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Archive for the ‘芸能’ Category

大衆演芸

21 11月

芦原まで大衆演芸を見に
今日は朝から雨。昼近くに、芦原へ大衆演芸を見に出かけた。ついでに、温泉へ入ることもでき、福井でパソコンソフトを買うという目的もあった。第一部は、演劇で、第二部は舞踊ショウだった。大衆演劇を見ながら、素人で演劇をするのも面白いだろうなと思った。私は、物語を書き、演出をやってみたい気もする。ただし、これは簡単ではないだろう。

大衆演芸の場合、見る人が高齢者や中年以上の女性が多いため、芝居も人情物が多い。途中で、かけ声がかかるばあいもある。舞踊ショウは男性が女装して踊るものが多いが、とても上手だと思った。また、万札を演者の懐へ入れる女性が多かった。

舞踊ショウではいろんな音楽が使われているが、それらを聴くのも楽しい。聞いていると、音楽の中での楽器の使い方など、歌作りに参考になることが多かった。また、歌を作ってみたくなった。

大衆演芸と言えば、思い出すのは、今から50年ほど前だろうか、小舟渡へ来た『三波貴志一座』との交流がある。あるとき、親戚の秋祭りに呼ばれて、神社の境内で演劇を見ているときのことだった。

そこには、小舟渡釜風呂温泉へ来ていた三波貴志一座が出演していたのだ。当時は、福井国体の直前で、私は、勝山の民謡を作ろうとしていた。座長の三波貴志氏は私の歌のイメージにぴったりだと思い、釜風呂温泉へ出向き、私の作った歌を歌って貰うよう頼んだところ、即座にオーケーして下さったのだ。

そして、平泉寺小中学校の音楽室で吹き込みを行い、福井のスタジオでソノシート(簡易レコード盤)を作ることが出来た。それが、今も市民の皆さんが歌い、踊って下さっている『勝山小唄』だ。座長自ら、ノーギャラで吹き込んで下さったのだ。

そんなことを思い出しながら、大衆演芸を見ていた。あのときのように、もう一度、歌を作ってみたい気がしている。そんな機会があるだろうか。これが私の夢の一つでもある。

勉強の後で例によって歌を歌ってくれる孫。これを家内と聴くのが楽しみだ。

勉強の後で例によって歌を歌ってくれる孫。これを家内と聴くのが楽しみだ。

(日記 午前中、区の事務処理。昼頃、芦原温泉で大衆演芸を見る。その後、福井でパソコンのソフトを買って帰宅。午後7時半から、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
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やっぱり「始まれば終わる」

17 11月

どうせやるなら
今日は「いのせ文化祭」。私自身は、午前9時に公民館へ出向き、紅白幕吊り等の作業。多くの役員達は昨日までに作品を作ったり、会場準備をしたりと大変だったようだ。

さわらびの模擬店。南部中学生女子が補助員を務めてくれた。

さわらびの模擬店。南部中学生女子が補助員を務めてくれた。

私は、舞台発表のために、かなりの時間を費やした。午前10時から、文化祭開始。模擬店や舞台などが動き始める。午前11時より式典。

私たちの発表は、午後12時半からだった。オープニングは「あまちゃんオープニングテーマ」を演奏。つづいて77歳のFさんが『千曲川』を歌う。その後、ALTのJさんが『HEY SOUL SISTER』を歌う。

最後は、復興支援ソング『花は咲く』。1番は、Jさんが英語で歌う。2番は、南部中学校の校長先生と同校の「福祉クラブ」のメンバーが歌と手話で花を添えてくれた。

その後、家内達は、衣装替えの関係で二ステージに分けて、それぞれ2曲を踊った。正に、“踊る食生活改善推進員』達だ。夫婦で、ここしばらくの間は、文化祭一色だった。

中学生が綿菓子作り。地域で頑張る中学生が頼もしい。

中学生が綿菓子作り。地域で頑張る中学生が頼もしい。

それも、今日で終わった。最後に、ホールで反省会。いつも思うが、「始まれば終わる」のだ。だとしたら、自分で合点のいくように、真剣に取り組むべきだと思う。

(日記 『いのせ文化祭』一色の一日だった。)

 

みんなで『花は咲く』を歌う。南部中学校のH先生と「福祉クラブ」の生徒達が歌と手話で協力してくれた。皆さんありがとう。

みんなで『花は咲く』を歌う。南部中学校のH先生と「福祉クラブ」の生徒達が歌と手話で協力してくれた。皆さんありがとう。

Jさんが歌ってくれたのは『Hey Soul Sister』。

Jさんが歌ってくれたのは『Hey Soul Sister』。

家内達『さわらび会(食生活改善推進員)』は、模擬店や舞台に大活躍。ご苦労さんでした。

家内達『さわらび会(食生活改善推進員)』は、模擬店や舞台に大活躍。ご苦労さんでした。

 

 

国立劇場で歌舞伎鑑賞

08 11月

日本伝統芸能鑑賞
せっかく東京へ来たのだから、「歌舞伎を見たい」という家内のリクエストで歌舞伎を見ることにした。本当は、新しく出来た歌舞伎座で見たかったが、ネットで調べると切符は完売していた。

そこでやむなく、国立劇場での歌舞伎を見ることにした。チケットはインターネットで申し込み、近くのコンビニで入手した。ネットで自分はどこに座るのかもよくわかった。

私は以前に、歌舞伎を鑑賞したことがあるが、セリフがなかなか聞き取りにくく筋書きがわかり難かった。今回の演し物は、通し狂言『伊賀越道中双六』であった。

日本三大仇討の一つらしい。剣豪・荒木又右衛門の話だが、ここでは、唐木政右衛門となんとなく似た名前で登場するのだ。実話である場合には、こうでなければ、江戸時代には歌舞伎を上演することができなかったらしい。

今回も、セリフが聞き難くなければよいがと思って心配していた。ところが、解説が聞ける音声ガイドを借りることができるのだ。

狂言のわかりにくい内容や、登場人物の名前やセリフ、俳優名などが全て、解説者によって解説してくれるのだ。おかげで、筋書きもよくわかり、歌舞伎を堪能することができた。

また、主役を勤めた中村橋之助ら馴染みの役者が出演し、親しみが持てた。要所要所で演じられる狂言も興味深かった。演者の熱演ぶりに感激した。

歌舞伎役者の演技、声の出しから、見栄の切り方など学ぶことが多かった。楽しい観劇であった。今後の郷土芸能づくりに参考になることが多かった。日本の伝統芸能に触れた楽しい半日だった。

(日記 次女と一緒にアパートを出て、電車で国立芸術劇場のある永田町へ向かった。さすがに日本の政治の中心らしく、いたるところで警備の警察官の姿が見受けられた。国立劇場での歌舞伎終了後、バスで渋谷駅へ向かい、買い物をして横浜の藤が丘駅へ向かった。長男の嫁が車で駅まで迎えに来てくれた。孫たちとは久々の再会であった。例によって「実物さん」といい、抱き合った。夕食後、しばし歓談。夜は長男宅で宿泊。孫達と一緒に寝る。)

 

 

 
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始まれば終わる!

03 11月

「あれやこれやと忙しかった」が
昨日遅く寝たが、午前五時半頃、目が覚めた。しなければならないことが浮かぶ。ここで寝直したら、朝、ほとんど忘れてしまうだろう。心配になって、メモを取る。

起床後、あちこちへ用事に出かける。先ずは、遅羽公民館へ太鼓二組を借りに出かける。その後、子どもたちの太鼓の衣装などを積み込んで『さくら荘』へ向かう。

さくら荘で和太鼓を演奏する親子太鼓のメンバー。

さくら荘で和太鼓を演奏する親子太鼓のメンバー。

午前10時の開会式の式典の後、ステージで子どもたち(幼児、小学2,3年生)とその保護者の太鼓を発表。まあまあのデキだったと思う。

終わると同時に太鼓を積んで事務所へ戻り、若者の太鼓グループでリハーサル。今日も、午前午後と異なるチームで篠笛を吹くことになった。どちらも春駒太鼓だが。

ニューホテルでは、平泉寺のSさんのお父さんの米寿祝賀会で、祝太鼓を披露するためだ。太鼓を積んで移動。慌ただしかった。

午後1時頃、祝太鼓披露。終了後、太鼓を片付けて帰宅。これで一連の忙しさから解放された。全部終わった満足感と、心地よい疲労感。

最近思うこと。どんなに忙しくても、“始まれば終わる”ということ。終わった日のことを思うと、やっぱり一生懸命やっておいた方が悔いは残らないと思う。

昔、生徒達に話したことがある。

知人のSさんの父親の米寿記念祝賀会に出演するために、控え室で準備。

知人のSさんの父親の米寿記念祝賀会に出演するために、控え室で準備。

「試験最終日の午後を想像してみなさい。一生懸命に勉強して最終日の午後を迎えたのと、あまり勉強しなくて午後を迎えたのを。前者は、それなりの好結果が予想され、今日は思い切って遊ぶぞとなるだろうし、後者は、あまりできがよくないことが想像され、何となく浮かない気持ちになるのでは。だとすれば、一生懸命勉強して気持ちのよい最終日を迎えてほしいものだ。物事は、始めれば終わるのだ。」

(日記 午前中は、介護施設『さくら荘』で親子太鼓。午後は、若者達と知人の父親の米寿記念祝賀会で『祝太鼓』を披露。これらの日のために、何度か練習を積んできた。そして、一区切りがついた。夜は、のんびりと日本シリーズ第7戦、巨人-楽天戦を見た。放送時間いっぱい見ていた。途中から、雨中の決戦となり、一球一球が手に汗を握る状況になった。野球の一年も始まったと思ったら、とうとう終わってしまった。楽天、優勝おめでとう。)

 
 

容量オーバー

02 11月

限界超え
朝になっても、午前9時過ぎまで紙芝居の修正作業。そして、10時過ぎに猪野瀬公民館へ行く。人が多いので、紙芝居と言うがパワーポイントで写すことにした。

前回より、少しはましになったと思うが、見ていた人はどう思ったのだろうか。自分ではわかりやすいように修正したつもりだ。でも少しに気になる。

気になると言えば、このような宗教的な紙芝居は浄土真宗の布教活動と混同されないかと言うことだ。自分では、それらとは一線を画しているつもりでいるが、誤解を与えるかも知れない。

さつき苑文化祭で『片瀬豊年ばやし』を演じた。米俵をあげているのは私です。

さつき苑文化祭で『片瀬豊年ばやし』を演じた。米俵をあげているのは私です。

紙芝居を終えるとすぐ帰宅して、昼食。衣装を着替えて介護施設『さつき苑』の文化祭に参加。『片瀬豊年囃ばやし』を演ずる。期待すると、今度は、子ども太鼓のステージリハーサル。

北谷の介護施設『さくら荘』のステージで明日のリハーサル。まあまあのデキだった。帰宅して夕食。その後、区の『11月定例役員会』を開催。帰宅して、長女と明日のステージ練習。

全部で五つの出番。頭が回らないほど疲れた。パソコンの画面に目がついていかないほど疲れた。無理はダメだとわかっていながら、何でもやり過ぎる。間口を狭めなければと思う。

(日記 起床と共に紙芝居の修正作業。午前11時より猪野瀬公民館で紙芝居。その後、さつき苑文化祭で銭太鼓。帰宅して子ども太鼓のリハーサル。午後7時半より区の定例役員会。帰宅して、娘の太鼓練習に付き合う。限界を超えるほど疲れた一日だった。)

 
 

定着するか、盆踊り

17 10月

平泉寺小学校で踊り指導
平泉寺地区では、近年、盆踊り復活を目指す動きがある。先ず平泉寺本村が、3年前から『盆踊り復活』を目指して、50歳代前後の人たちが、祭りで踊りを始めている。

最初の年は、求められて地区の集会所で踊りの指導をさせてもらった。踊り当日は、何年ぶりかの盆踊り復活だった。

児童に盆踊りの意義を話す。

児童に盆踊りの意義を話す。

その際、関係者に「町民運動会で、みんなで踊ったら……」と話したところ、早速学校に話をつけて子どもたちも町民運動会で踊るよう話がまとまった。

このときも、私は踊りの指導を頼まれて小学校まで出向いた。運動会当日は、地区の人たちと共に、全児童と校長先生以下教職員も踊って運動会を盛り上げた。

また、公民館でも踊りの練習会があり、このときにも私は指導させていただいた。昨年も学校へ出かけて踊りの指導を行った。

体育館で、児童と教職員が盆踊りを楽しんだ。町民運動会では踊りを盛り上げてくれるだろう。

体育館で、児童と教職員が盆踊りを楽しんだ。町民運動会では踊りを盛り上げてくれるだろう。

今年も平泉寺の祭りには、盆踊りが行われたらしいが、「今年は自分達だけで練習します。」とのことだった。少しずつ定着している証拠だ。

一方、児童への盆踊りの指導を今年も依頼され、今日、平泉寺小学校へ出向いた。2年生以上は、昨年経験しているので、上手に踊ってくれた。

地元に、“盆踊り復活”の動きがあり、小学校がそれに取り組めば、地域に盆踊りが少しずつ、復活していくのではないだろうか。私は、地元の猪野瀬地区で盆踊り復活に取り組みたい。

勝山市で、地元に学校のない唯一の地区だけにやりにくい面はあるが、なんどか盆踊りの復活を目指したい。猪野瀬では、現在、一団体が熱心に盆踊りに取り組んでくれているので、もう少し広めたい。

(日記 午前中、童話の仕上げ。今週末に『かっちゃま児童文学会』の例会があるのだ。その前に、作品を提出しなければならない。私は、会員に祭り上げられて名ばかりの会長(代表)。今日は『ノラ猫ニャオ太日記帳-おれにまかせろ』を仕上げて、事務局のAさんに届けた。午後1時から平泉寺小学校で全校児童と教職員に盆踊りの指導。その後、サツマイモ掘り。まあまあのでき。その後、知人に送るための里芋掘り。夕食に収穫したばかりのサツマイモを食べた。午後7時半より『爺ちゃん勉強』。今日も変化に富んだ一日だった。)

 
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中学生と食事

15 10月

獅子舞が取り持つ縁
秋祭りで昨年から中学生に獅子舞を舞ってもらっている。なぜ獅子舞か?私の理由は簡単だ。かつては、秋祭りに子供会は、手製の軽い御神輿を担いで村回りをしていた。

軽い竹で台を作り酒樽を乗せて飾りの花を付けただけの簡単なものだった。小学生4人で担げる重さだった。この神輿を担いで各家庭を回り、お供えのお菓子を配りなにがしかの「志」をいただだいていたのだ。

しかし、あるとき、年配者が子供会のために立派な神輿を購入してくれた。しかし、重くて大人でも担いで村の中を歩けない。やむなく、台車に乗せて区内を引き回していた。

祭りで獅子舞を舞う中学生。

祭りで獅子舞を舞う中学生。

長いロープを引っ張っているだけでは、祭りの喜びは少ない。しかし、最近では、子どもも少なくなり、神輿を軽トラックに乗せて運んでいるだけになってしまった。

それならばと、私は自分が子供会育成会の会長の時に、手製の獅子舞をつくり、笛や太鼓の伴奏で各家庭を回るようにした。この獅子舞は子どもたちには好評だった。

しかし、これも途絶えてしまった。そこで、昨年中学生に話を持ちかけると二つ返事で引き受けてくれる者が現れた。いつも元気に挨拶をしてくれるT君だ。彼は、後輩のK君と共に昨年の祭りに手製の獅子舞で舞ってくれた。

今年は、その後輩のK君が仲間を誘って舞ってくれることになった。彼らは忙しいので短時間の練習で舞台に立てるように心掛けた。ただ獅子頭は宝くじの補助金で購入した立派なものだ。

中学生と祖父に当たるような年齢の私が、獅子舞の練習に取り組む姿は、他から見れば不思議に見えるかも知れない。ともあれ、彼らは獅子舞で秋祭りに花を添えてくれた。

今日はそのお礼に彼らと焼き鳥に行くことにした。昨年もそうしてきた。70歳の私と15歳の孫のような彼らが一緒にいること自体が不思議なことだ。

学校のことなどを彼らの口から聞けることは私にとっては幸せなことだ。前を向いていれば、年齢に関係なく、誰とでも会話ができる関係を続けることができると思っている。彼らの前途に幸多かれと祈りたい。

(日記 午前中は、区の事務処理。市役所のいくつかの課へ出向いた。午後は、私の定期検診で福井の済生会病院へ出かけた。夜は、獅子舞を舞ってくれた中学生と焼き鳥屋へ行く。変化に富んだ一日だった。)

 
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勝山にみんなで歌える民謡を

10 10月

昭和40年頃の話
今から50年ほど前の話。昭和43年に福井国体がやってくると決まった。勝山市では、バドミントンやソフトボール、クレー射撃、山岳競技などが行われることになった。
そして、我が家は山岳競技の民宿にもなることが決まった。そんな頃、私が考えたことは、勝山には市民が気軽に歌える全市共通の民謡がないなあと気付いた。

そこで、勝山市民が気軽に歌える民謡を作ろうと考えた。そして、当時の市会副議長が元校長で校歌などの作詞も手がけておられたので、新しい民謡の作詞をお願いした。

曲は自分で作り、旅芸人のMさんらに吹き込んでもらい、ソノシート(簡易レコード盤)にした。そして、できあがったのが『勝山小唄』だ。市内のレコード店で500枚が短期間で売れた。

この歌は、市内の民謡グループに引き継がれてここ50年ほど歌い継がれ、踊り継がれてきた。とてもありがたいとことだと思っている。

私の事務所で楽しく『勝山小唄』を踊る芳野区の皆さん。明日は他のメンバーに伝達するらしい。

私の事務所で楽しく『勝山小唄』を踊る芳野区の皆さん。明日は他のメンバーに伝達するらしい。

ところが、市内でも活気のある芳野区の左義長グループが、左義長の挿入歌として昨年からこの『勝山小唄』を取り入れて下さっているのだ。

そして、今年はこの曲に合わせて踊りも加えたいということで、今日区民の代表10人ほどがビデオカメラ持参で私の事務所へやって来た。

私も、新しく振り付けを考えてあったので、その踊り方を自分なりに教えてあげた。この歌を歌い継いで下さることは、歌を作ったものとしてとてもありがたいと思う。その上踊りまでとなれば最高だ。

みんなはノリノリで汗をかきながら踊りを楽しんでおられた。この芳野区は月に4回ほど出番があるらしい。楽しい時間を過ごすことができた。

(日記 午前中、紙芝居の絵描き。午後は、米糠を法人の農舎から自宅へ運んだ。米糠を受かって燻炭を作るためだ。炭は、植物に好影響を与える微生物にはよいらしい。夕方、生姜を収穫する。酢漬けを作るためだ。午後7時から芳野区の皆さんが『勝山小唄』の踊りをマスターするために我が事務所へやって来る。午後8時から銭太鼓の練習。結構ハードな一日だった。)

 

遅羽で息づく二つの流れ

06 10月

三室祭りを見て
今日は遅羽町の三室祭り。今年の関わりは、社会教育指導員のOさんに頼まれ

新曲の演奏をする三室太鼓の皆さん。合格点の演奏だった。

新曲の演奏をする三室太鼓の皆さん。合格点の演奏だった。

て三室太鼓の為に新曲を書いた。その練習のために、ここ二ヵ月間毎週木曜日に遅羽へ通った。

そして、今日がその発表日。朝練習のために、午前8時半に遅羽児童館へ出向いた。その後、直前練習のために、午後1時半に再び、遅羽児童館へ。

そして、遅羽の太鼓が始まった。子ども太鼓から、大人子どもの混成チームと演奏が進んで、いよいよ今日初めて人前で演奏する新曲『三室』。

二ヵ月間の練習にしては、まあまあのデキではなかっただろうか。遅羽での太鼓指導はもう十数年は経つだろう。私の作った太鼓の曲が十数年間この地で生き続けている。

今日は、十年ぶりぐらいの新曲だろうか。一度も指導することのなかった中学生も二人参加していた。ここ二ヵ月間ですっかり知り合いになった。和太鼓を通じて、若者と知り合いになれるなんてうれしいことだ。

子どもから、大人まで、各世代が和太鼓を演奏。きっと、これからも、子どもたちが遅羽の太鼓を継いでくれるだろう。

子どもから、大人まで、各世代が和太鼓を演奏。きっと、これからも、子どもたちが遅羽の太鼓を継いでくれるだろう。

もう一つは、三室祭りの最後を飾って『盆踊り』が行われたことだ。みんなで踊った5曲のうち、2曲は私の作詞・作曲、1曲は作曲のみ、1曲は県内の民謡を私がCD化したもの、最後の一曲は演歌であった。

その中の一つ、『遅羽ほがらか音頭』は地元の若い衆が歌い、最初と最後に踊られた。私も盆踊り復活をライフワークの一つとしているのでとてもうれしかった。

特に、小学校高学年の児童が浴衣姿で参加しているのが可愛らしくうれしかった。学区の子どもたちが踊ってくれることがうれしい。子どもたちが、踊り伝えてくれるのではないかと思うと頼もしくなる。

平泉寺でも、同じように『盆踊り』が復活しつつある。今月20日に行われる町民運動会では、地域全体で盆踊りを踊ることになっている。私は、平泉寺小学校の児童に対して踊りの指導を頼まれている。

小学生は浴衣で、踊りに参加。地元の若い衆が歌った。町民も参加して踊りを盛り上げていた。

小学生は浴衣で、踊りに参加。地元の若い衆が歌った。町民も参加して踊りを盛り上げていた。

和太鼓と盆踊り、私の関わった二つのことが、遅羽では見事に生き続けている。ありがたいことだ。地域に学校のあるよさでもあろう。我が猪野瀬のみ、地域に学校がないのだ。このハンディーを何で補うか、少し考えてみたいものだ。

(日記 午前8時半より、遅羽の太鼓の朝練習に付き合う。午後1時半、同じく直前練習に付き合う。その後、遅羽の三室祭りを見る。抽選会、最後の餅まきまで楽しんで帰宅。その後、家内と二人でショウガの収穫。夕食後、ウオーキング。楽しい一日だった。)

 
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