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Archive for the ‘未分類’ Category

明暗

02 12月

一律には事は運ばない
時代はどんどん変わっていく。しかし、どう考えても進歩とは言いがたい。『アベノミクス』のおかげで経済は好調だという。しかし、それは、輸出関連企業とその下請け関係やそこから派生する一部の企業や商店だけではなかろうか。

輸入して仕事をしている者には『アベノミクス』の経済効果は回ってこない。親戚に漁業関係者がいるが、燃料が高騰している割りには、魚の価格は上がらないと嘆いていた。

消費税が上がるということで駆け込み需要が一部の業種ではありそうだが、消費税が上がってしまうと、また消費は冷え込むかもしれない。増税で年金生活者も厳しくなりそうだ。

政治家に、こうした庶民の痛みが分かるのだろうか。世の中、理論通りに行かないことを理解しているのだろうか。どうも、本当には分かっていないように思えてならない。

政治家になりたい人だけが出てくるのではなく、なっていただきたい人を推薦できる制度ができないものかと思ってしまう。今のようなネット時代には、可能な気がする。あまりにも、庶民とかけ離れたところで政治が行われているように思えてならない。

(日記 午前中は区の事務処理。その途中に、歯医者へ行ってきたら、半日が終わってしまった。午後も、区の事務処理。夕方は、隣家の手伝い。)

 
 

ハワイアンバンドでフラダンス

01 12月

50年前を思い出して
今日は、遅羽地区婦人会主催のクリスマスコンサートが開催され、私達にも出演依頼があった。私としては、生バンドでフラダンスをしたいとの思いがあった。そのため、今日まで少しずつ、練習してきた。

遅羽公民館で生バンドでフラダンス。楽しかった。

遅羽公民館で生バンドでフラダンス。楽しかった。

今日は、午後1時に遅羽公民館へ出向き、先ずは事務所で練習。今日の演し物は、『バルーンアート』、『マリンバ演奏』、そして私達の『生バンドでフラダンス』。午後3時半頃、私達の出番。フラダンス3曲、メンバーによる『チャッパで遊ぼう』、演奏一曲は『ジングルベル』、そして、最後にみんなで『きよしこの夜』を合唱。

フラダンスを踊ってくれる太鼓メンバーに感謝。楽しい一日だった。今回は、バンドにギターのOさんが参加してくれたのがありがたかった。バンド活動は頭の体操にも最高だと思った。

また、若いメンバーといっしょに一つのことが出来ることも、楽しい。50年前に購入したスティールギターが今に生きていることを思うと感慨深い。もうしばらく、彼女たちとフラダンスを楽しみたいし、新しい分野にも挑戦したいと思う。

(日記 午前10時より2時間、地区の高校生と数学の期末試験勉強。1時より、遅羽公民館へ行き、生バンドでフラダンスを行う。クリスマスの雰囲気の中で、とても楽しかった。帰宅して、午後5時から3時間連続して数学の指導。変化に富んだ1日だった。)

アロハシャツを着てレイを首から掛けて、3人でバンド演奏。

アロハシャツを着てレイを首から掛けて、3人でバンド演奏。

和太鼓のメンバーらしく『チャッパで遊ぼう』。好評だったようだ。

和太鼓のメンバーらしく『チャッパで遊ぼう』。好評だったようだ。

 
 

談笑の1日

01 12月

区長会研修
今日は、区長会の研修日。まず最初に、泰澄大師が修行したと言われる越知山大谷寺へ向かった。到着後、住職から、大谷寺のいわれや泰澄大師にまつわる話を聞かせていただいた。

かつて創作紙芝居『平泉寺物語』や簡易アニメ『泰澄大師物語』を作っていたので、話には非常に興味があった。それと同時に、泰澄大師についても、いろんな説があり、それぞれが自説を主張しておられるようだ。

聞いている私にとっては、それらの中から、自分の信じるものを見つけ出さねばならない。過去の偉大な人物には、共通の伝説もあるようだ。特に、その中には、夢が重要な位置を占めている。

研修で最初に訪れた越知山大谷寺。勝山ゆかりの寺を見学できてとても有意義であった。

研修で最初に訪れた越知山大谷寺。勝山ゆかりの寺を見学できてとても有意義であった。

いつもとは異なる話を聞かせていただいたので、とても新鮮であった。いろんな見方ができるものだと感心した。また、寺の中にはいろんな仏像が、安置されていた。普段は見ることの出来ない異色の神社であった。

行き帰りの車の中で、いろんな話をすることが出来た。また、昼食・休憩した場所でも、いろんな話をすることが出来た。顔を見合わせていろんな話をすること楽しく、有意義な1日であった。

(日記 午前8時半から午後5時頃まで、猪野瀬地区区長会の研修旅行。午後、7時からは農家組合の組織についての集会を持った。農家組合の組織についていろんな話を聞かせていただくためだ。それにしても、意見を言うというよりも、個人攻撃をするような発言をする出席者もいて、悲しい思いをした。それにしても、忙しい1日だった。)

 
 

雪囲い

29 11月

みぞれが降っても
昨晩は少し雪が降ったが、朝起きると雪が降っていない。村の後ろにある大師山の上半分は真っ白だった。雪が迫っている。雪囲いをしなければと思って、朝食後、家内と二人で、雪囲いを始めた。

順調に作業が進んでいたが、途中で雨が降ってきた。しかし、ここで止めると、またいつかしなければならない。そこで、雨の中でも雪囲いをすると決めた。そのうちに、ミゾレになった。

それでも、作業を続けた。寒くて手はかじかみ、水ばなが出たが、とにかく今日中に仕上げようと作業を続けた。そして、午後2時にようやく終わった。遅い昼食を食べて、こたつへ。

昨年も思った。暖かいうちに雪囲いをしなければと思ったが、今年も遅れてしまった。毎年、同じ事の繰り返しだ。来年こそは暖かいうちに、雪囲いを終えたいものだ。

(日記 朝から、午後2時頃まで雪囲い。途中から雨が降って寒かったが、それでも作業を終えるまで頑張った。これでいつ雪が降っても大丈夫だ。遅い昼食を食べ、家内と二人で事務所へ行き、バンド練習。途中でメンバーのOさんに電話をする。3人で、2時間ほどバンド練習。とても楽しかった。出番の日曜日が楽しみだ。)

 
 

瓦版作り

28 11月

第二、第四木曜の午後はホッ!
今日中に、瓦版を発行しなければならない。朝から、編集作業。2面は、写真を多用したが、これが予想外に時間がかかった。1面は、先日(26日)に政府が決めた『生産調整(減反)』廃止について書くことにした。

これまでは、政府が減反面積を決め、それを守った者には補助金を出してきた。10㌃当たり15,000円の補助金が、来年は7,500円になり、5年後には廃止されるのだ。

生産調整がなくなり、自由に米が作れるとなると、米価は安くなる可能性がある。高品質の米を作って価格を維持する方法がないわけではない。しかし、これは簡単ではない。出来るだけ、低コストで米を作らないと米作りは採算がとれないことになる。

一方では、飼料米などを作れば、補助金はこれまで以上に拡充するとのことだ。農家は選択を迫られる。今後米作りはどういう方向へ進むのだろうか。とにかく、今後は、米の生産調整が行われなくなったのだ。

これまでは政府の方針に従って生産調整(減反)をしていれば補助金がもらえたのだ。しかし、今後は農家自らが米作りについて考えなければならなくなるのだ。何をどう作るかの選択を迫られるのだ。農家の情報収集能力と、経営力が求めれらる時代になったのだ。

少し堅いが、『かたせ瓦版』の一面にはこんなことを書いたのだ。読む人は少ないかもしれない。予定通り、3時に編集が終わった。コピーして、市の配布物と共に班長に配ってようやく自由になった。ホッとする瞬間だった。瓦版作りは、今回も、楽しくも苦しい作業であった。

(日記 朝から、午後3時まで、『かたせ瓦版』の編集作業。その後ぼんやり。夕食後、最近忙しくて見られなかった朝ドラを久々に見る。前半忙しくて、後半のんびりの1日だった。)

 
 

終日音楽

26 11月

天候が悪ければ悪なりに
私は、雨が降っても、雪が降っても、それに合わせて、落ち着いてすることがある。本当は、早く雪囲いを終えたいのだが、天候が悪くて延期せざるを得ない。

こんな日は、音楽に時間を使うことが出来る。午前中は、バンドの楽譜書きとギターとハワイアンギターの個人練習。家内は、昨日から、姉と両親と温泉に出かけて不在。

午後は、Oさんと二人でハワイアンの練習。午後一杯二人でギターを弾いていた。私もそうだが、Oさんも音楽に対する血が騒いでいるようだ。時間を忘れて、4時間ほどギターと戯れていた。

ギターを生で弾く場合、アンプを通して-場合、エフェクターを通してアンプにつないで演奏する場合と、いろいろあるが、私は、り路あるが、諳譜と.

 
 

楽しいな、久々の数学

25 11月

まだ役に立つのは嬉しい
村の女子高校生が、今日初めて数学を習いにやって来た。小学生の妹が付き添いでやって来た。彼女達のお母さんに頼まれて数学の指導を引き受けることにしたのだ。それにしても、退職してからかなりの年数が経っている私に頼むなんて。

数学の授業をしなくなってから15年目だ。昨日、彼女に借りた三冊の模擬試験の問題を朝から目を通してみた。問題を解いていると15年の歳月が縮まって昨日のように懐かしい。私は退職以来、いや現役時代からいろんなことをやってきたが、やはり私の中心は数学だと思って来た。

それを今日は再認識できた。数学を教えているときが、一番楽しい。相手が少しでも数学を理解してくれたときが一番うれしい。学校帰りの高校生と約一時間半、数学を勉強した。

二十数年前に作った自作のオリジナル参考書。今も十分間に合う。

二十数年前に作った自作のオリジナル参考書。今も十分間に合う。

高校の数学を初めて学ぶ生徒にしてみると、次から次へといろんな分野が出てきて大変だと思う。ベクトルをやったり、指数・対数関数を学んだり、数列を学んだりと、次々と前へと進む。

分かるか分からないうちに前へ進んでしまうのは、消化できないのに新たな食べ物をどんどん飲み込むようなもので、身につかない。そんなとき、指導者は何が基本なのかをしっかりと指摘できなければならないと思う。

まだ、生徒の前へ立てるというかすかな自信はある。夏に、数学の苦手な者を集めて無料で特訓講座をやってみたいぐらいだ。4月からは、数学ブログを立ち上げたいと思う。すでに、ブログは登録してあるので、年が明けたら試運転を始めたい。

それにしても、今日は楽しかった。まだ、自分の中心となる数学で高校生の役に立つのは嬉しいものだ。しかし、これがいつまで持つのやら。そう思うと、この機会を大切にしたいと思う。

(日記 語彙全中は、亜こたつに入って数学の問題とにらめっこ。午後は、昨日泊まった家内の姉と家内が両親を連れて温泉へ出かけた。午後外へ出てみると、雨が降っていないので、少し雪囲いを始めた。しかし、途中で雨が降ってきたので作業を中断。再び、数学。午後5時、息子の友達のY君がパソコンを直しに来てくれた。同じく午後5時から『爺ちゃん勉強』。午後6時から高校生に数学指導。結構忙しい1日だった。)

 
 

新穀感謝祭(新嘗祭)

23 11月

一年の恵みに感謝して
毎年、勤労感謝の日には一年の恵みに感謝して、村の神社で、神主さんを招いて神事を行っている。このような神事は、『春祭り』、『秋祭り』、『新穀感謝祭(新嘗祭)』の3回行われる。

各家庭から玄米を一升ずつを集めてそれを神前に供えるのだ。米を作っていない人は、米一升相当のお金を出すことになっている。

深刻感sy祭で玉串を奉奠させていただいた。

深刻感sy祭で玉串を奉奠させていただいた。

最近では、個人で米を栽培することが少なくなった。私も、組合で作っている玄米を袋に入れて出しているが、個人で作っているわけではないので、昔と少し意味合いが違ってきている。

神事の中では、各種団体代表が玉串奉奠を行っている。そして、神事の後は、「なおらい」と称して、参拝者が酒を酌み交わすことになっている。なお、準備は班のロ-テーションで行っている。

残念ながら、神社へ参拝する人の数は最近減っている。思い出せば、自分たちの子どもの頃は神社には親しみがあった。夏休みのラジオ体操は毎日、神社で行われていた。

また、秋の祭りは、今は一晩だけであるが、かつては、若い衆祭り、弓矢、本祭り、後祭りと4、5日はあったし、子ども相撲も行われ、土俵を作ること以外の運営は子どもたちだけで行っていたように思う。

風が吹けば、たき付けのために杉葉を拾い集めたものだ。今は、子どもたちが神社と関わるのは、祭りの準備と祭り当日の二日間ぐらいかも知れない。神社は遠くなりにけりだろう。せめて祭り当日だけでも、神社に関わってほしいものだ。

親子で左義長太鼓の練習。

親子で左義長太鼓の練習。

(日記 午前9時過ぎに神主さんが我が家へやって来る。しばし、歓談して神社へお送りする。新穀感謝祭(新嘗祭)の神事。午後、一時からは、親子太鼓の練習。今日は、主に、左義長太鼓の練習。午後4時より家内の父親の父母(祖父母)の法事。1時間半の読経の後、料亭で食事。その後、再び家内の実家へ戻り午後11時頃まで歓談。)

 
 

芋とショウガ

01 10月

新年度に向け始動
慌しさも一段落したので、新しく借りた組合の畝を耕した。今年は、借りる畝の本数を減らして一本はにんにくや玉ねぎなどを植える場所、一本は里芋とショウガを作るためだ。

立派に育った我が家のショウガ。

立派に育った我が家のショウガ。

銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を創作した際に“芋とショウガと旨い米”を歌詞に織り込んだ。そこで、自分で実際に作らなければと思って組合の畝を借りて栽培を始めたというわけだ。

法人の畝は自分の家庭菜園と違って、毎年場所がわかるので連作の心配がない。夏でも川から水を取り入れるので水撒きの心配もない。

おかげで素人の私でも、結構収穫することができた。ショウガについて思うことだが、農業関係の本では種ショウガの大きさはかなり大きくするように書いてある。

しかし、私は、種の大きさとできたショウガの大きさにはそんなに大きな相関関係はないと思っている。小さな種でも、結構大きなしょうがが取れる。

マニュアルよりも小さい種ショウガでもかなりの大きさになるものだ。勝負は根の生育では。

マニュアルよりも小さい種ショウガでもかなりの大きさになるものだ。勝負は根の生育では。

逆にかなり大きな種でも、小さなしょうがしか取れない場合もある。収穫時にそのあたりをよく見ると、種の大きさも大切だろうが、根の張り具合がショウガの大きさを決めているように思う。

同じ長さの畝で15Kgの種ショウガを植える人がいるが、私は半分の長さの畝で5Kgしか植えない。それでも立派なしょうがが取れる。今年も周囲の人から褒められた。

種の大きさも大切だが、畑の環境も大きいのではないかと思う。これは人にも似ている。環境が人を育てるのかもしれない。

根っこを立派に育てることで、水分や養分を吸収し、大きく育つのだ。人間も根っこを充分育てておくことが大切だと思う。植物の栽培と人間の生育には共通した部分が多いように思う。

来年の収穫を期待して有機肥料をたっぷり入れた耕耘作業。(組合の集団農場)

来年の収穫を期待して有機肥料をたっぷり入れた耕耘作業。(組合の集団農場)

それに、私の集落でも視察した某県の生姜産地では年間三十数回薬剤を散布するという。私はたった一度、早い時期に虫除けの薬を散布しただけだ。他の人よりも、圧倒的に薬の散布は少ないと思う。

(日記 今日は朝から、農作業。来年、里芋やショウガを植える場所とにんにくや玉ねぎを植える場所を作った。六呂師の牛糞堆肥や籾殻燻炭などを入れて耕し、雑草防止のために黒マルチをした。午後も作業は続いた。その後、荷造りをして、九州にいる家内の姉と私の妹に里芋と生姜を送った。ふるさとの味だ。)

 
 

芋とショウガと旨い米

30 9月

里芋収穫
わが片瀬の特産物といえば、昔から芋(里芋)とショウガと米だった。里芋は連作を嫌うことなどから、長い間作っていなかったが、ここ二年間、組合から畝を借りて作っている。

 

里芋の収穫。

里芋の収穫。

いろんなことを近くで作業する人から聞きながら、里芋を栽培しているが、最終的にはそれらのアドバイスに自分流のやり方を加えている。

特に、自家製の籾殻燻炭と六呂師から購入した牛糞堆肥をたっぷり入れるようにしている。そのせいかどうかはわからないが、芋もショウガも順調に育っている。

しかし、私が育てているのは販売目的ではなく、我が村の特産物を宣伝するためと、子供達や親戚や知り合いに送るためだ。心を込めて栽培したものを送ると喜ばれる。

今日は、兄弟や親戚に送るために家内と里芋を掘りとった。秋空の下、例によってラジオを聴きながらののんびりとした作業は気持ちが良い。

たまたま、赤とんぼを調査している市のMさんが林道の鍵を借りるために我が家へやってきた。鍵を返しに来た際、「里芋はどうですか?」と声をかけた。

収穫した里芋。まだまだたくさんある。美味しい里芋をあちこちへ配りたい。

収穫した里芋。まだまだたくさんある。美味しい里芋をあちこちへ配りたい。

「いただけるならありがたいです。妻が好きなもんですから。」とのこと。喜んでもらってくれる人には気持ちよくプレゼントできる。

明日はショウガを収穫するつもりだ。時間をかけて作ったものを収穫するのは最高の喜びだ。パソコンを離れて青空の下で働くのもまたいい。

(日記 午前中は、区の事務処理のため、大野市にある県の出先の林業部と市役所へ行く。午後は、里芋の収穫。夜は『じいちゃん勉強』。孫との楽しい時間を持つことができた。問題が解けた時の孫のにっこりした顔がいい。)