RSS
 

Archive for the ‘未分類’ Category

年末“断捨離”

22 12月

久々の大型廃棄
 今日は、年末の大掃除をすると決めた。これまでは、いろんなものを見ても、「いつかは何かにつかえるだろう」と捨てられずにいた。

 しかし、今日は、いつもよりは強い気持ちで“断捨離”を実行すると決めた。だいたい軽トラック一杯分、捨てるものを荷台に積み込んだ。

 まだまだ捨ててもいいものがあるが、捨てきれずにいる。おそらく、多くの家庭で捨てるに捨てられずにいろんなものを保管しているのではなかろうか。

 思い出の品を捨てるのは忍びないが、一方では買い求めているのだから、やむを得ない。写真なども、自分さえ見ないものを子や孫が見ることは少ないだろう。そう思うと、膨大な量の写真もいつかは捨てなければならないだろう。

 書籍もそうだ。よほどでない限り、同じ本を二度、三度と読むことはないだろう。となると、読み終わったら捨てればよいのだが、それもできない。

 楽譜となると、なおさらそうだ。いつか何かで必要になるのではないかと思うと、簡単には捨てきれない。古くなると、時代遅れになるもの、いくら古くなってもスタンダードナンバーとなっていつまでも演奏されたりする曲などいろいろである。

 数学の参考書等も捨てきれないものの一つだ。現役を離れた今でも買い続けている。参考書を作りたいという目的があるからだ。いつになったらできるかわからないが。

 今日は、主に、二階の物置と、車庫の二階を中心に整理整頓をしながら掃除をした。衣類も、なかなか捨てきれないものの一つだ。まだまだ使えるからだ。しかし、背広やネクタイは現役時代と比べると、使用頻度が激減した。捨ててもよいはずだが。

 今週は、我が家にとっては“断捨離”週間だ。何もない部屋にあこがれるが、なかなかそうはいかない。“もったいない”を身をもって体験してきた私としては、心を鬼にしなければ“断捨離”は実行できない。もうしばらくは戦いが続くだろう。(少しオーバーか。)

(日記 終日、年末大掃除。家の清掃、整理整頓に明け暮れた。軽トラック一杯分だけは捨てるものができた。本当は、まだまだあるのだが……。なんと“断捨離”の難しいことか。)

 
 

クリスマス子どものつどい

21 12月

図書館で紙芝居
 市立図書館から依頼があり、『クリスマス子どものつどい』で紙芝居をすることになった。紙芝居のかわりに、パワーポイントを使ってすることにした。 

手始めに二人で手遊び歌。子どもたちも一緒に手足を動かしてくれた。

手始めに二人で手遊び歌。子どもたちも一緒に手足を動かしてくれた。

 それは、大きく映すことによって多人数でもよく見えるようにするためだ。紙芝居だと、画面が小さいので少人数にはよいが、そうでないと見えにくい。

 午前中、家内と二人で図書館へ行き、プロジェクターやパソコンを設置し、手遊びやクリスマスソングのリハーサルを行った。

 午後2時から本番。就学前の子どもとその保護者が多かった。手遊び歌から始めて、創作紙芝居『タン吉・コン子旅日記~大雨に負けないぞ~』、そしてクリスマスソングで締めくくり。その後、わずかだが子どもたちにお菓子をプレゼントした。

パワーポイントで創作紙芝居を上演。

パワーポイントで創作紙芝居を上演。

 最後のクリスマスソングを歌う場面で、歌の上手なS君が子どもを連れて参加していたので、打ち合わせなしで前へ出てもらってクリスマスソングを歌ってもらった。また、幼児も前へ出て歌ってくれた。楽しい一日だった。

 しかし、毎回、反省すべきことがある。さらに次回に向けて頑張ろうと家内と誓い合った次第である。

(日記 午前中、図書館で『クリスマス子どものつどい』のリハーサル。午後2時から本番。手遊び歌、紙芝居(パワーポイントで)、クリスマスソングなどを集まった子どもやその保護者と楽しんだ。午後5時から『親子太鼓教室』。また、一つの行事が終わった。)

会場のみなさんと一体となって楽しい時間を過ごした。

会場のみなさんと一体となって楽しい時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

今回のイベントのポスター(図書館制作)。ありがとうございました。

今回のイベントのポスター(図書館制作)。ありがとうございました。

 
 

70歳になると

20 12月

部品に故障が
 最近、膝が痛む。そこで、今日は膝のMRIを撮ることになった。ついでに目も最近調子が悪いので診てもらおうと、朝8時過ぎに家内と一緒に福井へ向かった。

 整形外科と眼科の二カ所で診てもらうことになった。整形の法は予約してあったが、眼科は予約がないのでかなり待つことになった。そして、ようやく診察。

 「眼底検査もしましょう」と言うことになった。瞳孔を開ける目薬を入れてかなりの時間待ち、再び検査。幸い、悪くはなかったので、眼が乾いていて傷がついているとのことで目薬をもらうことになった。

 膝の方も痛むが、今はこのままで様子をみようと言うことになった。最近、身体のあちこちが痛くなったりするようになった。加齢から来るのだろうから、やむを得ない。

 身体をいたわりながら、運動などで老化のスピードを落とすよう工夫をしなければならない。気分は、若い頃とあまり変わらないつもりでいるが、身体の方が時々悲鳴を上げるので、年齢を感じざるを得ない。

行きは雨だったが、帰りはみぞれ(長山交差点手前)。

行きは雨だったが、帰りはみぞれ(長山交差点手前)。

 全てを終えて、福井で昼食。あちこちへ寄り、最後にショッピングセンターへ。ここで、公開生放送のリハーサルをやっていた。若い二人組が、電子ピアノとギターで歌を歌っていた。

 こんなところで血が騒ぐ。最近、ギターとキーボードとステールギターのトリオでバンドを始めたが、「もっと練習しなければ」と思ってしまった。若者に刺激を受けて、まだまだ何かをやれるのではと思ってしまう。

 身体と心のバランスがとれないまま日々が進んでいくように思う。身体が先へ進んで(歳をとって)、心の方が追いついていかない(若いつもりでいる)ようだ。健康に気をつけなくっちゃと思った一日だった。

(日記 午前中、福井の病院へ。膝と眼を診てもらう。その後、年末恒例の店回り。正月に備えて衣類を買ったり、本を買ったりして帰宅した。帰りは激しい雪。家内が運転。前が見えないくらい雪が降っていた。夜は、明日の紙芝居練習。)

 
 

プールあれこれ

19 12月

プールがどんどん近くに
 今日、何ヶ月ぶりかに家内と近くの市営プールへ泳ぐに出かけた。冬だというのに、泳げるとは時代も変わったなあと思う。プールにはいろいろな思い出がある。

 数十年前のことだろうか。私の村では、福井のNプールまで水泳を習いに出かける子どもがいた。福井までバスで通うとは大変なことだと思っていた。

 そのうちに、大野市にプールができるようになった。私の3人の子どももをそれぞれプールに通うようになった。泳ぎは、命に関わることなので、3人にプールへ通わせたのだった。

 しばらくして、近くに相互スイミングプールができた。この頃には3人の子どもは大きくなり、大野のスイミングスクルールに通ってはいなかったが、近くのプールでいつでも泳げるようにと家族全員で「ファミリー会員」になった。

 しかし、子どもたちが大きくなり、泳ぐ時間もなくなったのでその後は、私たち夫婦だけが会員になり,プール通いを続けた。

 そのうちに、私たちも何となく忙しくなり、週に一度も通えなくなり、プールの会員になることをやめ、泳ぎたいときにお金を払って泳ぐことにした。

 プールへ通うことは健康にはとてもいいとは分かっていても、なかなか通うことができない。今日、何ヶ月ぶりかにプールへ行くと、何人かの知り合いと会った。

 プールでは、歩きを中心に、少し泳ぎ、サウナにな入り、風呂に入り、ジャグジー風呂に入って帰ってきた。久々の運動だったが。とても気持ちがよかった。近くに、プールがあるのに、泳がないなんてもったいない。

 健康作りのために、週に一、二回はプールへ通いたいものだ。泳ぎは全身運動だ。特に冬場の運動不足解消には最高だと思う。

(日記 午前中は、区の道路関係の古い地図を調べた。道も、時代と共に、変わっていくことが分かる。午後は、家内と市営プールへ行く。)

 
 

免許更新手続き

18 12月

70歳になったら
今日は、勝山自動車学校で高齢者(70歳以上)の免許更新のための『高齢者講習』が行われた。午後1時半に自動車学校へ集合。最初の一時間は、法令などの講習。次の1時間は目の検査など。最後の1時間は自動車学校の車を運転してコースを回った。

とうとうそんな年齢になったかと、少し残念ではあったが安全運転のことを考えると、そんなことは言ってはいられない。若い頃に比べると、何もかもが衰えていくのだから。

視力は衰え、記憶力は低下し、体力は衰え、運動神経は鈍くなり……と、全てが衰えていく。そんな中で、車を運転するには、安全運転を守らなければならない。今日の講習に参加して言えることは、スピードを出しすぎないと言うことだ。

地方では、交通の便は必ずしもよくない。従って、車を手放すことは困難だ。高齢者になっても、日々の生活を快適に過ごすには、二つのことが欠かせない。それは、通院と日々の買いものだ。

この二つに不便を感じない地域に住んでいれば、高齢者になっても、何とか安心して生きていけるだろう。しかし、この二つが不便になると、高齢者は地方に住みにくくなる。後は、雪の問題だろうか。

車の便利さは今更言うまでもない。しかし、便利さと共に危険も同居している。歩行者としても、運転者としても、安心してはいられない。運転に関しては、いつまでも初心に返って安全運転を心がけなければと思った半日だった。

(日記 午前中は、数学の参考書編集作業。 午後は、勝山自動車学校で免許更新のための『高齢者運転講習』を受けた。安全運転の必要性を再認識した1日だった。)

 
 

パンを買うとしたら

17 12月

食べたくなくても
もしもの話だが、「食べるものがなくて、パンを食べなければならない」とする。店には、パンが二種類しかないとする。どんなに食べたくなくてもこのパンを買って食べざるを得ない。

選択肢が多ければありがたいが、パンが一種類か二種類しかなかったり、仮に二種類あっても、一種類は明らかにおいしくなさそうな場合には、残りの一種類を買わざるを得ない。

本当は、自分の食べたいパンがあったり、美味しそうなパンがある場合にはよいが、そうでない場合には消費者は選択の余地がなく、悲しい。

何とか、多種類のパン、または、種類が少なくても美味しそうなパンが売られることを望む。さて、これはパンの話だが、もしこれが、パンではない場合はどうだろうか。

アメリカにでは、主に二種類のパンが売られている。売れ筋のほとんどは、民主党と共和党というパンだ。今は民主党パンだが、時々売れ筋が変わる。消費者のほとんどは、この二つのパンを選んでいる。

我が国では、数種類のパンが売られているが、今は、〇〇党パンを買う消費者がほとんどだ。しかし、中にはこの味に飽きた消費者も出始めているようだ。

消費者の願いとしては、店側が売りたいパンよりも、消費者が食べたいパンが売られることを望むが現状では困難だ。パン屋のほとんどは、世襲制だ市、パン屋はフランチャイズ制で、味はほとんど決められている。

こんなパンを作って欲しいという願いがあっても、それは簡単ではない。今は、完全にパン屋主導であり、消費者にはほとんど選択の余地がな区、あり合わせのパンで間に合わせている。

果たしてこれは何の話だろうか。読者の判断に任せたい。選択のない世の中、きっと息苦しい世の中だろうと思う。願わくば、みんなに指示されるパンが売りに出されることを祈る。

(日記 午前中、鹿谷の女性銭太鼓グループの銭太鼓練習用DVD作り。その後、少し数学の教材作り。午後一時半より鹿谷公民館へ銭太鼓の指導に行く。帰宅してから、数学の教材作り。午後7時半より横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。最後に、長女の伴奏で次女達の歌を聴く。)

 
 

参考書作り

16 12月
高校数学を理解しやすくするために
私は、かねてから、数学の参考書を作りたいと考えていた。しかし、やろうにも、あれこれ手を出しすぎて忙しく、なかなか落ち着いて取り組むことができなかった。 
制作中の問題集

制作中の問題集

そんなある日、村の高校生の保護者から、「子どもに数学を教えてもらえないだろうか」と電話がかかってきた。二つ返事で引き受けた。 

高校の数学の指導に関われるなんて望むところだ。制作途中になっていた数学の『参考書(基本例題とその解説書)』作りに再び関わることができると思うととてもうれしい。
 
やはり、私の基軸は数学だ。数学があるから、音楽や絵があるのだ。数学をやっているときが一番楽しく落ち着く。高校生の数学理解に少しでも役立てば光栄だ。
 
一歩ずつ着実に積み重ねて春までには4つの科目のうち一つでも完成させたい。それにはモニターになってくれる生徒がほしいと思う。今回、偶然モニターに恵まれたと思っている。
 
(日記 午前中は、数学の参考書作り。昨日コンビニでコピーした問題を裁断するために公民館へでかけた。午後は、それらを製本し、自作の参考書作り。夕方は、高校生と数学の勉強。生徒のおかげで、高校数学に触れることができる。まだ、数学が指導できると思うとありがたいし、楽しい。)
 
 

冬こそ我が自由の季節

15 12月

創作の季節
いよいよ冬到来。雪国の人間にとっては、冬は厳しい。しかし、厳しいばかりではない。冬が厳しい分、春の有り難みが分かるのだ。雪の下から出てきた水菜を食べるのも雪国ならではだ。

こたつの中に入って本職の数学の参考書作りをするもよい、歌作りを楽しむのもよし、絵を描くのもよし、ため込んだ録画を見るのもよし。今は高ごたつで、アリスの歌を聴きながら、このブログを書いている。

音は、特別に増幅してベース音を聞かせながら聴いている。そして、もちろん録画をしている。いつでも聴けるように。番組に合わせてテレビを見ると言うよりも、こちらの自由時間に合わせて見るためである。

今の時代は、9時から始まる番組みを9時15分から「追いかけ見」をすることも出来る。冬は、外での仕事がない分、全く自分のペースで過ごすことが出来る。

もしも、冬、全く雪が降らなかったとしたら、田舎の人達は落ち着かないだろう。田舎者の性で田畑へ出て何かをするだろう。しかし、雪が降るとあきらめがつきて、自分のペースで自由に過ごすことが出来るのだ。

冬のいやな部分だけに、目を奪われるのではなく、冬の良さに目を向けながら暮らしたいものである。そして、雪の解けた春には、思い切って外へ出て、自然を楽しむのだ。この冬にも何か形のあるものを残したいものだ。

(日記 朝一に、私のワゴン車のスノータイヤ装着。その後、車庫の整理。いつでも自由に除雪機が出せるようにした。午後は、数学の参考書作り。長時間パソコンをにらんでいるので、目が疲れるのが悲しい。目を休めながらの作業だった。)

 
 

汗をかき恥をかく

14 12月

段階パワーを活用せよ!
「さて何を書こうかな」と考えながら、こたつでブログを書き始めた。例によって、録画しておいたビデオを見ながらだ。ビデオのタイトルはNHKクローズアップ現代『団塊パワーを活用せよ』だ。

ブログを書いているうちに、書く内容を変更することにした。内容は取り立てて、新しいでものはない。私にとっては、再確認することだった。それらのいくつかを箇条書きにすると、次のようなものだった。(三菱総合研究所 主任研究員 松田智生氏の発言を中心に)

・リタイヤしたシニアに大事なのは教養と教育。
・リタイアした後、劇的に少なくなるのは「ありがとう」と「おかげさま」と言われること。
・昔の裃が脱げない。肩書きや序列を気にする。

シニアのコミュニティーで
・人気のあるのは、「今何かに夢中になっている人」、「今汗をかいて、恥をかく人」。
・人気のないのは、「過去の自慢をする人」。

大事なのは、今!
・アクティブシニアは、過去を語らず今を語る。
・あるシニアのコミュニティでは、「過去を語ってはいけない」というルールを作っている。

シニア活用で成功している柏市の例
・いきなりシニアを活用しないで、助走期間を設け、講座を開いていること。
・他人から必要とされ、「ありがとう」とか「おかげさまで」と言われるような「承認される」仕組みがあること。
・地域の課題を解決する場がシニアには沢山ある。(地域に必要な貢献ができる仕組みがある。)

・若い人のワーク&ライフのバランスがとれない時間帯にシニアにお願いする。(子育てとか教育などで)
・シニアには、早朝とか若い人が働く時間とか、土日に時間を取ることが可能である。
・結果的に、シニアのおかげで他の世代もハッピーになる。

・高齢化社会は、他の世代にも役立つ。
・地域が、シニアの活躍の場を作る事が出来るかどうかが大切になる。それが地域全体の幸せにつながる。

・高齢者の持っている知識や技能を企業でも活用する模索が始まっている。
・地域はシニアの活躍の宝庫である。
・一歩踏み出す決断力があれば、活躍の場は広がる。

・年賀状に書きたくなるような活躍の場をみつける。名刺を持てるようにする。制度設計も必要である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高齢者、退職者は宝の持ち主だと思っている。これを生かす仕組みのある地域と、そうでない地域ではこれから大きく差ができていくと思う。度量の小さい人が占める地域ではおそらく高齢者の知恵や知識を活用できないだろうと思う。

(日記 朝一に、区の会計事務処理のため区内の数件を訪問。その後、自作の問題集(兼参考書)の編集作業。午後6時近くまでかかった。何とか仕上げたいともう。きっと高校生に役立つと思っている。ずっとパソコンを見ていたので、目は相当疲れた。)

 
 

第二の人生に音楽を

13 12月

軽音楽部OB会
午後7時から、福井県・石川県出身の大学軽音楽部OBが福井駅近くの居酒屋ヘ集まった。我々OBの合い言葉は、“第二の人生に音楽を”だ。

 

一緒にバンドを組んだ仲間と談笑。

一緒にバンドを組んだ仲間と談笑。

今日集まったメンバーは、石川県2名を含む13名。まだ現役の60歳から70歳の私まで年齢に幅がある。この軽音楽部は、昭和37年頃に始まり、約12年ほどで廃部となったらしい。

全員が集まったところで、それぞれが自己紹介。プロでバンドをやった者もあれば、バンドの経験を生かしてテレビ会社へ入社した者もいるなど様々である。私のようにあれこれ楽器をいじった者もあれば、中学時代から60歳過ぎの今まで同じ楽器で通した者もいる。

私も、自分自身を反省すると、「あれもやりたい」、「これもやりたい」で“まと”の絞れなかった人間である。従って、どれもこれも中途半端である。それに比べて、一つ楽器を貫き通した者はかなりの技術があり、うらやましい限りである。

多くの者が、音楽のおかげで、第二の人生を楽しく過ごしていようだ。ほとんどの者が、卒業以来、ある期間は楽器演奏を全く止めていたようである。そして、途中で楽器演奏を再開した者、一昨年のOB会演奏会を機会に再開した者、楽器演奏は全く止めてしまった者などいろいろである。

参加者全員で記念写真。

参加者全員で記念写真。

私にしてみると、今日のメンバーで大学時代、辛うじて知っていたのは3歳年下のK君ただ一人。後は、全くどこの誰だかさっぱり分からないのである。しかし、一昨年からは、まるで同級生か1、2歳年下であるかのように付き合っている。

これも、同じ軽音楽部に所属していたからであろう。これからも、OB会のモットーである“第二の人生に音楽を”を忘れずに、音楽を楽しみ、仲間と付き合っていきたいものである。

(日記 午前中は、区の事務処理。地区内の企業などを回り、最後はJAへ。午後は、数学の基本例題集(セオリー集)の編集作業。高校数学の新課程への変更に合わせて過去に作ったものを編集し直す作業だ。午後5時過ぎ、えち鉄で福井駅前の居酒屋で行われる『福井大学軽音楽部OB会(福井・石川県出身者の集まり)』に向かう。楽しい時間を過ごした。そして、午後11時半過ぎに帰宅。)