RSS
 

Archive for the ‘未分類’ Category

終わったー!

25 9月

祭り盛り上げプロジェクト
  秋祭りを盛り上げたいという区長らの願いに応えて、いろいろな取り組みをしてきた。特に私は、村の伝統の銭太鼓を村独自のものにすべくかなり努力してきた。先ずは、曲作り。どのような音楽が銭太鼓にふさわしいのかを研究するために、三味線グループの会でいろんな民謡を聴かせていただいたりした。

   そして、先ず音楽ができた。音楽に合わせて銭太鼓の振り付けを考えた。自分で銭太鼓のバチを振りながらあれこれ考えた。そして、実際にメンバーに試してもらいいくつかを変更した。その後、歌のない音楽だけのCDをつくった。これで男性の練習だけはできるようになった。

  毎日、CDを聴きながら歌詞を考えた、なかなかことばが出てこなかった。本当に苦しかった。ようやく歌詞を作り、『片瀬豊年ばやし』として歌が出来上がった。次が吹き込みである。前歌は、他にも適任者はいたが、わざわざ我が家まで足を運んでもらうわけにも行かないので、医大の主治医にお願いして入院中の家内に吹き込んでもらった。

  本歌は、親しくしている大野の旭さんに吹き込んでもらった。旭さんは安心して任せられる私の歌作りのよき協力者だ。こうして歌の入ったCDがようやく出来上がった。そして、最後が女踊りだ。女踊りの振り付けもかなり苦労した。それは銭太鼓とある程度は調子が合わなければならないからだ。

  そして、今日は本番の片瀬の祭りであった。午前中は子供御輿もあった。娘夫婦が祭りにやってきた。しかし、午後7時半には食事中の娘の家族を自宅に残して集会所へ行き、最後の練習をした。しばらく練習して片瀬の白山神社へ移動。

『浦安の舞』の指導に当たられた福井木田神社関係の方々、平泉寺の武内さんなども最前列で見てくださった。

かがり火の中で演じられた中学生による『浦安の舞』

  中学生の『浦安の舞』は感動的であった。次が、いよいよ『片瀬豊年ばやし』の初披露である。神様に一礼して本番が始まった。私は、締太鼓を受け持った。あっという間に終わってしまった。

 6月以来の長い一連の取り組みが終わった。心地よい疲労感と共に一日が終わった。

感動的だった『浦安の舞』

新民謡『片瀬豊年ばやし』による銭太鼓と女踊り。『片瀬豊年ばやし』を演じた中年会・壮年会・婦人会有志。前列左端が私(締太鼓を担当した)。

 
 

歌の力

24 9月

矢戸口ええとこ音頭
  私は、いくつか、自己流で地域の民謡を作ってきた。そうしたことを知っておられる方も市内には少なくない。昨年のいつごろだったでしょうか、鹿谷町矢戸口の田部さんが、歌詞を持って訪ねて来られた。

「民謡を作りたいんですが、曲を付けてもらえませんでしょうか」
ということだった。私は、頼まれたことは心易く引き受けることにしている。自分のできることなら断ったことがない。

 いつまでという期限がなかったので、気軽に考えていた。そして、今年になって、田部さんが受講していた市民大学講座の講師である旭さんに歌唱をお願いして、CDにすることができた。そして、田部さんにお渡しした。

  その後、この歌のことはまったく忘れていた。ところが、今朝起きて福井新聞を見ると、この歌のことが出ていた。地元の人達が振り付けして今週末の日曜日(後祭り)にみんなで踊ると書いてあった。歌を作った者としてはとても嬉しい。

今朝の福井新聞に載った『矢戸口ええとこ音頭』に関する記事

ふるさとを見直す歌の力
 作詞の内容を見ていると、矢戸口区のすばらしいところ、例えば、薄墨桜などが書かれている。ふるさとの素晴らしさに溢れている。さすがは地元の方が作った詞だと感心した。

  「矢戸口はすばらしい」と言葉で述べることは簡単ではない。何度も何度も同じことを言うわけにはいかない。しかし、歌にすれば、何度も何度も聴くことができる。しかも、話し言葉とは違って簡潔で、メロディーがついているので繰り返されても、不愉快ではない。

  歌なら百回聴いてもおかしくはないが、同じ話を百回聴くことはできない。10回すら聴くことはできないだろう。まして、「私の町はすばらしい」と話し言葉では何度も話すことはできない。歌なら、踊りも振り付けられるし、何度でも聴いて楽しむことができる。

  歌に踊りを振り付けをすれば、多数の人間が同時に楽しむことができる。踊りの練習に区民が集うことができるし、コミュニケージョンの輪が広まる。子供から高齢者までこの歌のもとに集うことができ、世代間交流も深まる。健康にもよい。いろんな場面に利用できる。歌にはいろんな力がある。

 子ども達にふるさとの良さを伝えることもできる。歌にして歌えば、楽しいだろうし、地域の魅力を再認識することができる。時には、話し言葉よりも何倍も大きな力を持っている。これからも歌作りを続けていきたいと思う。

矢戸口ええとこ音頭』です。容量の関係で2番までですが、聴いてみてください。
矢戸口エエトコ音頭 歌2人 2番 ブログ用

(日記:午前中、定期検診のために福井の病院へ行く。午後、家内の入院している医大へ。帰宅後、民謡の振り付け用紙を作り直す。午後7時より銭太鼓の練習。今日も結構忙しい一日だった。)

 
 

神社でリハーサル

23 9月

あと一息
  いよいよ片瀬の秋祭りも近づいてきた。今年は、祭りを盛り上げようということで二つの試みがなされている。一つは、中学生女子による『浦安の舞』の奉納。そして、もう一つは、片瀬伝統の銭太鼓を片瀬固有の者にする取り組みである。

  今年は、各種団体に任せるのではなく、有志による出演ということになった。というのも、各種団体に任せると、負担が多くなり、会長あたりが苦労して「止めてほしいと悲鳴を上げかねないからである。従って、今年の活動は全て試行である。

かがり火を焚いて本番さながらの雰囲気の中で舞う『浦安の舞』(於:片瀬白山神社拝殿)

  そうこうしているうちに、祭りまであと二日となった。今日は神社の拝殿で、奉納する二つの演目のリハーサルを行った。先ずは、中学生の浦安の舞であるが、かがり火の中で厳かに舞い、感動的であった。彼女たちが主役になる日ももうすぐである。

   次に、新作民謡『片瀬豊年ばやし』に合わせて、銭太鼓と女踊りが行われた。まだ練習不足である。しかし、何度も何度も練習した。帰り際にはかなりできるようになった。今後、練習を積めばさらによくなるであろう。

(日記:午前中は数学のホームページづくり。主に問題入力を行った。午後は、ホームページについての勉強。まだまだ、自分の想いをホームページで表現できない。
 午後7時半から、村の白山神社の拝殿で秋祭りのリハーサルを行った。かがり火を焚き、照明も考えての本格的なリハーサルであった。)

衣装を付けて新作民謡『片瀬豊年ばやし』を舞う中年会と婦人会の有志(於:片瀬白山神社拝殿)

 
 

今日は数学漬け

22 9月

時間がかかる数学の問題入力
  私は、ホームページで数学講座を展開しようとしているが、問題や解答の入力が本当に難しい。全て、画像として処理している。普通の文章のように入力できたらどんなに楽だろうにと思う。今は、数列の基本問題を入力している。

   雨が降るので、朝からずっと事務所で問題と解答を入力していた。しかし、大切なのはこれからだ。これらの問題をいかに楽しくためになるように解説するかだ。例題を解くのではなく、例題で考えてほしいのだ。数学を強くするだけではなく、数学で考える力を養ってほしいのだ。

  世の中へ出たら、正解のない問題ばかりだから、よく考えて少しでも世の中をよくしてほしい。数学を通して、考えることの楽しさを学んでほしい。考えることは、実は楽しいことなんだと思う。無から何かを生み出すことは生きがいにもつながる。たとえ粗末なものでも、創作することは楽しい。私には、何かを考え出すことは生きていることと同義語だ。い。

  若い人たちには、ぜひとも考える楽しさを味わってほしい。

本番を前に試着してみた衣装。『片瀬豊年ばやし』にふさわしい。

(日記:午前と午後、事務所でホームページ作り。今日は、我が『春駒太鼓』の練習日だ。うれしいことにメンバーが一人増えた。小学生時代に和太鼓を教え、高校になっても和太鼓を教えたIさんだ。一人でも増えることはうれしい。また、片瀬の銭太鼓の練習も行った。女性も衣装を着けて踊ってみた。まだ、踊りを覚えている最中だ。土曜日のは本番にはどうなるだろうか。男子もまだ、振り付けを覚えきっていないので心配だ。)

 
 

“片瀬”のブランド化は可能か?

21 9月

一人ひとりが異なるように
  世の中へ出たら答えのない問題がいっぱいある。それらに対して、知恵を出し、想像し、創造しながらよりよい解決策を見出す努力をすべきである。世の中に数え切れないくらいの人がいるが、それぞれ異なる人である。

 そうした人達が、それぞれの立場で考え、知恵を出し合えば、よりよい社会を築くことができるように思う。しかし、こうしたことは、口で言うのは簡単であるが、実際には簡単にできるものではない。

  世の中が便利になった分、自ら考える必要がないのでる。ものが溢れ、多くのものはそれらを追い掛けているだけである。子供の遊び一つとってみても、与えられてものを使って遊ぶだけで、使い方に工夫はあっても、一から考える必要などないのである。

  こうした時代の子ども達に対して、大人達は何ができるだろうか。少なくとも私は、自ら創造し、創造しなければならないと思っている。それは難しい使命感からではなく、楽しいからである。大人が前向きに生きれば、創造的に生きれば、その背中を見て次の世代もそのように生きると思う。

『片瀬豊年ばやし』が目指すもの……“片瀬”のブランド化
  単に昔の銭太鼓を、形を変えて復活させようというものではない。この伝統芸能を通していろいろな方面へ発展させることができると考えている。少なくとも村の活性化には貢献できると思っている。

出西ショウガの産地(島根県斐川町 ’09.8.28)

 我が片瀬では、農業の後継者不足解消を目指して、『農事法人かたせ』を作って、会社形式で農業をやっている。そして、今、法人の農舎を増築している。将来は、米の乾燥も自前でやれるような建物の構造になっている。

  現在は、JAのカントリーへ籾を運んで乾燥し、臼スリ(籾の皮をむき玄米にする)を行っているのである。定められた日に猪野瀬の各集落、平泉寺の各集落などの米が混ざり合ってしまうのである。

  これでは、ブランド化しにくい。片瀬の米は、片瀬で育て、稲刈りをし、乾燥し、玄米にし、精米して消費者に販売できるようにすべきであろう。どこの誰が作った米かわからない今の状態よりも、米作りに対して、意欲が湧くのではなかろうか。

  『片瀬豊年ばやし』は、“片瀬”をブランド化する一つの方法であると思っている。片瀬固有の郷土芸能にするために、もっともっと工夫して、各地で披露しながら、“片瀬”という名前を広めることができればと願っている。

出西ショウガ組合長の永富さん宅(’09.8.28)

  今回は、各種団体ではなく、有志によって『銭太鼓』の練習をしているが、毎日同じメンバーが集まるので、一種の連帯感ができている。時には農業の話が出ることもある。

  歌詞に書いておいたが、かつて“里芋とショウガ”は片瀬の代名詞であった。現在の私営体育館でNHKの「のど自慢大会」が行われたときには、片瀬の“里芋とショウガ”が全国に紹介された。昔の「NHKのど自慢」では、それぞれの土地の特産物が番組の冒頭で紹介されたのである。

  今は、どちらも片瀬の特産物と言えるほどの知名度はない。ショウガは特産物とする価値があると思っている。私は、昨年、家内と2人で島根県の『出西ショウガ』の産地まで出掛けて、出西ショウガ組合長の永富さんご夫妻にお会いし、畑を見せていただき、いろいろ話を聞かせていただいたのである。

   ショウガ出荷の倉庫には、あのタレントのベッキーやKABAちゃんやお笑いタレントのサイン色紙が沢山並んでいるのである。そして、毎日この出西ショウガがクール宅急便で全国に出荷されているのである。

  出西ショウガの初出荷日には、テレビカメラが入るとのことであった。それと、物語性もあるのである。神話の國、出雲方面から流れ来る霧がショウガの生育に独特の効果をもたらしているという話も聞いた。

  因みに、片瀬は白山を開いた泰澄大師ゆかりの山、大師山に抱かれているのである。そんなわけで、このことは『片瀬豊年ばやし』の1番に書いておいた。片瀬のショウガは、世界遺産を目指す“霊峰白山”から流れ出る水で育っているのである。

   ショウガの薬効には目を見張るものがある。 低体温になりやすい現代人にはショウガの薬効はすばらしい。こうした宣伝と共に、“片瀬ショウガ”を売り出すことだって不可能はないのである。

  かつては、高齢者が、北は大野市はもちろんのこと上庄、美山地区まで、南は勝山市は当然のこと、上志比、永平寺、松岡辺りまで売り歩いたのである。私の祖母も、背中にショウガを担いで勝山市内はもとより、大野市まで売り歩いて、貴重の現金収入を得ていたのである。

 “片瀬”をブランド化する一助になればと考え、拙い『片瀬豊年ばやし』を作っているのである。そうでなければ、ド素人の私が歌を作り銭太鼓と女踊りの振り付けを考える必要など全くないのである。

(日記:午前中、数学のホームページ制作。昼近くに産業支援センターへ出かけて本を返却し、DVDを3本と本(『農業で創業』)を借りる。その後、家内の入院している医大へ行く。毎日リハビリで筋肉痛とのこと。早くいっしょに旅行をしたいものだ。4時から河間先生に『津軽じょんから節(三味線)』の個人指導を受ける。結構変化に富んでいる一日だった。昼は偉大で外食だったが、後は、自分で作って食べた。少しはなれたが、毎日かなりの時間がとられる。)

 
 

片瀬をふるさとに

20 9月

子ども達に活躍の場を
  私達の子ども時代は、村の先輩や大人達から叱られもしたが、教えてもらったことも少なくない。例えば、煙草の乾燥場へ行けば、火の番をしている大人がいて、将棋などを教えてくれたし、先輩達から遊びや技術的なこともいろいろ教わった。

    今はどうだろうか?子ども達を見てもどこの誰だかわからないような状態である。そして、よその子ども達は、知らないうちに大きくなり、高校を卒業すると市外、県外へ出てしまう。特に、女の子達はそのうちに、嫁に行ってしまって村の子だったかどうかもわからない。

本格的な衣装をつけて『浦安の舞』を練習する片瀬の中学1・2年生(女子)

  子ども会に所属していた時代だけは、小学生の保護者と子ども達はいろんな行事で顔を合わせることがあったが、我が子が中学、高校と進むにつれて、他所の子との接点は極端に少なくなる。

  村の子ども達に出番を作ることができないのか。いつも私の頭の中にあった。市教委に勤めていた時代も、『地域で子ども達を活かし、正す』を合い言葉に教育改革“アクションプラン”を実行していた。

 そんな折り、区長が祭りをどうかしたいという。それならば、先ずは女の子達に、『浦安の舞』を舞ってもらったらと提案した。

  そして、福井にいる娘を通じて木田神社で『浦安の舞』を指導している高橋さんを紹介された。以後、区長以下が高橋さんと会い、正式に指導を申し入れた。そして、片瀬の中学1、2年生の女子が福井へ出向き、指導を受け、夏休みの後半から、DVDなどで練習してきたのだ。

  今日は、福井からその高橋さんが来られて直接指導を受けることになった。みんなかなり上手になったと思う。

  片瀬に産まれた女の子は、どの子も一生に一度は主役として、片瀬の神社の拝殿で『浦安の舞』を舞い、村の皆さんに披露してほしい。そして、嫁いだ後に、次の世代の踊りを見たときに、自分もこの神社で踊ったんだと思ってもらえればと思う。

   きっと、地区の人達も暖かい眼差しで子ども達の舞いを見るであろう。また、子ども達もそんな暖かい眼差しを感じ、『片瀬をふるさと』と感じてくれるのではなかろうか。次は男の子の出番である。

  村の一員として、片瀬に生まれたどの子ども達にも、何か活躍の場を与えてあげたいと思う。

(日記:午前中草取り。取っても取っても生えてくる雑草には苦労する。明日から、畑で小さな工事が始まるので、工事にかかる畑のサツマイモとヤーコンを掘った。ショウガも試掘してみた。夜は、『浦安も舞』の指導者の高橋さんとお会いし、銭太鼓の練習につきあう。汗だくだくの一日だった。)

 
 

ようやく準備完了

19 9月

3ヶ月間の『秋祭りプロジェクト』は終盤
  この3ヶ月近く、村の『秋祭り活性化プロジェクト』に関わって、歌作り(曲と詞)、銭太鼓の振り付け、女踊りの振り付け、そしてCD制作といろいろ時間のかかることが多かったが、ようやく終盤を迎えることになった。

  午前中は、昨日吹き込んだ歌の編集や編曲の変更などに時間を費やした。そして、十分とは言えないまでも、新民謡『片瀬豊年ばやし』のCDづくりを終えた。今後、この歌の生伴奏をバックに銭太鼓や女踊りができるようになったら、始めて地元の郷土芸能になったと言えるであろう。

  それまでに、消えてしまうのか、それとも生き残るかは区民の皆さんに支持されるかどうかにかかっている。どちらに転ぼうとも、自分としては、大変ではあったがやりがいのある取り組みであった。

ようやく出来上がった『片瀬豊年ばやし』のCD

   今日中には、関係者に歌詞と共に渡るはずである。すでに渡してある銭太鼓や女踊りの“振り付け”表を見ながらCDを聞けば、個人練習ができるというわけである。限られた時間の中で、しかも稲刈りの真っ最中に練習するとなればこの方法が一番よいと思っている。

CDを聞いてみてください。容量の関係で1番しか入っていません。下の文字をクリックしてみてください。

片瀬民謡 番 旭・春美歌 100919

                 片瀬豊年ばやし     
                                                            Ver.1
1.前歌 村の後に ひかえし山は 
     越の白山(しらやま) 開いた御仁(おかた)
     泰澄ゆかりの 大師山 大師山

   本歌 ハア アーアーアー  
     春は桜で 秋紅葉
     季節彩る 守り神  守り神
    「ワラビぜんまい 山の芋
     薪に材木 山の幸」
     山の麓(ふもと)にゃ 大仏と
     団子まきする 佛母寺(ぶつもんじ)
     山を守るにゃ 道づくり  道づくり ヨホホイー
           

2.前歌 先祖ゆずりの 大事な田畑
     村を潤す 豊かな恵み
     守りつなげよ いつまでも いつまでも 

  本歌 ハア アーアーアー
     片瀬自慢の 芋ショウガ 
     それに加えて うまい米 うまい米
    「春にみんなで 植えた苗 
     秋にゃ稲穂が お辞儀する」
     祝えめでたや 秋祭り
     歌え踊れや 秋祭り
     今年ゃ豊年 満作だ 満作だ  ヨホホイー
3.前歌 我が子よその子 みんな村の子
     明日の片瀬を 支える宝
     守り育てよ 世のために 世のために

   本歌 ハア アーアーアー  
     一人ひとりで できぬこと
     力合わせりゃ 楽になる 楽になる
    「人のためにと やることが
     回り回って 我がために」
     人を信じて いきましょう
     持ちつ持たれつ いきましょう
          心合わせて まちづくり まちづくり  ヨホホイー
4.前歌 親の代から 伝わる芸は 
     赤と白との めでたいバチが
     飛ぶぞ回るぞ 銭太鼓 銭太鼓

   本歌 ハア アーアーアー  
     村の伝統 いつまでも
     伝え残そう 子へ孫へ  子へ孫へ
    「バチのさばきも 軽やかに
     響く銭音(ぜにおと) 軽やかに」
     歌に合わせて バチを振れ
     呼吸(いき)を合わせて バチを振れ
          村に希望の 花が咲く 花が咲く  ヨホホイー

 
1 Comment

Posted in 未分類

 

一人暮らしの知恵(というほどのことでもない)

18 9月

捜し物に時間を使わないために
  私は、何にでも興味を持っているために、資料や道具は増える一方である。そして、使ったものは適当にしまっておくだらしない性格である。数日は片づけたものを覚えていても、長期間になったり、多種類になると何をどこへ片づけたのかは、自分では見つけることができない。

  これまでは、人生の4分の1くらいは“もの探し”をしているようなものであった。しかし、そんなときでも、家内に聞くと大概は見つかるから不思議である。日曜大工の道具類であっても、殆どの場合見つけてくれるのである。私しか使わないようなものでも、結構探し当ててくれるのである。

  自慢にならないが、家内がいなかったら2、3日も生活できないような人間である。そんな私ではあるが、家内が医大へ入院してしまったからにはもう頼れない。一人であれこれ探していると、時間はいくらあっても足りない。炊事・洗濯だけでもかなりの時間を要するのである。

  10日余り一人暮らしをしてみて、これではいけないといろいろ考えることがあった。先ず捜し物に貴重な時間を使わなくてもよいように、先ずは、これまでは滅多に持たなかったが、小さな鞄を持ち歩くようにしている。

  この中には、「車の免許証」、「デジカメ」、「携帯電話」を入れ、後はメモ帳やいくらかの現金を入れるようにしている。この鞄さえ持っていれば、もの探しをすることは結構少なくなるのである。

  次は、自動車の鍵である。ワゴン車と軽トラックの鍵は必ず鍵場に掛けるようにしている。この他、テレビとビデオのスイッチも場所を決めて置いている。また、借りた本なども、置く場所を決めている。

  「免許証知らない?」、「デジカメ知らん?」、「携帯どこかなあ?」、「のこぎり知らん?」、「ペンキ見なかった?」、「こんな本知らん?」……
などと言って家内に探してもらうことができないので、必ず所定の場所に戻すことに決めた。この他、まだまだいろんなものがあるが、それぞれ所定の場所へ置かなければならないと思っている。

  考えてみれば、「ひとり暮らしの知恵」などと言うほどのことはない。これまで何度も家内に言われてきたことだからだ。とにかく、“もの探し”の時間だけは少なくしなければと思っている。

『片瀬豊年おどり』の本歌の吹き込みをする旭さん(左)と前歌の吹き込み(右)。

(日記:午前中は家内の入院している医科大へ。入院以来始めて風呂へはいることを許された。私が助手を務めた。これまでは、看護師さんに身体を拭いてもらっていたが、今日始めて風呂へはいることを許されたのだ。さっぱりしたとのことであった。

 午後と夕方は、新民謡『片瀬豊年おどり』の最終吹き込み。また、毎日毎日とれるキュウリとナスの処分に困って誰かにあげていたが、それも大変なので、塩漬けにした。沢山のニガウリはジュースにして保存した。毎日があわただしい。)  

 
 

初めての合同練習

17 9月

前歌吹き込みを中学生に依頼
  そろそろ銭太鼓の本番用CDを作らなければならない。女性の声で前歌を吹き込みたいが、近くに適任者がいない。こんな時は、家内に歌ってもらうのだが、現在入院中。そこで、北部中の音楽のS先生にお願いした。
 
 「歌の上手な女生徒を2、3人紹介していただけませんか。できたら村の民謡の吹き込みをお願いしたいんですが。」
 「和太鼓を練習していたDさんは上手ですよ。聞いてみましょう。後で連絡します。」

  しばらくして、S先生から電話がかかってきた。太鼓を練習していた2人の女生徒が応援してくれることになった。補習の済んだ直後の5時半に北部中へ迎えに行った。そして、私の部屋でパソコンを使ってデジタル録音をした。

 民謡の吹き込みは中学生には、難しいかも知れない。それでも、2人の女子中学生は真剣に吹き込んでくれた。録音後、2人を北郷と荒土の自宅まで送り届けた。帰宅すると7時半だった。

初めての合同練習
 7時半からは、村の銭太鼓の練習だ。今日は始めての合同練習だ。振り付けもようやく、今日決まったのだ。今日の午後は、昨日練習してみてうまくつながらなかった女踊りの振り付けを変更した。踊りながらの練習でとても難しく、時間もかかった。

 「どうせやるなら一生懸命練習しよう。みんなが見ていて自分もやりたいと思わないような銭太鼓なら、村の郷土芸能にはならない。みんなが自分もやりたいと思うようなものにするには、本番まで真剣に練習するしかない。」

と、多少男子に気合いを入れた。いよいよ来週の土曜日は本番だ。来週は衣装合わせをすることと、神社の拝殿で本番と同様の練習をする予定だ。見ていた人が時分もやってみたいと思わないようだったら失敗だ。今の状態ではまだまだダメだ。来遊に期待しよう。私の役目もそろそろ終わり近づいた。

オリジナルの『片瀬豊年ばやし』の男女合同練習。少しずつ様になってきた。果たして地域に定着するだろうか。

(日記:午前中、数学のホームページ研究。今日はホームページ制作ソフト『Dreamweaver CS4』を最初から勉強し直した。急がば回れの心境だ。午後は、銭太鼓の女踊りの振り付け。午後いっぱいかかった。午後5時半から銭太鼓に使う民謡『片瀬豊年ばやし』の前歌を中学生に吹き込んでもらった。午後7時半から銭太鼓の始めての合同練習。少し先が見えてきた。)

 
 

郷土芸能づくりも大詰め

16 9月

女衆の初練習
  私は、来週の土曜日に行われる秋祭りに披露する銭太鼓の新曲を考えてきた。村に伝わる銭太鼓は、出雲の『安来節』に合わせてバチを振り、時には、ドジョウすくいを踊るものだ。正に、他国の民謡そのものだ。それを今90歳を超える人達も青年時代に演じてきたのだ。

  これはこれとして貴重なことである。しかし、これまで伝えてきた銭太鼓の楽しさを生かして新しい銭太鼓を作ることも価値あることだと思っている。そんな気持ちで今取り組んでいるのだ。そして、いよいよ最終コースの女踊りを加えることになった。その初練習が今日だ。

  男衆の方は、振り付けは決まったので、後は練習あるのみだ。しかし、女性の方は今日が初めてだ。7時半に3人の女性と区長と村の芸能部長が集会所へ集まった。早速練習を始めた。予想より、覚えがいいようだ。

  家では、一応、手足を動かしながら振り付けを考えてきたが、いざ、みんなで踊ってみると、つなぎがよくない部分がいくつかみられた。明日の男性との合同練習までには、一部変えなければならない。

 それにしても、大詰めにきたもんだ。あと一週間で本番だが、それまでに、すべきことはまだたくさんある。正式なCDの吹き込みもある。これが済んだら、のんびりしたいものだ。準備期間が不足していたが、自分としては、可能な鍵路努力したと思っている。後はみんなが頑張ってくれることを望むばかりだ。 

(日記:午前中、事務所で数学のホームページづくり。内容はできているが、ホームページとしてなかなかうまく表現できない。全くもどかしい。人前で話すとき、穎悟でやらなければならないということで、内容よりも語学でつまずいているようなものだ。午後、医科大へ行く。家内は懸命にリハビリをしているようだ。早く元気になって帰ってきてほしい。午後7時半より、新民謡『片瀬豊年ばやし』の女踊りの練習をした。)