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Archive for the ‘生き方’ Category

バランス……デジタルとアナログ

03 3月

心掛けていること
私はパソコンのファンだ。一日のうちかなりの時間をパソコンに費やしている。そのためだと思うが残念ながら「ドライアイ」になってしまった。このパソコンでは一つはバンド練習のための編曲とCDや楽譜作りを行っている。

自分としては、パソコン(デジタル)と楽器演奏(アナログ)の両方を重視しているつもりでいる。楽器を演奏し、歌を入れて慰問などの音楽活動を続けたいと思っている。

自分でカラオケを作り、楽器の個人練習をしているが、これもパソコンのおかげでできることだ。ギターを弾く私の仲間の練習用のカラオケも作っている。彼も、個人練習としてCDに合わせてギターを弾いているのだろう。歌を歌う仲間もそうだ。

また、自作の民謡や市内の民謡のCDを作ったが、これらを使って実際に盆踊りを行ったり、銭太鼓を行っているが、これもデジタルとアナログの融合ではなかろうか。

パソコンで絵を描くことも多い。ほとんどは紙芝居に使う絵や簡易アニメーションのため絵だ。これも作った紙芝居を持ってあちこちで演じている。幼児とその保護者の前での実演も多いが、これも自分としては、デジタルとアナログのバランスをとっているつもりでいる。

このほか、パソコンを使って小学5年生の孫に勉強を教えている。勝山と横浜の遠隔指導だ。4、5年になるだろうか?「じいちゃん勉強」と称してスカイプで顔を見ながらの算数と国語の学習指導だ。便利な時代になったと思う。

勉強の後は、他の孫達との会話を楽しむこともできる。小学2年の孫の「読み聞かせ」に付き合うこともできる。これもデジタルとアナログのバランスではなかろうかと思っている。

今やパソコンは私にとっては欠かせないツールだが、これでゲームをしたり、ネットをただ眺めていることは皆無だ。あくまでも、何かをするための、創作のためのツールだと思っている。もしも、これが私の若いときにあったらどうなっていただろうか?必ずしも手放しでは喜べないだろう。これからの時代はどうなっていくのだろうか?

 
 

10年前に考えたこと① 教師の職業病

17 1月

40年前の恩師の言葉 2005-12-15

私の恩師(校長だったN氏)が、今から40年前に私たちに語った言葉がいくつかある。その中に、『教師の職業病』というのがあった。教師がかかる病気とは、常に白墨(チョーク)を使っているので、その粉をすって肺でも悪くすることかと当時は想像したが、全く違っていた。

教師は、通常、子供の前に立って授業を進めることが多い。また、保護者からはどんな新米でも「先生、先生」と呼ばれて、自分に力がなくても形式的には一定の身分が保証されている。

周りの者が苦々しく思っても、子供を人質に取られているだけに思うことも自由に話すことが出来ない。そこで保護者は、当たらず触らずにして一定の距離感を保っている。

こうした状況に気が付かないまま長年教師を務めていると、世間の者まで生徒に見えてしまうのか、その対応の仕方が子供に対しているように、自分が立場的に上にいるような態度をとることが多い。

そして、退職後も「先生、先生」と呼ばれて、すっかり世間の常識から外れてきてもそれに気が付かず裸の王様のごとく振る舞ってしまう。

こうした状況を我が恩師N氏は、『教師の職業病』と称して、私たちに気を付けるよう諭したのである。

この病気にかかった先輩も少なからず世間にはいる。そこで私は、時々このことを思い出して部課長のみなさんに話すことがある。

「よきリーダーになれ。かつまた、よき兵隊になれ」と。役職で動く部分と役職を離れて一市民として動く部分があれば簡単にはこうした病気にはかかるまい。

(今も心すべきことである。)

 

バランス

02 1月

バランスが欠けていては
世の中にはバランスが必要だと思っている。個人であれ、団体であれ、地域であれ、国家であれ、……。
一人の人間においてもバランスは必要だと思っている。「私は理系だ……」とか「私は文系だ……」という人がいるが、一人の人間の中にどちらも必要ではなかろうか。理系の学問をする人でも、どこかで文系的な思考が必要になろうし、その逆もあり得る。
“ワーク・アンド・ライフ”バランスと言う言葉があるが、働くことと日頃の生活のバランスがとれていなければならないように思う。人間は、働く機械ではないのだから。
「生きるためには、生活が多少犠牲にしても仕方ない」という仕事優先の生活を送っている人は少なくないだろう。しかし、「仕事(ワーク)と生活(ライフ)のバランスがとれている方が、仕事にも好影響があるように思われる。
特に、高齢化社会になった現代こそ、すべての人にワーク・アンド・ライフバランスが必要だと思う。
政治の世界でも、与党と野党のバランスは必要だと考えている。一強多弱と言われる今の政治の世界は、決めるという点ではメリットがあるだろうが、民意を汲み取る力に欠けるのではなかろうか。
今の世界情勢を見ていると、結局は力が幅をきかせているように思えてならない。軍事力、経済力……。力が幅をきかす世界では当分の間はテロのような問題が後を絶たないのではないかと気にかかる。力に対して文化の力で、世界の人たちが共存できないのだろうか。
勝つか負けるか、持っているかいないか、効率がよいか悪いか、といった価値観だけではなく、人間として心地よく感じるものにも価値を見いだすことのできる生き方をしたいものである。
 

 

一区切り

31 3月

日記2年・ブログ5年
私は、中学時代には毎日『勝中日記』を書いていた。高校以降は、書いたり書かなかったりで、あまり長続きしなかった。

上から、座っての音楽遊び、紙芝居、立って全身を使っての音楽遊び。一番下は、家庭菜園作業(ジャガイモ植え付け前の耕耘作業)。

上から、座っての音楽遊び、紙芝居、立って全身を使っての音楽遊び。一番下は、家庭菜園作業(ジャガイモ植え付け前の耕耘作業)。

しかし、66歳の時に、そろそろ退職だと思い、「この1年間、日記を書こう」と決め、一年間一日も欠かさずに書き続けた。しかし、退職が予定より一年延びたために、さらに1年、一日も欠かさずに日記を書いてきた。

そして、退職を機に、ブログを書こうと決め、今日でちょうど5年になった。毎日書くということは、時には自分にとって負担になったこともあった。しかし、後から見ると面白い記録になった。まさに「残日録」であった。

書き始めた動機は、長女は福井へ嫁ぎ、長男家族は仕事の関係で横浜へ移り、次女は大阪で勤務(その後東京へ転勤)しているために、私達夫婦の様子や勝山の行事などを子ども達に知らせたいということであった。

しかし、次女が今年、東京で結婚したため、3人の子どもが全て家庭を持つことになった。私達夫婦の肩の荷も下りた。その時点でこのブログを止めようと思ったが、3月一杯で一区切り着けようと思い直した。明日からは、どうするかはまだ決めてはいないが、少なくともこのままの形は止めて出直したいと思う。

もしも、家族以外で見て下さっている方がおられたら感謝したい。
ご愛読、どうもありがとうございました。

(日記 朝一に、紙芝居と音楽遊び練習。正午に自宅を出発し、松岡児童館へ。たくさんの子どもが集まっていた。午後1時過ぎに開始。先ず、音楽遊び3曲。そして、紙芝居(人数が多いのでパワーポイントで)。最後に、音楽遊びを1曲。全部終わった後、子ども達へメッセージ。この児童館へ来るのは2回目。お世辞かも知れないが、「また来て下さい」とのことだった。帰宅後、3時過ぎから家庭菜園作業。畑を耕し、ジャガイモを植えた。充実した一日だった。)

 
 

「マッサン」終わる

28 3月

「チャレンジ」と「アドヴェンチャー」
毎日録画して見ていたNHKの「マッサン」が終わった。ドラマではあるが、実話をもとにしているのではやり現実感がある。

現役時代の私は、いろんな場面で原稿を書いたり、話す機会をいただくことができた。そんな中で、世の中にはいろんなものが「ある」のではなく、「誰かが作ったもの」だと何度か書いたことがある。

学校が“ある”。会社が“ある”のではなく、誰かが苦労をして学校を“創立した”のであり、会社を“創業した”のだ。それを忘れて単に“ある”で片付けるのは情けない。

今回のドラマもそれをよく表している。「サントリーウイスキー」や「ニッカウイスキー」も、あったのではなく、日本で作ったということだ。それも日本人とスコットランド人の夫婦が作ったと言っても過言ではない。主人公の女性が常に口にしていた言葉が、「チャレンジ  & アドヴェンチャー」だった。恥ずかしながら私のモットーは「ドリーム & アクション」だが。

世界一になったウイスキー(ネットより)。

世界一になったウイスキー(ネットより)。

このドラマの主人公となった竹鶴さんの名前を冠した『ニッカ竹鶴17年ピュアーモルト』が、「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA) 2014」の「ブレンデッド・モルトウイスキー(ピュアモルト)部門」でただ一品に与えられるえ世界最高賞が認定されたとのことだ。凄いことだと思う。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。午後は、最後の車のスノータイヤ入れ替え。そして、庭木の雪囲い外し。天気がよくて、気持ちのよい一日だった。)

 

 
 

繰り返すこと

18 3月

繰り返すことに感謝
つい先日、雪囲いをしたと思ったのにもう3月中旬。あちこちで春の足音が聞こえる。今日は気温も高くなるというので、雪囲いを外すことに決めた。

ただ、庭木だけはもう少し今のままにしておきたいと思う。雪が降らないとも限らないからだ。午前中に、家の前後の雪囲いを外した。

毎日もそうだが、1年も繰り返している。繰り返しを感ずるのは、家庭菜園などの農作業、雪囲い、そして、種々の地域の行事だろう。

毎年、種々の行事や日々の暮らしを繰り返しているが、これらを繰り返していられることを喜ばなければならないと思う。繰り返されなくなったら、大変だ。

平凡な日々の繰り返しの中で、「毎日パワー」を信じて、いくつかのことにチャレンジしているが、それらの進み具合や出来具合が単調な日々の暮らしに変化を与えていてくれる。退屈しないでいられるのはこれらがあるからだ。これからも、自分の能力に合わせて、小さなことから積み重ねていきたい。

(日記 午前中は、雪囲い外し。例によってラジオを聴きながらの作業だった。午後は、バンドの編曲作業。各自の演奏能力もあるので楽譜作りは難しい。)

 
 

永代経

15 3月

子どものことから寺(道場)に親しんだ世代
私達、70歳前後より上の世代は寺(道場)に親しんだ世代であると思う。というのも、私達が子どもの頃は、道場が宗教活動の場であるばかりではなく、集会場として各種の会合が行われたり、文化会館として巡回映画や芸能発表を行った場所である。

また、夏休みにはトランプなどをして遊んだ場所であり、ソロバンを習ったり勉強をした場所である。村の大人や子どものたまり場だったのだ。

今は、ほとんど宗教関係の場となった。今日は『永代経』だ。「永代経」は「先祖への永代の追善供養」という意味もあるが、浄土真宗における「永代経」は、「先達・先祖を御縁として私が経(教)を頂き未来永代に伝える」という意味もあるとのことだ。

言い換えれば先祖のおかげでこうした村のみんなが集まることができ、私達がお経を聴くことができたとも言える。最初は文字通りお経をあげられたが、その後はほかのお寺から招いた住職による「説教」だ。

自分を見直すよい機会にはなった。両親が早くなくなったので、お寺へ顔を出す機会は他の人たちよりも多いかも知れない。今日は家内と一緒だったが、自分にとってはよい機会だったと思う。

(日記 午前9時半より道場での『永代経』に出る。途中で説教を聞く。午後は、紙芝居の絵を描く。作業は夜まで続いた。)

 

 
 

コミュニケーション

13 3月

タイミングよく話しかけること
知らない人と居合わせたとき、無言でいるのは私にとってはバツの悪いものだ。しかし、うかつに話しかけて相手の気分を壊すような事もしたくない。話しかけてよかったと思う事も少なくない。

「その1」私は週に一回は市営プールへ行っている。サウナの中で知らない人と無言でいるのは苦痛だ。一言話しかけたら、いつの間にか会うたびに話すようになった。今では友達のようだ。

「その2」ジャズコンサート。家内と二人で行ったが、席はばらばらにしか取れなかった。家内は隣の女生と話している。wあたしも、隣の若い男性に話しかけた。二人席にいながら黙っているよりもよほど楽しい。

「その3」出張時の新幹線の車内。隣に見知らない女性。ちょっと話しかけてみたらどんどんのってきて世間話をすることができるようになった。田舎を出て東京で暮らしているという。都会と田舎の違いも話してくれた。退屈せずに東京へ着いた。

相手を見なければならないが、人によっては向こうも話したい場合がある。時と場合にもよるが、お互いにプラスになることも少なくない。iPhoneやゲームやゲーム全盛の時代に顔を合わせて話すことも悪くない。

(日記 午前中は紙芝居の絵描き。午後は、家内とプール。何人かの知らない人と話すことができた。)

 
 

3.11に思う

11 3月

復興は半ば
ここ数日間、東日本大震災の特集がテレビや新聞で続いている。沿岸各市町村の復興状況にもばらつきがある。そんな中で、福島県沿岸地域の状況は他の地区以上に深刻な問題を抱えている。

津波被害によって肉親を失われた家族の苦しみは私達の想像を超えている。また、ほぼ無期限に我が家へ戻れない人達の苦しみ、経済的な負担、いつ終わるか分からない避難生活、高齢者には特に苦痛であろう。このような災害がなくても、今、日本の地方では地方への人口移動による「地域消滅」の危機に瀕している。その上の災害だから、深刻さは私達の想像を絶する状況であろう。

そんな中で、国の対応は柔軟さを欠いているように思わざるを得ない。現場感覚を欠いた言動が多すぎるように思えてならない。避難地域などの機械的な線引きは被害者の中に対立を生んでいる。

原発についても、いろんな意見がある。必要性は分からないでもないが、その前に、やっておくべきことがあるのではなかろうか。「核廃棄物の処理方法と場所」、どんなに新しい原発でもいずれ廃炉になるのだから「廃炉技術の確立」、そして、「動かす場合の安全性の確保」が大切ではなかろうか。こうしたことが曖昧のまま、再稼働に前のめりになっている一部の関係者、政府関係者。自然災害に人災が加わらないことを祈るばかりである。被災地の人達に対して私には何ができるのだろうか、考えさせられる一日だった。

こんな中で、福井新聞の記事「拓く力」の人材・組織開発プロデューサー若新氏の発言には同感できることが多かった。
「人間そのものは高見を目指す生き物だ。経済の成長というより、文化的な成長を目指してもいいのではないか。経済に過剰に投資しすぎていないか。……。豊かな時代に必要な教育や会社の在り方は、目標を達成させることではなく、自ら働く意義を見つけさせることだろう。」

(日記 午前中は数学。午後も3時頃まで数学。その後晩ご飯までドラム練習用カラオケ作り。ずっとパソコンを見ていたので目が疲れた。でも充実した一日だった。)

 
 

高齢化社会に何ができるか

10 3月

「老人会定期総会」に参加して
老人会に入って2度目の総会。しかし、総会は20分ほどで終わった。次の健康講座まで約40分の時間がある。そこで、私は提案した。

「せっかく皆さんが集まっているのだから、テーマを決めて話し合いをしてはどうですか。」と。そして、話し合いが始まった。「高齢化が進んでいるが、私達には何ができるのでしょうか。これからもこの片瀬に子ども達が住み続けるでしょうか」などと。

さっそく新しく片瀬に入って来たMさんが意見を述べた。「勝山には若者が働く場所がない。私も、勝山へ戻ってきたが、仕事を探すのに苦労をした。県内はもちろん、県外にも働きに行きました。」と言うことだった。

他にも、仕事場がないという意見が多く出された。確かに仕事場がない。そのために、若い者は福井まで働きに出なければならない。そのうちの何人かは子どもができて福井で住み始めている。

そんな中で、私達には何がで来るのだろうか。将来の片瀬を支える子ども達とどう関わることができるのだろうか。私はすることがあると思っている。片瀬で、猪野瀬でアクションを起こしたいと考えている。

(日記 午前中は、9時半から「片瀬老人会」の定期総会。その後、健康講座。そして、軽い体操指導。そして昼食を兼ねて懇親会。終了後、ストーブを囲んで雑談。午後3時からワゴン車のリコールと12ヶ月点検。終日雪が降っていた。冬が逆戻りのようだ。夜は録画したビデオ鑑賞。)