない施設を地方が作り、それになけなしの金を使わなければならないことが多い。机上で官僚が考え、それを議員が決めていろんな政策を実施していく現在の仕組みを少し変えないと、地方はよくならないのではないかと思う。

  国を動かす、数百人の議員や官僚の中のどれだけの人たちが、現場の経験を積んでいるのか気になるところだ。幼い頃から学校や塾との往復、予備校などを経て難関大学へ入学し、各省庁へ入る。こうした人たちが,国民の本当の要望や痛みを実感できるのだろうか。

  テレビに話を戻すと、地方の事情をあまり知らない二人の国会議員が完全に「あなた方は何も知らない」と橋下市長に責められていた。民主と自民が原発などでは責任のなすり合いをしていた。司会者が、何度も「これからどうするかを話しましょう」と二人をいさめていた。

  教員ならば、理解の遅い生徒の気持ちをどれだけ汲んで指導しているのか。農政を語る議員や官僚がどれだけ農業の問題に精通しているのか、気になるところだ。最低3年間ぐらい土と格闘し、現場で何が起こっているのかを体験してから、政策立案に携わっても遅くはないのではないか。

仏母寺で行われた開山忌。お参りをする人は少なかった。読経の後、五百羅漢についての講話があった。

  いずれにしても、今の世の中、世襲の政治家が横行し、庶民の苦しみや、地方行政の問題点をろくに理解しないまま、政治家として活動しているように思われる。首相も1年余りで次々と交代し、大臣も同様に短期間で交代する中で、本当の政治ができるのか。

  アメリカの場合、大統領のほとんどが州知事や州の要職を務めている。いいか悪いかは別として、中国の最高指導者に上り詰めた習近平氏も同様に省の要職を経験し、貧しい田舎での生活も体験している。

 これに比べて、日本の場合には、県知事が、いきなり首相になるようなことはあり得ない。がんじがらめの中で埋没してしまう。派閥の中で動きがとれなくなってしまう。そうした中で、弁の立つ者がタレントとして活躍している。リーダーの出にくい世界だ。裏では多くの金が動いていることだろう。

   実体験の少ない人が国を動かすことが少なくない。机上で考えた政策を実施することが少なくない。社会での実体験をほとんど経験していない世襲の政治家が今回も横行するのだろうか。日本の夜明けは遠い。出でよ!実体験の豊富な実務的、理論的政治家!

(日記 午前8時半より、4選を目指す山岸市長の出陣式に出る。午前10時半より仏母寺で行われる開山忌に区長として参加する。午後は、NHKの日曜討論(録

出陣式の帰りに見た田んぼの稲。刈り取った後なのに、稲穂が出ていた。鶏の餌にでもできそうだ。

画)を見て少し昼寝。その後、オカリナの編曲作業。1曲だけでもかなり時間がかかる。午後11過ぎにようやく2曲目の見通しがついた。)

 
 

政界の行方

17 11月

やっぱり出てきた石原おじさん
  今から2、3年前だったと思う。退職公務員の総会があったので出席した。。政界の行方についての講演があった。講師は、政界の裏話などをおもしろおかしく語ってくれた。非常に興味があった。そして、講演の終わりに質問の時間が設けられた。

  私は、「石原東京都知事が国政に復帰することはありませんか。」と質問した。当然、総理を狙うことがないかという意味も込めて質問したのだ。しかし、講師は明快に否定した。「年を取り過ぎている。復帰はありません。」と講師の先生は「石原氏は過去の人である」とばかりにきっぱり答えられた。

  私は、石原氏は不本意な気持ちで国政から引退して知事に転身したのだが、納得はしていないだろうと当時から考えていた。生きている限り国政に復帰して頂点を狙うだろうと思っていた。しかし、私の質問は参加していた人たちから不思議に思われたかもしれない。

 というのは、2、3年前でも石原氏は80歳に近い高齢者であること、国会議員を引退したこと、そして東京都知事をつとめていること等から、国政に復帰して頂点を狙うなどとは誰が考えてもあり得ないことだと思われたかもしれない。私の質問は、唐突に映っただろう。

  しかし、私は、「男の中には、自分の生き方に納得できなければ、とことん勝負に出る人種もいる」と当時から確信していたのである。しかし、石原氏は新党を作るとか、作らないとか、最近迷走しているような発言を繰り返していた。しかし、私は、彼はまだ人生に区切りを付けられないでいると考えていた。

  私の予想通り、石原氏は、最後の勝負に出てきたのである。作家だけでは人生を締めくくれなかったようである。しかし、石原氏が、自分の描いた夢を実現できるかどうかは、国民一人一人の一票にかかっている。果たして結果はどうなるか、私は予測できない。

 私の予想は、政界再編は行われるだろうと思う。政界は、「昨日の友は、今日の敵」でもあるが、「昨日の敵は今日の友」にもなる。一寸先は闇である。「猿は木から落ちても猿である。しかし、政治家は選挙で落ちたらただの人である。」といわれる。政治家の誰もが望むことは、先ず、選挙に当選すること、その次が、与党になることであろう。

『親子太鼓教室』で左義長太鼓の練習をする子どもたちとその保護者。みんな上手になってきた。

  第3極の出方によっては、民主党と自民党が組むことも十分ありうると考えている。国民不在の政治だけは止めてもらいたいと思うが、簡単なことではないだろう。国会議員の定数削減も、先送りされてしまった。

  消費税だけが上がることのないように、与野党が十分議論して十年後、三十年後、五十年後の人たちが安心できる世の中を作ってもらいたい。誰もが応分の負担は覚悟しているのだから。

(日記 雨が降ったので雪囲いができない。午前中、クリスマスコンサートのオカリナの編曲作業。午後も作業継続。午後4時より『親子太鼓教室』。今日は、『左義長太鼓』の練習。子どもも大人も少しずつ上達している。午後7時より『農事組合法人かたせ』の「収穫感謝祭」と「里芋即売会」についての会議があった。)

 
 

雪囲い

16 11月

冬は創作シーズン
  平地にも雪が降った。いつもより早いので積もるとは思わなかったが、いよいよ冬が来る。急に雪が降って困るのは、庭木だ。枝を広げているイチイの木などは枝が折れてしまうからだ。父親の代から伝わる木だけに折れてしまっては申し訳ない。

 急に雪が降ったので、 2、3日前から雪囲いをしなければと思っていた。晴れる日が待ち遠しかった。天気予報通り、今日は朝から快晴。早速、樹木から雪囲いを始めた。例によってラジオを聞きながらの作業だった。雪囲いを始めると、今年も終わるのだなあと思う。それと同時に、あっという間に雪囲いをとる春が来るだろうとも思った。

イチイの木の雪囲い作業。細い丸太で骨組みを作り(左)、割竹で編んで完成(右)した。この木の雪囲いが一番手間がかかる。

  冬で一番困るのは、屋根の雪下ろしだ。屋根から落ちる危険があるからだ。こうした作業を除けば、“冬もまた楽し”だ。それはたくさんの自由な時間があるからだ。それに、除雪以外に外での作業はできない。農作業はしたくてもできないのでので、落ち着いて“創作活動”に時間を費やすことができるからだ。

  今年の冬は何をしようか、あらかじめ決めて、のんびりとパソコンの前に座ることができる。ストーブで部屋を暖め、机の上にあるパソコンで歌を作ったり絵を描いたり、文章を書くなど、好きなことを始めることができる。ときには、テレビ(の音声)を聴きながらこたつの上のノートパソコンで作業をすることもできる。

  あるとき、市営プールのサウナの中での雑談の最中に、都会から田舎へ戻ってきた人が話したことを思い出した。「雪国はどうしようもない。屋根融雪にすれば一冬に何十万と油(のお金)がかかるし、雪下ろしを頼めば何万と金がかかる。いなかは人の住むところではない。」とさんざん文句を言っていたことを。

  それもまた事実であろう。冬に楽しみがなければ、不便なところばかりがクローズアップされるであろう。しなければならないことばかりが頭に浮かぶであろう。しかし、厳しい冬を経た者でなければ、春のよさを実感できないであろう。春の来ない冬はないのだ。

  有言実行で、今年の冬も何か作品と呼べるものを作りたい。退職以来、しようしようと思いながらできなかったことを、今年の冬こそがんばってみたいと思う。そんなことを思うと、冬も待ち遠しくなる。気の持ちようでどうにでもなるのだ。

(日記 午前中、雪囲い作業。途中で、樫の木の枝打ちを行った。我が家のシンボルの樹木だが、枝が茂り、たくさんの葉を落とすので困る。しかし、樫の木そのものを切るのはよくないと友達が言う。「樫(かし)」は「貸し」に繋がり、人に貸すほど金が貯まるという縁起のよい木だという。そう言われると簡単には切れない。午後も作業を継続。雪囲い作業をまだ2、3日はかかるだろう。)

 
 

「雑談」の効用

15 11月

脳の活性化
  私は、雑談が大好きだ。といっても、後ろ向きの話や誰かの「自慢話」を延々と聞いているほど時間の無駄遣いはないと思っている。「よし、明日からも元気でやるか」という前への意欲が湧かないからだ。

  といっても、村の組合での共同農作業では昔話や農作業や作物の栽培法など、いろんな話が飛び出し、その中から今の時代に必要なものをくみ取りことができる。昔の生活の中での大事なものが再認識できる。

  今日、NHKテレビを見ていたら、雑談の効用が話されていた。あの「きんさん、ぎんさん」の「ぎんさん」の四人姉妹が『クローズアップ現代』に出ていた。彼女たちの平均年齢は93歳だそうだ。

  毎日、四人で雑談しているらしい。長寿について研究している学者が脳の働きを調べていた。それによると、脳の血流は、気楽な雑談をしているときは、かしこまって話をしているときの二倍以上になることが分かったのである。

里芋掘りの合間の休憩時間。作業中も雑談をしていたが、休憩時間は誰かの持ってきた柿を食べ、組合から出されたクッキーを食べながら楽しい語らい。退職してから農作業が楽しくなった。

  雑談をしていると、一人で話すのとは違って、 「そう言えばそうだった」と思うことが多くなるのだ。これは、脳の強化にはとても有効であるらしい。記憶力の強化になるからだ。脳の血流が多くなるということは、認知症の予防にも大きな効果があるそうだ。

  昔は、家族でも話すことがかなり多かった。というのは、農作業などは家族で一緒にしなければならないからだ。当然、話す機会が多かった。また、ゲームやテレビ等の娯楽もなかったことから、日中は友達と過ごし、夜は「いろり」の周りにいる時間もかなりあった。

  また、隣近所の人たちとも共同で作業をする「結」が当然のように行われていた。子どもも含めて、ずらりと一列に並んでの田植え。子どもは大人の半分ほどの「列」を受け持って田植えをしたものだが。

  こんなときは、それこそ雑談のオンパレードである。集団の中には、必ずユーモアのある人がいて、常に笑い声が絶えなかったのだ。人と人とが話す機会は、好むと好まざるにかかわらず、たくさんあったのである。

  研究者が言うには、「“雑談”が認知症や若返りに効果があるのは分かっているが、現代は逆の方向に向かっている。」とのことだった。高齢化するほど、孤立していく傾向にあるというのだ。

  普段気の合わない者同士が、歳を取ったからといって、「急に話をせよ」、「雑談をせよ」と言われても無理だろう。若いうちから、地区の人同士が気楽に話せる環境を作ることが、最後には住民一人一人のためになっていくのだと思うが、果たしてどれくらいの賛同者がいるだろうか。

(日記 朝起きると、雪が振っている。北谷地区では機能から除雪車が出ているという。いよいよ冬か。観葉植物を玄関や家の中へ入れた。その後、区の事務作業。午後は、宝くじ補助金の申請作業の続き。書類は一応役所に提出したが、他に、物品のカタログなどを揃えなければならなかったからだ。家内は、今日も、福井の娘のところへ子守りに出かけた。二人とも仕事で帰宅することが多いので保育園からの迎え等を手伝うためだ。夜は家内の作っていった豚汁を一人で食べた。わびしい。)

 
 

「児童厚生員」研修会で

14 11月

情熱は伝染する
  今日、午後1時半より、児童館職員である児童厚生員に向けて話をすることになった。話すことは大好きだが「何を話すか」が問題だ。「子どもの様子の見方」と「保護者への対応」についても話してほしいとあらかじめ連絡があった。

  指導員の膝に乗ったり、だっこをねだるなど「赤ちゃんがえり」をする児童がいること、言動に問題のある保護者への対応などを聞かせてほしいとのことだった。また、児童館職員としての心構えも話してほしいと言われていた。

講師紹介。過去のことを紹介してくださったが、私は今を生きることで頭がいっぱいだ。(福祉健康センターすこやか)

  話すことはいろいろあるが、先ずタイトルを『情熱は伝染する』とした。それは、児童館のように、不特定多数の子どもが来たり来なかったりする状況で子どもたちを指導するには児童厚生員の前向きな姿勢が必要であると感じたからである。

  職員の姿勢が子どもへの成長に大きく影響すると考えたからである。魅力ある職員になってほしいと思う。子どもと職員の人間関係ができていれば、保護者との意見の食い違いも何とか克服できるのではないかと思う。

  児童と職員の信頼関係をなくして、保護者と職員が理解し合うことは非常に困難であると思うからである。遠回りでも、この方が近回りであると思う。

  もし、私が職員だったら「先ず自分自身が前向きに生きる」ことから始めると思う。そうでなければ、子ども達にとって魅力ある職員(先生)になれないと考えるからである。

若い皆さんへの話はとても楽しかった。いい意味での緊張感もある。

  次に、毎日通ってくる生徒に目標を持たせ(児童自身が目標を考えることが望ましい)、それに向かって毎日少しずつ努力していくことをすすめたい。半年後、一年後、いくらかでも進歩していれば、子どもたちはこつこつ努力することの大切さを実感できると思う。

  これは、また職員(先生)の信頼を得ることにもつながっていくであろう。こうした前提がなければ、モンスターペアレントとは形式的にしか対応できないと思う。人間というものは理屈では動かない動物であるからだ。

  こういうことをベースに、「ことばの力」、「コミュニケーションの大切さ」、「児童理解」、「存在感と自己肯定感」、「子どもに家庭はあるか」、「地域に子どもを育てる力があるのか」、「モンスターペアレントの出現」、「子どもをどう見るか」、「保護者への対応」などについて話した。

 最後に2、3の質問を受けて話は終わった。若い人たちと話すことができてよかったっと思う。私も改めて、前向きに生きていきたいと思う。健康維持については、まだまだ改善の余地がある。反省、反省。

(日記 午前中は、今日の話の資料づくり。アグリー(パワーポイント型プレゼンテーションソフト)での資料づくりだ。午後1時より3時まで市の児童厚生員の研修会で話をした。「先生方はまだまだ若い。いろんな可能性が自分にも子どもにありますよ。」とエールを送って話を終えた。気分よく帰宅することができた。天候は、11月らしく雨やみぞれが降り、冬の前触れだ。雪囲いはまだだが雪が降るまでには晴れる日もあるだろう。)